ブログ 田楽辻子タイトル
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田楽辻子案内板
何の説明もなくいきなりデカイ写真を貼ってしまって失礼しました・・・文面に目を通して頂けたでしょうか?
今回はこの田楽辻子の道を辿ってみようかと思います!・・・
浄明寺地区の県道は車道の幅も狭く、歩道も人ひとり分の幅しかありません・・・自転車だと車道は車の邪魔、歩道は人の邪魔・・・と、散々な道なので自分はなるべく裏道を通る様にしています!

そんな訳でこの田楽辻子も普段から良く利用する通りであります・・・県道の南側を並行する小路なんですけど、静かで鎌倉らしい道のひとつだと思います・・・おまけに実用性もあるなんて素晴らしい限りです!

田楽ってのは田植えの風景を模して歌い踊る芸能の様ですが、鎌倉期にはそれに演劇要素が加わって発展していったそうです・・・獅子舞なんかも足で田んぼの泥を掻く仕草みたいなのがありますけどその流れなんでしょうかね?
食べ物の田楽も形が田楽師の仕草に似ているからそう名付けられた様ですよ!・・・味噌田楽食べてぇ~!
そして煮込み田楽からおでんへ・・・おでん食べてぇ~!
宝戒寺前 起点の筋替橋から宝戒寺を過ぎた所で振り向いて写真を撮ってみました・・・
この道は若宮大路を回避して逗子方面へ抜ける道なので意外と交通量が多いです・・・
道は広くないし電柱が建っているので対向車に神経を使うメンド臭い道です・・・

見て下さい!・・・自転車押して歩くのも困難ですよ!
自分は車ではおよそ通らない道です・・・
素直に横大路から若宮大路に入ります・・・そこまで時間短縮になるわけでもないですからね・・・
コンパクトカーならまだしも、ホント気を遣う道のひとつであります・・・でもコンパクトカーなんて乗りたくないしなぁ・・・
国産のコンパクトカーのダサさはなんなんでしょう?・・・ホイール見てるだけでげんなりして来ます・・・
セカンドカーならまだしも、メインで乗ってる方の美的センスを疑っちゃいます!

自分はコンパクトさを求めるなら、だんぜんMINIの方がイイです!・・・燃費も良いし、cooperSならパワーも申し分ないです!・・・ちょっとピーキーな乗り味くらいは我慢できます!
ホント国産コンパクトカーだけは美的センスを疑います(笑)
宝戒寺橋への小路 美鈴
宝戒寺裏へまわり込む為に細い道を入ります・・・ホント入り口も細いので見逃さない様にしましょう!
道へ入ると電柱に美鈴の看板があります!・・・店舗はココを右折した先にあります・・・
分かり難い場所にありますが上生菓子で有名な店です!・・・基本予約販売です・・・バラ売りは無しです!

また、月ごとに違う物を製造販売しているので、気に入った物があっても通年食べられるわけではありません!
気に入った月が過ぎてしまえばまた来年まで待たなければなりません・・・
でも上生菓子はホントに見ているだけでも美しい代物なので、お使い物にするには最適です!・・・美味いし!
飛び込みで買えるのは練り切りのセットくらいかな・・・やっぱ予約して上生菓子をゲットしましょう!

しかし提供する品物で季節を感じさせる和菓子屋さんなんて素敵ですね・・・
でも自分の好きな商品は来年の5月まで販売されないので、今回はスルーして先へ進みます・・・
宝戒寺橋 東勝寺橋
宝戒寺橋です・・・橋の真ん中から下流側を眺めると青砥藤綱の銭拾い伝説の舞台である東勝寺橋が見えます!
東勝寺橋は景観重要建築物の指定を受けています!・・・銭拾い伝説については鎌倉十橋のトップページに書かせて頂いたのでそちらを参照してみて下さい・・・ 
自分はココからの眺めが大好きです!・・・人もまずいないので景色をゆったりと堪能出来る素晴らしい場所です!
川の流れをマッタリと見ていると、滑川と呼ばれる由縁にも納得です・・・
まさに川底を嘗める様に水が流れて行きます・・・

橋を渡り滑川を越えた所にあるのが紅葉山やぐらであります・・・案内板がありますが汚れていて草もボーボーで読み難かったので、数年前に撮った綺麗な頃の写真を貼らせて貰います・・・
紅葉山やぐら案内板
紅葉山やぐら 海蔵寺十六井
自分は崩落前の姿は知りませんが、現在はこんな感じになっています・・・何じゃコレ?ペンション風?(笑)
ちなみに右上の写真は海蔵寺十六井です・・・参考までに貼っておきますね!
4×4の穴が掘られていて、その穴に水が溜まっています・・・
これと同じ物が内部にある様ですけど、そんな事よりこの外観なんとかなりませんかね?
ペンションかよっ!(笑)・・・まぁ、こうなってしまった物に文句を言ってもアレなので先に進みましょう!
宝戒寺裏の道 宝戒寺裏の道2
風が通り抜け涼しい道です・・・自分は宝戒寺橋までは良く来るんですが、その先はあまり行きません・・・
何故なら・・・
宝戒寺裏の道3 行き止まりだからです・・・・完全封鎖です!
ココが通り抜け出来ればかなり使えるんですけどねぇ・・・
先程の車の多い通りを完全回避できます!
あの民家ぶっ壊して道を繋げてくれないかなぁ?(笑)
ホント凄ぇ便利になりますよ!・・・車も通れる様になっちゃったら本末転倒ですけどね・・・

バリケードから民家までのスペースは草ボーボーの空き地になっていますが、以前は家でも建っていたんでしょうか?
地主の看板 宝戒寺裏の空き地
バリケードの横には『無断駐車厳禁 地主』と書かれた看板が立っていました・・・
て事は以前から空き地だったのかな?・・・しかし看板の錆び具合がいいですね・・・秘境のダム巡りなどをしていると、良くこんな感じの錆び看板に遭遇します・・・何て書いてあるのか妙に気になっちゃうんですよね(笑)
ココの看板は無断駐車したら4ヶ月分の料金を徴取すると書いてありました・・・以前は駐車場だったのね・・・
現在は草の隙間から、結構大き目な石が所々に置かれているのが視認できました・・・

さて、古の田楽辻子は現在ココで寸断されてしまっています・・・
というわけで、来た道を引き返して反対側からこの地点を目指してみることにします!
またあの車も人も飽和気味の通りに出なきゃならんのかと思うと憂鬱ですが、検証の為に我慢です・・・
雪ノ下茶屋横の道 雪ノ下茶屋横の道2
交差点『岐れ路』の手前に雪ノ下茶屋というハンバーグ屋がありますが、ココを右折して入って行きます!
ココのハンバーグはあまり肉汁が出ません・・・牛100%だからかな?・・・自分は合挽きの方が好みですね!
ナイフを突き立てるとジュワっと肉汁が溢れだしてくる様なハンバーグが好きです!
ココのも美味しいですけどね・・・単に好みの問題です、好みの・・・

道は車が通るにはかなり狭いですが、奥の住人達はスーパーなドラテクでココを通る様です!
雪ノ下茶屋横の道3 大蔵稲荷橋
でもやっぱり・・・道が一番細くなる部分のブロック塀には擦った痕跡が・・・自分の車じゃ絶対無理だなぁ・・・
車の両側擦ってスッポリとハマって抜け出せなくなってしまいますよ(笑)

ココを過ぎると再び滑川を渡る橋が架かっています・・・その名も大蔵稲荷橋
橋の先に鳥居が見えていますが、それはまさに大蔵稲荷の物です・・・
大蔵稲荷鳥居 大蔵稲荷の庚申塔
鳥居の先にまた鳥居が見えています・・・あの鳥居を潜り山道を進んで行くと三つ目の鳥居と社がありますが、今回はスルーします・・・一の鳥居を潜ってすぐ左に庚申塔群があります・・・猿田彦太神と彫られた物もあります・・・
猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたという事に因んで道の神、旅人の神とされ、道祖神と同一視されています!
つまりココには古くから道があったという事の証明にもなりますね・・・
庚申塔群の銘は文化、天保、慶應など江戸後期の物でした・・・

また『妙見大菩薩』と彫られた物もあります・・・神社に菩薩って(笑)
妙見菩薩は元々は古代中国で北極星が神格化された物に仏教思想が入り込み菩薩という名が無理やり付けられたパターンです・・・つまりインド由来の菩薩とは少し意味合いが違うという事です・・・

平将門が深く信仰し、その霊験により勝利を納めましたが将門が新皇宣言をした事により妙見菩薩が将門を離れたので将門は滅んだともいわれています・・・その後、妙見菩薩は平良文についたとの話もあります・・・

平良文の流れである千葉氏はこの妙見菩薩を一族の守り神としていて、千葉市にある千葉神社では妙見菩薩と同一視されている天之御中主神を祭神としています・・・神仏分離令で公然と菩薩を祀れなくなってしまった為に採られた苦肉の策であります(笑)
ちなみに妙見とは優れた視力という意味だそうです・・・

さて、大蔵稲荷ではなく矢印方向に進みましょう!
雪ノ下茶屋横の道4 雪ノ下茶屋横の道5
民家が立ち並んでいます・・・その先のシケインを通過すると・・・
雪ノ下茶屋横の道6 分かっていた事ですが、行き止まりであります・・・
この先は先程の草ボーボーの空き地です・・・
右側には滑川が流れています・・・

ホントこの道が繋がっていたらなぁ・・・と、またまたワガママな事を考える自分なのでした・・・

しかしこの車・・・どーやって停めたんだ?
1回2回の切り返しじゃ無理だろコレ?
この向きで駐車しないとならない理由があるんだろうか?・・・まぁ、取り敢えずお疲れ様です(笑)
またまた来た道を引き返して今度は岐れ道の次の大御堂橋交差点を右折して入ります・・・
大御堂橋 文覚上人屋敷迹
そして、大御堂橋を渡り再び滑川を越えます・・・正面には文覚上人屋敷迹の石碑が建っています!
文覚上人にちなんで、滑川のこの辺の流域は座禅川と呼ばれています・・・

文覺俗稱ヲ遠藤盛遠ト云ヒモト院ノ武者所タリシガ年十八想ヲ左衛門尉源渡ノ妻袈裟御前ニ懸ケ郤テ誤ッテ之ヲ殺シ愴恨ノ餘リ僧ト為ル其ノ練行甚ダ勇猛ニ邪寒盛暑林叢ニ露臥シ飛瀑ニ凝立シ屡死ニ瀕ス養和二年四月頼朝ノ本願トシテ弁財天ヲ江島ニ勧請シ之ニ参籠スル事三十七箇日食ヲ斷ッテ祈願ヲ凝ラセリト此ノ地即チ其ノ當時文覺ガ居住ノ舊迹ナリ                                       大正十一年三月建 鎌倉町青年團

文覚は石碑にもある通り、もともとは遠藤盛遠という北面の武士でした・・・渡辺渡の妻である袈裟御前との何とも切なく哀しい話は【仮粧坂】のページに詳しく書かせて頂いたと思うのでそちらを参照して下さい!

文覚が頼朝の願いで江ノ島に弁財天を勧請した話にも触れています・・・【吾妻鏡】を見てみましょう!

養和2年(1182)4月5日 乙巳
武衛腰越に出しめ江島に赴き給う。足利冠者、北條殿、新田冠者、畠山次郎、 下河邊庄司、同四郎、結城七郎、上総権介、足立右馬允、土肥次郎、宇佐美平次、佐々木太郎、同三郎、和田小太郎、三浦十郎、佐野太郎等御共に候す。これ高尾の文學上人、武衛の御願を祈らんが為、大弁才天をこの島に勧請し奉る。供養法を始行するの間、故に以て監臨せしめ給う。密かにこの事を議す。鎮守府将軍藤原秀衡を調伏せんが為なりと。今日即ち鳥居を立てらる。その後還らしめ給う。金洗沢の辺に於いて牛追物有り。下河邊庄司・和田の小太郎・小山田の三郎・愛甲の三郎等、箭員有るに依って、各々色皮・紺絹等を賜う。

この時をもってして江島神社の創建とするという説もあります・・・
だとすると江島神社は藤原秀衡調伏祈願の為に建てられたって事になりますね・・・
しかし社伝によると、欽明天皇13年(552)、勅命によって江ノ島の南洞窟に宮が建てられたのが始まりだとの事です!

江ノ島は江戸時代には一大観光スポットとして多くの人が訪れたそうです・・・
ちなみに安芸の宮島、近江の竹生島と共に日本三大弁財天に数えられています・・・

さて、行き止まりとは知りつつも取り敢えず石碑の右側の道を進んでみましょう!
ロータリー ですよねぇ~・・・道は小さいロータリーとなっていてガードレールの先は滑川です・・・
これ以上先へ進むことは出来ません・・・
恐らく往時は先程の大蔵稲荷のあたりから滑川を左に見つつ、コまで繋がっていた道があったのではないかと思われます?

左岸を調べれば、もしかしたら古道跡が見つかるかも知れませんね・・・
またまた来た道を引き返して、今度は石碑の左側の道を進む事にします・・・
田楽辻子 田楽辻子2
良く通る道です・・・大御堂ヶ谷には頼朝が父である義朝の菩提を弔う為に建てた勝長寿院がありました・・・
大御堂とは勝長寿院の事です!・・・南御堂ともいわれました・・・
現在は源義朝鎌田政清の五輪塔が建っています・・・写真は【実朝公御首塚】のページに貼ってあります!
この勝長寿院については【鎌倉廃寺事典】に非常に詳しく記載されています・・・

大御堂ヶ谷、釈迦堂ヶ谷の入口を通り過ぎ進んで行くと、田楽辻子の案内板のある十字路に到着します・・・
案内板はこのページの最初に貼ってある物です・・・今回の検証の切っ掛けになった物であります!

十字路を左(北)へ進むと犬懸橋を渡り杉本寺の真ん前に出ます・・・
右(南)へ進むと谷戸の終わりからハイキングコースへと繋がり衣張山へと至ります・・・
この南北を走る谷戸は犬懸ヶ谷と言われていて往時は坂東三十三観音霊場第一番札所である杉本寺から第二番札所である岩殿寺へと向かう巡礼道だったそうです・・・
なんでも狩の犬が駆けずり回っていた事からこの名が付けられたんだそうな・・・

また、【名越切通】のページでも書いた通り、小坪合戦の際に和田小次郎義茂が犬懸ヶ谷を通って名越へ出たという記載が文献に見られます・・・
巡礼道ではなく他に道があったと思われますが、三浦一族は鎌倉から本拠地へと戻る時にこの道を良く使ったんではないでしょうか?
犬懸ヶ谷は衣張山に因んで衣掛ヶ谷ともいわれたそうです・・・

さて、この十字路には上杉朝宗及氏憲邸阯の石碑も建っています!
田楽辻子3 上杉朝宗及氏憲邸阯
朝宗ハ足利氏満、満兼ニ歴任シ入道シテ禅助ト號ス人稱シテ犬懸ノ管領トイフ其子氏憲嗣テ持氏ノ執事トナリ入道シテ禅秀ト號ス、然ルニ後持氏ト隙アリ 應永廿三年氏憲ハ持氏ノ叔父満隆等ト謀リ満仲ヲ奉ジテ兵ヲ起セシモ遂ニ敗レ翌年正月一味ト共ニ雪ノ下ノ鶴岡別當坊ニ自尽ス此処ハ即チ其ノ邸ナリ

鎌倉には上杉四家というのがあり、それぞれ山内、扇谷、犬懸、宅間と地名を冠しました・・・
で、ココに住していた上杉氏を犬懸上杉氏と呼んだわけです・・・
この上杉四家が関東管領職を巡り争い、関東管領は鎌倉公方と争い、鎌倉公方は将軍と争い・・・と、分けわかんないくらいこじれてるのでメンド臭いです(笑)

上杉氏憲は歴史の授業で必ず出て来るのでご存知と思います・・・上杉禅秀の乱ですね!
ホントメンド臭いし説明すると長くなるので今回はスルーしてさっさと田楽辻子を進みましょう!
忘れたって方は何とか思い出して下さい!(笑)
田楽辻子4 田楽辻子5
駐車スペースの先は矢印方向へ進みましょう!・・・道なりにカーブして左の方へ進むと浄明寺郵便局の辺に出てしまいます・・・和さびという超美味い寿司屋と、竹治というボリューミーな天丼が食べれるお店がありますけどね・・・
田楽辻子は宅間ヶ谷まで続くらしいので我慢しましょう!
田楽辻子6 田楽辻子7
終点はもうすぐです!・・・苔生した石垣がいいですね・・・緑が目に優しい!
田楽辻子8 報国寺前
そして報国寺へ到着であります!・・・ちょうど寺の人が駐車所のポールを外していました・・・
現在時刻は午前8:05・・・報国寺は午前9:00からだったかな?・・・なんにしてもご苦労様です!

とにかく宅間ヶ谷へ到着であります・・・案内板には田楽辻子はココから六浦道に合流すると書かれていましたね・・・
つー訳で左折して県道204号線へ出ましょう!
華の橋を渡った所が交差点『報国寺入口』となり、六浦道と合流です・・・
華の橋の庚申塔 華の橋の庚申塔2
華の橋手前左側に庚申塔群があります・・・その内のひとつがビミョーな顔してたのでパチリ!
マヌケ面というか、のほほんとしているというか・・・とにかくビミョーです・・・
庚申塔の左には階段があり、川へ降りられる様になっています・・・鯉がウジャウジャいます(笑)

ココから六浦方面へ向かうとすぐに浄妙寺の入口となりますが、そこにあるのが多可邑であります!
多可邑 ココの釜めしメッチャ美味いです!
コッチを訪れた時には是非とも召し上がって頂きたい自分イチオシの店舗です!
釜めしのおこげってなんであんなに美味いんですかね?
落ち着いた雰囲気で心ゆくまで絶品の釜めしを堪能しましょう!・・・接客も気持ちいいです・・・

子供は入店出来ませんのでご注意を!
それだけ客に気を配ってるって事です・・・
ファミリーは駅前のマックでテキトーに済ませましょう!・・・そして大仏を見て鳩サブレー買って帰りましょう!(笑)

そうそう、犬懸橋の所にも美味しい店ありますよ!・・・穴子丼で有名な左可井です!
左可井 テレビ、雑誌等々・・・ちょっとメディアに露出し過ぎな感もありますが、ふんわり穴子はかなりの美味しさです!
昼時は行列が出来たりするのが痛いなぁ・・・

でも穴子丼セットが¥1350です・・・コスパはかなり高いと思います!・・・鰻丼とは違いますけどココの穴子丼は食べて置くべきだと思います・・・

酒井さんの一件家で営業しています・・・
そんなに広くはないですけどアットホームな感じが、友人の家へお邪魔している様な雰囲気で落ち着けます・・・
穴子以外にもマグロの漬丼、うどん、そうめん等がありますが、やはりココへ来たら穴子一択ですね!

こんな感じで浄明寺地区にも数は少ないですが美味しい店はありますよ!
観光資源もありますし、雑踏に疲れたら谷戸道をゆっくりと散策して美味しい物食べてってのもアリですね・・・

今回撮影しながら通った道は・・・かつての田楽辻子を推測した道はでラインを引いてみました・・・
多少地形が変わったとしても概ねこんな感じだったんではないでしょうか?
何だか無性に味噌田楽が食べたくなって来ました(笑)

おしまい
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