ブログ 謎の穴タイトル
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旧華頂宮邸を後にして前々から気になっていた謎の穴の検証の為に御谷方面へ向かっていました・・・
裏道を通り快適に進みます・・・後は鶴岡八幡宮の流鏑馬道を通って・・・
流鏑馬道 ってあれ!?・・・ホントに流鏑馬道が造られてるぞ?
今日は10月6日(日)・・・う~ん・・・

ああっ!・・・10月第一日曜日か!、しまった!
ウッカリしてた・・・崇敬者大祭の流鏑馬か!
確か午後からだったかな?・・・すっかり忘れてた・・・

別に流鏑馬なんか全然興味はありません・・・
以前に何度か見て、こんなもんかと感じたくらいです・・・
単に横大路の人混みと車を回避したかっただけです・・・でも流鏑馬って事は・・・ちょっと嫌な予感がします・・・
流鏑馬道 やっぱこう来たか・・・馬場小路側の鳥居は通行止め!
もぉー勘弁してよぉー!
ショートカットしに来たのに何だよこの幕はよぉー!

祖霊社の方から車祓所に出る道を使おうか?
でも今日は日曜日・・・細い道だし自転車押しながら歩いて観光客の通行の妨げになるのも心苦しい・・・

結局横大路に出るハメになりました・・・
スゲー人の数でした・・・鎌倉なんか来ないで横浜とか行けばいいのに・・・
そーいえば先月の例大祭流鏑馬神事は台風の影響で中止になったそうですね・・・
でも台風が微妙にそれた為に神事は中止ですが、小笠原流の稽古って形で流鏑馬は行われたそーです!
交通機関が止まったりしていた影響などもあり見物客の数も通常の一割程度だった様で、良い場所で見放題だったと聞きます・・・ 
馬場小路 御谷入口
二十五坊跡を目指して坂を上って行きます・・・鳥居の裏側はやはり完全防御されていました・・・ここまでする?(笑)
御谷休憩所を過ぎ、二十五坊舊蹟の石碑の所で矢印方向の谷戸へと入ります・・・あとは真っ直ぐ進むだけです!
石碑の内容説明は今宮のページでさせて頂いたので割愛させて頂きます・・・
御谷1 御谷2
この辺一帯の緑地は御谷騒動の舞台となった地であります・・・御谷騒動とは古都保存法制定のきっかけにもなった日本初のナショナルトラスト運動であります・・・この緑地が開発の手を逃れたのはその賜物です!
ぐりぐら しばらく進むと道の左側にグラスビーズ工房ぐりぐらがあります・・・
トンボ玉の製作販売を行っている工房です!
トンボ玉って素朴な感じがいいですよね・・・
綺麗だし意外と若者にも人気があるそうですよ!

ココではトンボ玉作りの体験講習もできます!
30分で¥2000・・・2個製作可能だそうです・・・
旅の思い出にもいいかもしれませんね・・・
鶴岡八幡宮のすぐ近くとは思えない静かさです・・・これなら製作にも集中できそうです!
そしてぐりぐらの向かい側には案内板やら記念碑やらが建っています・・・ 
御谷の案内板
古都保存法発祥の地
まぁ読んで下さい・・・古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法って・・・長いな(笑)
古都保存法でいいや・・・

二十五坊ですが、応永22年(1415)に後小松上皇の院宣により坊から院へ改められています・・・
以下はそのリストです・・・赤字は江戸時代に残っていた12院です・・・
善松坊(香象院) 林東坊(荘厳院) 仏乗坊(浄国院) 安楽坊(安楽院) 千南坊(正覚院)
文恵坊(恵光院) 頓覚坊(相承院) 密乗坊(我覚院) 静慮坊(最勝院) 南禅坊(等覚院)
宝蔵坊(海光院) 寂静坊(増福院) 座心坊(朝宝院) 永乗坊(普賢院) 悉覚坊(如是院)
智覚坊(花菌院) 円乗坊(宝瓶院) 永厳坊(紹隆院) 実円坊(金勝院) 南蔵坊(吉祥院)
慈月坊(慈菌院) 蓮華坊(蓮華院) 華光坊(大通院) 真智坊(宝光院) 乗蓮坊(如意院)
御谷3 御谷4
御谷騒動がなければココにも住宅が立ち並んでいた事でしょう・・・緑が残ってるのは良い事ですが全く活用されていない様な気がします・・・何か良い計画でもあるといいんですけどね・・・
何もないですからおよそ人の寄り付かない場所です・・・天園ハイキングコースと繋げてしまうのもありなのでは?
でも地域住民は大反対するでしょうね・・・狭い道ですから・・・

マナーの悪い中年ハイカーが道を塞いでいたら車で跳ね飛ばしたくなる気持ちも分かります(笑)
御谷5 御谷6
先へ進むと・・・見えて来ました!・・・謎の穴です!・・・どーですか怪しいでしょう?中見たいですよね?
って、これはただのやぐらです・・・確かに興味深いですが今回目的としている物ではありません(笑)
気にせずに先へ進みましょう・・・
御谷7 御谷8
どんどん進んで行くと正面に壁が見えますが行き止まりではありません!・・・右へ曲がりましょう!
御谷9 謎の穴1
坂を登り切るとその先はもう谷戸の最奥部です・・・そして矢印の所・・・何か怪しい雰囲気が漂ってますよね・・・
近付いてみると・・・
謎の穴2 謎の穴3
さぁ来ました謎の穴です!・・・入り口はコンクリートで固められていますが、中は素掘りです・・・
よくあるやぐらや防空壕を再利用した駐車場か物置なんではないか?・・・以前訪れた時は自分もココまで近づいて見てはいなかったのでそう思っていました・・・でも今回再訪して新たな発見がありました!
謎の穴4 謎の穴5
謎の穴の入口上部にはかつては額が取り付けてあったであろう痕跡がありました・・・
額があるという事は・・・そうです、隧道だったんです!・・・中を覗いてみると緩やかな登りで出口へと繋がっています!
これはビックリです!・・・かつてはちゃんと名称もあった事でしょう!

これは向こう側へ行くしかないですよね!・・・いざ潜入!・・・とはいきません・・・
入口壁面にあまり目立ちませんが立入禁止の看板が取り付けられていました・・・マジか!
更に右上には表札も付いています・・・何やら個人所有物件の香りが・・・
凄いなぁ・・・家に行くのにココ通ってかなきゃならんのか・・・車はちょっとキツそうです、軽なら行けるかな?

とにかく反対側がどーなっているのかが気になります?・・・でもコチラから侵入する訳には行きません・・・
メンド臭いですが来た道を戻り西御門側から攻める事にします・・・
門柱1 門柱2
先程の坂道の所・・・来た時は左上の写真の様にミラーと電柱に挟まれていて気が付かなかったんですが、怪しい石柱を発見しました!
良く見てみると表札が付いており、どーやらかつては門柱として使われていた物の様です・・・
表札に書いてある氏名は先程の隧道にあった物と同じです・・・
ココに門があったんでしょうね・・・さぞや立派な門だったんでしょう・・・

現在門柱と隧道の間の土地には立派な家と普通の家の2軒が建っています・・・でもコレ表札の人が住んでるのかな?
土地貸してるのかな?・・・そもそも表札の人物は健在なのかな?
単に遺物として残っているだけなのか?・・・まぁそれについては隧道の反対側に行けば何か分かるかも知れません?

隧道の向きから大体の辺りを付けて西御門方面へ向かいます・・・さすがに裏道もこの時間になると混んでます!
西御門石碑 でも観光客は西御門の史跡碑の所からほぼ100%二階堂方面へ向かうのでこの先の道は静けさを取り戻します!
西御門ハ法華堂西方ノ地ヲ謂フ大蔵幕府西門ノ前面ニ當レルヲ以テ此名アリ報恩寺 保壽寺 高松寺 来迎寺等此地ニ在リ今高松来迎ノ二寺ヲ存ス
           大正十五年三月建 鎌倉町青年團
高松寺来迎寺の隣のテニスコートの所に建っていた様ですが関東大震災で全壊しました・・・
その後昭和6年に宮城県栗原郡に移され、そちらは現在も健在の様です・・・
ちなみに高松寺が建つ前には大平寺という寺が建っていました・・・そして現在鎌倉市にある建造物で唯一国宝指定を受けている円覚寺舎利殿はその大平寺の仏殿を移築した物であります!

メッキリ人通りの減った道を進み来迎寺を過ぎた所にあるのが石川邸(旧里見弴邸)であります・・・
石川邸 2階のバルコニーがイイ感じの物件です・・・高床式で茅葺屋根を持つ茶室もあり景観重要建築物の指定を受けています・・・

西御門の石碑と同じく大正15年に建てられています・・・
里見弴自ら設計に携わった様です・・・
彼は鎌倉を代表する文人ですが建物のセンスも中々いいですね(笑)
この石川邸の所で左へ曲がります!
西御門の道1 西御門の道2
相変わらず道は細いですが構わず進みます・・・もうそろそろだと思われますが家が並んでいて隧道に繋がる様な道は見当たりません・・・少し不安になって来ます・・・
取り敢えずゴミ集積所の所に自転車を止めて付近を探索する事にします・・・
鶴壽園階段 ゴミと間違われて収集車に自転車持ってかれたら帰りどーしよー(笑)
アホな心配しながら探索を始めると・・・ありました!
もうココしかないだろうって所が・・・
怪しすぎますねこの階段・・・でもモロに民家な感じがするんですけど・・・どーなんだろ?
やはりあの表札の人物が住んでいるんでしょうか?

取り敢えず行って見ない事にはどーしょーもない・・・
鶴壽園の門 鶴壽園表札
やはりそー来たか・・・物凄い威圧感のある門です・・・左の門柱には『鶴壽園』の文字があります・・・
鶴壽園って何なんでしょう?・・・聞いた事ありませんけど・・・何かの施設だったんでしょうか?
右の門柱には先程の隧道にあったのと同じ氏名が見えます・・・やはりそうか・・・ 
謎の穴出口 穴の出口がありました!・・・全貌は拝めませんが・・・

それにしても鶴壽園とは何なんでしょうか?
この隧道がいつ頃掘られた物なのかも気になります・・・
まさか二十五坊時代の遺物!?
さすがにそれはないと思いますが、いずれにしても興味深い物件である事に違いはありません!
通れないのが残念至極ではありますが、出口を確認出来ただけでも良しとして置きましょう!
とにかく色々と疑問の残る物件ではありますが自分的には多少スッキリです・・・謎の穴謎の穴としときましょう!
ちょっと喉が渇いたので近くにある一軒家カフェのbへ寄る事にしました・・・ココからすぐ近くです!
Cafe b Cafe b2
なんとまぁ・・・臨時休業ですと!?・・・うぉ~喉乾いたよぉ~・・・でもコンビニでジュース買う気分じゃないしなぁ・・・
帰り道テキトーにどっか入るとするか・・・でも日曜日だしなぁ・・・ドコも混んでるよなぁ・・・
外れにあるAlpha Betti Cafeなら空いてるかな・・・まぁ取り敢えず行って見よう・・・

しかし、Alpha Betti Cafeも結構人が多かった・・・マジ?・・・日曜はこんなに混むのって感じでした・・・
それとも旧華頂宮邸一般公開のついでに周辺探索組が吸い込まれたのか?
外のベンチは空いてたけどさすがに独りで外はキツイなぁ・・・それに何だかお腹も空いて来てしまった・・・
ちくあん 最後の望みをかけて訪れたちくあんは御覧の通り・・・
平日でも待ちがでる人気店ですから当然と言えば当然の結果ですけどね・・・

くそぉ~何人いるんだ?・・・待ってる間にどん兵衛10個は作れるんじゃないのか?
君達どん兵衛食べなよぉ・・・美味しいよぉ!
ごぼう天食べたかったなぁ・・・
まぁ、みんなも食べたいんだよね?
おじいちゃんまで気合入れて並んじゃってまぁ・・・家で寝てなよぉー・・・
ガリガリ君ゆず 大江広元邸址石碑
そして結局向かい側のミニストップに入りガリガリ君を購入!・・・これが俺の昼飯だぜっ!(笑)
ガリガリ君ゆず味なんてあったんだ?・・・つーかモンハンとコラボしてるし・・・

日差しが強かったので広元さん家の木陰で食べたのでした・・・一応紹介しときます!

大江廣元邸址
大江氏奕世學匠トシテ顕ル嘗テ匡房兵法ヲ以テ義家ニ授ク廣元ハ其ノ匡房ノ曽孫ナリ頼朝ニ招カレテ鎌倉ニ来リ常ニ帷握ニ持シ機密ニ参画ス幕制創定ノ功廣元ノ力與リテ多キニ居リ相模毛利荘ヲ食ム子孫依リテ毛利ヲ氏トス而シテ因縁奇シクモ此ノ幕府創業ノ元勲ガ七百年後ノ末裔ハ王政復古ニ倡首タリ此ノ地即チ其ノ毛利ノ鼻祖大膳大夫ノ邸址ナリ                                        大正十四年三月建 鎌倉町青年團

大江氏は代々学門の家柄で匡房(まさふさ)は八幡太郎義家に兵法を教えたといわれており、広元はその匡房のひ孫にあたります・・・広元は頼朝に招かれ鎌倉に来てからは常に政治の中央におり、幕府創立の功績は広元による所が大きいといわれています・・・そして毛利荘を得て毛利氏を名乗りました・・・
しかし、皮肉にもこの鎌倉幕府創立功労者の子孫は、700年後の明治維新の折、天皇制復活に活躍しています・・・
この場所がその毛利氏の先祖の屋敷跡であります・・・みたいな感じですかね?

大江広元の四男である季光は父から毛利荘(神奈川県厚木市)を受け継ぎ毛利氏を名乗りました・・・
三本の矢で有名な戦国時代の毛利元就もこの流れです・・・

何だかんだ言ってガリガリ君美味かった!(笑)

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地図の赤線部分が今回紹介した謎の穴(隧道)であります!
鶴岡八幡宮の裏山に100m弱の抜け穴・・・何の為に掘られた物なんでしょうかね?・・・まさに謎の穴です・・・

おしまい
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