ブログ 谷戸坂の切通タイトル
File.038 
 
前回の青蓮寺石仏群があまりにもテキトーな事になってしまいました(笑)
あのページを見てガッカリして、この近辺に寄り付かなくなる方々が増える様な事があると申し訳ないので、この辺にもちゃんと見所あるよって事を証明する為にも、今回はある物件を紹介させて頂きたいと思います!
ヤマノイハイツ手広 ヤマノイハイツ手広2
青蓮寺を出て右に曲がり県道304号線を江ノ島方面へと登って行きます・・・
するとすぐに道の左側に怪しいトンネルが見えると思いますが、これはヤマノイハイツ手広というアパートの居住者用のトンネルで、今回の物件とはなんら関係ありませんのでスルーしましょう(笑)
県道304号線 谷戸坂の切通への脇道
カーブを過ぎると坂の頂上になりますが、その手前に左に入る道がありますので、そこを入りましょう!
向かいにある赤い建物(中華一番)を目印にして下さい・・・どーやら工事中の様ですね・・・
宅地造成で今回の物件も削り取られてしまうなんて話も耳にした事がありますが・・・大丈夫かな?
ちょっとドキドキしながら進んで行くと目的地に到着であります!
谷戸坂の切通手前1 谷戸坂の切通手前2
これが谷戸坂の切通といわれている物で、鎌倉では一番迫力のある切通だと思います!
切通の詳細は後にして、そのすぐ手前に面白い物件があるのでこちらを先に片付けましょう!
鎖大師参道 ホントに切通しのすぐ手前にあります・・・
左上の写真のフレーム内にも収まっているんですが、ちょっと奥まっているので見えないだけです・・・
よくある小さな隧道ですが、『鎖大師参道』と刻まれた扁額が付いております・・・

以前訪問した時も土砂で埋め戻されていましたが、ココまで埋まってはいなかったと思います・・・宅地造成工事で出た残土をぶち込んだんでしょうかね?
県道304号線が出来るまでは切通が本道でした・・・この隧道も多くの人が利用したのではないでしょうか?
隧道の方向からして中で曲がってなければ、緩く下りながら尾根を突き抜け、青蓮寺の墓地の辺りに繋がっていたと思われます・・・いつからあったのかは知りませんが、新道が出来た時にぶった切られたんではないでしょうか?
現在、新道の山側の壁はコンクリートで補強されていますから、たとえ土砂を掘り返して進んだとしても出口は見つからないでしょうね・・・その前に掘り返してる時点でかなり怪し過ぎますね・・・職質モンです!(笑)

しかし坑門の形が面白いですね・・・少し掘られて更にその内径に隧道が掘られています・・・
どーいった趣向なのかよく分かりませんけど、この手の物はあまり・・・というか全く見た事ありません・・・
どんな意味があるんでしょうか?・・・入口だけ石組んでカッコよくする予定だったのか?
それともコンクリートで補強したかったのか?・・・謎は深まるばかりです・・・

切通の入口には石碑が2基ありました・・・ 
堅牢地神塔 谷戸坂の切通入口の顕彰碑
左の写真の石柱には『堅牢地神塔』という文字が彫られています・・・田舎などで良く見かける代物です・・・
仏教でいう所の十二天の地天ですね・・・地の神ですが地神講と結びついて農業の神としても認知されています・・・
昔はこの辺も農地だったろうし地神塔が建っていても何ら不思議はないですね・・・それとこーいった類の物は境界に置かれる場合が多いので、この切通が村の境界だった可能性も出て来ますね・・・
建立年は刻まれていないのでいつ頃建てられた物なのか正確に知る事は出来ませんが、そんなに古い物ではない様に思います・・・

右の写真の石碑には何やら漢字だけがビッシリと刻まれていました・・・メンド臭いパターンです(笑)
必死に読み解くと、安政年間(1854~1859)に細谷久兵衛、内海津左衛門、和田茂左衛門って有志が、隣の津村の荒野氏等を斡旋して、字猫池の辺り5町3段(反)を開拓した功績を称える顕彰碑の様であります・・・

こちらには『明治卅三年十月建之 當村 齋藤政吉作並書』と、ちゃんと建立年が刻まれていました!
明治33年って事は・・・『當村』とは深沢村の事になりますね・・・

明治22年(1889)の町村制施行で、それまでいっぱいあった鎌倉の村は、東鎌倉村、西鎌倉村、腰越津村、深沢村、小坂村、玉縄村の6村にまとめられました・・・
その後、東鎌倉村と西鎌倉村が合併し鎌倉町になり、 腰越津村が腰越町になり、 小坂村が大船町になり玉縄村を編入・・・そして昭和14年(1939)に鎌倉町と腰越町が合併して鎌倉市が誕生します!
昭和23年(1948)には深沢村と大船町も編入され現在へと至っています・・・

養和元年(1181)9月16日 己丑
桐生六郎俊綱が首を持参す。先ず武蔵大路より使者を梶原平三が許に立て案内を申す。而るに鎌倉中に入れられず。直に
深澤を経て腰越に向ふ可之旨これを仰せらる。次いで実検を加えらるべきに依って俊綱が面を見知るの者これ有るかの由尋ね仰せらる。而るに只今祇候の衆は合眼せざるの由これを申す。爰に佐野の七郎申して云く下河邊の四郎政義常に対面を遂ぐと。これを召さるべきかと。仍って召し仰すの間、政義実検を遂げ帰参せしむ。
申して云く首を刎ねて後日数を経るが故その面殊に改め変ぜしむと雖も大略相違無しと。

上は【吾妻鏡】の記述です・・・これが文献上に見られる『深沢』の初見とのことです(参考:鎌倉の地名由来辞典)
桐生六郎足利俊綱の首を持って鎌倉に来た時の話ですね・・・武蔵大路から鎌倉に引き回しを頼むように梶原景時に使者を出しますが鎌倉には入れず、深沢を経由して腰越へ向かう様にいわれています・・・
文面から当時深沢は鎌倉内ではなかった事が分かりますね・・・

結局2つの石碑からは隧道に関する情報は得られませんでした・・・
隧道が無くなったのは新道(県道304号)が開鑿された年(開鑿にあたり先ず昭和32年に陸上自衛隊を動員して新しく切通を造った模様)である事はほぼ間違いないと思われますが・・・そもそもこの隧道はいつ頃に開通したんでしょ?

気になる所ではありますが、良く調べてみないと何ともいえませんね・・・
そこまで古い物ではないと思いますんで、開通記念碑とかがあってもいいと思うんですが・・・
苦労して尾根までよじ登ってみたり、付近を探索してみましたが、それらしい物は見当たりませんでした・・・
残る可能性としては隧道内の壁面に埋め込まれているパターンがありますが・・・もう無理ですね(笑)
今回はこれくらいにして置きましょう・・・

さて、先程の石碑に『字猫池』という文字がありましたが、青蓮寺から県道304号線の坂を登り切り少し下ると、湘南モノレールと交差する赤羽交差点があります・・・ ロイヤルホストとアマルフィーがある交差点です・・・
かつてはこの辺りに用水池があって、その形が猫に似ていたので『猫池』と呼ばれていました・・・
そして付近の谷戸を『猫池ヶ谷』と呼んだんだそうです!
猫池配水池1 猫池配水池2
ちなみに現在、猫池は消滅し、新しい調整池が出来ています!
場所は赤羽交差点から鎌倉山ロータリー方面へ坂を少し登った右側になります・・・

階段を登り、上から覗いてみましたがイマイチ良く分かりません・・・フェンス邪魔!・・・こんな池で溺れないって(笑)
流れのある川や海で溺れるのは分かりますが、池で溺れるってのは自分には良く分かりません・・・
ココより他にフェンス建てて欲しい所はいっぱいあります・・・ハイキングコースとかさぁ・・・
まぁ、単に進入禁止の意味もあるんでしょうけどね・・・

航空写真でも見てみましたが、やはりイマイチ分かりません・・・

より大きな地図で 谷戸坂の切通周辺 を表示
当時はコンクリートの壁も無かったでしょうし、現在とは大分違った物だったんでしょうかねぇ?
そもそも、現在の調整池の場所に猫池があったのかどーか詳しい事は知りませんけど・・・
まぁ、この辺にあったのは確かな様です!

猫の形といっても色々ありますよね・・・顔?・・・肉球?・・・招き猫?(笑)
だいぶ話が脱線してきたので、そろそろ谷戸坂の切通に戻りましょう!

以前訪れた時には厳重なバリケードが築かれていて、見る事は出来ても切通内に進入する事は出来ませんでした・・・
しかし、今回は造成工事の影響なのか知りませんが、『落石のおそれがある為進入禁止』と書かれた看板が立ってはいますが、バリケードは撤去されていました!・・・これは行くしかないだろう!(自己責任で)

鎌倉市のやる事は結構不可解な物も多いです・・・今後、この素晴らしい切通が削り取られて無くなってしまう可能性も十分あり得ます・・・観光客を誘致できる立地でもないですしね・・・
鎌倉市としては、切通が地震で崩落してくれるのがゴタゴタもなく宅地化できて一番いいかも知れませんね(笑)
谷戸坂の切通入口
切通入口(江ノ島側)
谷戸坂の切通上部
切通から上を眺める
切通には常夜灯が残っており、旧江ノ島道として、近隣住民の生活道としてこの切通が重要な物であった事を伺わせます・・・切通自体は短い物ですが迫りくる左右の高い壁がド迫力です!
谷戸坂の切通出口1 谷戸坂の切通出口2
上を見上げて撮影していたら、なんかパラパラと土の様な物が落ちてきたのでサッサと通過する事にしました・・・
このタイミングで崩落なんてシャレになりませんから!

出口からの眺めです・・・岩肌の感じがたまりません!
クライミングしたくなります・・・そして反対側の岸へ大ジャンプ!・・・無理無理(笑)
ホント見ていて飽きない切通です・・・人工的に造られた物ではありますが、自然美極まれりといっても過言ではないと思います・・・

この谷戸坂の切通鎌倉景観百選のひとつに選ばれていますが、確かに納得です!
切通では他に高野の切通鎌倉七口巨福呂坂を除く)が選定を受けています・・・
鎌倉景観百選なんてマイナーですけど、そもそも現在86しかありません・・・今後100まで選定されて行くんでしょうけど、鎌倉にそんなに景観のいい所ないですよ!
欲張らないで50くらいにして置けばいいのに(笑)
無理な背伸びは自分の首を絞める事になります・・・実際訳の分からない物も数多いです・・・
『生き物との出会い』、『手入れの行き届いた民家』とか抽象的な物を入れ過ぎです・・・場所:市内各所・・・
市内各所って・・・気持ちは分かるけど観光資源として紹介するからには場所は指定して欲しいなぁ・・・

『江ノ電のある風景』・・・場所:江ノ電沿線・・・って、あたりまえじゃんか!(笑)
『モノレールのある風景』も同じ・・・横須賀線のある風景も入れといてやればいいのに・・・
さもなくば全部まとめて公共交通機関のある風景としてしまえばいい!

そもそも鎌倉景観百選は平成10年に施行された事業で、一年間もの間市内外から候補地を募り、市民の声を取り入れつつ景観デザイン委員会が選出した物の様です・・・
で、その候補地の応募数ですが357件あったそうです・・・100件選ぶのに来たのは357件だけですよ・・・
もちろん応募者数はかなりの数だったとは思いますけど・・・
選考の方々も苦労したんじゃないでしょうか?・・・抽象的な物が多く入選しているって事は、かなりテキトーな候補地も多かったんでしょうねぇ・・・もぉい~や、テキトーにまとめちゃえ!・・・みたいな(笑)・・・ご苦労様です! 
谷戸坂の切通出口3 谷戸道へ
切通を過ぎると階段が造られていて、下るとすぐに住宅街へと繋がっています・・・この切通は江戸後期に勾配を緩やかにする為に掘り下げ工事が行われたとも聞きます・・・
もしかしたらあの石碑にあった安政年間の開拓工事に伴って行われた可能性もありますね・・・
もともと石碑が切通の所にあったのかは不明ですが、そーであればその可能性は高いかも知れません!

ココは旧江ノ島道最大の難所だった様ですから当時はかなりの急勾配だったんでしょう・・・今でもそこそこ急です・・・
切通自体も勾配があります・・・当時はココまで深くなかったって事は分かりますが、どれくらい掘り下げられたのかじっくりと痕跡を見つける勇気はありませんでした・・・崩落の事態を考えると怖くて怖くて・・・
死ぬのが怖いというより、ダサイ死に方で新聞の隅に載る事が耐え難いです(笑)
どーせならトラックに轢かれそうな子供を助けて死にたいかも・・・まぁ、実際は助けませんけどね・・・
もちろん事後処理には人として尽力しますよ!・・・でも、やっぱ死にたくねッス(笑)
古民家お食事処なるせ 成瀬家住宅
そのまま谷戸道を進んで行くと、右側に景観重要建築物等第32号に指定されている成瀬家住宅があります・・・
現在は完全予約制の食事処としても営業しています・・・個人所有物件で、店舗とはいえ一般開放しているのは中々素晴らしい事だと思います!・・・かっちょいい銅版プレート景観重要建築物等を参照して下さいませ!
【伊藤邸を捜せ!】のページでも貼りましたが、再度お店のHPを貼って置きますね!
ココには天保6年(1835)に京都伏見稲荷から勧請したという成瀬稲荷大明神もありますよ!(笑)
歓廣稲荷大明神 稲荷神社内部
そのまま道なりに進んで行くと青蓮寺に出ます・・・門前の駐車場が見えていますね・・・
谷戸道の出口付近の左側崖上には稲荷社があります!・・・ちなみに成瀬稲荷大明神ではありません(笑)
額には『歓廣稲荷大明神』と彫られています・・・内部には氏子衆の名前の記された木札がありました・・・
そして1円玉1枚と何故かゾウの置物が・・・倒れ掛かってます・・・

このゾウの置物・・・自分が小さい頃に父が仕事でシンガポールへ出張に行った際、お土産として買ってきた物と酷似しています・・・スゲー似てる!(笑)
大事にされているんだかそーでないのか良く分からない稲荷社です・・・

てな感じで今回の行程も無事に終了であります・・・
交通量の多い県道304号線ですが、すぐ横の旧道にはこんなにも素晴らしい切通があるという事・・・
また、かつては新道を横切る様に鎖大師参道の素掘りのトンネルがあった・・・という事実などを意識しながら通れば、普通の道路も多少感慨深い物になるのでは?・・・と思います・・・
鎌倉の本質は旧道にあります!・・・脇道にこそロマンが詰まっています!・・・見つけたら取り敢えず入りましょう!
何かがあるかも知れないし、何も無いかもしれません(笑)

谷戸坂の切通・・・今後の大地震ではどーなるか分かりません・・・あの様子では崩落の可能性大です・・・
まだ御覧になった事のない方は是非とも生で見て置きましょう!

おまけRart1


PINY PINYのパン
実は猫池ヶ谷へ向かう途中、こっそりとパンを購入していました・・・別にこっそりする必要は無いんですけど(笑)
青蓮寺方面から来る途中にローソンがあり、その交差点を右折して西鎌倉並木通りへ入ります・・・
するとすぐに右側にあるのがこのPINYというパン屋さんです!
自分は小腹が空くとローソンの駐車場に停めてよく買いに行きます(笑)
ローソンでもちゃんと買い物しますよ!・・・飲み物を!

だって駐車場の奥からならローソンの店舗よりPINYの方が近いし2、3分で買い物終わるし・・・
ちょっと大目にみて貰おうかなって感じです・・・お勧めはクロワッサンです!
パリの有名なパン職人がどーたらって感じでお店側もアピールしていますがホントに美味いです!
まぁ、今回は買ってないんですけどね(笑)

今回購入したのは、
写真上段左から3種のチーズのソルトレイクトマトのソルトレイク・・・
写真下段左からさつま芋のフランスパン渋皮マロンクリームパンチャバッタ・・・しめて¥945也!

チャバッタってのはナンの様な感じですが、中が空洞になっているので自分は色々詰めて食べています!
タコスの様にして食べればウマウマです・・・自分はキーマカレー等を大量に作って冷凍保存して置く習性があるので、古くなり過ぎる前に生野菜と一緒にコレに詰めて食べています!・・・美味いッスよぉ~!

ココのパンは岩塩を使っている物が多く、油断しているとガツンと来る塩気が堪りません!
あと店員のマダムの中に凄いキレイな人がいます!・・・これはどーでもいい情報でしたね(笑)
ちなみに30mくらい先にはPINYの御惣菜専門店舗もあります!

片瀬山の本店は駐車場広いしレストラン併設でパンの種類も多いです・・・車なら山ひとつ越えてすぐですけど一応藤沢市になってしまいます・・・鎌倉市内で片を付けたいメンド臭がりな自分は中々行く機会がありません・・・
本店では週末はパン食べ放題などもやっています・・・お店HP貼って置きますので興味のある方はどーぞ!

自分が生まれる以前から開業している老舗のパン屋さんですが、自分が死ぬまで営業を続けて欲しいものです!

おまけPart2


このページを見て下さった方からメールが届きました!
なんと実際に鎖大師参道を通った経験をお持ちの方からです!

今から60年以上も前の話の様ですが、あの隧道を通って青蓮寺の墓地へ出た・・・と!
やはり隧道は墓地へと繋がっていたんですね!・・・この話を聞いてスッキリしました!
実際にその目で見て経験している方の話には説得力がありますね!

新道が出来た頃はコンクリートの壁に、削り取られた鎖大師参道の穴がポッカリと開いていた時期があった事や、猫池は二股の川を堰き止めて農業用水に使っていた池で、その二股が猫の耳の様であった事を覚えている等々・・・
貴重な生の声です・・・ホントにありがたい事です・・・

この方は『鎌倉街道を探そう!』というブログで古道の実地検証などを行っているようで、その考察は非常に興味深い物があります・・・
今回の谷戸坂の切通についても綴られていらっしゃるのでリンク貼って置きます!

自分も次の世代に生の情報を提供できる様に年を重ねていきたいものです・・・

おしまい
ダム 上へ     HOME