ブログ 鎌倉七口タイトル
        
     
朝夷奈切通 亀ヶ谷坂 極楽寺切通 巨福呂坂
仮粧坂 大仏切通 名越切通

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七切通とも言い、鎌倉の出入り口として機能していた道の事です・・・
往時を偲ばせる物、完全舗装され車がビュンビュンと行きかう物・・・
様々な形をとり現在に至っておりますが、ひとつ言える事は、時勢により姿を変えつつも、人々にとってやはり重要な道であるという事です!

切通
とは読んで字のごとく山を切り開いて通した道の事であります・・・
平和な現在とは違う時代に作られた物・・・
鎌倉と外を繋ぐ交通路であるのはもちろんですが、敵の侵攻を防ぐ為の工夫が施されました・・・
わざと道が細くなってたり、見通しがきかなかったり、切岸、平場等々・・・
それらの痕跡は現在も確認する事が出来ます!

そんな事を考えながら歩けば、単なるハイキングコースとはまた違った風景に出逢えるかも知れませんね! 
鎌倉往還
鎌倉往還とは鎌倉から各地へと放射状に延びる中世の幹線道路の事で、政治的拠点鎌倉と地方を結ぶ非常に重要なルートであった様です・・・

頼朝は鎌倉~京都間に駅路の法と呼ばれる新しい駅制を敷きました・・・
鎌倉飛脚、六波羅飛脚などと称されましたが、取り敢えず鎌倉~京都六波羅までを最短72時間で結んだ様です!
早いのか遅いのか良くわかりません(笑)
現在は新幹線で2時間ですね・・・ホントに便利な世の中になったもんです!

南北朝時代の太平記、梅松論に見える『上の道』『中の道』『下の道』の三つが後に鎌倉街道と呼ばれる主要道になったと言われています・・・

鶴岡八幡宮三の鳥居を起点として色分けしてそれぞれの経路を現在の地図(Googleマップ)上で辿ってみました・・・多くの人々がこの道を使い参拝に訪れた事でしょう・・・。

古くは鎌倉往還・・・鎌倉街道と呼ばれる様になったのは江戸時代になってからの様です・・・
それぞれの道の経路は完全に把握できてない物もあり諸説ありますが、

『上の道』鎌倉-仮粧坂-洲崎-藤沢-飯田-瀬谷-分倍河原-府中-所沢-入間-狭山-大蔵-原宿-藤岡-高崎-松井田-碓氷と進み信濃路、上州路、武蔵路に分かれる道とされています・・・
新田義貞の鎌倉攻めルートです・・・鎌倉街道の中でも最もよく知られた道ではないでしょうか?

『中の道』鎌倉-巨福呂坂-大船-戸塚-鶴ヶ峰-中山-荏田-二子玉川-渋谷-新宿-王子-赤羽-川口-鳩ヶ谷-大門-岩槻-幸手-栗橋-古河-小山-宇都宮と進み奥州街道へ・・・
巨福呂坂を通ったのか、亀ヶ谷坂を通ったのか、はたまた別の道から鎌倉を出たのかハッキリしない?

『下の道』鎌倉-六浦-金沢-帷子(保土ヶ谷)と東京湾沿いを登って行き房総半島方面へ続く道、または茨木方面へ続く道といわれています・・・

鎌倉公方が鎌倉を離れ、北条早雲により小田原が要地となり、更に江戸期に五街道が整備されると鎌倉街道は衰退していった様です・・・


様々な文献に登場するこの三つの道ですが、時代により名称が入れ替わっているので注意が必要です!
現在太平記に見える物を一般的にそれとして呼ぶ場合が多いみたいですね・・・

鎌倉七口は極楽寺切通を除き国指定史跡となっております・・・
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