覚園寺の薬師堂裏にあります・・・『破風(はふ)ノ井』、『ハフムネノ井』ともいわれています!
崖に穴開けて、浸み出て来る水を溜める・・・いわゆる横井戸であります・・・
穴の入り口が棟立(破風)の形をした石だったのでこの名称で呼ばれているそうです・・・
土中に埋もれていたのを発掘復元したらしいですが、昭和36年(1961)の山崩れで棟立の一部しか確認できなくなっている・・・と資料にあります・・・
自分は覚園寺は深夜にしか行った事ないんですよねぇ・・・ええそーです、黒地蔵縁日です!
棟立ノ井も実物を目で見た事はありません・・・前に写真で見ましたが確かに『破風』と呼びたくなります!
『屋根ノ井』でもいいんじゃないかと思います(笑)
万治2年(1659)【金兼藁】に破風井とあるのが初見です・・・【新編鎌倉志】には、
【棟立井】
山上にあり。相ひ傳ふ、弘法此井を穿て閼伽の水を汲むと云ふ。鎌倉十井の一つなり。
弘法大師が掘って閼伽水を汲んだ井戸であると記しています・・・
ちなみに覚園寺は境内撮影禁止ですよ~・・・寺についてザックリと説明しますと、
建保6年(1218)北条義時がこの地に建立した大倉薬師堂が前身と伝わります・・・
それを永仁4年(1296)北条貞時が再度の元寇襲来が発生しない事を祈り寺に改めました・・・
茅葺の薬師堂には、文和3年(1354)に修理した時に足利尊氏が書いたという文字が記されているほか、建立にあたって次のような話が伝わっています・・・
建保6年、将軍源実朝が鶴岡八幡宮に参拝の折、一行の北条義時の夢枕に戌神将が現れ、
『来年の参拝に加わってはならぬ』と告げた・・・
義時はこれを日頃信仰する薬師如来のお告げと受けとめ、大倉に私財を投じて薬師堂を建てた・・・
翌年の参拝時、お告げを思い心すすまぬまま御剣の役として行列に加わった義時は、門の所で夢と同じ白い犬を見てにわかに気分が悪くなり、剣を人に譲って邸に帰った・・・
すると神事の後、将軍実朝は公暁に殺され、義時に代わって御剣の役を務めた者も斬られてしまった・・・
それを知った義時が薬師堂に参詣すると、参拝の日の夜、戌神将の像は見当たらなかった事を聞かされ、義時の信仰は一層深まったという・・・(参照:鎌倉の寺小辞典)
ちなみに義時の代わりに殺されたのは源仲章です・・・
実朝の最後の言葉は『広元やある!』だったと思います・・・どーでもいいか?(笑)
それにしても白い犬をみると気持ち悪くなるなんて・・・SoftBankのCM見たらどーなるんでしょうかね?
戌神将とは薬師如来の眷属で十二神将の一つです・・・薬師ファミリーを病院に例えると、
薬師如来は院長先生、脇侍の日光、月光菩薩はそれぞれ日勤、夜勤の看護師、十二神将は2時間交代の警備員・・・みたいな感じ・・・かな?・・・とにかく覚園寺の茅葺の薬師堂はびんびん歴史を感じさせます! |