ブログ 秘密の場所タイトル
File.068 
 
鎌倉には、様々な事情により忘れ去られてしまった風景が沢山あります・・・
人が踏み入らない場所・・・踏み入れない場所・・・そこには時間が止まったままのかつての風景が残されています!
ちょっと大袈裟な感じになってしまいましたが、今回はそんな場所のひとつを紹介したいと思います!
衣張山山頂 いきなりですが衣張山山頂です(笑)
この山は、源頼朝北条政子かどっちだったか忘れましたが、夏の暑い日に、この山に白い絹を纏わせて、雪に見立てて涼をとったという風流な言い伝えがあります!
山の名前もそれに因んでいます・・・

山頂には御覧の通り、地蔵菩薩と五輪塔があります!
その間にある獣道が今回の秘密の場所へのワープゾーンとなっております!
よく見ないと道だとは気付きません!・・・気付いても入って行く人はかなり少数だと思います・・・
勿体ぶる様な物件でもないのでネタばらししますと、今回訪れようとしているのは、Googleマップ北条時政山荘旧跡と表記されている辺り一帯であります!
北条時政山荘旧跡・・・名越殿浜御所の事をいってるんだと思います・・・
名越というと鎌倉と逗子の境界で、いわゆる旧東海道が鎌倉から三浦方面へと抜ける周縁地帯ですが、この辺りに鎌倉幕府初代執権北条時政の屋敷があった様で、今回訪れる場所がそれであろうと長年いわれて来ました・・・

時政から息子の義時へ・・・そして義時の息子の朝時は名越氏の祖となり、ココを拠点に活動したと思われます!
その他イロイロと歴史的にも意義のある場所であります!

しかし、長年『北条時政名越邸跡』といわれて来たこの場所は、平成20年の発掘調査の結果、最も古い遺構でも13世紀後半頃であると推定され、どーやら時政の時代よりも後年の物の様で、未知の寺院跡の可能性があるとの事!
最近では一番のロマンを感じる調査結果でありました!
もしかしたら『幻の寺』と呼ばれている北条泰時が父義時を弔う為に建てたという釈迦堂の可能性は?
うおぉぉぉーーー!熱いなぁ!

それに伴って名称も大町釈迦堂口遺蹟に変更となり、現在は国の指定史跡となりました!
でも、Googleしかり大抵のマップ上ではいまだに更新されておらず時政の物件との表記がされています!(笑)

有名な釈迦堂口切通のすぐ東側にある物件ですが、何故あまり知られていないのか?
それは単純に現在立入禁止だからです!・・・観光マップ等に載らないので知りようがないんです・・・
遺蹟の付近には日月やぐら唐糸やぐらなど史料的価値の高いやぐらもあります・・・
他にも魅力的な物件が沢山!・・・これが見れないなんて残念過ぎます!

より大きな地図で 大町釈迦堂口遺跡周辺 を表示
衣張山山頂からの入口はいきなりの急坂で、老人や子供では通るのも厳しいと思います・・・
だもんで通行禁止のバリケードがある大町側の入口から見て行きましょう!・・・こっちからの方が説明し易いですし・・・
大町釈迦堂口遺跡 大町釈迦堂口遺跡2
大町釈迦堂口遺跡の平場の南側です!・・・こんな感じでガッツリとガードされています!
草刈りが行われたばかりの様でスッキリしていました・・・発掘調査が行われる以前は草木が鬱蒼と繁っていて、ちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出していましたが、ずいぶんと明るい場所になったもんです!

若宮大路沿いの御代川と言うしゃぶしゃぶ店の入口にデッカイ石像が2体あると思いますが、自分が学生の時分にはココにも同じ様なデッカイ石像があったと記憶しています・・・
現在はすぐ近くまで家が建っていますが、こんなに建ってたかなぁ?
大町釈迦堂口遺跡3 大町釈迦堂口遺跡4
結構広い平場となっております・・・発掘調査も終わった今は静けさを取り戻しています・・・
以前はある企業の寮か何かがあったみたいですが、それは後ほど・・・
ちなみにゲートには鎌倉市教育委員会による立入禁止の札が掛かっています!・・・中が見たい人は、たまに見学会とかが実施されているのでマメにチェックしてみましょう!
大町釈迦堂口遺跡5 大町釈迦堂口遺跡6
平場にはやぐらが数基ありますが、西側のやぐら内部には五輪塔がギッシリと安置されていました・・・
東側のやぐら内部にも何か見えますが、確認は後にしましょう!
西側のやぐら手前には階段があり、上へと行ける様なので行って見ましょう!
大町釈迦堂口遺跡7 大町釈迦堂口遺跡8
草は結構生えていますが、道もしっかりしていて迷う様な事はありません!
人の通らない山道は20年くらいで完全に元の姿に戻るという話を聞いた事がありますが、ココは立入禁止といっても見学会や学術調査等で結構人が入っているみたいなので、その心配はなさそうです!
整備された道とはいえませんが、服が汚れるのを気にしないのであれば問題なく通れる道です!

途中左側に廃屋を見つけたので寄ってみると、なんとトイレでした・・・何か知らないけど怖いなぁ(笑)
大町釈迦堂口遺跡9 大町釈迦堂口遺跡10
本道へ戻って更に上って行くと十字路に出ます・・・笹が激しく繁殖しているので分かり難いと思いますが十字路です!
以前はココに道標が立っていたと記憶していますが、撤去されたのかな?
分岐 こんな感じで分岐しています・・・
正面の道は石が削られて階段が造られています・・・
見上げると建物らしき物が見えますが、楽しみは後に取って置いて、取り敢えず左の道を進んで行きましょう!

この先は釈迦堂口切通方面です・・・
果たしてどーなっているんでしょうか?

知らない体で説明するのって意外と疲れますね(笑)
この道を進んで行った先には珍しいやぐらがあります!・・・見て置いて損は無いと思います!
ちょうど釈迦堂口切通の真上を通過して西へ進んで行く感じです!
あれだけの崩落があったのに通行禁止になっていないのが怖いです・・・まぁ、入口に立入禁止のバリケードがありますから、ココまで人が入って来る事は想定していないのかも知れませんけど・・・
でも衣張山方面からは立入禁止を知らせる物は何も無い・・・入る様な物好きな輩はいないと思っているのか?(笑)
平場は遺蹟だし確実に立入禁止なのは分かりますが、ココも立入禁止なんでしょうか?
日月やぐらへの道 日月やぐらへの道2
そんな事を考えている内に到着です!・・・朽ちた案内板が立て掛けられています・・・
日月やぐら案内板
日月やぐら 日月やぐら2
日月やぐらです!・・・『じつげつやぐら』と読みます・・・案内板にもある通り、珍しいやぐらです・・・
壁の納骨穴の上下には、確かに天蓋と蓮台の様な物が刻まれています・・・
日月やぐら3 壁にはキリーク(阿弥陀如来)が刻まれていました・・・
かつてこのやぐらに葬られた人物の極楽往生を願って彫られた物でしょうか?・・・ナ~ム~・・・
納骨穴は五輪塔の下にもある様です・・・
壁の納骨穴は、地面の納骨穴が多くなり、スペースが無くなった場合に緊急的に造られる場合が多いみたいですが、ココのはどーなんでしょうか?
納骨穴ではなく、仏像仏具等を安置していたという可能性も考えられると思いますがどーなんでしょう?
その辺の詳しい事は専門家の調査報告書を読むのが一番だと思います・・・鎌倉の図書館にはその手の資料が腐る程あります・・・やっつけで提出されている様な物もあるみたいですけど(笑)

しかし、キレイなやぐらですよねぇ・・・今後再び釈迦堂口切通が崩落したら、この史料価値の高い貴重な財産も無くなってしまうかも知れませんね・・・
日月やぐら4 日月やぐら5
日月やぐら6 日月やぐら7
日月やぐら8 こんな感じで~す・・・
学術的には釈迦堂トンネル上尾松やぐら群といわれています・・・
確かに釈迦堂口切通という名称はありますけど、あれは切通ではありませんもんねぇ・・・トンネルで正解です(笑)
その釈迦堂口切通ですが、いつまであのままにして置くんでしょうかねぇ?・・・この辺りに住んでいる人達は、北側に抜けるのに普通に使っていた生活道路だと思います・・・
超ショートカット出来ますもん!
崩落の危険があるので通行禁止となってからも、特にバリケードがあった訳でもないので皆通行していました!
とりわけ原付バイクで通行する人を良く見かけました・・・トンネルまでの坂もバイクなら余裕です!
しかし、実際に崩落が起きてしまった現在は、2重のバリケードで完全シャットアウトです!
放置されているって事は、行政は『特に必要のない道』との認識を持っているって事でしょうか?
確かにあれば便利ですけど、無くても問題ない・・・その通りですね・・・
しかし、文化財保護という観点からしてみると、放置ってのは如何なもんでしょうか?
東屋1 東屋2
日月やぐらを後にして、先程の分岐まで戻ります・・・階段を上って怪しい建物の所へ行って見ましょう!
笹が凄いです・・・着ていたフリースが枯れた笹の葉まみれです!
でもこんな事くらいでイチイチ文句をいっていたら遺構の探索なんてやってられません!
山奥のダム巡りに比べれば屁でもないです・・・イモ虫さえいなければ大抵の事は我慢できます(笑)
東屋3 建物は東屋(休憩所)の様です・・・
壁には看板が取り付けてありました!

国際自動車株式会社・・・
こっちでは有名なタクシー会社ですね・・・その寮か何かがココにあったという話を聞いた事があります・・・
この会社は数年前にはある問題でニュースなどでもその名が取り上げられていましたからご存知の方も多いと思います・・・
看板には『私有地につき』という文句がありますが、特に一般の立入を拒否している様ではなかったみたいですね・・・
会社の私有地を開放していたなんて素晴らしい!
確かに見所の多い場所ですからねぇ・・・私有地というと完全シャットアウトの場合が多いですが、こーいった会社の御厚意には頭が下がります・・・
東屋4 大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋
現在はちょっと休憩する気にはなれない東屋を通過すると、すぐ先に朽ちたベンチがあり、更にその先には何か怪しいオーラを放っている物があります!
大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋2 大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋3
出たぁーーー!・・・ボロボロに朽ち果てた朱塗りの太鼓橋です!・・・これはそそりますねぇ!
擬宝珠に虎ロープが張られています・・・昨年訪れた時はロープは無かったと思いますが・・・
まぁ、無くても渡る気にはなれませんけどね(笑)・・・自分が乗ったら確実にぶっ壊れると思います・・・
助走つけて大ジャンプすれば対岸まで行けるくらいの短い橋ですが、存在感が凄いですね!
大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋4 大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋5
ヤバイでしょコレ?・・・この橋は誰が架けたんでしょうか?・・・国際自動車?・・・鎌倉市?・・・この土地は一時期外人が所有していたなんて話も聞きますがどーなんでしょう?
そんな事はどーでもいいです!・・・この切通に架かる朽ち果てた太鼓橋を眺めているとそんな気にさせられます!

現在切岸の上部を通行している訳ですが、この太鼓橋は下から眺めた方が情緒があっていいです!
てなわけでまたまた分岐へと引き返して、今度は右側の道を切岸に沿って進んで行きましょう!
大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋6 大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋7
この道はストレスなく進んで行けます・・・普通にハイキングコースですね・・・なんていってる間に到着であります!
大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋8 大町釈迦堂口遺跡の太鼓橋9
どーですか?・・・素晴らしいでしょ?・・・風化により浸食された切通の壁面に陽の光があたり、その陰影が・・・
決して大袈裟ではなく、心を奪われる風景です・・・まさに鎌倉の忘れ去られた風景といって過言ではないでしょう!
ココにも朽ちた案内板が立てかけられています・・・
北條時政邸裏門跡
北条時政邸裏門跡・・・ココは時政邸ではないと立証された現在・・・この案内板も空しい物となってしまいましたが、調査前の段階でこの切通を見たなら、時政邸といわれても普通に納得してしかりですね・・・
北條時政邸裏門跡2 唐糸やぐら
名残惜しい気持ちを抑えつつ、切岸沿いに東へと進みます・・・するとすぐにやぐらが見えて来ます!
ココにも朽ちた案内板が立てかけられています・・・
唐糸やぐら案内板
『唐糸やぐら』です!・・・このやぐらは釈迦堂ヶ谷奥やぐら群の西側にありますが、先程の日月やぐらと共に2010年に、釈迦堂口やぐらとして国指定史跡となっています・・・いつになったら一般公開されるんでしょねぇ?

このやぐらはその名の通り、室町~江戸初期頃の短編集である御伽草子の【唐糸草子】に所縁のある物件です!
内容は案内板にある通りです!

少し補足すると、木曽義仲の家臣とは手塚太郎光盛の事です!・・・義仲の恩人斉藤実盛を斬った人物ですね・・・
その光盛の娘の唐糸は琵琶と琴の名手で、スパイとして鎌倉へ送り込まれた訳です・・・
でも、風呂に入る時に持っていた短刀を北条政子に見られてしまうんです・・・それが分不相応な代物だったので怪しまれ、結果スパイとバレてココへ幽閉されてしまいます・・・

後は案内板の通り、娘の万寿姫が鎌倉へ来て、その美しい舞の褒賞として母の罪を許して貰い木曽へ帰ります・・・
最後はハッピーエンドな話ですね・・・
唐糸やぐら2 唐糸やぐら3
左側のやぐらは大き目の五輪塔が対に置かれ、奥部中心には地蔵菩薩が彫られています・・・
地蔵やぐらとかいわれていますが、唐糸やぐらはコレではなくて、右側のやぐらだそうです!
唐糸やぐら4 う~ん・・・確かに土牢って感じもしますね・・・
ココに唐糸が閉じ込められていた様です!
御伽草子の話ですけどね・・・
しかし、ココが寺院跡であるとすると、色んな想像が膨らみますね・・・
かつてはこの辺りにも多くのやぐらがあったそうですが、御多分に漏れず宅地開発の波に飲まれ、その多くが姿を消していったそうです・・・
人がいる限り開発は必要な事です・・・
でも無くなった物は元には戻せません・・・少し考えてから行動に移して欲しいですね・・・
まぁ、当時はそんな事もいってられなかったんでしょうけど・・・写真も残っていないのは悲し過ぎます・・・

現在は個人でもこの様に、世界に向けて情報を発信する事が可能です・・・ホントにインターネットは世界を変えましたねぇ・・・便利過ぎます・・・いつかこのしっぺ返しが来るんでしょうね・・・いつの時代もそうです(笑)
唐糸やぐら内部 唐糸やぐら内部2
唐糸やぐら内部はちょうど自分の背の高さくらいでした・・・昔の人なら不自由なく過ごせたのではないでしょうか?
しかしホントに今後はどーするんでしょうか?
早い段階で一般公開に向けての計画が実施されると嬉しいんですけど!
世界遺産登録に失敗してからは、何だか勢いがないですね(笑)

更に東側に進んで行くと、またまた朽ち果ててぶっ倒れた案内板があります・・・
北條時政山荘旧跡
建久3年は1192年です・・・案内板は間違っていますのであしからず・・・【吾妻鏡】を見てみましょう!

建久3年(1192)7月18日 戊子 天晴 風静まる
御台所名越の御館(濱の御所と号す)に渡御す。御産所に点ぜらるるなりと。

北条政子が御産所に指定された北条時政の名越殿(浜御所)に入ったようです・・・

建久3年(1192)7月24日 甲午
幕下名越殿に渡御す。三浦の介経営を儲けしむと。

頼朝が名越殿を訪れた様です・・・妻の様子を覗いに来たんでしょうかね?・・・三浦義澄が接待したみたいです・・・
その後、征夷大将軍任命の勅使が訪れたりバタバタとしましたが、翌月の9日に千幡(実朝)は無事に生まれました!
そう、3代将軍実朝はココ名越で生まれたんです!

案内板には実朝は雪見の為に名越殿に訪れたと書いてありますね!・・・その記事もあります!

元久3年((4月27日に建永元年に改元)1206)2月4日 乙卯 大雪降る
鶴岡宮の祭例の如し。晩に及び、将軍家雪を覧玉わんが為、名越山の辺に御出で。相州の山庄に於いて和歌御会有り。相模の太郎・重胤・朝親等その座に候す。

相州の山荘とは北条義時の別邸・・・つまり名越殿の事です!
時政が伊豆に蟄居した後に、嫡男の義時が相続しています・・・
確かに夜になって雪見の為に実朝が訪れた様ですね・・・そして和歌の会・・・
宵の雪見に和歌の会・・・何て風流なんでしょうか?・・・でも実朝は当時満13才・・・渋過ぎる少年だなぁ(笑)
案内図
もうひとつ案内板が転がっていました・・・【名跡御案内】・・・こちらは案内図みたいですね・・・
現在の大きな平場には、当時あったと思われる建物らしき物が3棟描かれています・・・

案内図の通りココからは東へ行く道と、平場に降りる道がありますが、ここらで再び平場へ出てみましょうか!
怪しい五輪塔群名越の亭アトリエとやらの検証は後回し!
大町釈迦堂口遺蹟11 大町釈迦堂口遺蹟12
上から見た平場・・・広いです・・・でもですよ・・・ココが名越殿じゃないとすると、比企能員が殺されたり、将軍実朝が生まれたりという歴史的にも結構重要な場所である、北条時政の名越邸はドコにあったんでしょうか?
既に開発の波に飲み込まれてしまったんでしょうか?・・・もう他にそれらしい場所は残されていませんよ・・・

しかしこの場所・・・浜御所という別称にはちょっと違和感を感じるのも事実です・・・
当時は海岸線ももっと入り組んでいましたが、それでもちょっと内陸部に入り過ぎてないかな?・・・まぁ、いいや・・・

そーいえば実朝の元服の儀も名越殿で盛大に行われてたなぁ・・・え~と確か比企能員が殺された翌月だったから・・・
建仁3年10月か・・・それにしても2代将軍頼家と外戚関係にあった比企能員の殺害現場で七七日も過ぎぬ間に3代将軍の元服式だなんて、えげつない事しますねぇ(笑)
比企の乱の流れは【六方井】のページに書かせて頂きましたので気になる方は見てやって下さい!

さて元服式の様子も【吾妻鏡】さんで調べてみましょうか!

建仁3年(1203)10月8日 癸卯 天霽 風静々
本日、将軍家(年十二)御元服なり。戌の刻、
遠州の名越亭に於いてその儀有り。
前の大膳大夫廣元朝臣、小山左衛門尉朝政、安達九郎左衛門尉景盛、和田左衛門尉義盛、中條右衛門尉家長已下御家人等百余輩、侍の座に着す。江間四郎主、左近大夫将監親廣雑具を持参す。
時刻に出御す。理髪は遠州。加冠は前の武蔵守義信。次いで休所に渡御す。後、御前物を進む。
江間、親廣陪膳たり。役送は結城七郎朝光、和田兵衛尉常盛、同三郎重茂、東太郎重胤、波多野次郎経朝、桜井次郎光高等なり(各々近習小官中、父母見存の輩を選ばれこれを召すと)。次いで鎧、御劔・御馬を奉る。佐々木左衛門尉廣綱、千葉平次兵衛尉常秀以下これを役す。

遠州の名越亭ってのは遠江(静岡)の名越亭って意味ではないですからね!
ちょっと考えれば分かりますよね?・・・何でわざわざそんな所で将軍の元服式をせなあかんねん!

ここでいう遠州ってのは北条時政の事です!・・・時政は遠江守だったので、そう呼ばれています・・・
つまり時政の名越邸って事です!・・・名越殿、浜御所!
Wikipediaには何て書いてあるんだろう?・・・と、何となく気になって源実朝の項を見ていたら・・・
wikipedia源実朝 赤線の部分・・・『10月8日、遠江国において』・・・

ええぇーーーー!、これはヤバイでしょ!
実朝は遠江で元服式やった事になってるよぉ・・・
恐らく【吾妻鏡】の文字だけを見て編集したんでしょうね?
素直過ぎます!(笑)

古文書等を読み解くには、文字だけを追うのではなく、その時代背景も考えながらでないと、こーゆー事になってしまいがちです!・・・自分もよくこーなります(笑)
誰でも編集できるWikipedia・・・素晴らし過ぎるツールだと思います・・・
しかし、誰でもという事は、中途半端な知識を持った輩でも編集できるという事です・・・
その記事を鵜呑みにしてしまうと、後で恥をかくのは自分です・・・気を付けなければ!

しかしWikipediaの情報量の多さはホント素晴らしいです・・・でもこーいった間違いにも多々遭遇しますので、自分は軽く流すくらいで目を通しています・・・ホントに知りたい事は、やはり図書館で自ら文書に目を通さないと駄目ですね・・・
ネットでは誤情報が誤情報を呼び、どれが本当なのか判別が出来ない時があります・・・

どーでもいいけど誰かこの『遠州の名越亭』についての誤情報を直しといてぇ~!
自分で直せ?・・・でも自分アカウント持ってないし・・・何よりメンド臭いし・・・

え~・・・平場に行きましょう!(笑)
大町釈迦堂口遺蹟13 大町釈迦堂口遺蹟14
階段横にあるやぐらです・・・後で紹介しますがこの上は通路になっていて結構やばいです!
大町釈迦堂口遺蹟15 大町釈迦堂口遺蹟16
放置しておくには勿体ない平場だなぁ・・・発掘調査の跡でしょうか?所々に穴があります・・・
でも調査が終わったら埋め戻すのが基本ですよね?・・・発掘跡じゃないのかな?
大町釈迦堂口遺蹟の池 大町釈迦堂口遺蹟の池2
平場の北東の一画には池が残されています・・・国際自動車時代の遺物でしょうか?
池には魚などはいませんでした・・・当時は鯉とかが飼われていたのかも知れませんね・・・
大町釈迦堂口遺蹟17 大町釈迦堂口遺蹟18
平場東側のやぐらです・・・内部は五輪塔とその残骸らしき物が並んでいました・・・
鎌倉石で造られた物が多いですね・・・中々興味深い代物です!

さて、先程の案内板の所へ戻って衣張山方面へと行ってみましょうか!
大町釈迦堂口遺蹟19 大町釈迦堂口遺蹟20
これはヤバイでしょ!・・・道が平場の方に傾いています・・・コンクリートが捲れ上ってかなり危険な状態ですよ!
先程のやぐらの上の道ですが、矢印部分の柱が折れてしまえば確実に崩落するでしょう!
重量のある自分はあまり通りたくない道ですね(笑)
大町釈迦堂口遺蹟21 大町釈迦堂口遺蹟22
危険な橋を渡って進んで行きます!・・・まぁ、先程の太鼓橋を渡れといわれるよりは幾分マシでしょう・・・
大町釈迦堂口遺蹟の石垣
しばらく進んで行くと急に石垣が出現します!・・・動画も貼って置きます!
何なんでしょう?・・・石垣の上にも平場がありますが、昔は何か建っていたんでしょうか?
そもそも、いつ頃に築かれた物なんでしょうか?・・・そんなに古い物には見えませんが凄い気になります!
大町釈迦堂口遺蹟五輪塔群 大町釈迦堂口遺蹟五輪塔群2
石垣沿いの階段を上って行くと右手に石燈籠があり、分岐となっています・・・真っ直ぐ進むと案内図にあった五輪塔群へと到達します・・・取り敢えず真っ直ぐ行きましょう!・・・並んでますねぇ!
大町釈迦堂口遺蹟五輪塔群3 大町釈迦堂口遺蹟五輪塔群4
道はすぐに行き止まりとなり、やぐらが一基ありました・・・内部はこんな感じ・・・寂しいなぁ(笑)
卒塔婆らしき物が倒れていますけど、とても調べる気にはなれませんでした・・・
大町釈迦堂口遺蹟五輪塔群5 大町釈迦堂口遺蹟五輪塔群6
道を振り返って見ます・・・何かクネクネとした縁石が組まれていますが何なんでしょうか?
ちょっとお洒落な感じがします・・・明らかに新しい物ですけどイイですね!
五輪塔の前を流れる川でもイメージしたんでしょうか?・・・こればっかりは造った人に聞いてみないと分かりませんね・・・

さて、それでは案内図にあった北條時政邸跡(名越の亭)とやらに行ってみましょうか!
名越の亭への道 アトリエ?
先程の石燈籠を右に見ながら分岐を進んで行きます・・・上の方に怪しい建物が見えています!
恐らく案内図にあったアトリエとやらだと思います・・・
分岐2 北條時政南邸跡
尾根道へ出ると分岐があり右へ行くとアトリエ、左へ行くと北條時政邸跡(名越の亭)へと繋がっています・・・
てー訳で左に曲がって進んで行くと怪しい物件の登場です!
北條時政南邸跡2 3穴のやぐらがありますねぇ・・・
以前はココに『北條時政南邸跡』という案内板が転がっていたんですけど・・・無いですねぇ・・・
撤去されたのかな?・・・いまさら?(笑)
半分以上錆びていて読めなかったし、案内板としても機能してなかったけど・・・無くなってると何だか寂しいなぁ・・・

先程の案内図には穴が2つしかありませんでしたけど、何故なんでしょう?
どー見ても穴は3つありますし、このやぐらを絵で表すには、穴を3つ描くのは至極当然かと思いますが・・・
何で2つしか描いてないんだ?・・・気になるなぁ・・・
実は3つの穴の内ひとつは、ごく最近、案内図が建てられた後で掘られた物なのでは?
それはないか・・・そーする理由も無いですしね(笑)
北條時政南邸跡3 北條時政南邸跡4
そもそも何でココに時政の南邸とやらがあったという結論に至ったんでしょうか?
こんなトコロに建てるかな?・・・てーかこれはやぐらだしなぁ・・・意味分かんねぇ~・・・

先程の案内図に至ってはココが名越殿だって紹介してますし・・・ホント意味分かんねぇ~・・・
北條時政南邸跡5 北條時政南邸跡6
そしてこのやぐらですが、パッと見は3つのやぐらが並んでいる様に見えますよね?
でも実は内部はこんな感じです・・・壁は無くて全部繋がっています・・・形状から察するに、元々は2つのやぐらがあって、後年、内部の壁が壊されてひとつの空間になったのではないでしょうか?
北條時政南邸跡7 北條時政南邸跡8
やぐらの左側には道が続いていますが、笹地獄です(笑)・・・枯れ葉まみれになりながら進んで行くと、
太鼓橋 太鼓橋2
例の朱塗りの太鼓橋が見えて来ました・・・うおぉーーー!ヤバイよぉ・・・絶対落ちるよ!
3階建くらいの高さありますし、落ちたら普通に死ねる高さです・・・渡ってみたいですが、地元で冒険はしたくない!
もし落ちて死んだら、下手すると発見される時には既に白骨化してるかも知れません・・・
地元ですから噂はあっという間に拡がるでしょう・・・
鎌倉の山中で白骨化なんて恥ずかし過ぎます(笑)

写真ではイマイチ伝わり難い部分もありますんで、取り敢えず動画も貼って置きますね!

体重が30kgくらいなら渡るんですけどねぇ・・・
いかんせん自分は重量オーバーな感じです・・・いつの日か橋がピカピカに整備される時まで渡るのは我慢です・・・
アトリエ アトリエ2
来た道を引き返し、今度は先程見えた建物の所へ行って見ましょう!
太鼓橋の反対側にあった東屋よりは大きいですね・・・案内図ではアトリエとなっていますが、何なんでしょう?
普通の休憩所にしか見えません・・・アトリエって何なんだよぉーーー!?

ちなみにGoogleマップ『北条時政山荘旧跡』と表記があるのもココであります!
時政の屋敷ってまだ残ってたんですねぇ・・・へぇ~・・・って、んな訳ないでしょ!
テキトーに建物っぽい物に照準を合わせて表記したんでしょう・・・
鎌倉幕府初代執権がこんなあばら家に住んでたら逆に凄いですけど(笑)
アトリエ3 アトリエ4
この建物にも国際自動車株式会社の看板が取り付けられていました・・・しかしボロボロだなぁ・・・
今後の大地震には耐えられそうもないですね・・・自分がタックルかましただけでも倒壊しそうです(笑)
アトリエ5 アトリエ6
散策に訪れる人達で賑わいを見せていた時期もあったんでしょうか?
先程の案内図には『衣張山登山道入口』とも書かれていましたね・・・あの衣張山までの山道は、いつ頃まで普通に使われていたんでしょうか?・・・当時からあんなに険しい道だったんでしょうか?

まぁ、取り敢えず一通り物件は見れたので、衣張山へ戻りましょう!
衣張山登山道 衣張山登山道2
アトリエ(笑)を後にして進んで行きます・・・左への分岐があるのでそちらに進みましょう・・・
この辺から道の様子がちょっと変わってきます・・・
衣張山登山道3 衣張山登山道4
荒れているのに加えて結構斜度があります・・・大変だこりゃ・・・夏場はもっと凄い事になってんだろうなぁ・・・
でも歩いている人はいる様で、道を見失う事はないですね・・・
衣張山登山道5 キノコ
山でキノコを見つけても食べちゃダメです!・・・キノコ食べてパワーアップするのはマリオくらいです・・・
毒キノコ多いですからね・・・
田舎道とか走っていると、採って来たキノコを売ったりしていますが、あれも避けたいですね・・・
プロでも見間違える事が多々あるそうですから・・・

高い管理体制の中で人為的に栽培された物が一番安全かと思われます!
キノコなんてシイタケ、シメジだけ食べてれば十分ですよ!・・・珍しい物には手を出さない!(笑)
衣張山登山道6 衣張山登山道7
段々と斜度がキツクなって来て足場も荒れ放題です・・・誰が設置したのか知りませんがロープがあるので、それを頼りに登って行きます・・・
でも過信は禁物です・・・以前地元の山を登っていた時に、ロープが切れた事があります・・・
一回転しただけで大参事にはなりませんでしたが、地元の山だからといって舐めていると危険です!

自分はあれ以来、この様な場所では常にロープが切れた時の事を考えながらルートを確保する様にしています!
切れてからでは遅いです・・・たとえ滑落しても最小限のダメージで抑えるには結構重要な事だと思いますよ!
衣張山登山道8 衣張山登山道9
最後の難所を越えると・・・『光じゃぁーーー!』・・・たまりませんねこの光は・・・
衣張山登山道10 衣張山登山道11
地蔵菩薩と五輪塔の所へと戻って来ましたよぉ~・・・結構疲れました・・・
衣張山山頂2 クロックス
山頂のベンチでちょっと休憩です・・・座り心地は最悪ですけどね・・・
さすがにCROCSではちょっと厳しい道程でした・・・ネットで注文した31cmのCROCS・・・大活躍です!
ネット通販なんて無い時分は靴ひとつ買うのも一苦労でした・・・
種類は少ないし、取り敢えずデカイのがあったら買うみたいな・・・お店も売れない物は在庫置かないですからね・・・

日本人小さ過ぎるんですよ!・・・グローバルに考えたら30cmの靴なんて普通ですよ(笑)
ホントにインターネット様々です・・・ちなみに自分は生粋の日本人であります!
衣張山山頂3 衣張山山頂4
衣張山からの眺めは結構好きです・・・今日は空気が澄んでいますので遠くまでよく見えます!
気持ちいいなぁ・・・日差しはポカポカ、風は冷たし・・・良い季節です、何か飛びたくなりませんか?
30kgくらいの人なら傘か団扇があればフワッと飛べるんじゃないですかね?(笑)
出来るよ!・・・君なら出来る!・・・さぁ勇気を出して飛んでごらん!・・・一番遠くまで飛んだ人にはアメ玉あげるよ!
衣張山山頂5 衣張山山頂6
今日は富士山も良く見えます・・・ズーム!・・・こう見てると近くにありそうな感じなんですけどねぇ・・・
鎌倉市には標高の高い山はありません・・・一番高い大平山でさえ159.2mです!
ちなみに衣張山は120.2m・・・でも条件さえ揃えば、この高さからでも結構遠くまで見渡せます!
周りの山も低いですからね(笑)
衣張山山頂7
パノラマ初貼り(笑)・・・このフレームの中に相模湾、稲村ヶ崎、江ノ島、富士山、丹沢山系、鶴岡八幡宮、大船観音などを視認する事が出来ます!・・・米粒の様な大船観音を見に是非とも衣張山へ登ってみましょう!
取り敢えず動画も貼って置きます!
いやぁ~ホントに気持ちがいいっす!最高!

お疲れ様でした!・・・今回は秘密の場所を紹介させて頂きましたが、如何だったでしょうか?

存在さえ知らなかったって方もいらっしゃると思います!
実はあの朱塗りの太鼓橋は、自分が鎌倉に興味を持ち始める切っ掛けになった物件でもあります!
学生の時分に何も知らずに迷い込んだワープゾーン・・・そして遭遇した様々な遺構・・・
とりわけあの太鼓橋には衝撃を受けました・・・事前知識が皆無だったので、異次元に迷い込んだのではないか?
という感覚に襲われた事を、昨日の事の様に覚えています・・・

皆さんもワープゾーンへ突入してみましょう!・・・新しい何かが芽生えるかも知れませんよ!

おまけ


衣張山山頂からは、今回紹介させて頂いたワープゾーンの他に、東に向かう道と、南に向かう道があります・・・
東に行けばハイランド方面、南に行けば犬懸ヶ谷を通り、田楽辻子を横切って杉本寺まで一直線です!

杉本寺まで続く道は『平成巡礼道』と呼ばれていて、まさしく平成になってからちゃんと整備された道です・・・
対して『巡礼古道』というのは宅間ヶ谷の報国寺から北上し旧華頂宮邸に向かう途中で左に入る道の事です・・・
ハイランドまで続いています・・・というか本来は岩殿寺奥ノ院まで続いていた道です!
残念ながらハイランドの宅地造成で寸断されてしまいました・・・

何の巡礼道なのかというと、坂東三十三観音の第一番杉本寺から第二番岩殿寺までの道という事です!
現世利益の観音信仰は人気がありましたから巡礼古道は、多くの人達で賑わった事でしょうね・・・

取り敢えず『平成巡礼道』の途中にある物件を軽く紹介させて頂きたいと思います!
衣張山山頂からすぐなので(笑)
平成巡礼道1 五輪塔
南側の道を進むとすぐに分岐があります・・・どちらを通っても結局は合流します・・・右側の道は笹が凄かったのでやめて道なりに左側のルートで行きます!
ちょっと進むと再び分岐がありますが、ココは右に曲がりましょう!・・・五輪塔が並んでいる道を進んで行くと、
石切り場跡 石切り場跡2
石切り場跡という物件に到着です!・・・まぁ、まんまなんですけどね(笑)・・・内部は結構広いです!
石切り場跡3 石切り場跡4
奥の方は真っ暗です・・・足場の悪い箇所もあるので、怪我しない様に気を付けて進みましょう!
石切り場跡5 石切り場跡6
コウモリとかはいないみたいです・・・ココでギター弾いたらメッチャ響くだろうなぁ・・・
でもさすがにギター持って山登りってのは、かなりアホっぽいですね(笑)

名越地区には石切りの職人が沢山いたそうです・・・柔らかい鎌倉石は加工が容易で何にでも利用されました・・・
石切り場もココに限らず様々な場所に存在します!
面白い物件もあるので、その内テキトーに紹介したいと思います!
平成巡礼道の石像 平成巡礼道にはこんな可愛らしい石像もありますよ!
ラブラブですねぇ・・・是非是非行って見て下さい!

杉本寺はいいですよぉ~・・・
鎌倉では少なくなった茅葺の本堂は見応えがあります!
堂内では巡礼グッズも販売しています!
この際皆さんも坂東の観音巡りをしてみませんか?

今年は午歳で観音霊場にとっては特別な年です!
普段以上に御利益ありますよ!・・・さぁ、納経帳を買いましょう!・・・坂東を巡り終えたら今度は四国です!・・・
今年は四国霊場開創1200年という事で、アチラも盛り上がっている様ですよ!

おしまい
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