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前回の瑞泉寺に引き続きまして、今回もその関連物件であり現在絶賛非公開中の徧界一覧亭をサラッと紹介させて頂こうと思います・・・『へん』の字は『ぎょうにんべん』が正しい表記です!

国指定名勝である瑞泉寺庭園から続く唯一の道が危険防止の為に通行止めとなり、結果一覧亭も非公開という状況になっていますが、本来一覧亭も庭園の一部ですからこれを見ずに何の名勝でしょうか!
十八曲の道も趣があります!・・・一覧亭から望める富士山はこの庭を造った夢窓疎石の育った地(甲州)・・・
彼は何を思いつつ富士を眺めていたんでしょうか?

前回も述べましたが、この庭園は昭和45~46の発掘調査に伴い復元された物です!
復元される前は、夢窓疎石の庭という事で県の文化財に登録されていましたが、現在の物とは違って小さな池があるだけの庭だったそうです・・・
瑞泉寺図
【新編鎌倉志】付随の瑞泉寺図です・・・これを見た先代住職は思ったそーです!
『全然違うやん!発掘して確かめてぇ~』・・・でも文化財登録された物を破壊するのは大変な事です!
元には戻りませんから!・・・でも何とか文化庁に話をつけ、発掘調査を行ったそうです!

古絵図の通りに池跡が出現した時は先代住職も心躍ったのではないでしょうか!
水を堰き止めて置く設備もみられ、滝の存在も明らかになります・・・しかし鎌倉石の岩盤は風化が激しく、ヒビ割れに人工樹脂を注入する補修を施行するなど費用も相当掛かったそうです・・・

発掘復元から40年以上が経ち、現住職は再び補修工事を考えているそうです・・・
十八曲の鬱蒼とした木々も何とかしたいとの事・・・さてさて今後はどーなるんでしょうかねぇ?
これは再公開に向けて善処していると捕えていいんでしょうか?

鎌倉に非公開って物件は沢山ありますが、良く調べると特別公開などを実施している時があります・・・
常に最新情報に目を配っていれば、拝観不可の仏像なども目にする事の出来る機会は結構あります!
いろんな団体が主催するツアーなどにも結構有意義な物が含まれている場合があります!チェックチェック!(笑)
後は関係者と仲良くなる事ですね・・・相手も人間ですから熱意を伝えれば応えてくれる場合もあります!
それでもダメな時はダメです・・・素直に諦めるか次のチャンスを待ちましょう!

では行ってみましょう!
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この祠は十八曲のやぐらが描かれている辺りでしょうか?
絵図にはカーブから次のカーブまでの距離まで細かく記されています・・・気合入ってますね!
そんなに瑞泉寺が気に入ったんでしょうか?・・・それとも単に暇だったんでしょうか?
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五輪塔が2基置いてあります・・・誰の供養の為なのか分かりませんが空気感がイイです!
ズラッと並んでいるよりも、この場所ではチラホラってのがしっくりと来ます・・・
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つづら折りになっている道をドンドン上って行きます・・・
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石仏っぽい物が置いてありますが、ほとんど原型をとどめていません・・・何だったんでしょう?
坐像だとすると首が取れたんでしょうか?・・・まぁ、どんな形になろうとも石仏は石仏です!
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再び曲がって進んで行きます・・・木が生い茂っているので眺望はイマイチです・・・
寺の境内というよりは完全にハイキングコースですね・・・
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最終コーナーを抜けるとやぐらがあり、その先に石碑と建物が見えます!
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到着!・・・これが徧界一覧亭です!・・・たいそうな名前が付いてますけど小さいですねぇ・・・東屋ですよ(笑)
もちろん当時はどーだったのかは知りませんけどね・・・現在は3人も入ったら息苦しいレベルですね・・・

嘉暦2年(1327)に瑞泉院が建てられ、翌年には庭園は完成していたというし、この徧界一覧亭もその時に建てられたと伝わります・・・
現在のお堂は昭和10年(1935)に再建された物らしいです・・・さらに平成11年(1999)の開山忌650年では改修が行われたそうです・・・

例の史跡碑があります(笑)
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徧界一覧亭舊跡
亭ハ嘉暦三年 夢窓國師ノ建立ニシテ五山ノ僧徒屡々詞會ヲ催セシ所ナリ 然ルニ其後頽癈セシヲ徳川光圀一堂ヲ建テ其傍ニ寮ヲ設ケ一覧亭集詩板ヲ懸ケシトイフモ堂寮共ニ今ナク礎石ヲ存スルノミ
前毛またかさなる山のいほりにて梢につヽく庭の白雲 ハ 夢窓國師ノ此亭ニテ詠メルモノナリト傳ヘラル
                                               昭和十年三月 鎌倉町青年團建

偏界一覧亭は嘉暦3年(1328)に夢窓国師が建立し、鎌倉五山の僧達が度々詩会を催した所です。その後荒れ果てていましたが、徳川光圀が堂を建て、傍らに寮を設けて一覧亭集詩板を懸けたといいますが、堂も寮も今は無く基礎の石が残っているだけです。

『前もまた 重なる山の 庵にて 梢に続く 庭の白雲』

この歌は夢窓国師が雪の日にココから景色を眺めて詠んだ物と伝えられています・・・雪の日は凄い良さ気だなぁ!
雪の日の寺は最高ですよ!・・・寒いとかいわないで朝イチで行きましょう!
観光客に踏み荒らされてからでは意味が無いです!・・・雪と寺のコラボはホント最高ですよ!
できれば雪が降り積もる音が聞こえるくらい静かな境内がいいです!・・・ただ眺めるだけ・・・それだけでいいっす!

徳川光圀がココへ来た時には荒廃して何もなかったんでしょうね・・・絵図にも徧界一覧亭跡とありますし!
南北八間東西五間とご丁寧に敷地面積まで分かる親切ぶりです・・・
1間×1間=1坪ですから40坪って事ですね・・・そんなスペースあるかな?・・・多少整地すればあるかなぁ?

徳川光圀はこの堂に千手観音を安置したそうです・・・現在は本堂に移されています!
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瓦には一覧亭の文字が入っています、おっ洒落ぇ!・・・そしてお堂の背部には無数の落書きが・・・
何でこーゆー事しちゃうんでしょうか?・・・朝起きて自分の車にこんなイタズラされてたら腹立ちますよねぇ?
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徧界一覧亭の裏には天園ハイキングコースがあります!・・・道を歩いているとお堂と石碑がすぐ近くに見えます!
しかし鉄条網でガッツリと防御されていてこれ以上近づく事は出来ません!
ココまでしなくちゃならない理由はやはりイタズラだと思います・・・それにハイカーがそのまま瑞泉寺境内に流れ込んで来るのもあまりヨロシクないでしょう・・・
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お堂の側面です・・・
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瑞泉寺の山門の所にもあった一覧亭復興碑
こちらの物は八角柱です!おっ洒落ぇ!(笑)
昭和十二年七月 復興願主 住友寛一 建立
               山主 松堂敬■
最後の文字がちょっと読めませんでした・・・
昭和12年?・・・昭和10年に再建されたのではなかったのか?・・・う~ん、これは・・・どーなの?
ちょっと詳しく調べないと分かりませんねぇ・・・
しかし、オモシロい名前が出て来ました!金持ちの登場です!(笑)・・・いいなぁ住友財閥・・・
寛一は住友吉左衛門友純(15代当主)と住友吉左衛門友親の長女の満寿との間に長男として生まれました・・・
病弱であり、事業にはあまり興味を示さず、若くして宗教、芸術に傾倒したため廃嫡されます・・・
吉左衛門の名は弟の友成が17才で継ぎました・・・
姉に、弟に住友吉左衛門友成(16代当主)、住友元夫がいます・・・父方の伯父に徳大寺實則西園寺公望中院通規がいます・・・
寛一は生涯美術品の蒐集などに専心していた様です・・・

鎌倉にも邸宅があった様で、景観重要建築物等第18号の村上邸にある茶室は寛一の邸宅にあった物を移築したんだそうです!

それにしても住友財閥が絡んでいたとは・・・スーパーセレブな彼らにしてみたら、こんなお堂ひとつ建てるのなんてジュース1本買うくらいの感覚でしょうか?・・・チロルチョコ1個くらいか?

まさか同姓同名のその辺のオッサンって事はないっすよね?(笑)
住友寛一 明治29(1896)5月23日~昭和31(1956)12月24日 クリスマスイブに亡くなったのかぁ・・・
時代もドンピシャで鎌倉にも邸宅があったとなれば、やっぱ寛一本人とみて差し支え無さそうですね!
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隅飾がありますんで宝篋印塔の残骸ではないかと思われます・・・こちらには種子が刻まれた残骸が・・・
キリークっぽい感じがします?・・・そーならば阿弥陀か千手観音・・・
このお堂には黄門様が寄進した千手観音が安置してあったって話ですからしっくり来ますね・・・
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例の石碑の背後にも何かの残骸らしき石材が転がっています・・・綺麗な丸石ですねぇ・・・
一覧亭32 おっと、肝心な眺めを忘れる所でした・・・
徧界一覧亭からの眺望はこんな感じになります!
今日はガスってますが天気が良ければ富士山も見えると思います・・・箱根の山も見えるかな?

この景色を見ながら僧達によって五山文学が育まれ発展していったと考えると、中々感慨深い物があります・・・

許されるなら自分の昼寝スポットに加えたいです!
陽当たり良好、風通し良し・・・最高です!・・・雨が降ったらお堂の中へ(笑)
そーいえば堂内ってどーなってんでしょうか?・・・何かあるんですかね?・・・気になる所ではあります・・・

ココでは足利公方やら五山の僧侶やらが度々観花の詩会を催しています・・・山頂で花見なんて風流ですねぇ・・・
考えてみたら最近花見してないなぁ・・・公園とか名所は人が多くて煩くてあまり好きではありません・・・
あれなら別に居酒屋でいいです・・・
どーせやるなら風流にやりたいですなぁ・・・でも近場に隠れた花見スポットって中々無いんですよねぇ・・・
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とまぁ、こんな感じの徧界一覧亭ですが・・・いかがでしたか?・・・行きたくなりましたか?(笑)
一覧亭35 やはりココを含めての名勝瑞泉寺庭園だと思います!
再び一般公開される日が来る事を心から願うばかりです!
ハイキングコースと繋げてジジババ相手に茶店でもやれば結構儲かると思いますよ(笑)
もみじや大打撃だろうな・・・

夢窓CAFE一覧亭・・・コーヒー¥500、おかわり自由!
いいですねぇ・・・是非OPENしましょうよ!(笑)
お決まりの不味いワンプレートランチも出しますか!
古絵図はホント見ていて飽きません!・・・最初に貼った瑞泉寺図を眺めていても色々と想像が膨らみます・・・
12あったという塔頭も記されているのは祥雲庵跡(現在の墓地の辺りか?)だけ・・・
方丈さえも跡地になっている事からかなりの衰退ぶりが伺えますね・・・

永享の乱(1439)では、第4代鎌倉公方足利持氏が室町幕府に反旗を翻し、結果として瑞泉寺近くにあった永安寺で自害しています・・・
この前年に瑞泉寺の昌在西堂が持氏の息子の永寿王(成氏)の逃亡に手を貸し、上杉氏の怒りを買う事となり、永安寺と共に瑞泉寺も大打撃を受けた様です・・・【徧界一覧亭記】には、この時に一覧亭も兵難に遭い廃絶したという記述があります・・・
また同著書では、
『岩をうがちて地をたいらかにし、瑞泉の蘭若を創めて以て居す。前峯後洞、巧みに造化を奪う。洞の西、略彴空に横たわり、風磴委蛇たり。盤回十八曲にして絶頂に至る。翼然たる新亭、之を名づけて徧界一覧亭と云ふ』

と、一覧亭について説明しています!

黄門様もココで【新編鎌倉志】の編纂をするにあたり、これではいかんと思ったのかも知れませんね!

境内やその周辺を歩いていると不自然な平場などに結構遭遇します・・・かつてはココに何かが建っていたのかも知れないなどと考えつつ遠い昔に思いを馳せます・・・
瑞泉寺の塔頭12院は果証院(上杉氏塔所)、吉祥院、西芳院、三聖院、祥雲庵、勝光院(満兼塔所)、証悟院、長春院(持氏塔所)、東禅院、南芳庵、妙智院、羅漢院です・・・
後年に永安寺(氏満塔所)保寿院も塔頭となっています・・・

次回は一覧亭の近くにある北条首やぐらを見に行きましょう!

おしまい
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