早いのか遅いのか良くわかりません(笑)
現在は新幹線で2時間ですね・・・ホントに便利な世の中になったもんです!
南北朝時代の太平記、梅松論に見える『上の道』、『中の道』、『下の道』の三つが後に鎌倉街道と呼ばれる主要道になったと言われています・・・
鶴岡八幡宮三の鳥居を起点として色分けしてそれぞれの経路を現在の地図(Googleマップ)上で辿ってみました・・・多くの人々がこの道を使い参拝に訪れた事でしょう・・・。
古くは鎌倉往還・・・鎌倉街道と呼ばれる様になったのは江戸時代になってからの様です・・・
それぞれの道の経路は完全に把握できてない物もあり諸説ありますが、
『上の道』鎌倉-仮粧坂-洲崎-藤沢-飯田-瀬谷-分倍河原-府中-所沢-入間-狭山-大蔵-原宿-藤岡-高崎-松井田-碓氷と進み信濃路、上州路、武蔵路に分かれる道とされています・・・
新田義貞の鎌倉攻めルートです・・・鎌倉街道の中でも最もよく知られた道ではないでしょうか?
『中の道』鎌倉-巨福呂坂-大船-戸塚-鶴ヶ峰-中山-荏田-二子玉川-渋谷-新宿-王子-赤羽-川口-鳩ヶ谷-大門-岩槻-幸手-栗橋-古河-小山-宇都宮と進み奥州街道へ・・・
巨福呂坂を通ったのか、亀ヶ谷坂を通ったのか、はたまた別の道から鎌倉を出たのかハッキリしない?
『下の道』鎌倉-六浦-金沢-帷子(保土ヶ谷)と東京湾沿いを登って行き房総半島方面へ続く道、または茨木方面へ続く道といわれています・・・
鎌倉公方が鎌倉を離れ、北条早雲により小田原が要地となり、更に江戸期に五街道が整備されると鎌倉街道は衰退していった様です・・・
様々な文献に登場するこの三つの道ですが、時代により名称が入れ替わっているので注意が必要です!
現在太平記に見える物を一般的にそれとして呼ぶ場合が多いみたいですね・・・
鎌倉七口は極楽寺切通を除き国指定史跡となっております・・・ |