ブログ 竹の寺タイトル
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今回は竹の寺として名高い報国寺を紹介したいと思います・・・鎌倉に寺は沢山ありますが、その中でもこの寺は自分の好きな寺ランキングの上位に位置しています!・・・このHPのトップページにも写真を使わせて貰っています!
何がいいって?・・・ですよ!・・・境内も綺麗ですけど、やはりこの寺はの庭に尽きます!
まぁ、ウダウダ説明してもしょうがないので行きますか!
報国寺案内板
鎌倉幕府滅亡、中先代の乱、足利尊氏の反乱、といった激動の時代の狭間に建てられた寺であります・・・
往時は衣張山に及ぶ広大な寺領を持っていたと聞きます! 

【東帰集】は日本人によるまとまった偈頌修としては最初の物であるそうです・・・偈頌(げじゅ)とは漢詩の事で天岸慧広は約200編を集めたそうです・・・またこの寺は数多くの文化財を所持していますが、現在その多くは鎌倉国宝館に寄託されています・・・まぁ、竹の庭を見るだけで十分ですけどね・・・
報国寺山門 報国寺境内
この寺はホントに緑の映える寺です・・・苔の緑もイイ感じです・・・ちなみに今回使用する写真は5月に訪れた時の物であります・・・この寺はどの季節に訪れても素晴らしい景観で参拝者を迎えてくれます!
新緑も良し!・・・紅葉と竹のコラボも幽玄の空間を演出してくれます!
報国寺境内2 報国寺境内3
本堂へと続く道も手入れが行き届いています・・・歩いていて非常に気持ちイイです・・・
報国寺境内4 報国寺境内5
錫杖がちょっと隠れキリシタン臭を感じさせる地蔵菩薩・・・帽子とヨダレ掛けがナイスですね!

自分達が住むこの世界は釈迦が教化する娑婆(三千大千世界)と呼ばれる仏国土であります・・・
地蔵菩薩は釈迦が入滅してから56臆7千万年後に弥勒菩薩が仏陀としてこの世に誕生するまでの間、無仏となる現世を救済してくれています・・・六道に悩む衆生を救済しておられるんです!
墓場に六地蔵が多く見られるはその理由からです・・・
また、道端に多く見られる理由は、道祖神と習合した為であります・・・

何でヨダレ掛けをしているのか?・・・親より先に死んだ、つまり親不孝な子供は賽の河原で石を積み上げては鬼に蹴り崩され成仏出来ません・・・慈悲深い地蔵菩薩はそんな彼らを率先して救済するという民間信仰が拡がりました・・・
この事から地蔵菩薩は子供の守り神としても信仰される様になり、子供の恰好をさせるんだそうです・・・

何故赤いヨダレ掛けなのか?・・・赤は魔よけの効果がある為とも・・・単に赤子だから赤にしてみたとも・・・等々色んな説がある様です・・・そもそも赤ちゃんってなんで赤ちゃんっていうんでしょうかね?
赤子、赤ん坊・・・なんで赤なんでしょう ?・・・まぁ、どーでもいいか(笑)

でも帽子やヨダレ掛けをしているのってアウトドアな地蔵限定なんですかね?
木造の地蔵菩薩で帽子やヨダレ掛けしてる物はあまり見た事はありません・・・あっ、月影地蔵は被ってたな・・・
でもあれはアウトドアに近いか?(笑)
そーゆーんじゃなくて、例えば鎌倉五山第一位の建長寺の本尊は地蔵菩薩ですけど帽子もヨダレ掛けもしてません!
やっぱ威厳が失われるからなんでしょうか?・・・あのデカイ地蔵菩薩に帽子被せてみたいなぁ(笑)

地蔵菩薩を知らないって方はまずいないと思います・・・菩薩と言えば派手な装飾に身を包んでいる姿が目に浮かびますが、その中で地蔵菩薩は質素なイメージが強いですよね?・・・ある意味ワンランク上の如来に近い風体です!
エコでいいですね(笑)・・・地蔵菩薩はお坊さんのあるべき理想の姿を現しているんだそうです・・・

高級外車を乗り回しているクソ坊主を多々見かけますが、理想はかなり遠いといった所でしょうか?
頭剃れ!・・・あっ、でも地蔵菩薩はみんなハゲと思っている方も多いと思いますが、そーではないですよ!
もともと菩薩なので派手な装飾に身を包み、髪もあり宝冠等を被っている場合もあります!
密教曼荼羅に描かれている地蔵菩薩はそーいった物が多いです・・・
報国寺境内6 報国寺境内7
波紋で揺れる自分の姿を見ていたら何だか悟りを開けそうな気分になって来ました(笑)
報国寺境内8 報国寺境内9
凝った装飾の薬師如来の先には夥しい数の五輪塔が並んでいます・・・そしてその中には北条・新田合戦追悼歌碑が建っています・・・
いさをしも槍も刃も埋れて 梢に寒し松風の音 華の世を所業つたなく散る君に 香一片を焚きておろがむ
元弘三年五月 北条一族と新田勢が合戦の折、両軍戦死者の遺骨を由比ヶ浜よりこの地に改葬す
                                           昭和40年秋 当山現住菅原義道建之

由比ヶ浜駐車場建設の際に出土した人骨もココに納められたと聞きます・・・でもあの辺では3000体以上も出土していますんで全部ココに改葬された訳ではないと思います・・・残りはドコに行ったんでしょうか?
報国寺本堂 報国寺本堂2
ちょっと来た道を引き返し階段を登り正面から本堂に向かい手を合わせます・・・
報国寺境内10 報国寺境内11
ホントに良く手入れされています・・・茅葺の楼門も趣がありますね・・・
報国寺境内12 報国寺境内13
葉の重なった部分とそうでない部分・・・色の濃淡が実に美しいです・・・
報国寺境内14 報国寺境内15
自分は花を愛でるタイプの人間ではないんですけどね・・・たまにはいいかなって感じです・・・
報国寺境内16 報国寺境内17
ほなそろそろ本堂裏手の竹の庭へ向かいましょうか!・・・矢印の先からは¥200払わないと進めません!
でも障害者なら無料で入れます!・・・クソッ!障害持ってねぇや・・・ちょっと障害者優遇され過ぎなんとちゃうか?
日常生活に影響のある公共の乗り物が無料になるのは分かるけど、寺巡りなんか趣味嗜好の範疇でしょ!
興味のない人は来ませんよ・・・自分は結構好きで巡ってますけど、そもそも障害者に出会った事はあまりないです!
まぁ、宗教法人である寺が勝手にやってる事ですから別にいいんですけどね・・・

でも鎌倉文学館は公益法人だったな・・・健常者もタダにしてくれぇ~!
鎌倉のどの寺よりも入館料高いよ・・・自分結構行くんでキツイっすよぉ~!
グチグチいってもしょーがないですね(笑)

この寺は東国花の寺百ヶ寺の札所になっています・・・百といいつつ103ヶ所ありますけどね・・・
鎌倉三十三観音第十番札所、鎌倉十三仏第八番札所にもなっています・・・
木下利玄記念歌碑 木下利玄記念歌碑があります・・・
あるき来て ものゝふ果てし 岩穴の
          ひやけきからに いにしへおもほゆ

この歌碑も先程の追悼歌碑と同じく菅原義道住職が建てた物の様であります・・・歌碑を建てるのが趣味なんですかねぇ?・・・金持ってんなぁ(笑)
文豪川端康成もこの寺を気に入り足繁く通ったという話を聞きます・・・俺の真似しやがって!(笑)
報国寺竹の庭 報国寺竹の庭2
竹が迫って来ます!・・・でも乱雑に生えている分けではありません・・・ちゃんと植生管理されています・・・
でも聞いた話では手は加えていないとの事・・・生えたらそのまま生やしっぱなしだとか・・・
もちろん古い物は切ると思いますけど・・・ホントに何にもしてないのかなぁ?
京都の嵐山も有名ですけど、あちらはココよりもっと広いですが乱雑というか大雑把な気がします・・・
何だかんだいってもライトアップされると超キレイですけどね(笑)
報国寺竹の庭3 足利家時の墓
緑に慣れた目に時々飛び込んでくる他の色が妙に新鮮です・・・そして庭の北側の崖には立派なやぐらが3基並んでいます・・・非常に興味をそそられますがこれ以上近づく事は叶いません・・・残念至極であります・・・
これはこの寺を建てた足利家時と一族の墓といわれています・・・
家時は足利義兼以降で初めて北条氏の娘を母としないで家督を継いだ人物であります・・・
母は上杉重房の娘です・・・側室の子ですから上杉氏による相当な後押しがあったと思われますね・・・
足利家時の墓 恐らくあの一際目立つ宝篋印塔が家時の物なのではないでしょうか?
足利家には代々伝わる秘文があったといわれています!
スーパーヒーロー源義家が残したというその内容は、

自分は七代の子孫に生まれ変わり天下を取る!
という物だったらしいです・・・
義家の七代後というと、まさに家時であります・・・
しかし家時は霜月騒動に関連する出来事で嫌疑をかけられ、汚名を返上する為に自害して果てます・・・
その際に置文(遺書)を残したといわれています・・・【難太平記】には以下の様に記されています!

されば又義家の御置文に云。我七代の孫に吾生替りて天下を取べしと仰せられしは家時の御代に当たり。
猶も時来たらざる事をしろしめしければにや。八幡大菩薩に祈申給ひて。我命をつづめて。三代の中にて天下をとらしめ給へと御腹を切給ひし也。其時の御自筆の御置文に子細はみえし也。まさしく両御所の御前にて故殿も我等なども拝見申たりし也。

源義家
が7代の子孫に生まれ変わって天下を取ると言い残し、その7代目に当たる足利家時がまだその時が来ていないとして3代のうちに天下を取ることを八幡大菩薩に祈って切腹した・・・そして、その家時の置文を、家時の孫にあたる尊氏直義兄弟が見て、難太平記作者の今川貞世と父範国らも見たといっています・・・

結果として3代後の尊氏は天下を取っています・・・でもどーなんでしょ?
家時が自害する100年前に既に子孫である頼朝が天下を取っちゃってますからねぇ・・・
それに2人の置文の現物はありません!
怪しすぎます・・・そもそも義家の時代は武士の身分はかなり低かったですし、天下を取ろうなんてアホな事をいうわけも無いと思うんですけど・・・考えもしなかったと思います・・・
この考えは方は平清盛以降でないと頭の隅にも浮かんで来ないんではないでしょうか?

自分が思うに、もともとは単に源氏の郎党であった北条氏が権勢を振るう姿を不快に思った足利家関係者が、義家の名を持ち出してテキトーに捏造した物なのではないでしょうか?
義家の名を知らない人なんていませんから効果は抜群だったのではないかと思われます・・・
ドラマの太平記等でも尊氏が決起する時に家時の置文を読み上げて士気を上げるシーンがありますよね・・・

同じ源氏一門である新田氏も頼朝の挙兵参加要請を断っていなければ、鎌倉での活躍があったかも知れませんね・・・

さて、尊氏が天下を取った後も鎌倉府という物が置かれ、鎌倉は関東の政治の中心地として栄えます・・・
基氏、氏満、満兼・・・そして第4代鎌倉公方足利持氏の時に永享の乱が起ります!
永安寺址 鎌倉公方は将軍と仲が悪かったです・・・
【瓶ノ井】のページにも書いたと思いますが、持氏の祖父氏満の頃から将軍との確執があります・・・

永享の乱で敗北した持氏は永安寺で自害したと伝わっています・・・その永安寺址の石碑は、瑞泉寺近くの植木屋さんの敷地内に建っています・・・
個人宅になりますので見学の際はその旨を伝えてから見せて頂きましょうね!不審者に間違われない様に!(笑)
永安寺ハ二階堂谷ニ属ス関東管領足利氏満ノ開基ニシテ其ノ開山ハ曇芳和尚ナリ和尚名ハ周応 夢想国師ノ法嗣ニシテ建長寺瑞林庵ノ始祖タリ 氏満応永五年十一月四日ヲ以テ卒ス其法号ヲ永安寺壁山全公ト称ス寺号此ニ基ク 氏満ノ孫持氏時ノ将軍義教ト隙アリ兵敗レ勢窮リ此寺ニ篭居シテ自殺ス時ニ永亨十一年二月十日ナリ此日寺観又兵火ニ罹リテて廃滅ニ歸ス此所ハ実ニ其址ナリ                    大正十五年建之 鎌倉町青年團

建長寺に瑞林庵なんて塔頭があったんだ?・・・曇芳周応は円覚寺第56世で済蔭庵を開きました・・・
現在済蔭庵は居士林となり誰でも参禅出来る修行の場として多くの人が訪れています・・・
居士とは在家の禅行者を指す言葉の様で、明治以降円覚寺では居士禅が盛んになった様です・・・

座禅はキツイなぁ・・・足痛いよ!・・・昼寝禅とかないんですかね?・・・あれば行くんだけどなぁ・・・
昼寝も結構無の境地に近い物があって、自分を見つめ直す事が可能ですよ!・・・
完全に寝てしまったらただの昼寝になっちゃいますけどね(笑)・・・ちなみに報国寺でも一般の方の座禅OKです!

持氏が自害した事を知り、諸説ありますがその嫡男である義久報国寺で自害しています・・・享年10歳!
10歳で自害って凄いなぁ・・・カッコイイ!

その後も結城氏が持氏の遺児を担ぎ出した結城合戦など、混乱は続きます・・・
そして享徳の乱で第5代鎌倉公方足利成氏が鎌倉を離れ古河公方となり、将軍義政が異母兄の政知を送るも関東武士の協力は得られず鎌倉に入る事は出来ません・・・伊豆に留まり堀越公方となります・・・
そして時代は戦国の流れへ・・・

って竹の庭の散策中でしたね・・・戻りましょう!
報国寺竹の庭4 報国寺竹の庭5
報国寺竹の庭6 報国寺竹の庭7
報国寺竹の庭8 報国寺竹の庭9
竹林の隙間から漏れる陽の光が美しいです・・・竹の葉に覆われた地面も情緒があります・・・
報国寺へは是非平日の朝イチで訪れて下さい!・・・出来れば一人がいいです・・・
雑音の無い空間で目を閉じて風に揺れる竹が奏でる音に耳を傾けてみて下さい・・・それらはそこに居る者を幽玄へと導き、恐ろしい程にリラックス出来ます!・・・朝と日中では地面の香りも違います!
後はタケノコの土佐煮を食べるだけです!・・・チンジャオロースーもいいなぁ(笑)

竹と笹の違いは一般的には大きな物が竹、小さな物は笹だと思います・・・それで間違っていないと思います・・・
ただし、大きな笹も小さな竹もあります・・・名前が笹であっても竹、その逆もしかりと必ずともそーであるとは言い切れません・・・分類としては竹、笹、バンブーと3種類ありますが、ココの孟宗竹は正真正銘の竹ですので御安心を・・・
笹の寺とかあったら、何かショボそうだなぁ(笑)
休耕庵 休耕庵2
竹の庭には抹茶(¥500)をいただける休耕庵というスペースがあります・・・抹茶をいただきながらボーっと竹林を眺めるのも風情があります・・・休日は混みますのでそのつもりで・・・
平日は無理という方も、報国寺を観光コースに入れているならば是非最初に訪れる事をお勧めします!
目もそうですが音でも楽しめる場所なので、人の少ない時間帯に訪れればその印象はかなり変わると思います・・・
報国寺竹の庭10 報国寺竹の庭11
報国寺竹の庭12 報国寺竹の庭13
竹林の処々に配された石燈籠や石仏もイイ雰囲気を醸し出しています・・・う~ん素晴らしい・・・
ホント竹だらけです・・・竹林ですから当たり前なんですけどね(笑)・・・自分もこんな庭が欲しいッス・・・
報国寺竹の庭14 こんな空間で昼寝出来たら最高ですよ!
そのまま永遠の眠りについたとしても悔い無しです!

ココまで育つ前に全部食べちゃうかも知れませんけど・・・
採り立てなら刺身でいただけますしね!
焼きタケノコ捨てがたいなぁ・・・
半分はトウモロコシ畑にして焼きまくろう!
あっ、考えてみたら焼きタケノコより焼きモロコシの方が好きだな・・・全部トウモロコシ畑にしましょう!
報国寺竹の庭15 報国寺竹の庭16
上を見上げると何だか吸い込まれそうな錯覚に陥ります・・・竹の幹が漫画などの、いわゆる集中線と同じ視覚効果を発揮するので、どーしてもその中心が気になってしまいます・・・吸い込まれるぅ~・・・
報国寺境内18 報国寺境内19
報国寺境内20 報国寺境内21
報国寺境内22 報国寺の山門を潜り、そして帰る時には、いつも心身がリフレッシュされています・・・素晴らしい寺です!
そして素晴らしい竹の庭です!

自分が身障者だったら毎日通うんですけどねぇ・・・
毎日となると¥200とはいえ結構キツイです・・・
貧乏人の悲しい現実であります・・・
でも払ったからには最大限満喫するのが自分のモットーであり、ココ報国寺はそれが可能な場所でもあります!
平日朝イチ最高!・・・とにかくホントにお勧めの寺であります!・・・最後に【新編鎌倉志】を見てみましょう!

【報國寺】
報國寺は功臣山建中報國寺と號す。杉本の南み向なり。関東の諸山なり。開山は佛乗禪師天岸慧廣、建武二年三月八日に寂す。【東歸集】有て世に行はる。源の尊氏の祖父伊豫の守家時の建立なり。家時を報國寺殿義恩と號す。
木像あり。本尊は釋迦・文殊・普賢・迦葉・阿難、迦葉は宅間法眼が作也。宅間の迦葉と云ゝ傳へて名佛也。
此邊を宅間が谷と云なり。宅間が舊居歟。今寺領十三貫文あり。【空華集】に漸く入佳境の標有とあり。今はなし。
開山塔を休耕菴と云ふ。

宅間法眼作の迦葉像は明治時代の火災で焼失してしまったそうです・・・報国寺は宅間ヶ谷にあったので宅間寺、また迦葉像が有名だったので迦葉寺ともいわれていたと聞きます・・・迦葉(かしょう)とは釈迦十大弟子のひとりです!

元暦元年(1184)頼朝の命で絵師の宅間為久が鎌倉へ下向します・・・そして翌年には勝長寿院の壁画を描いたりしています・・・この事から幕府と深い関わりを持ち、宅磨派と呼ばれる絵師集団が形成されていきます・・・
そして彼らがこの谷戸に住んだので宅間ヶ谷という名がつけられたそうです・・・
報国寺の宅間法眼浄宏作の迦葉像は焼失しましたが、今も釈迦如来坐像は本堂に居られます・・・

西御門の来迎寺では¥200で宅間法眼浄宏作の地蔵菩薩坐像を拝観する事が出来ます・・・もとは同じ西御門にあった報恩寺(創建1371年、開山:義堂周信、開基:上杉能憲、廃寺時期不明)の本尊であったとされています・・・
有名な地蔵菩薩像です!・・・来迎寺は小さな寺ですが優れた彫像が多いので訪れる価値はアリです!

しかし宅間法眼浄宏は絵師なのに、こんなにも数多くの仏像を残したとは・・・ホントなのかな?
像を彫る人と表面の仕上げを施す人が完全分業で作業を行うパターンも多いと聞きます・・・
もし宅間法眼浄宏が彩色を施しただけだったとしたら・・・塗装が完全に剥げ落ちた現在の仏像は、果たして彼の作品であるといえるのでしょうか?(笑)・・・彼が彫った物であるなら問題ないですけどね・・・

【空華集】は義堂周信による漢詩集です・・・周信は夢窓疎石の門弟で初代鎌倉公方足利基氏の招きで鎌倉へ下向しました・・・基氏没後に幼くして鎌倉公方となった足利氏満の教育係も務めています・・・
帰京後は建仁寺、南禅寺、等持寺住職も務めた高僧です・・・

それより報国寺竹の庭の休み処休耕庵は開山塔の名称が付けられていたんですね・・・
文字から察するに、畑仕事の合間に一服・・・みたいな意味だと思ってましたよ(笑)

おしまい
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