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北鎌倉の浄智寺参道の小さな石橋が架かる池の傍らにあります!
竹筒を通してそのまま池へと水が流れる仕様になってるみたいですが、実際に流れてるのを見た事はありません・・・
この井戸の水は蜜の様に甘く、不老不死の効果もあったと言われています・・・
ちょっと飲んでみたいですね!
文献によっては建長寺境内にある不老水の代わりに甘露水として鎌倉五名水の一つとして紹介されてたりもします!
しかし甘露水って超美味そうなネーミングですね!
海が近い鎌倉は、あまり美味しい水は採れなかった様ですが、そんな中でもこの井戸の水は近隣の人々を十分に潤したそうです・・・見学の際は池に落ちないように気を付けて下さい!
この井戸のある浄智寺と言う寺は鎌倉五山第四位の名刹で、今更何も言う必要もない程の観光寺ではありますが、ザックリと説明しますと・・・
1281年、五代執権北条時頼の三男宗政(享年29歳)の菩提を弔うため、夫人と息子の師時(後に十代執権になる)が南洲宏海を開山として創建・・・
しかし宏海は自分には荷が重過ぎるとして師の大休正念を迎えて仏入供養をして、すでに没していた兀庵普寧(ごったんふねい)を開山としたので開山に三人の名が並ぶ面白い寺です・・・
兀庵普寧は蘭渓道隆などの招きで来日し、時頼の願いで建長寺二代を務めています・・・既成概念にとらわれない人物だった様で建長寺に入る時も本尊の地蔵菩薩を自分より格下の存在として拝さなかった様です・・・
理由は『自分は禅の悟りを得た仏である』・・・であるからだそうです・・・
そんな彼もパトロンの時頼が没すとサッサと中国へ帰ってしまいます・・・
ちなみに『ゴタゴタ』の語源にもなっている人物です・・・妙に納得!
北条宗政と言われても歴史好きな人でないとピンと来ないと思われますが、1281年には覚えがあるのではないでしょうか?・・・そう元寇です弘安の役です神風です!
彼は元軍と戦った八代執権北条時宗の2歳違いの同母弟なんです・・・
兄が有名過ぎるので影が薄いですが、評定衆を務めたり、地味~に兄を支えたと思われます・・・
ちなみに弘安の役で戦死したのではなく、勝利の1ヶ月後に地味~に病気で亡くなったと伝わります(笑) |
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そんな人物達に縁のある浄智寺ですが山号は金宝山・・・サモハン・キンポーの顔が頭から離れません!
最近の若者は『燃えよデブゴン』とか知らないんでしょうね?
惣門には宝所在近の額が掲げられてます・・・イイですねぇ~お宝臭をプンプンさせてます・・・
金銀財宝に身を包んだ禅僧が金歯を光らせながら説法でもしてくれたら面白いかも・・・
杉木立の中、階段登って拝観料¥200払うと、これぞ浄智寺?的な唐様の花頭窓のある楼門がお出迎え!
何か本気でサモハンっぽいよ~これ!(笑)
境内の所々には手作りのベンチがあって、ゆっくりと寛ぎながら花を愛でるのに最適な寺です!
そう、この浄智寺は四季折々の草花が素晴らしい!・・・花の種類は鎌倉随一です!
鎌倉最大の高野槇もありますし、タチヒガン、ビャクシンなどいずれも市指定天然記念物です!
花を軸として寺をめぐるのも楽しいかもしれません・・・ただし写真を撮る時はマナーを守りましょう!
特に花愛好家に多いですが、狭い道で三脚立てたり、撮影に夢中で周りが見えず通行の邪魔になったり・・・
鎌倉アマチュア写真憲章にある通り、ここはお寺であるという事を忘れないで欲しいです・・・
ご本尊に手を合わせる余裕を持つ、全てはそれからですよね・・・ |
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曇華殿には本尊の木造三世仏坐像があります・・・浄光明寺にも三世仏あったなぁ・・・
阿弥陀三尊が素晴らしすぎて印象が薄くなりがちだけど、あれもいい仏像です・・・
左から阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来で過去、現在、未来を表しているそうです・・・弥勒さん56臆7千万年の時を超え悟りを開いちゃったんですね・・・兀庵普寧も文句はいわないでしょう・・・
しかし皆さん黒いなぁ・・・ワンパク過ぎ!あんまり服汚すと母ちゃんに怒られちゃいますよ・・・
阿弥陀様なんか酋長レベルの黒さですよ・・・カッコイイ!これは一緒に狩りに行きたいレベルです!
しかし三如来とは何とも贅沢な・・・有り難過ぎます! |
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順路通りに回って戻って来ると左側に岩盤をくり抜いたトンネルがあり、そこを抜けてちょっと行くと鎌倉七福神の布袋尊がいらっしゃいます・・・こっち指差して笑ってます・・・
布袋は中国に実在した僧と言われており、いつも大きな袋を背負ってたので布袋と呼ばれる様になったそうです・・・
また弥勒の化身と言う考え方もあるそうですね・・・
しかし何とも憎めない風体だなぁ・・・
お腹を撫でると元気が貰えるらしいので、訪れた時は取り敢えず腹を撫でておきましょう!
話を宗政に戻しまして・・・だいぶ前に某大河ドラマの某北条時宗ってドラマがありました・・・
主人公の弟ですから当然宗政も出てきました・・・
その死に様は病死ではなく、弘安の役で異母兄の時輔をかばって元軍に殺されるというものでした・・・
何かカッコ良くなってるじゃないか!、予定より早く死んじゃってるけど・・・
製作側も宗政に見ドコロを与えたかったんでしょうか?
つ~か時輔は9年前の二月騒動で時宗の命によって六波羅の義宗が討伐したはずだが?
何か最後は放浪の旅に出ちゃってるし・・・
まぁ生存説もあるから『大胆なアレンジ』って便利な言葉で済ますのかな・・・
にしても死期を早める以外に宗政の見ドコロ作れなかったのか?・・・せつない・・・ |
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境内ではミツマタが綺麗に咲いていました・・・
浄智寺は無料の駐車場もありますので車で来るのもありですね・・・
休日は観光客を轢かない様に気を付けましょう!
話を更に戻して甘露ノ井ですが、【新編鎌倉志】によると、『門外左の井戸と開山塔裏の井戸』を甘露ノ井と言ったとの記述があります・・・要するに甘露ノ井は2つあったんですね!
現在も境内数ヶ所にに井戸はたくさんあります・・・駐車場にもあったなぁ・・・
七堂伽藍をそなえ、塔頭も11院(蔵雲庵、正紹庵、正源庵、竜淵山真際精舎、楞伽院、正覚庵、大円庵、同証庵、正印庵、興福院、福生庵)を数えた往時の勢いは、沢庵宗彭の鎌倉巡礼記によると江戸期にはすっかり衰退してしまってたようですが・・・
その後に玉船和尚や徳川光圀が訪れた時はどうだったんでしょう?・・・
廃れたとはいえ関東大震災でそのほとんどを奪われた現在とは訳が違う・・・
開山塔はドコ?井戸は?アレなの?もう無いの?埋まったの?あっち?こっち?わからない?
まぁいいや・・・ロマンは残る・・・ |