ブログ 化生窟ヨップ
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今回は大町のマイナースポット化生窟御硯水を紹介したいと思います・・・六方井黄金やぐら等々マイナースポットの多い大町地区ですが、今回の2つは日蓮関係の遺構です・・・
場所は安国論寺額田記念病院の間の道を進んだ先にあります・・・当時はこの場所も安国論寺の境内地だったんでしょうね・・・だもんで、安国論寺の案内図(タイトル画像の左下の〇部分が化生窟です)にも載っていますが、山門を潜った先をいくら探してもありませんのでご注意ください・・・ほな行きまひょか!
大町めじろ公園 案内板
緩やかな坂道を進んで行くと大町めじろ公園てのがありますが、公園ではなくアパートが建っています・・・
以前は公園があったんでしょうか?・・・いきなり不安感を煽られます・・・化生窟大丈夫なんだろうか?
さらに進むと駐車場の所に案内板がありました・・・御硯水の井戸・・・井戸なんだ!?
梶原太刀洗水みたいな物を勝手に想像していたので、どんな物なのか少し興味が湧いてきました・・・
駐車場 案内板
駐車場を進んで行くと突き当りにまたまた案内板がありました・・・マイナースポットの割に結構ちゃんとしてます・・・
どーやらココを左に進んだ所に目的の物はあるようです・・・
道 御硯水
階段を数段降りると敷石の道が続いており、山肌にはやぐらや五輪塔の残骸等も見て取れます・・・その先に何やら怪しげな物が見えますが・・・どうやらこれが御硯水(おんすずりみず)の様です!・・・案内板があります!

日蓮宗の宗祖 日蓮聖人(西暦1222年~1282年)が松葉ヶ谷に庵を結んだ折、硯の水などに使用された井戸です
                                      松葉ヶ谷 安国論寺    生水は飲めません

ハンドルを2、3回上下に動かすと勢いよく水が出て来ました・・・現役の様です・・・しかし井戸のポンプって何か知らんけど緑色が多いですよね?何故なんでしょう?まぁどーでもいいんですけど・・・
御硯水・・・なんだか思っていたより綺麗で趣という物は感じられませんでした・・・この理由はこの後すぐに判明します!
化生窟 化生窟アップ
御硯水の右横には化生窟がありました・・・何だかなぁこれ・・・ガレージみたいですよ・・・車入れたくなります!
所謂やぐらの様な感じですが、奥に石を積んで塞いだ様な形跡があります・・・もしかしたら以前は穴が奥まで続いていたんでしょうか?・・・だとしたら興味深いですね・・・しかしそうだとしても何で塞いでしまったんでしょうか?
取り敢えず石碑が建っていますんで見てみましょう!

化生窟
日蓮宗の宗祖日蓮聖人(1222年~1282年)は建長五年(1253年)四月二十八日、今の千葉県清澄山上で立教開宗をされた後、鎌倉に参られました。その折に最初の一夜の宿とした所と伝えられてます。又この谷戸にひそむ物怪を済度した所とも伝えられています。
御硯水
日蓮聖人が硯の水に、又日常の用に使われた井戸です。このたび日蓮聖人立教開宗750年を慶讃して御硯水の覆堂の建立並に整備をいたしました。
                                 平成十五年(2003年)十月吉日 松葉ヶ谷霊跡 安国論寺

新しくて綺麗なのも頷けます・・・まだ10年位しか建ってないんですね・・・整備した時に化生窟の奥の穴?も塞いだんでしょうか?・・・そもそも穴があったのか?以前の状態を知りませんので何とも言えませんが・・・
案内板 再び安国論寺の案内板です・・・拡大してみました・・・
化生窟が描かれていますが、どーやら以前は小さな祠の様な物があった様です!

写真じゃないので奥に穴があったかどーかは良く分かりません・・・これが奥の穴なのかも知れませんし何とも言えません・・・でも祠は確実にあった様ですね・・・

何故撤去されてしまったんでしょうか?
安国論寺にもそれらしい物は見当たりませんでした・・・ドコに行ってしまったんでしょう?
祠 祠が見つからないので代わりに住吉城址にあった小祠をどうぞ ・・・イイ感じの祠です!苔がたまりません!
祠の中には白い丸石が置かれていました・・・
何だかゆで卵の様です・・・

ゆで卵の殻をキレイに剥く方法を知っていますか?
ゆでる前に、あらかじめ卵の殻に軽くヒビを入れて置くだけです・・・あくまでも軽くです!
あら不思議スルスル剥けます!
自分は水からゆでて沸騰してから2分半・・・すぐに冷水に浸けて、あとはお好みのタレに浸けて半熟味玉にするのがお気に入りです・・・ウマウマ・・・

と・・・関係ない話をしてしまいましたが、日蓮上人が鎌倉に来て最初の夜を過ごしたというこの化生窟・・・
こんなジメジメした所でよく眠る気になったもんです・・・他に泊まる場所無かったんですかねぇ?
谷戸にひそむ物怪ってダンゴ虫か何かじゃないのか?(笑) 
化粧窟 化粧窟アップ
場所は変わって安国論寺のお隣の妙法寺・・・こちらにも化粧窟という物件があります・・・安国論寺の物とは字が違いますが、何かしらの関連を感じさるネーミングですね・・・やぐらの中にはほのぼのフェイスの日蓮さんがいらっしゃいました・・・和みます・・・指太いなぁ・・・この指で鼻ほじってたから鼻も大きくなってしまったんでしょうか?
安国論寺よりもこっちの化粧窟の方が趣はありますね・・・

さて今回紹介させて頂いた化生窟御硯水ですが・・・やはり微妙なスポットでしたね・・・このまま終わるのもあれなので妙法華経山安国論寺の紹介も兼ねて少し話を広げましょうか!・・・案内板を見てみましょう!

当山は日蓮聖人松葉ヶ谷御小庵の霊跡です。御小庵の元となった岩窟(『御法窟』または『日蓮岩屋』という)が本堂の向かいにあります。この御法窟で日本国の安泰と人々の幸せを願って文応元年(1260)七月十六日、前執権北条時頼に建白した『立正安国論』が執筆されました。
翌八月二十七日に立正安国論に反感をもつ人々に庵が襲われました。これは『松葉ヶ谷の法難』といわれています。本堂の裏山に一時避難した『南面窟』があります。境内は四季折々の花や紅葉で彩られています。なかでも御小庵の傍らの山桜は、日蓮聖人の桜の杖が根づいたといわれ、『妙法桜』と呼ばれています。サザンカやカイドウと共に鎌倉市の天然記念物に指定されています。

創建は建長五年(1253)とされている様です・・・山門潜って左側のおやすみ処では抹茶が¥450、こぶ茶が¥300で頂けます・・・若くて綺麗なお姉さんがせっせと入り口を掃除していたので、吸い込まれる様に入り、気付いたら注文してしまいました・・・でも抹茶を運んで来たのはオバサンでした・・・なんでやねん金返せコノヤロー!(笑)
南面窟 南面窟内部から
裏山の中腹にあるのが説明にもあった松葉ヶ谷法難で一時避難したという南面窟です・・・ココから更に逗子の法性寺の所まで逃げたと伝わります・・・当時はまだ法性寺はありませんでしたけど・・・

しかしこの南面窟・・・焼き討ちにあった草庵が安国論寺にあったとするならば目と鼻の先ですよ!
一時的とはいえこんな所に隠れるならさっさと山登って逃げた方がよろしいのでは?・・・ある意味大胆ですけど・・・
内部には日蓮上人の立像と猿の石像が安置されていました・・・窟内はコンクリートで塗り固められていて、趣は微塵も感じられず何だか微妙な感じです・・・住むには良さそう(笑)
階段 富士見台
熊王殿の所から富士見台という眺望が臨める場所へと続く階段があります・・・眺めはこんな感じです・・・
熊王殿は日蓮に奉公した熊王丸という人物が自身が感得する稲荷を祀った所です・・・
日蓮上人草庵阯石碑 山門の手前右側には日蓮上人草菴阯の石碑が建っています・・・ 刻まれている文章は、
建長五年(皇紀1913)日蓮上人房州小湊ヨリ来リ此地ニ小菴ヲ営ミ始メテ法華経ノ首題ヲ唱ヘ正嘉元年(皇紀1917)ヨリ文応元年(皇紀1920)ニ及ビ巌窟内ニ篭リ立正安國論一巻ヲ編述セシハ即チ此所ナリト云フ
            昭和十四年三月建 鎌倉町青年團

建長五年は1253、正嘉元年は1257、文応元年は1260!
【新編鎌倉志】の安国論寺の項を見てみましょう!
【安國寺】(附松葉が谷)
安國寺、妙法山と號す。名越村の東にあり。妙本寺の末寺也。門の額、安國論窟、大永元年巳歳十月十三日、幽賢書とあり。門に入、右の方に岩窟あり。日蓮房州の小湊より来り、此窟中に居て【安國論】を編むとなり。
内に日蓮の石塔あり。今按ずるに、注畫贊に、正嘉元年より始て、文應元年に勘へ畢つて、【立正安國論】一巻を編むと是なり。日蓮、法華の首題を唱へ初めし處なり。法性寺弘法より始め也とぞ。
松葉谷と云は此の地を云なり。

安國寺とありますが、安國論寺の間違いだと思います・・・というか完全に間違いですね・・・
ちなみにかつて鎌倉に安國寺という寺は実在しました・・・
【鎌倉廃寺事典】によると、長寿寺の向かい側にあった様です!

安國寺の名が初めて見えるのは永徳三年(1383)の【夢窓疎石三十三年忌仏事結解】であり、この中の『諸禅律僧尼寺十七箇所貼菜料見后』という記事にその名が出て来ます・・・十七箇所の内訳は禅興、長勝、悟性、保寧、安国、乾徳、長興、勝因、興国、広福、大慶、国恩、東慶、藤沢、法泉、融通堂、勝栄です・・・

また江戸時代に作成された【建長寺境内絵図】には安国寺跡と記されています・・・この絵図は延宝6年(1678)に水戸光圀が建長寺に寄付した物とされていますが、その7年後に光圀が力石忠一等に編纂させた【新編鎌倉志】にこの絵図は無く、境内図も若干の相違が認められる様です・・・つまり光圀が寄付したという点については怪しいって事ですね・・・

何にせよ山ノ内に安國寺があったのは確かな事で、この寺は足利兄弟が全国に建てた安國寺の相模のそれであろうとの事です・・・いつ頃廃寺になったんですかね?・・・てゆーかややこしくなる間違いは勘弁して貰いたいです・・・

『門ノ額安國論窟』ありますが、現在は『安國法窟 佐文山書』と書かれた額が山門に掲げられています!

【かまくら子ども風土記】によると、日蓮が【立正安国論】を執筆したと云われる御法窟の傍らに日朗が安国論窟寺を建て、更に池上本門寺の日現が要法寺を建て、その後この二寺が統合し安国論寺となったとあります・・・

そもそも松葉ケ谷の草庵があったとされている場所は3ヶ所あります!・・・安国論寺、長勝寺、妙法寺です!
長勝寺は銚子ノ井のページで、妙法寺は護良親王のページで紹介させて頂いたので説明は省かせて頂きます・・・
この3つの寺・・・歴史もややこしいんですよねぇ・・・頭が痛くなります・・・

松葉ヶ谷草庵を巡りライバル関係にある3寺と最終的に避難した法性寺の位置関係をマップで確認してみましょう!

より大きな地図で 松葉ヶ谷草庵の検証 を表示
上ら妙法寺、安国論寺、長勝寺で、右の黄色のマーカーが避難先の法性寺です・・・
距離的には長勝寺が一歩リードか・・・ それぞれ山を越えてお猿畠へ向かったと思われます・・・

結局ドコなんでしょうねぇ・・・間をとって安国論寺にしときましょうか?(笑)
せっかくなんでもう少し検証してみましょうか・・・【かまくら子ども風土記】に焼き討ちの時の様子が載っています!

建長白い猿が3匹、どこからともなく現れ、上人の衣にすがり、袖を引いて表の方へ出て歩き始めますと、大きな洞窟の前に出ました。そのとき、麓の庵の方で割れるような大声とともに、たい松の火が20や30もちらついて見えました。何事かと思う間もなく、草庵に火をつけたらしく、火の手はたちまち燃え上がり、人々の叫び声が手にとるように聞こえてきました。洞窟の前に立ってこのありさまを見ていた日蓮は、猿の手をとって洞窟の奥深く入り込みました。

う~ん・・・文面からすると草庵の上にある大きな洞窟に逃げ込んだ様です・・・
そう考えると妙法寺で洞窟っぽいのは化粧窟だけだと思いますし、草庵阯のかなり下にあるので位置関係がおかしくなります・・・まぁ、草庵阯より上の道なき道を確かめた訳ではありませんけど・・・取り敢えず除外・・・

次に安国論寺、麓の庵といってますが、そこが麓ならココも麓だろ!・・・草庵阯から南面窟までの距離が近すぎるんですよね・・・確かに叫び声は手に取るように聞こえるだろうけど・・・それに南面窟は大きな洞窟とは言い難い・・・
洞窟の奥深く入り込みましたって・・・そんな代物じゃないですよ、穴でも掘ったんですかね?

最後に長勝寺ですが、草庵阯から上は現在材木座霊園になっていますが、洞窟らしい物は無いと思うんですが・・・
ルートとしてはトンネルの上を通り、名越切通を横切ってお猿畠に至る・・・現在も使える一番しっくり来る道かとは思うんですけど、それを実証する穴が無い・・・まんだら堂やぐら群にでも逃げ込んだんでしょうか?
帝釈天ゆかりの寺と銘打っている長勝寺・・・白猿は帝釈天の眷属です・・・柴又の帝釈天は庚申信仰と結びつき猿だらけですね・・・境内で猿回しとかやってます・・・はじき猿なるオモチャも売ってます・・・

結局どれも微妙ですね・・・当時は寺があった訳でもなく、厳密な寺域があった訳でもないでしょうから3つの遺構がゴチャ混ぜになってる可能性もありますよね・・・メンド臭いですね・・・やっぱ間をとって安国論寺にしときましょうか(笑)
つーか同じ日蓮宗なんだから3つの寺で話し合って草庵阯も統合して欲しいもんです・・・
寺自体もややこしいんだからこれ以上こじらせるのはいかがなもんかと・・・ 
法性寺山門扁額 法性寺の山門に掲げられている額です・・・
日蓮上人を助けた3匹の白猿にちなみ猿推しな寺です!
白猿が2匹います・・・もう1匹はドコ行ったんでしょうか?
猿という文字を1匹とする粋な仕様なんでしょうか?

今はいないですけど昔はこの辺も猿がいっぱいいたんでしょうかねぇ・・・

逗子市には披露山公園という所があります・・・
戦時中に置かれた砲台の跡を猿山としている公園です・・・檻の中には猿がワラワラいます! 
孔雀や小動物も飼育していたと思います・・・山の頂上で眺望もよく、レストハウス、駐車場完備なので多くの人の憩いの場となっています・・・当然かながわの景勝50選のひとつであります!
夕暮れ時など最高です・・・ただし16時以降は入れなかったと思います・・・

披露山庭園住宅を挟んだ先には大崎公園があり、眺望に関しては自分的にはこちらの方が上だと思っています!
ちゃんと整備すればの話ですけどね・・・

披露山庭園住宅は湘南のビバリーヒルズと呼ばれる超高級住宅地・・・大企業の社長や有名芸能人などが住んだり別荘にしたりする所です・・・だもんで警備は厳重、入り口では門番が常に目を光らせています!
でも変な事をしない限り普通に入れますんで、猿に飽きたら大崎公園に行きましょう!歩いてすぐです!
豪邸を見物するのも楽しいですよ!

披露山の名称の由来は【改訂逗子町誌】には、
鎌倉時代将軍に献上物を披露する所なりと、或は披露の役人の住宅地なりと、又鷺浦より献上の小壷を披露せし所なりと記されています・・・

ちなみに披露山公園の猿は白くないです・・・普通のニホンザルですのであしからず・・・
白猿というとインド神話のハヌマーンが頭に浮かびますが、彼はウルトラマンや仮面ライダーとも共演しています(笑)
30年以上前の作品だと思いますが、結構ツッコミ所満載のシュールな特撮物に仕上がっています・・・
多分TUTAYAとかにも置いてるんじゃないですかね?

で、結局松葉ヶ谷の草庵はドコにあったんだよぉ~!・・・次回もこの流れで避難先の法性寺を紹介したいと思います!

おしまい
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