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扇ケ谷の浄光明寺を出て左に少し歩いて行くと泉ノ井があります!
立札も建っているので見落とす心配もないです・・・
十井に限らず鎌倉の旧跡の中には個人邸内や狭い路地の途中にあるものも多いです・・・
その分見つけた時の喜びもあるんですけどね・・・
井戸には綺麗な水が溜まっていました、現在も一応湧き続けているみたいです・・・
徳川光圀の【鎌倉日記】に『泉井谷ノ辺ニ潔キ水涌出ル也』と記されています・・・
この谷戸はこの井戸に因んで泉ヶ谷といいます・・・浄光明寺の山号も泉谷山ですね・・・
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泉ノ井の向かいの民家へ続く道の入り口に石碑が建っておりますが、風化が激しく何が書いてあるのか全く判別不能です・・・
いい味出してるんですけどねぇ・・・これ・・・
逆に読めないのがいいんですかね?読めたら読めたで
『あ~そ~なの・・・へ~・・・』で終わってしまうかもしれませんしね・・・
遠い昔に何があったのか妄想を爆発させながらもう少し北上してみます!
少し行った所で左に曲がるとこんな道になってます正面は鬱蒼とした木々に覆われてますが突き当りに階段らしき物が見えます・・・
でも奥には山しか見えません・・・
取り敢えず行ってみると道は右に続いてて緩やかに登って左へカーブしていきます。
階段かスロープか・・・悩む・・・
でもオッサンが谷戸の奥であんまモタついてると近隣の居住者に不審者と思われ通報されかねないな・・・
などと迷った挙句に階段を選び、取り敢えずワクワクしながら登る!
この季節は嫌いな毛虫もいないのでこんな狭い木のトンネルもへっちゃらである!
爬虫類やムカデ、ゲジゲジ等は平気なんだけどイモ虫系には免疫がありません・・・
実際にモスラとか見たら気絶すると思います(笑)
藪漕ぎしながらやぐら巡りなんかしているとヘビとよく遭遇しますが、そんな時はチョップで倒しちゃいましょう!
尻尾を持って頭の方へ2、3回しごくと大人しくなりますよ・・・
階段も終わりに近づき視界が開けて来ると何か屋根っぽいモノが見えてきました! |
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取り敢えず何かがあるんだと確信出来ると安心できます!
目標がないと頑張れないし、頑張ったなりの見返りが欲しいですよね?・・・強欲?
いいじゃないか!人間だもの・・・(^_^)/
そんなこんなで期待に胸を膨らませながら登り切ると・・・ |
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陽当たりの良い平場で、奥に遠慮しがちに建つ本堂と墓地があるだけのスペースですが、落ち葉もキレイに掃除されており中々雰囲気のある場所ではあると思います・・・
銀杏の大木があるのでシーズンはもっといい感じになるかも知れません・・・
誰一人いないひっそりとした谷戸寺で暫し佇んでいると何だか頭がスッキリとしてきます!
ここは多宝谷山妙伝寺と言うお寺で、もともとは文京区にあり徳川頼房が祈願所として創建したものですが1974年に道路拡張の為、この地に移転してきたらしいです・・・
土地いくらで売ったんだろうか?とか、ついつい下世話な思考を持ってしまう自分でした(笑)
昔ここには忍性を開山として北条業時が創建した多宝寺と言う真言律宗の寺がありました・・・
数年後に忍性は極楽寺の開山に招かれて去りますが、その後も多宝寺は極楽寺、称名寺と並んで西大寺系真言律宗の主流として栄えたそうです・・・
いつ頃廃寺になったのかは文献が少なくハッキリしませんが1685年刊行の【新編鎌倉志】によると、その時分には既に寺は無かったみたいです・・・
黄門様が鎌倉に来たのは1673年ですからそれ以前に廃寺って事になりますね・・・
この寺の裏山には市指定史跡の多宝寺址やぐら群があります市内に大小3000基はあると言われているやぐらのなかでも重要なものとして知られています・・・
山道を歩いているとデッカイ五輪塔に遭遇します、本当にデカイです、何か怖いです!
その周辺に分布するのがやぐら群です・・・全部見たい人はザイル持参で頑張って下さい!
このデカイ五輪塔、特徴などから【新編鎌倉志】では忍性の墓であると記されています・・・
しかし、1976年に修復した際に塔内部から銅製の骨壺が5個見つかり、うち一つに多宝寺覚賢長老遺骨也とあり覚賢の墓だと判明し、以降覚賢塔と呼ばれています・・・と、多くのHPで紹介されてますが、吉村良司氏著の【鎌倉忍性塔由来】によると、関東大震災で倒壊したこの塔を地元の有志達が修復の際に、台座下から骨壺が発見されて覚賢の墓である事が判明したと記されてます!
この本は1972年6月1日に出版されてますので、1976年の修復以前にすでに覚賢の墓であると認識されていたのではないでしょうか?・・・初版本読んで見ないと何とも言えませんが・・・
大きさは極楽寺の忍性の墓と同じくらいでしょうか・・・ちょっと小さいかな?
正式には浄光明寺五輪塔として国指定の重要文化財となっております・・・
覚賢塔へは隣の浄光明寺にある冷泉為相の墓から行けばすぐです!
為相の墓から先は普段は柵があり通行止めになってますが、春の鎌倉まつりの際に扉が開放されますのでその時に行くのがベストですね!
泉ケ谷の突き当りに山道の入り口がありそちらからも行けますが、廃道に近くかなりキツイし迷うと思いますし、へたしたら転落死して亀ヶ谷坂で発見されるなんて事にも・・・
その分ちょっとした冒険心は満たされますが・・・
自分が学生時代の話なので現在の状況はわかりませんが覚賢塔を満喫後に他の道もまわってみようと思ったのが失敗でした・・・謎の石碑とか石造の祠とかあって楽しい反面、降りる道が見つからず亀ヶ谷と巨福呂坂の間を行ったり来たり・・・結局戻って旧巨福呂坂にある青梅聖天に無理やり出ました・・・
ちょっと前に亀ヶ谷の切通は世界遺産登録候補地になってるにも関わらず所有者がペット霊園にするって山を切り崩して問題になってましたね・・・現在は国が買い上げたみたいですけど・・・
武家の古都・鎌倉と銘打って世界遺産登録目指して周辺市と共に頑張ってる様ですが、これ以上観光客が増えるのはどうかとも思ってしまいます・・・ |
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本堂向かって右側には悩んだ挙句に選ばなかったスロープが続いてた様です、帰りはこちらをと思い目をやると、
なんとやぐら発見!結構ちゃんとしてる!
当然入ります!
『穴があったら取り敢えず入る!』
を鎌倉歩きのモットーにしてますが、悲しいかな日常生活に於いても穴に入りたい局面が多々・・・
『取り敢えず穴に入って忘れよう・・・』
内部は意外に広く中央奥に宝珠と錫杖を持った地蔵菩薩が祀られてました・・・
稲荷神の使いのキツネも仲良く鎮座(画像左下)
泉ノ井からかなり脱線しましたが、谷戸ひとつにしても色んな歴史が詰まっている・・・ |
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これも鎌倉の楽しみ方のひとつだと思います!
最後に【新編鎌倉志】を・・・ |
【泉谷】(附泉井)
泉谷は英勝寺の東北の谷也。【東鑑】に、建長四年五月廿六日、右兵衛の督教定朝臣が、泉が谷亭を壞つて、御方違の本所とすとあり。是れ宗尊将軍の時也。御亭の跡、今所ろ不知。路端に井あり。
【泉井】泉が井と云。清水涌き出るなり。鎌倉十井の一つなり。
『右兵衞の督教定朝臣』とは二条教定の事です・・・母は大江広元の娘で、父は飛鳥井雅経!
頼経・頼嗣・宗尊と、3代の将軍に仕えました・・・
父雅経は飛鳥井流蹴鞠の祖、今でいうJリーガーでしょうか?・・・違うか(笑)
まろ系(公家)です・・・ |