非常に見難くて申し訳ありませんが、1685年刊行の【新編鎌倉志】付随の建長寺図であります・・・原本もニジんでいて見にくいのですが、圧縮したら更にヤバイ事になってしまいました・・・ なんとか境内配置は掴めると思いますが(笑) |
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左上の丸部分・・・池の様な物が描かれており不老水と書かれています・・・左下は金龍水です!
不老水は勝上献の西側ですね・・・現在は鎌倉学園グランドのバックネット裏辺りになりますが、捜索は困難です・・・
鎌倉学園懐かしいなぁ・・・高校受験の滑り止めで使いましたよぉ・・・て、関係ない話でしたね、失礼しました(笑)
名称の由来は中国道教に基づく神仙思想の不老長寿によるものと考えられています・・・
【新編鎌倉志】には、
『仙人澤ノ傍ニアリ。鎌倉五名水ノ一ツナリ』
との記述のみです・・・
【鎌倉攬勝考】には、
『建長寺の後山にあり。昔異人此水を呑て容貌の替らざりしといふより、仙人水又は仙池とも唱へしといふ。其傍に仙人澤とて異人の栖し所もあり。』
とあります・・・仙人水、仙池とも言われてたんですね・・・
この水を飲んで若さを保ったともあります・・・
いったいどんな味がしたんでしょうか?
仙人澤(せんにんたく)は不老水のすぐ下に描かれている様ですね・・・池か沼みたいな感じでしょうか・・・? |
仙人=白髭のオジイちゃん的なイメージが強いですけど、不老長寿のスキルを持っているなら若い姿のままでいればいいのに・・・それとも老人になってからでないと不老長寿スキルは発動しない・・・とか制約があるんでしょうか?
もしそうなら、ヨボヨボになってから不老長寿とかいわれてもなぁ・・・
遊びに行く体力もなく、家で茶飲みながらテレビ見たり、庭で盆栽いじりしたり、たまに近所の公園にゲートボールしに行ったり・・・てな感じで悠久の時を過ごすんでしょうかね・・・
それより年金問題を抱えた現在の日本に於いて不老長寿とか・・・どーすんだろ?スゲー迷惑でしょ!(笑)
この不老水ですが、【玉舟和尚鎌倉記】に七水の一つとして紹介されたのが文献上の初見であります・・・
後年の観光案内図などでは不老水の代わりに浄智寺の甘露水を五名水として紹介している物もあります・・・
そもそも境内のこんな奥地にあって使い勝手はどうだったんでしょうか?
門前には金龍水もあるんですよ・・・寺の人間くらいしか使わなかったんじゃなかろうか・・・?
一般ピープルは金龍水メインな感じで・・・その内に不老水はマイナー化・・・と勝手な想像をしてみましたが、実際そんなモンかもしれませんね・・・
甘露ノ井のページでも触れましたが【新編鎌倉志】では甘露ノ井は2つあると言ってます!
じゃあ一つを甘露水として不老水の代わりに鎌倉五名水に加えちゃおうよ!・・・的なノリが無かったとも言い切れませんよね?・・・自分だったらそうしちゃうかなぁ・・・テキトーに(笑)
何にしても建長寺は鎌倉五名水を二つも持ちながら、それを現在に残せなかったって事です・・・ |
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左の写真は建長寺門前の金龍水から、大船方面へと続く道を撮ったものです・・・
鶴岡八幡宮から巨福呂坂を登り切り下って行くところですが、この辺り(圓應寺~JR踏切)一帯は白黒小路(しろくろこうじ)といわれる山ノ内の小字でした・・・
白倉、白蔵とも・・・
ここには山内首藤俊通が住んでいました・・・瓶ノ井のページでも書きましたが明月院に関わりのある人物です! |
彼の家紋白黒一文字が名称の由来であると皇国地誌にあります・・・
山ノ内村字白黒小路と大日本国誌に記述がみえます・・・これが文献上の初見のようですね・・・
また、以前ここには白倉稲荷なるものがあったらしいですが第六天社に合祀されたみたいです・・・
第六天社は階段入り口の門が固く閉ざされ、完全非公開ですが境内はどんな感じなんでしょうか?
航空写真で見ても木々に囲まれた小さなスペースに社みたいなのが確認できるだけで良く分かりません・・・
いつかこの目で見てみたいもんです!
てゆ~か不老水と甘露水どっちが鎌倉五名水なのか白黒つけて欲しいものです・・・
あれ!?何か上手くまとまっちゃったなぁエヘヘ・・・いつか不老水も飲んでやるぜっ! |