ブログ 雪の神武寺タイトル
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2014年2月8日未明から降り始めた雪は、都心では27cmの積雪を記録し、実に1969年以来45年振りといわれる大雪となりました!・・・いやぁ~凄かったですね!
自分の住む逗子市の積雪もかなりの物で、積もった雪が邪魔で自宅の門が開けられませんでした!

45年振りという事は当然自分も初体験の降雪量って事になる訳ですが、子供の頃はこれくらい普通に降っていた様な気がするんですけどねぇ・・・体が小さかったからそう感じたんでしょうか?(笑)
とにかく今回の大雪にはちょっとビックリしたのは確かです!

前日に父の十七回忌法要を執り行ったんですが、土日法要にしていたら、とんでもない事になっていましたね!
父が自分の夢枕に立ち、『十七回忌法要はちゃんと命日にやってくれ!』と告げたんですが、その通りにしといてホント助かりました!
あ、夢枕に立ったというのはウソです(笑)・・・でも何となく命日通りに法要を行いたいと感じたのは確かであります!

何故か早起きしてしまった2月8日・・・外はまだ暗いですが、雪が薄っすらと降り積もっていました・・・
天気予報通りになったなぁ・・・と感心しつつ、これはチャンスかもしれないという思いも湧き上がって来ました!
普段とは違う風景を拝む事が出来るチャンスです!・・・北鎌倉の東慶寺行きたいなぁ!
でも今日は土曜日、雪の東慶寺はカメラ愛好家にとって絶好の撮影対象です!・・・いくら寒いとはいっても情熱のある輩は来るだろうなぁ・・・

どーせなら踏み荒らされてない真っ新な雪が見たい!・・・視界に自分以外の人間が入るのは嫌だ!
せっかく早起きしたんだし、わざわざ寒い中訪れるなら幽玄の空間を独り占めしたい!
まぁ、自分は寒さには異常に強いんで、全く苦にはならないんですけどね・・・体感温度は普通の人の+10℃くらい(笑)

そんな訳で鎌倉は諦め地元の寺へ行く事に・・・自分の家の近くには意外と寺があります!
中でも神武寺は【吾妻鏡】にも度々記述がみられ、鎌倉将軍家に尊崇された徳の高い寺であります!
一応山寺ですし雪も似合いそうです・・・深山幽谷風な景色が拝めるとしたら近場ではココしかないですね!

てな訳で神武寺へ参る事にしました!
東逗子駅 JR東逗子駅です・・・ココが神武寺の最寄駅です!
地元の人間は『トンズシ』なんて言ったりもします(笑)
京急神武寺駅もありますが、あちらからだとかなり遠くなりますのでご注意を・・・
JR東逗子駅じゃなくてJR神武寺駅って駅名の方がも良かったんじゃないか?・・・以前はこの駅の踏切のトコロに神武寺の山門があったらしいですし・・・
まぁ、どーでもいいか・・・とにかく神武寺へ行くなら東逗子駅で降りるのが一番楽チンですよ!
まだまだ降りが弱く、薄っすらとした雪化粧・・・これ位がいいんです、ガッツリ積もってしまうと逆につまらない!
この分なら神武寺はイイ感じになっているんじゃないでしょうか?・・・期待大です!
神武寺参道 神武寺参道2
駅前の踏切を渡ってそのまま真っ直ぐに進んで行くと道が左に急カーブするトコロがありますが、そこに大きな道標が立っています・・・今回はこの登山口から神武寺を目指したいと思います・・・雪山登山です(笑)
石標には『天台宗 神武寺』の文字が刻まれています・・・さぁ、滑らない様に気を付けて階段を上って行きましょう!
神武寺参道3 神武寺参道4
う~ん・・・イイですねぇ~・・・地元でこんな景色が見れるなんてホント何年振りでしょうか?
石畳に薄っすらと積もる雪も情緒がありますなぁ・・・
神武寺参道5 神武寺参道6
山道を進んで行くと再び石段が出現しますが、樹木に覆われているので、まだ雪が全然積もっていません・・・
歩き易くて助かりました・・・雪が積もった階段が一番神経使いますからね・・・
神武寺参道7 神武寺参道8
自分以外の足跡はひとつも見当たりません・・・好き好んで雪の日に山道を歩く人もいないか?(笑)
何ていってる間に分岐です・・・手前にはトイレ、奥には山門が見えています・・・
分岐 ちなみにこの分岐を左に曲がると『京急神武寺駅』と書かれています・・・
その途中にあるのが逗子中学校、自分の母校です!

先程の登山口を横目に進んで行くのが通常の通学路でしたが、遅刻が確実な時、自分はこの『神武寺鷹取山ハイキングコース』を活用させてもらっていました!

別に近道って訳じゃありません!
ココを下って行くと、ちょうど中学校のプールやテニスコートのトコロに繋がっているので、正門で遅刻チェックされている間抜けな輩を遠目にコソッと侵入するんです(笑)
入ったらコッチのもんです・・・下駄箱へ向かいそのまま教室へ・・・あとは何食わぬ顔で着席するだけです・・・
懐かしいなぁ・・・当時は教師による体罰とか普通だったもんなぁ・・・
遅刻して閉め出された女子が無理やり入ろうとして、思いっ切り足を蹴られて泣いてたりしたなぁ・・・
すぐに手が出る暴力的な教師が何人かいたけど、現在だったら確実に教育の現場から淘汰されてるだろうなぁ(笑)
モンスターっていわれる親達もどーかと思いますけど、やっぱり暴力はいけませんね!
神武寺山門 神武寺山門です!
周囲の景色と馴染んでいます・・・が、
今日はいつもとは一味違う雰囲気を醸し出しています!

何度となく見て来た山門ですが、雪の日に見るのは初めてです・・・雪が積もってる状態を見た事はありますが、実際に降っている最中に訪れた事はありません・・・
相当な物好きですよね・・・ええ、言われなくても自覚しております(笑)・・・でもやっぱり見に来てよかったです!
家から歩いて20分くらいで、この景色が拝めるという事実を再確認出来ただけでも十分な収穫でした・・・

ちなみにこの山門は名工、左甚五郎の手による物という話があります(参照:三浦半島の史跡みち)
左甚五郎といえば日光東照宮『眠り猫』上野寛永寺『水呑み龍』などで有名ですよね!
そんな彼の手掛けた作品がこんな所にもあるんです・・・これはあまり知られていない情報かも知れませんね・・・
少なくとも自分は知りませんでした・・・ウソかホントかは別として・・・

鎌倉の上行寺にも彼の作品と伝わる物がありますよ!・・・瘡守稲荷を祀るお堂がある怪しさMAXな寺ですけど(笑)
門を潜って振り返って下さい、そこに小さな龍の彫り物があるんですけど、それがそーらしいです・・・
ウソかウソかは別として(笑)
そーいや上行寺の山門新しくなってたな?・・・左甚五郎の龍は健在なんでしょうか?
神武寺案内板 神武寺の森
山門の先には案内板が並んでいます・・・親切設計ですね・・・案内板があるのはいい事です!

神奈川の美林50選 神武寺の森

なんじゃコリャ?・・・こんな柱が建っていましたが、こんな50選もあったんですねぇ・・・マニアックだなぁ(笑)
知ってる人いるのかな?・・・地元民でも知らない人多いと思いますよ!
神武寺周辺の岩隙植物群落
庫裡の裏側にはイワタバコの群生が見られますが、基本非公開です・・・
特に用の無い人は庫裡に近付く事さえNGな寺ですから・・・
御朱印頂くついでに、泣いて頼んでみて下さい・・・もしかしたら見せてくれるかも知れませんよ(笑)
医王山神武寺
行基は勅願で多くの寺を建てましたが、ココもそのひとつという事でしょうか?
分かっていた事ですが、今日も行基の御登場とは・・・雪の日くらい家で寝ててよぉ・・・
自分の行く先々で行基が待ち伏せをしています(笑)

天安元年(857)、慈覚大師が中興し、法相宗を天台宗に改めたんだそうです・・・

みろくやぐらは墓地にあります・・・中央に弥勒菩薩、周囲には神武寺歴代住職の無縫塔が安置されています!
弥勒菩薩の光背には、

大唐高麗舞師 本朝神楽博士 従五位上行 左近衛将監 中原朝臣光氏 行年七十三 正應三年庚寅九月五日

の文字が刻まれているらしいです・・・被葬者が明確なやぐらは貴重です!

中原光氏
は鶴岡八幡宮の舞楽師で、お告げにより自ら弥勒菩薩を彫上げ、正応3年にココで入定したという言い伝えのある人物の様です・・・
入定ってのは真言密教の修行法のひとつで、生きたまま石室に入り即身仏になるという物です!
要はミイラですね・・・ミイラになるんです!・・・ちゃんとしたミイラになるには下準備が大変の様ですね・・・
自分には到底無理っぽいです(笑)・・・もっとも現代では禁止の修行法です・・・

弥勒が悟りを開くまでの間、代わりに世を救うという大義名分はありますが、現代社会では単なる自殺ですから・・・
外から石室に蓋をするわけですが、一緒になって修行を手伝った人も自殺幇助罪となりますので御注意を!
刑法第202条を良く読んで置きましょう(笑)
神武寺案内板
頼朝が神馬を奉納した事や、実朝が参詣した事などは【まんだら堂】のページで紹介させて頂きました・・・
また頼朝が高雄山の文覚をココの住持とし、平家追討を祈願し常行三昧の道場とした時期もあった様です!
文覚(遠藤盛遠)と袈裟御前の話(不倫編)は以前させて頂きましたんで、今回は修行編をお送りします(笑)
文覚荒行
(画:歌川国芳)
 
【平家物語 第五巻 文覚荒行】

さて、頼朝は去る平治元年(1159)12月、父である左馬頭義朝の謀反によって既に処刑されていたはずが、永暦元年3月20日、14歳の時に伊豆の北条、蛭が小島へ流されて20余年の歳月を送っていました・・・
長年変わらず暮らしていたのに、今年、どのような心境で謀反を起こされたかといえば、高雄の文覚上人の勧めがあったからであります・・・
そもそもこの文覚というのは、渡辺遠藤左近将監茂遠の子で遠藤武者盛遠といい、上西門院の北面武士でありました・・・
19歳の時に発心して出家し、修行に出ようとした時、修行というのはどれほどの苦行なのか試してみよう!
と、6月の風も無く陽の照りつける日に、ある山の薮へ入って裸になって寝転びました・・・
虻、蚊、蜂、蟻などの毒虫どもが体にびっしりとくっついて刺したり咬んだりしましたが、彼は少しも体を動かさず、7日間もの間起き上がりもしませんでした・・・
そして8日目に起き上がり、『修行というのはこのくらい厳しいものなのか?』と人に尋ねると、『それほどだったら、生きてはいられまい』と返されます・・・
『では大した事ではなさそうだな』というと、すぐに修行に出る事にしました!
ムシムシパラダイスで7日間なんて耐えられませんよ!・・・イモ虫がいないだけ幾分マシか?(笑)
とにかく文覚は修行を開始する事にした様です!

熊野へ参り、那智に籠ろうとしましたが、取り敢えず修行の小手調べに名のある滝に打たれてみようと滝壺へと向かいました・・・季節は12月10日頃の事なので、雪が降り積り、氷柱が伸び、谷の小川の音は聞こえず、峰の嵐は吹き凍り、滝の白糸は垂氷となり、一面真っ白で、四方の梢も見分けがつかないくらいでした・・・

それでも文覚は滝壺に下りて首まで浸かり、不動明王の慈救呪を唱え続けました・・・2、3日は何とかやり過ごしましたが、4、5日も経つと文覚は我慢できずに浮き上がってきました・・・数千丈もみなぎり落ちる滝です、耐えられるはずがありません!・・・刃の様に鋭い岩肌の中を浮き沈みしながら5、6町ほど流されました・・・(1町は109.09m)

その時、美しい童子がやって来て、文覚の手を取り引き上げました・・・火を焚いて温めたりしていると、文覚はほどなく息を吹き返しました・・・
しばらくすると、文覚は怒りを顕わに、『俺は21日間この滝に打たれながら慈救を30万遍唱えるという大願があるが、今日はまだ5日目だ、7日も過ぎてないというのに、こんな所に連れて来たのは誰だ?』というと、皆身の毛もよだって何もいえませんでした・・・そして文覚はまた滝壺に戻りました・・・

2日目に8人の童子がやって来て、文覚の左右の手を取り引き上げ様とさんざん揉み合いましたが上がらず、
とうとう3日目に、文覚は死んでしまいました・・・
死者で滝壺を汚すまいとしたのか、鬢を結った天童が2人、滝の上から下りて来て、文覚の頭から手足の指先、手の平に至るまで撫で下ろすと、文覚は夢心地で息を吹き返しました!

助け起された文覚は
『あなた達はいったいどなたで、なぜこのように自分を憐れまれるのか?』
と問うと、2人の童子は
『私達は大聖不動明王の御使、矜迦羅、制多伽という2童子である・・・あなたが発願し勇猛な修行をしようとしているので、行って力を貸してやれと明王様が仰ったので参った!』
と答えました・・・文覚は声を荒げ
『では明王はどこにおられるのか』と問うと、
『兜率天に』と答え、2童子は遙か雲間に昇って行きました・・・

文覚は、『自分の修行を大聖不動明王はご存じだったのだ!』と、再び滝壺に戻り打たれました・・・

その後は吹きつける風も身に沁みる事もなく、落ちて来る水も湯の如しでありました・・・
そして、21日の大願を成し遂げたのでした!
那智には千日の間籠りました、吉野の大峰に3度、葛城山に2度、高野山、粉河山、金峰山、白山、立山、富士山、伊豆、箱根、信濃の戸隠、出羽の羽黒など、日本中を修行して歩き回り、都へ帰れば飛ぶ鳥も落すほど効験のある刃の験者と評判になったとさ・・・

荒行というか破天荒ですね(笑)・・・文覚の豪快な性格が見て取れます・・・

さて、話を神武寺へと戻しまして、
ココから鷹取山へと続くハイキングコースには『女人禁制』の石標が残っておりますが、現在は女性でも気軽にトレッキング出来ますんでご安心を(笑)
山岳信仰の修験道場だった頃は入れなかったんでしょうね・・・当時、女性は不浄なる物と考えられていましたから・・・
かつてはこの山でも文覚の様な荒行をしている多くの修験者がいたんでしょうか?
いやいや、こんな山で修行もクソもないと思うんですけど・・・緩過ぎます・・・取り敢えず剣岳行って来い!(笑)
三浦半島八景1 三浦半島八景2
コチラの案内板は斜めに設置されているタイプなので雪が積もって何も見えませんでした・・・
雪を払って観ると『三浦半島八景』なる物が・・・そんなんもあったんか!?
『〇〇八景』ってちょっと乱立し過ぎなんじゃないか?・・・見所が少ない地区なんて可哀想になって来ます・・・
とにかく8ヶ所って縛りがありますからね・・・微妙なのも入れるしかない(笑)
雪の神武寺
しかしこの景色・・・素晴らしいですね・・・ちょうどイイ感じの積もり具合です・・・
これはポストカードにして知人に無理やり買わせてもいいレベルではないでしょうか?(笑)
他のと5枚セットで¥300くらいで売りつけよう!・・・ホント薄化粧でいい塩梅の雪景色です・・・
神武寺切通 この切通の先に客殿と庫裡があります・・・
普段より数倍増しで趣を感じさせてくれます!
ココらで【新編鎌倉志】を見てみましょうか!

【神嵩】カフノダケ(附神武寺 天狗腰掛松)
神嵩は櫻山村の内なり。【東鑑】に、承元三年五月五日實朝将軍、神嵩に御参とあり。行基菩薩の開基と云。
寺を神武寺と號す。表門に醫王山と額あり。本尊は薬師(行基の作。)天台宗なり。寺領五石の御朱印あり。鐘樓あり。鐘に元和九年の銘あり。其文繁多、今姑く畧す。
嵩上甚だ高く茂林鬱々たり。天狗の腰掛松と云あり。魔所なりとて里人恐るる處なり。時々奇怪の事ありと云ふ。

実朝が承元3年(1209)5月5日に参詣したと【吾妻鏡】に書いてあるといっていますが、5月15日の誤りです・・・
【新編鎌倉志】は日付の間違いが多いですね・・・
仕方のない事だとは思いますけど・・・

ちなみに【吾妻鏡】の5月5日の記事には、出羽国羽黒山の地頭大泉次郎氏平を訴える為に人々が群参した事が書かれていました・・・どーでもいい情報だな(笑)

元和9年(1623)銘の鐘があるといっています・・・
現在の鐘は案内板にあった通り、昭和25年(1950)に鋳直された物です・・・
鐘には、元和九癸亥年霜月、明和八辛卯年八月、昭和二十五庚寅年十月の銘が見て取れました・・・
天狗の腰掛松ってのがあった様ですね!・・・魔物が棲んでいる場所なので村人は恐れたとあります・・・
度々おかしな出来事もあったと・・・何があったんでしょう?・・・気になりますね・・・
山岳信仰、山伏、天狗・・・短絡的過ぎるかも知れませんがそんな感じでしょう(笑)

以下は前回も使わせて頂いた【三浦郡神社寺院民家戸数並古城旧跡】の記事です、

天台宗 神嵩医王山(神武寺)御朱印五石 鎌倉宝戒寺末
本尊薬師如来 此寺の世代六十七世と云 (此山の絶頂に弘法大師護摩壇の跡有り)
慈覚大師の座禅石 縁結松 天狗の腰掛松   宝物 三浦荒次郎産着の鎧 天狗の爪 二段竹

『此山の絶頂に弘法大師護摩壇の跡有り』といっていますね・・・確かに山頂部分は岩です・・・周囲には巨石群の様な物がありますし、道の真ん中にも何か儀式に使ったのではないかと思われる巨石が置かれていたりします・・・
しかし弘法大師ですかぁ・・・行基と弘法のコンビはロクな思い出がないなぁ(笑)

宝物も面白い物がありますね三浦荒次郎産着の鎧!・・・三浦義澄かな?義意?・・・天狗の爪!・・・おおぉ!
二段竹!・・・?・・・どんな代物なんでしょうか?・・・ちょっと想像出来ません・・・想像すればするほどショボくなる(笑)
まぁ、テキトーに流して置きましょう・・・
神武寺鐘楼 神武寺鐘楼2
階段を上った先には噂の鐘楼があります・・・これまたイイ感じです・・・
神武寺の晩鐘 神武寺客殿
逗子八景の一 神武寺の晩鐘

これもまんだら堂のページで述べましたが、逗子八景は明治時代から何度か選定を繰り返しています・・・
その中でこの『神武寺の晩鐘』は、一度も八景から外れた事はありません!
今後、他の寺が選ばれるとするならば、それは神武寺が地震や火事で完全崩壊する以外あり得ないでしょう(笑)

鐘楼から見た客殿と庫裏・・・キレイだなぁ・・・雪の似合う寺です・・・
かながわの景勝50選 神武寺と鷹取山 かながわの景勝50選 神武寺と鷹取山2
かながわの景勝50選 神武寺と鷹取山

かながわの景勝50選
にも選定されています・・・逗子市内では披露山公園も選定されています・・・
ちなみに鷹取山は横須賀市になります!
ワンポイントに雪ダルマを載せてみました・・・これで多少お茶目度がアップです!(笑)
神武寺鐘楼前 神武寺の六地蔵
更に進んで階段をを上った突き当りには六地蔵がいらっしゃいます・・・みんな仲良く笠を被っています・・・
何かこんな昔話ありませんでしたっけ?・・・雪の日に商人がお地蔵様に笠を懸けてやって・・・蓑だっけ?
まぁ、別にどーでもいいんですけど(笑)
神武寺楼門 医王山扁額
お地蔵様の所で左を向くと、階段の上に立派な楼門が見えます!・・・『医王山』の扁額があります!
正式には医王山来迎院神武寺といいます!
神武寺薬師堂
門を潜ると正面に薬師堂が建っているんですが、正面からの写真を撮り忘れてしまいました(笑)
境内の美しさに見惚れて失念してた様ですが、テキトーに動画は撮っていた模様・・・

もともと薬師堂の前には鐘楼門があったらしいですが、現在の楼門を造る際に弘明寺に移築されたそうです・・・

中学校の美術の時間に写生しに来たのをよく覚えています!・・・自分はまさにこの薬師堂を描きました!
現在は銅葺ですが当時は茅葺で、もっと趣がありました・・・
薬師堂の周りにはアリジゴクの巣が沢山あり、写生そっちのけでアリジゴクにちょっかいを出していた友人・・・
今頃は何をしているんでしょうか?・・・卒業以来会ってないけど懐かしいなぁ・・・

薬師堂の案内板があります、見てみましょう!
神武寺薬師堂の案内板
薬師三尊像は33年に一度開帳される秘仏のようですが、毎年すす払いの時に拝めるみたいですね(笑)
この薬師堂には薬師三尊像の他にも十二神将像、四天王像、行基作の朽ちた十一面観音像と釈迦如来像などが安置されている様なので是非とも拝んでみたい物です!

神武寺の宝物関係のフルカラー書籍が逗子の図書館にあったと思います・・・でもどーせなら生でみたいですよねぇ!
立札 神武寺楼門2
案内板の横に『薬師堂楼門 仁王像建立御寄進のお願い』との立札が立っていました・・・
確かに現在の楼門には仁王様は居ません・・・ココに居たらカッコイイだろうなぁ・・・
今日見たかったなぁ、残念・・・¥2.300万かぁ・・・檀家に頑張ってもらいましょう!(笑)

そーいやぁ自分が世話になってる寺も、今年の夏に本堂を建て直すっていってたなぁ・・・
総工費¥1億5.000万っていってたけど、お寺って金あるんだなぁ・・・羨ましい・・・
神武寺のなんじゃもんじゃ

かながわの名木シリーズもあります・・・名木マニアの友人に教えてあげたら喜びそうです(笑)
『かながわの美林50選』、『かながわの景勝50選』
『かながわの名木100選』、『逗子八景』、『三浦半島八景』

結構いろいろとある寺です・・・
神武寺のなんじゃもんじゃ2

神武寺のなんじゃもんじゃ3


かながわの名木100選 昭和59年12月選定
神武寺のなんじゃもんじゃ
和名:ホルトノキ(ホルトノキ科)
ポルトガルからの移植樹とも伝えられているが、もともと日本に自生する樹木であって、これは分布の北限である。樹種がわからなかったので「なんじゃもんじゃ」と呼ばれて親しまれてきた。
樹高 20m/胸高周囲 2.8m/樹齢 約400年(推定)
ホルトノキは、千葉県以西の本州の太平洋岸から九州の照葉林帯に分布する常緑高木である。  樹高20メートル、胸高周囲4メートル、樹齢約600年に達するものもあると言われている。
神武寺案内板2
秘仏薬師三尊像(笑)・・・この案内板は昔からあるヤツですね・・・目新しい情報はありません・・・
安産地蔵尊 安産地蔵尊2
薬師堂向かって右側には安産地蔵尊なる物があります・・・頼朝政子の安産を祈願させた27の寺社のひとつに神武寺があった事に因んで造られた物なんでしょうか?
頼朝が地蔵菩薩を奉納したなんて話も聞きますが、かなりマユツバな情報かと(笑)

建久3年8月9日 己酉 天晴、風静まる
早旦以後に御台所御産の気あり。御加持は宮の法眼、験者は義慶房、大学房等。鶴岡、相模国の神社、仏寺に神馬を奉り、誦経を修せらる。所謂、
福田寺(酒匂)    平等寺(豊田)    範隆寺(平塚)
宗元寺(三浦)    常蘇寺(城所)    王福寺(坂下)
新楽寺(小磯)    高麗寺(大磯)    国分寺(一宮下)
弥勒寺(波多野)   五大寺(八幡、大會御堂と号す) 
寺務寺
観音寺(金目)    大山寺        霊山寺(日向)
大箱根         惣社(柳田)     一の宮(佐河大明神)
二の宮(河匂大明神) 三の宮(冠大明神)  四の宮(前祖大明神)
八幡宮         天満宮         五頭宮
黒部宮(平塚)    賀茂(柳下)      新日吉(柳田)

建久3年(1192)の【吾妻鏡】の記事ですが、寺務寺というのが神武寺の事です!
神馬を奉納して安産祈願をしていますね・・・

逗子市史によると安産地蔵尊は天保15年(1844)の造立で、作者は神武寺の木造阿弥陀三尊像の修理などを手掛けた真慶との事です・・・墨書銘に『南無子安延命悲母解地蔵大士』とあるそうです・・・
山王大権現 鳥居の残骸
更に横には山王社があります・・・慈覚大師が日吉山王権現から勧請したと伝わるそうです・・・
山王権現は天台宗と山岳信仰が結びついた神仏習合の神です!
神之嶽の山岳信仰はココから始まったといっていいでしょう!・・・倉庫みたいな社だな(笑)

社の前には鳥居の基礎部が残っています・・・手前の広場には鳥居の残骸が集められていました・・・
これは間違いなく山王社の物であると思われます・・・
六十六部供養塔 神武寺楼門3
薬師堂の手前には地蔵菩薩が2体いらっしゃいました・・・左側の方には『六十六部供養塔』の文字があります・・・
66の法華経を全国66ヶ国の霊場に1部ずつ奉納して行くという廻国巡礼がありまして、その結願供養に建てられた物だと思います・・・これを行う人の事を六十六部行者などと呼んだりしますが、ちょっとオモシロい話があります!

遠江守北条時政 北条氏の家紋(三つ鱗)にまつわる伝説です!

北条時政が江ノ島へ参籠して子孫繁栄を祈ること三七日(21日)、満願の夜、美女(弁財天)が忽然と時政の前に現れました・・・美女(弁財天)は時政に、

『お前の前世は箱根法師である・・・六十六部の法華経を書写して、六十六ヶ国の霊地に奉納した功徳により、この世に生まれ変わったのだ・・・
子孫は永く繁栄するであろう・・・ただし、正しい行いをしなければ七代以上は続かない・・・私の言う事が信じられないならば、国々の霊所を見てみよ』


と、いったんだそうです・・・
そして、弁財天は二十丈(約60m)の大蛇(龍)となって海中へと姿を消しました・・・
その時に、3枚の大きなを落としていきました・・・
結願成就した、と喜んだ時政はその鱗を一族の旗印にしたってわけです・・・
その後、各国の霊所へ人を遣わすと、奉納された法華経の筒には『大法師時政』と書かれていた様です・・・

北条氏の家紋(三つ鱗)がどんな形なのか知らないって方は銭洗水のページを参照してみて下さい!
鎌倉を歩いていれば必ず目に入って来る図形です!
上の錦絵は月岡芳年【芳年武者无類 遠江守北条時政】であります!
弁財天から何かを拝領した様ですね・・・話の流れからするとでしょうねぇ・・・
でも弁財天は龍に変化してませんねぇ・・・時政が弁財天に何かを差し上げている様にも見えます・・・
1枚の絵で物語を簡潔に表現するのって凄い難しいですよね・・・

薬師堂の左側から鷹取山まで道が続いていますが、この道がイイんですよ!
鷹取山ハイキングコース 吹雪の境内
途中石畳になっていて、坂だから上り難いんですけどそれがまたイイ!・・・山頂まではイイ感じです!
そっから先は普通のハイキングコースですけど(笑)

鷹取山まで行って見ようかなと思いましたが、次の瞬間、何か凄い吹雪いて来たのでやめて置きました・・・
これから雪も本降りになるっていってたし、今日は無理そうです・・・帰り道にある寺をテキトーに巡って帰宅しよう!
ギャーギャーいう程寒くはないけど、靴に浸みこんだ雪で靴下が濡れて気持ち悪いし・・・

腹も減って来た・・・そろそろ神武寺に別れを告げましょう・・・イイ物を見せてくれてありがとう!

次回、続・雪の神武寺へ続く!(笑)

おしまい
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