北鎌倉駅前の交差点を大船方面へちょっと行った所にあるコンクリート製のどこにでもある橋です・・・
【新編鎌倉志】には、
【十王堂橋】
十王堂橋は円覚寺の前を西へ行ば薬師堂あり。其の前の橋ヲ名ク。薬師堂の前に、此の比まで十王堂有りしが、今亡びたり。
円覚寺の西に薬師堂があってその前の橋だよ・・・
薬師堂の前に十王堂があったんだよって言ってますね・・・
今は薬師堂の代わりに肉屋がありますね・・・ コロッケ食いてぇ~売ってるかな?
今度チェックしとかなきゃ・・・
山之内円覚寺門前町図や小泉家絵図にはちゃんと橋やお堂が描かれています・・・
鹿山略記では十王堂や薬師堂は円覚寺の持分とされています・・・
で、十王堂にあった十王像は現在円覚寺塔頭のひとつ桂昌庵に移されたのだそうです・・・
桂昌庵は円覚寺の門をくぐってすぐ左側にあります・・・入り口に閻魔堂の石柱が建っています・・・
本堂には閻魔様を中心に十王の像が・・・しかし本尊は閻魔王ではなく、矢柄地蔵菩薩・・・
ここまで閻魔押しで何故?・・・開山当初はいなかったのかもしれませんね・・・
庭に矢柄地蔵の石碑があり、横に地蔵菩薩がいらっしゃいます・・・
これが御本尊かぁ・・・何故に露座なんだろう?・・・十王人気に負けて追い出されたのかな?
などと馬鹿な事を考えてたら、なんと矢柄地蔵菩薩は関東大震災で焼失したらしいじゃないですか!
で、今は石碑が残るのみとの事・・・紛らわしいお地蔵様だなぁ・・・て~かフェイントの多い寺だ・・・
境内には矢柄地蔵にちなんでなのか弓道場があります。ど~もあの的を見てるとクソゲー水戸黄門の的屋を思い出してしまいます・・・『当た~り~』・・・
桂昌庵について、手持ちの史料によると、
承先道欽の塔所、木造十王像が祀られている・・・像高は閻魔王が80センチ、他は37.5~38.5センチ。
宋帝王の胎内に納められた銘札から、享保2年(1717)頃、次々と造られた事が分かっている・・・
ん?・・・1717年頃に造られた?十王像全部がかな?修復とかじゃなくて?
だって黄門様が鎌倉に来たのは1673年・・・その時に十王堂はすでになかったと言ってるし・・・
て事はですよ・・・桂昌庵に祀られている十王像は少なくとも1673年以前に造られてないとおかしくないですかね・・・?
それとも十王像が桂昌庵に移されたのは事実だが、現在の十王像はそれとは別物って事なんでしょうか?
詳しく調べてみないと何とも言えませんなぁ・・・何か不完全燃焼な感じです・・・
十王堂橋の近くには晴明石なる物もあった様で、それについてももうちょっと調べたい!
また図書館行かなきゃ・・・メンド臭ぁ~・・・何か発見があると楽しいんですけどね・・・
北鎌倉には鉢の木というミシュランガイドにも乗ったお店があります。
お店の名の由来は5代執権北条時頼の廻国伝説を伝える謡曲鉢の木だそうです!
以下お店のホームページにあった物ですがペタリ・・・
錦絵は月岡芳年の『芳年武者无類 相模守北条最明寺入道時頼』をどうぞ・・・
まさに鉢の木の1コマですね!
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鎌倉時代のこと。ある雪の夜であった。
上野の国佐野の里に、源左衛門常世という貧しい男が暮らしていたが、そのあばら家に、道に迷ったという旅の僧が一夜の宿を求めてきた。
常世は気の毒に思い、すぐに家の中に招き入れた。
凍えるような寒さであったが、貧しさゆえ囲炉裏にくべる薪がない。常世は櫃の中にわずかに残った粟を粥にして、僧にすすめた。それでも体はどうにも温まらない。
そこで、常世はどんなに貧しても手放さず家宝のごとく大事にしてきた鉢植えの『梅』、『松』、『桜』を切って、囲炉裏に火をおこしてくべた。そうして、暖をとることが、旅の僧への精一杯のもてなしであったのだ。
貴重な鉢の木を炊いた囲炉裏で膝を寄せながら、常世は我が身の不遇を僧に語った。
自分は一族の裏切りにあって今はこのような落ちぶれた身であると・・・
しかし、またこうも語った・・・いかなる暮らしにあっても未だ心は御家人の忠誠を持っている。
鎌倉にひとたび大事が起きたなら、一番にかけつけて命を捨てても幕府のために戦うつもりである! |
翌朝、僧は、
『これほどの心のこもったもてなしを受けたことはない』
と礼を言って立ち去った。
実はこの僧は、五代目執権北条時頼であった。時頼は出家して執権の座を北条長時に譲り、自分は諸国の御家人や民衆の実情を知ろうと、旅の僧の姿となってたった一人のお供を連れて諸国行脚の旅をしていたのだ。
幕府に帰った時頼は、上野の国の武士たちに『鎌倉の一大事、即馳せ参じよ』と命令を出した。
すると、常世は雪の夜に語った通り真っ先に馳せ参じた。
そうしてあの時の旅の僧が時頼だったことを知る。時頼は、常世の嘘偽りのない言動を誉め、また極貧の中にあっても見ず知らずの旅人のために最も大切にしていた鉢の木を燃やしてもてなした心を賞して、恩賞を与えたという。 |
てな感じです・・・
補足すると恩賞は鉢の木にちなんで『梅田』、『松枝』、『桜井』の各荘を領地として戴いたそうな・・・
『いざ!鎌倉!』な話ですね・・・。
お店では精進料理などがいただけます・・・自分は北鎌倉に行く時は、ついつい駅前の光泉のイナリ寿司を買ってしまいます・・・売り切れの時も多々ありますが・・・無性に食べたくなります・・・
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