自分が覚賢塔を訪れるのは今回で2回目となります・・・前回は学生の時分だったのでかなり前の事になりますが、泉ヶ谷の突き当りから廃れた山道に入り、様々な発見もありつつの行程でありました・・・
【亀ヶ谷坂】のページでも書いた通り、その発見については後日自分の無知ぶりを思い知る事になりましたが、ひと気のない山中にて異彩を放つ巨大な五輪塔との出会いは、今でも強い衝撃として記憶に残っています・・・
覚賢塔は妙伝寺の裏山にある多宝寺址やぐら群に建っています・・・まぁとにかくデカイです・・・
正式名称は浄光明寺五輪塔、国の重要文化財に指定されています・・・よく『戦前は国宝でした!』と紹介しているサイトを見かけますが、そこまで国宝だった事を強調しなくてもいいのでは?
そもそも戦前というか文化財保護法が成立する以前に文化財指定された物は全部国宝ですから・・・
保護法成立後は重文に置き換えられましたが、別に格下げになった訳じゃなく要は細分化ですよね・・・
もちろん現在新たに国宝指定を受けている物と同等の文化財価値があったという訳でもありません・・・
現在多宝寺址には妙伝寺が建っていますが、泉ノ井でも紹介しましたが妙伝寺は鎌倉での歴史は非常に浅いです・・・
訪れる観光客もほとんどいませんが、逆にそれがいいです・・・自分だけの空間って鎌倉の寺では中々作れません・・・
この覚賢塔・・・昔は多宝寺開山である忍性の墓と誤認されていました・・・
【新編鎌倉志】にも、
【藤原為相石塔】(附忍性石塔)
藤原の為相の石塔は、網引地蔵の後の山巓にあり。藤谷の峯也。為相は為家遺跡の争論にて、母阿佛と鎌倉へ訟へに下り、二人共に鎌倉にて終る。事は【十六夜日の記】に見たり、此東峯を越へて多寶寺が谷と云所ろあり。寺はなし。大なる五輪あり。文字なし。忍性の塔と云傳ふ。爰も泉谷の内なり。
と、冷泉為相墓に付随して記されています・・・
示しているのは現在の覚賢塔の場所ですが、忍性の墓と紹介しています・・・【鎌倉攬勝考】も同じです・・・
覚賢塔と呼ばれるようになったのは五輪塔補修の際に、内部から覚賢の物であると明記された銅製の骨壺が発見されてからの事です・・・その経緯は【鎌倉市史考古編】に詳しく記されていたと思うので、興味のある方は一読する事をお勧めします・・・
浄光明寺のパンフレットにある説明を見てみましょう・・・
(国重文)石造 浄光明寺五輪塔(覚賢塔) 日本でも有数の大きさを誇る中世の石造五輪塔で、当寺から山ひとつ隔てた多宝寺址に立っています。
西大寺の末寺であった多宝寺の覚賢長老の墓塔で、徳治二年(1307)に造立されました。毎年4月の鎌倉まつり期間中のみ公開しています。
今回は鎌倉まつりの期間中なので浄光明寺から行きたいと思います・・・仏殿から先は¥200の拝観料が掛かりますが、三世仏、阿弥陀三尊、網引地蔵、為相墓等々見所は沢山ありますので全然痛い出費ではありません・・・すぐに元は取れますんで安心してお支払下さいませ・・・ |
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受付のおっちゃんに¥200渡して仏殿奥の木戸を潜り階段を登って行きます・・・
平場に出て網引地蔵上にある冷泉為助墓に繋がる階段を更に登ります・・・
墓の後ろにある木戸を潜ると上の写真の様な敷石の道が続いています・・・ここまでの行程は別の機会に紹介させて頂こうと思います・・・
道のすぐ横のやぐらには五輪塔が一杯詰まっています・・・この大きさでは覚賢塔は入りそうにありません!
覚賢塔へは尾根道を進んで行きますが、浄光明寺側からだとすぐに着きます・・・何より最後まで敷石が置かれているので楽だし迷う事もありません・・・ |
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少し登ります・・・でも登りはこれだけです・・・ここを登り切ると小さな平場になっておりますが、昔はここにも何か建っていたんでしょうか?想像が膨らみます・・・
今日は日差しが強くて暑いです・・・昨日は涼しかったんですがこの季節の陽気は毎度良く分かりません・・・
昨日来ればよかったなぁ・・・あぁダメだ、為助墓の木戸が開放されてないや・・・ |
さすがにもうこの季節は他の道を上がって来る気にはなれないしなぁ・・・
イモ虫やマムシも活動を始める頃だろう・・・そういえば先程一匹イモ虫がぶら下がっていたが、何であいつらちょうど人様が歩く位置にぶら下がってやがんでしょうか?・・・ピトっとくっ付いて移動距離を稼ぐ習性でも持ち合わせてんでしょうか?・・・ホント頭にきます、いい加減にして欲しいです・・・あのぶら下がる種は早いトコ絶滅してくれないかなぁ! |
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生態系には何の影響もないですよあんなの・・・あったとしても関係ねぇ!今度見かけたら秘孔を突いて爆発させてやる!あたたたたたたっ!・・・
あぁダメだやっぱ触れねぇなぁ・・・
なんて言いながら進みます・・・いつもなら木漏れ日が気持ちいいなぁとか言う場面ですが、今日は暑いです・・・
もうすっかり春ですなぁ・・・ |
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ここを過ぎると敷石は右へと下って行き・・・ドーン!来ました覚賢塔・・・到着!デカイなぁ・・・
為助墓から5分位でしょうか・・・
ちなみに敷石を外れ真っ直ぐ行くと青梅聖天や泉ヶ谷へ・・・
少し行き左へ曲がると亀ヶ谷坂方面へと道は繋がっていますが、迷ったり崖下に転落しない様に気を付けて下さいね!
久し振りに見ますが・・・やっぱデカイなぁ・・・
山の中にある事が神秘的な何かを感じさせるんでしょうねぇ・・・これが普通に寺の境内とかにあったとしてら、デカイとは思うけどココまで何かを感じさせる独特な空気は持っていないと思います・・・実際極楽寺の忍性塔の方が覚賢塔よりも大きいですが、自分はこの覚賢塔の方がより大きなプレッシャーを感じます・・・
覚賢塔322.0cm、忍性塔394.5cm(参照:石のかまくら)・・・忍性塔の方が70cm以上大きいのになぁ・・・
ちなみに忍性塔は4月8日だけ一般公開されています・・・この日は降誕会(釈迦誕生を祝う法会)ですから、花まつりと題してどこの寺でも天を指差した釈迦像に甘茶をぶっ掛けてますが、是非極楽寺へ行かれる事をお勧めします!
本尊の清凉寺式釈迦如来像も前後3日間は御開帳です!抹茶を頂いた記憶があるなぁ・・・違う寺だったかなぁ?
どーでもいいですが花まつりの釈迦像のセリフは、
『天上天下唯我独尊』ではなくて『我が生涯に一片の悔いなし!』ですよねぇ~(笑) |
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デカさを検証・・・181cmの自分が並んで写ってみる・・・暑さにやられてちょっとダレてますが、それでも大きさは伝わると思います・・・空輪部分がフレームに収まり切りませんでした・・・
こんな巨大な安山岩製の五輪塔がポツンと建っているんですよ!・・・山道に・・・異常ですよ!
ちょっと登ってみたくなりましたが、バチ当たりな事は止めて置きます・・・あぁ登りてぇ~・・・
覚賢塔の周りにいくつか五輪塔がありますが、まるでオモチャの様です・・・別に普通サイズなんですけど覚賢塔と一緒に視界に入るとミニチュアにしか見えません・・・いつもより可愛く見えます・・・
この効果は、合コンを主催した女子が自分よりブサイクな女子を、必ず一人はメンツに加えるシステムに何か通ずる物を感じる・・・対比効果って凄いなぁ・・・でもスイカに塩をかけるのは嫌いです! |
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多宝寺址やぐら群ですが、覚賢塔の下一面に分布しています・・・
この季節はご覧の様に草木の繁茂が凄くてとても行く気にはなりません・・・
やぐらに納められた味のある五輪塔達は、また別の機会に見に来る事にしましょう・・・
何かオッサンの声が聞こえてきます・・・詩吟って言うんでしょうか? |
『あしたにぃ~あしたにぃ~♪』ってずっとそればっか言っています(笑)
明日がどうしたってんだよ?・・・さっさとその先聞かせてくれよ!・・・そんな連呼されたらスゲー気になるじゃんか!
それとも生き別れた『足谷さん』を捜してるのか?・・・そんな抑揚つけて呼ばれたら足谷さんも出て来にくいだろーに?
しかし、オッサンは自分の存在に気付くと急に歌うのを止めました・・・別に歌っててもいいのに・・・
気持ちは分かりますけど・・・バツが悪い・・・
以前自分も誰もいない事を確認して思いっきりオナラをしたら、目の前にある木の影からオバサンが出て来て恥ずかしい思いをした経験があります・・・うそぉ~ん・・・いたんすか?
何も無かった様に振る舞うのやめてよぉ~・・・逆に気まずいじゃないすかぁ・・・
行動を起こす前に、常に最悪の事態を予測しておかなければならない・・・いい教訓になりました(笑)
オッサンと入れ替わりで戻る事にします・・・思う存分歌ってくだされ・・・
ど~でしょう覚賢塔は?まだ見てない人は行って見たくなりませんか?いいですよぉ~!
自然と人工的な物のコラボは何かいいんですよねぇ~・・・箱根彫刻の森美術館とかがやりたい事が良く分かります!
おまけに大きい・・・巨大な建造物というだけでそれはもうアートです!
自分の中ではその究極形がダムなんですよねぇ・・・自然と同化しているダムは超アートですよ・・・気軽に見に行ける物ではないですけど・・・
ダムのプラモデル発売しないかなぁ?・・・速攻で買うんだけどなぁ・・・城のプラモデルがあるんだからダム出してもいいじゃないですか!売れないだろうけどさ・・・海洋堂が覚賢塔に目を付けるのを待つとしますか・・・ないない(笑)
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おしまい |