鎌倉市二階堂地区の奥部に建つ瑞泉寺という寺は四季折々の花が見せる表情が素晴らしく、辺鄙な場所であるにも関わらず観光客の足が絶えない有名寺院です・・・
天園ハイキングコースの起点にもなっていますので、山歩きがてらに訪れる方々も多いです!
今回はそんな瑞泉寺を久し振りに訪問したいと思います! |
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鎌倉宮を過ぎ二階堂の奥地へと進んで行くと永福寺跡の所に通玄橋があります!
橋の袂には石柱があり『通玄橋』と刻まれています・・・そして側面には、
『右 紅葉谿瑞泉寺道』、『左 横濱及本郷道』と刻まれています・・・
右へ行けば瑞泉寺、左へ行けば獅子舞経由で天園ハイキングコースへと繋がり、横浜市栄区にも出れます・・・
確かに本郷へ行くには朝夷奈切通を使うよりコチラの方が断然近いですね・・・
車など無い時代は生活道路として結構メジャーな道だったんでしょうか? |
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通玄橋の欄干は紅葉モチーフ・・・この橋を越えた先の谷戸道はその名も紅葉ヶ谷といいます!
獅子舞は鎌倉の有名紅葉スポットですが、反対側の谷戸も楓紅葉が綺麗です!
これから訪れる瑞泉寺の山号は錦屏山(きんぺいざん)といいますが、その名の由来は、紅葉ヶ谷を囲む三方の山が紅葉の季節になると、まるで錦の屏風の様に見える事に因むそうです・・・
道すがら素晴らしい紅葉につい見とれてしまいました・・・普通の民家ですけど落葉の掃除が大変そうですね・・・
でもその労力に見合うだけの美しさです!・・・赤と橙のグラデーションが素晴らしい! |
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しばらく行くと道の左側にスペースがあり、庚申塔と『三社大権現』と刻まれた石柱、そして『荏柄天神社御旅所』と書かれた立札が建っています!
御旅所(おたびしょ)とは神輿渡御の際に神輿が休憩する場所の事だそうです・・・
荏柄天神社の神輿もココで休憩するんでしょう・・・その為のスペースであると思われます・・・
庚申塔は正面と両側面に三猿が1匹ずつ浮き彫りされていて中々面白い代物です!
ちなみにココから左に折れた谷戸は熊野ヶ谷といいます・・・小坂郷二階堂村の小字として使われた地名です!
山の中腹に、以前は二階堂の鎮守であった熊野権現社がありましたが明治10年(1877)に荏柄天神社に合祀されました・・・ |
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右側には天然酵母パンcobocoboともみじやが並んでいます・・・もみじやはカフェですがよく利用させて貰ってます・・・
こんな所で?・・・と思いますが、瑞泉寺帰りやハイキング客などが結構立ち寄るカフェです!
cobocoboは開いてたらラッキー的なお店です・・・パンは結構美味いです! |
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総門が見えて来ました・・・上を見上げると紅葉が目に飛び込んできます、眩しいけど眺めずにはいられません・・・
石柱には『旧関東十刹第二位 錦屏山瑞泉寺』と刻まれています!
暦応年間(1338~1341)に天下十刹という物が定められましたが入れ替わり等が多かった様です・・・
ちなみに第一位は鎌倉の浄妙寺でした・・・
その後、五山制度により浄妙寺は鎌倉五山第五位へ昇格・・・十刹制度も見直しが行われ、京都十刹と関東十刹に分かれて新たに10ヶ寺づつを選定し直しました・・・
もともと天下十刹に選ばれていた地方の寺などはこれに強く反発したそうです!
そんなこんなで枠外として十刹に追加される寺は増え続け、なんと60ヶ寺までに増えたそうです!
そこまで増やすなら、もうちょっとテキトーな寺院を追加して天下百刹にしてしまった方がいい様な気が・・・(笑)
坊さんが格付けにこだわるなんて?・・・まぁ、仏の世界も完全な格差社会ですからねぇ・・・
取り敢えず五山十刹制で関東十刹に選定された10ヶ寺は下記の通りです・・・ |
第一位 禅興寺 |
第二位 瑞泉寺 |
第三位 東勝寺 |
第四位 万寿寺 |
第五位 大慶寺 |
第六位 興聖寺 |
第七位 東漸寺 |
第八位 善福寺 |
第九位 法泉寺 |
第十位 長楽寺 |
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赤字は現存する寺です・・・東漸寺は鎌倉市腰越にあるそれではなくて、横浜市磯子区杉田にあるそれであります!
禅興寺は塔頭の明月院のみが現存し、アジサイ寺として全国的にも有名です! |
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イイ感じです!・・・紅葉ヶ谷の名は健在って所でしょうか!・・・鮮やかじゃのぉ~・・・大人し目の紅がイイッ! |
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モロ逆光ですが愛嬌のある鬼瓦です・・・瑞泉寺の総門は数年前に改修されたばかりです!
ちなみに総門を越えて右に曲がると天園ハイキングコースの入口があります!
どんな山道なのかは【警鐘50選②】のページで紹介させて頂きました!
この谷戸にはミシュラン☆獲得店の米倉があります!・・・紅葉を楽しんだ後はココで舌鼓を打つというのもありかも知れません・・・予約は忘れずに!
右上の写真の左下に民家の門が写っていますが、数年前までココには土鈴を販売する店がありました・・・
なんでも店主が引っ越されたとかで閉店となったそうです・・・店舗は壊され現在は更地になっています・・・
店主って結構なジイさんだったと思うけど鎌倉以外に終の棲家を見つけたんでしょうか? |
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ココで拝観料¥200を支払い進んで行きます!・・・トイレもココにあり、普通に綺麗です!
御覧の通り駐車場がありますが、ココまでの道は狭く、土日は観光客も多くて危ないので車で来るのはあまりお勧めしません・・・イライラ、ストレス溜まりますよ!・・・人の列に突っ込みたくなります(笑)
車でじゃなく、降りて自ら猛然と全力タックルです!・・・どりゃぁぁぁーーー! |
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左にも道がありますが、墓地へ続く道なので御用のない方は進入禁止だそうです・・・ |
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階段を上って行きます・・・上り口には『夢窓国師古道場』と刻まれた石柱が建っていました・・・
夢窓疎石はこの寺を開いた高僧です! |
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山寺風な参道を進んで行くと分岐があります・・・どちらを進んでも結局山門の所で合流します・・・
左側の旧道は鎌倉石で造られていて結構磨り減っているので気を付けましょう!・・・案内板があります! |
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説明の通り瑞泉寺の庭園は夢窓疎石が作庭したといわれ、国の名勝に指定されています!
鎌倉で名勝に指定されているのは建長寺、円覚寺、瑞泉寺だけです!
瑞泉寺のHP貼って置きますね・・・ある程度の事は書いてあると思います!
例の如く【新編鎌倉志】を見てみましょう!
【瑞泉寺】
瑞泉寺は理智光寺の東北にあり。錦屏山と號す。関東十刹の内なり。源の基氏の建立なり。基氏を瑞泉寺玉岩昕公と號す。貞治六年四月廿六日卒去なり。開山は夢窓國師、本尊は釋迦(作者不知)、寺領三十八貫文を附す。
圓覚寺御朱印の内なり。鶴が岡の一の鳥居より十四五町はかり有。
【開山塔】
総門を入右の方、山際にあり、夢窓國師の像幷に源の基氏、同く氏満の像あり。
【座禪窟】
開山塔の後に大なる巖窟あり。夢窓國師の坐禪せし所なり。
【徧界一覽亭跡】
坐禪窟の上の山にあり。登る事十八曲の坂なり。夢窓國師、此亭にての歌あり云く
『前も又 かさなる山の いほりにて こずへにつゞく 庭の白雪』。此外諸名僧の詩等多し。
瑞泉寺は嘉暦2年(1327)に二階堂貞藤(道蘊)が夢窓疎石の為に建てた瑞泉院が始まりといわれています・・・
当時円覚寺にいた高僧の夢窓疎石は、来客の応対に追われて思うように修行に励む事が出来ないと嘆いていました、そこで引付衆の貞藤が自分の屋敷の一部を提供します・・・静かな場所で、富士山も海も見え、夢窓疎石はココがすっかり気に入ったそうです・・・
貞藤は甲斐国に夢想疎石を招き恵林寺も建立しています・・・政所執事も務め北条高時を補佐した人物ですが、建武元年(1334)、西園寺公宗による北条氏再興の陰謀に加担したとされ、六条河原で処刑されました・・・
ちなみに二階堂氏は元姓は藤原氏ですが二階堂(永福寺近辺)に住んだので二階堂氏を名乗りました!
その後、初代鎌倉公方の足利基氏が中興開基となり瑞泉寺となりました・・・ |
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さて、山門に到着です・・・瑞泉蘭若と書かれた額が掲げられていました・・・
蘭若(らんにゃ)とはサンスクリット語で『人里から離れ遠からず近からず寂かな精舎』という意味を表すそうです・・・
まさに瑞泉寺の立地にピッタリの表現です・・・納得!
石柱には『一覧亭復興碑』と刻まれていました・・・一覧亭とは当然徧界一覧亭の事です!
現在は一般公開されていない物件です!
山門手前には文学碑が2つあります! |
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山崎方代 |
吉野秀雄 |
『手の平に 豆腐のせて いそいそと
いつもの角を 曲がりて帰る』
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『死をいとひ 生をもおそれ 人間の
ゆれ定まらぬ こころ知るのみ』
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山崎方代のこの歌は結構好きです・・・日常そのもの・・・現場の光景が目に浮かびます!
ちなみに自分が贔屓にしている美鈴という上生菓子の店では、包装紙に方代の歌が印刷されています! |
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松陰吉田先生留跡碑なる物もありました・・・何なんでしょう?・・・気になったので調べてみると、吉田松陰の母方の伯父は瑞泉寺第二十五世の竹陰和尚であるとの事でした・・・竹陰は円覚寺や南禅寺の住職も務めた高僧です!
吉田松陰は、寛永6年(1853年)の6月中旬に瑞泉寺を訪れ、その後も度々訪問した様です!
伯父さんと江ノ島にも行った様ですね・・・エスカー乗ったのかな?(笑)・・・当時はエスカーないか・・・
またまた案内板があります! |
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寺内に古建築は残っていないとありますが、その通りで、ほとんどの建物が大正以降に再建された物です!
格式の面では、やはり鎌倉公方の菩提寺になった事は大きいですね・・・塔頭も往時は12院あったと聞きます・・・
塔頭(たっちゅう)ってのは、お寺の中にあるお寺・・・
高僧などが入寂すると境内に墓を建てます・・・んでそこに建物がオッ建てられる様になります・・・
その後、その建物がひとつの寺院として独立した力を持つ様になります・・・
これがいわゆる塔頭ってヤツです・・・寺を企業に例えると塔頭は子会社みたいな物ですから、単純に数が多いほど大きな会社・・・つまり大寺院という事になります!
現在鎌倉では建長寺や円覚寺などが多数の塔頭を有しています・・・極楽寺などは往時は49院もあったそうです!
横須賀に住んでいた頃、自分の学区に田浦中学校ってのがあってジモティーは『たっちゅー』と呼んでいました(笑)
ちなみに自分は中学に上がる前に逗子に引越したので、たっちゅーには行きませんでした・・・ |
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案内板の横には境内図もあります・・・裏山の頂には徧界一覧亭が描かれていますが先程も述べた様に現在は非公開となっております・・・
山門を潜るとまたまた文学碑がありました・・・ |
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久保田万太郎 |
大宅壮一 |
『いつぬれし 松の根方ぞ 春しぐれ』
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『男の顔は履歴書である』
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大宅壮一の墓は瑞泉寺にあったと思います・・・マスコミ界の帝王といわれた大宅壮一の言葉・・・
『男の顔は履歴書である』は簡潔ですがその通りだと思います!
特にガテン系は顔見れば一発で分かります・・・でも逆にそれ以外は判別が難しいなぁ・・・
まぁ、ココでいってる履歴書ってのは当然ですが職種じゃなくて生き様の事だと思います・・・ガテン系は悪上がりが多いからなぁ・・・ナリで威嚇するタイプが多いですね・・・でもケンカは弱いです(笑)・・・だから吠えるんです!
そんな彼等も年を重ね現実を知り、徐々に落ち着いて行きます!・・・中にはそーでない人もいますが(笑)
自分の友人にもガテン系は結構います・・・大抵は子供が出来ると落ち着いて来ますね・・・
これはあくまで自分の統計学上の話ですが、眉を異様に整えている男は基本信用できません! |
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半跏の地蔵菩薩が居られました・・・汚れでまるで泣いているかの様に見えます・・・
こーゆーのってどーなんでしょう?・・・あるがまま、なすがままに苔とか生やした方がいいんでしょうか?
それともピカピカに磨き上げた方がいいんでしょうか?・・・悩みドコロです・・・
石仏なら苔生やしても趣がありますが、銅像だしなぁ・・・ |
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安国利生塔があります!
安国寺と利生塔は夢窓疎石の勧めにより足利尊氏、直義兄弟が後醍醐天皇以下の戦没者を弔う為に国ごとに1寺1塔を建てた物です!
相模国の安国寺は鎌倉の山ノ内にありました・・・
利生塔は二階堂の東光寺にあったそうです・・・
東光寺といえば後醍醐天皇の皇子である護良親王が直義の部下である淵辺義博に殺害された場所です・・・
現在跡地には鎌倉宮が建っていますね・・・ |
ココから近いといえば近いです・・・東光寺が廃寺になった時に瑞泉寺に移されたんでしょうか?
だとしてもこの利生塔はちょっと新し過ぎる様な気がします・・・
単に東光寺の近くで夢窓疎石にも縁のあるこの場所にモニュメントとして近年建てられた物なんでしょうか?
気になりますが、メンド臭いので放置して置きましょう(笑) |
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鐘楼です・・・錦屏晩鐘と刻まれた碑が建っていました・・・〇〇晩鐘といわれると〇〇八景とかを連想してしまいます!
県のHPを覗いていたら鎌倉八景は3種類あったとの記述がありましたが、晩鐘は全て『長谷の晩鐘』でした・・・ |
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鐘楼の奥にはこんもりした場所が有り、法衣姿の狸の石像があり、それを囲む様に様々な石仏が並んでいます!
この怪しい物件はむじな塚といわれています!
寺と狸の話は多いですねぇ・・・童謡『証城寺の狸囃子』とかは皆さんご存知かと思います・・・
その伝説の舞台となった寺は正確には證誠寺(しょうじょうじ)といい千葉県木更津市にあります!
なんでもJR木更津駅の発車メロディーは証城寺の狸囃子が使われているらしいです(笑)
鎌倉でも寺と狸の逸話は建長寺や延命寺などに残されています・・・そしてココ瑞泉寺にも狸伝説があります!
瑞泉寺が荒れ放題で参詣客も来なかった頃、ひとりの男が訪ねて来る様になり、住職は度々言葉を交わす内にこの人物とすっかり打ち解けました・・・
ある日、囲炉裏に火をくべながら話し込み、そのまま2人とも寝てしまいました・・・
住職が目を覚まします・・・ふと男の方を見るとなんとシッポが生えてるではありませんか!
『なんだ・・・狸に化かされていたのか・・・』
腹が立った訳でもなく、ちょっと驚かしてやろうと熱くなった火箸を狸の腹に押し当てます!
ところが驚いた狸は心臓麻痺を起こして死んでしまいます・・・
住職は自分の行動を悔いて狸を懇ろに葬り、弔いの意を込めて狸の像を造ったとの事です・・・
無駄な殺生にならない様にこの狸を食べたとか、他にも全く違う逸話もあります・・・
【かまくら子ども風土記】には以下の様な話が載っていました!
瑞泉寺に留守番のおじいさんと、おばあさんがいました。瑞泉寺の下にもお寺がありましたが、その寺にもやはりおじいさんがいました。そのおじいさんは夜になると、ときどき瑞泉寺のおじいさんの家へ行き、ごちそうになって帰ります。
ある晩、瑞泉寺のおじいさんの家の戸をたたくものがありましたので、戸を開けると下のおじいさんが立っていました。
留守番のおじいさんはすぐに家の中へ入れて火にあたらせてあげました。
するとそのおじいさんは、ついいねむりをして火の前で化の皮をぬいでしまいました。
なんとそれはむじなではありませんか、おどろいたおじいさんは、そのむじなのおなかを焼火ばしでつついて殺してしまいました。そのむじなは、毎晩おじいさんに化けて、瑞泉寺に来てはごちそうになっていた悪いむじなだったのです。
しかし、死んでしまえばやはりかわいそうなので、おじいさんはお寺の前に墓を作ってやりました。その墓石が今あるむじな塚なのです。石段を登りきったすぐ左手の茂みの中に、おわんを伏せたような形をしています。
内容が似ているけど微妙に違う・・・昔話や伝説のパターンですね!
瑞泉寺の下の寺とは永安寺の事で、両寺の住職が仲が良かったのをいい事に狸が両住職に化けて交互に寺を訪れて御馳走を頂いてたって話もあります・・・
狸の話って行動の善し悪しに関係なく、最後は死ぬ事が多いですよね(笑)
建長寺の狸も犬に噛み殺されますし、證誠寺の狸も最後は腹の叩き過ぎで死にます・・・ |
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本堂には中央に本尊である釈迦牟尼仏、右に夢窓国師像、左に木造千手観音坐像(市文)が安置されています!
戸が少し開いているのでそこから拝観する事が出来ます!
千手観音は水戸黄門が安置した物であると伝わり、鎌倉三十三観音の第六番になります!
開山堂にある木造夢窓疎石坐像は国重文だそうです・・・見れませんけど・・・ |
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瑞泉寺は花の寺としても知られていて、四季折々様々な顔で来る者を迎えてくれます・・・
市指定天然記念物の冬桜と黄梅は有名です!
冬桜は水戸黄門お手植えと伝わっているそうです・・・
水仙も人気がありますね・・・
でも花の季節には虫もいます・・・
イモ虫毛虫なんでもござれ・・・苦手な方は訪問する季節を選びましょう!イッパイいますよ(笑) |
今回は1匹も見当たりませんでした・・・流石にこの時期はもう肌寒いですからね・・・いい季節です! |
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庭園の手前にお堂があります、大黒様と恵比寿様の石像が置いてあります・・・
そしてこのお堂内部に安置されている地蔵菩薩は通称どこもく地蔵尊と呼ばれています!
御尊顔を拝謁する事は叶いません・・・代わりに七福神の絵が飾ってあります(笑)
鎌倉地蔵尊七番札所どこもく地蔵尊縁起
昔、地蔵尊、扇谷の辻に在せり、堂守困窮し逃亡を謀る、地蔵尊夢に立ちて曰く、
『どこもどこも』
その意を問ふに八幡宮寺正覚院の住持答ふ『この世はいづこも苦、楽を求めて逃げむよりは辛抱忍苦を学ぶべし』
かくて堂守は地蔵尊に一生仕へしと、『どこも地蔵尊』、『どこも苦地蔵尊』と呼ばるる由縁なり。
との説明書きがあります・・・別にNTTドコモとは関係ないのでSoftBankやauの方も気軽にお参りしましょう(笑)
扇谷の辻に在せり・・・とありますが、この地蔵菩薩はもともとは扇ヶ谷内の智岸寺ヶ谷(英勝寺付近)にあった智岸寺の地蔵堂の本尊でした・・・その後、鶴岡八幡宮寺の正覚院へ渡り、明治の神仏分離で同院が廃絶した際に瑞泉寺へと渡って来たという経緯があります・・・鎌倉時代後期の作といわれています!
しかし、どこもく地蔵尊の逸話はいかにも禅寺らしいですね・・・ |
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開山堂とどこもく地蔵尊の間の道が噂の庭園への入口です!・・・庭園の紅葉もイイ感じです! |
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取り敢えず庭の紅葉を・・・どーですかコレ?・・・やばくないコレ?・・・上品な色味です!
燃える様な紅も鮮烈でイイですが、この柔らかさは何でしょう?・・・季節に反して温もりさえ感じます・・・
日本人でコレ嫌いな人いないだろぉ~?・・・ホント日本人で良かったぁ!
ちなみに以前は東洋一といわれたユーカリ樹(高さ約60m)があった様ですが、昭和24年(1949)のキティ台風で倒れてしまったそうです・・・60mってハンパない高さですよ!・・・ホントかなぁ?・・・庭園の雰囲気も一変しますよっ! |
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コレが瑞泉寺庭園のシンボル、天女洞(水月観道場)と呼ばれる穴です!・・・手前の池(貯清池)はお世辞にも綺麗とはいい難いです・・・澄んだ水が溜まっていれば印象もまた違ってくると思いますけど・・・澱んでるなぁ(笑)
この庭園は昭和45~46年に行われた発掘調査に伴って復元された古くも新しい庭園です!
書院庭園の起源をなすものであり、現存する鎌倉時代の庭園としては市内唯一で大変貴重な代物です! |
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以前はこの庭から徧界一覧亭へと行く事が出来ました・・・山頂付近に建っていますがココからは見えません!
上までの道は池に架かる2つの橋も数えて18回曲がるので十八曲と呼ばれています・・・
石が磨り減っていて危険な為に進入禁止・・・というのは大義名分で偏界一覧亭にイタズラする輩が多いというのが実情の様です・・・
でもジイさんバァさん達では最初の登りは少し危険なのも確かです・・・瑞泉寺側としては怪我されたらメンド臭い・・・
なるべくして非公開となったのかも知れませんね・・・
御覧の通りこの庭園は岩を削って造られた物です・・・ワイルドですねぇ・・・
夢窓疎石は作庭家としても有名です・・・趣はそれぞれ違いますが、
天龍寺(世界遺産)、西芳寺(世界遺産)、恵林寺(国の名勝)、永保寺(国の名勝)なども彼の手による物です!
【夢窓疎石 日本庭園を極めた禅僧】というマニアックな著書があります(笑)
その中で著者の枡野俊明氏は夢窓疎石の作庭を創成期、発展期、成熟期という三つに区分しています!
ココ瑞泉寺の庭園は創成期に分類されます・・・ |
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方丈の奥の崖に穴がありますが、あれが座禅窟(葆光窟)でしょうか?・・・座禅するには十分な大きさです!
夢窓疎石はそこで座禅修行をしたと伝わります・・・
更に奥には歴代鎌倉公方(基氏、氏満、満兼、持氏)の墓がある様ですが完全非公開です!
持氏の供養塔といわれるデッカイ塔は大町の別願寺という小さな寺にあります!
何度訪れてもタイミングが悪く、魚籃観音の御朱印を頂けなかった苦い思い出のある寺です(笑)
とまぁ、紅葉の瑞泉寺を紹介させて頂きましたが、やはり雰囲気のいい寺だなぁ・・・と、あらためて思いました! |
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レストランの格付けをする事で有名なミシュランガイドという物がありますが、観光地を格付けするミシュラングリーンガイドという物もあります!
ココ瑞泉寺は★獲得です!
今回の訪問で紅葉の瑞泉寺もお勧め出来ると確信しました!・・・イイです!
ちなみに鎌倉で★★★獲得は自分の大好きな報国寺と東慶寺です! |
今回はこれ位にして置きたいと思います・・・次回は現在非公開の徧界一覧亭を紹介したいと思います!
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おしまい |