ブログ 畠山地蔵尊タイトル
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前回の永福寺跡畠山重忠の話が出たので、ついでに彼に関係するマイナー物件を紹介させて頂こうと思います!
え?・・・重忠って誰かって?・・・マジですか?(笑)
重忠を知らないって方は相当の日本史オンチかと思われます・・・かなり有名な人物ですよ!

知勇兼備の武将として知られる彼の活躍は【平家物語】や【源平盛衰記】などにも記されています・・・
秩父平氏の流れである彼は、最初は平家方として頼朝と対立していましたが、後に重臣として従っています・・・
最後は全くの無実でしたが策謀により謀反の疑いをかけられて討ち取られました・・・
彼に関しては秩父三十三観音を巡る時にでも特集で紹介したいと考えております!・・・いつになる事やら(笑)

そんな重忠ですが、意外な場面にも顔を出しています!
静御前鎌倉鶴ヶ岡ニ法楽ノ図
静御前鎌倉鶴ヶ岡ニ法楽ノ図(画:水野年方)
『吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき』
『しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな』
静御前ですねぇ~・・・頼朝の前で嫌々ながらに舞ったいわゆる『静の舞』です!
意味は分からないとしても、誰でも一度は耳にした事があるフレーズだと思います!
これは文治2年(1186)4月8日の鶴岡八幡宮での出来事であります・・・
【吾妻鏡】にはその様子が詳細に記されています!・・・その記事の中に、

左衛門尉祐経鼓たり。これ数代勇士の家に生まれ、楯戟の基を継ぐと雖も、一臈上日の職を歴て、自ら歌吹曲に携わるが故なり。この役に候すか。畠山の次郎重忠銅拍子たり。

という記述が見られます!・・・静御前が舞った時、伴奏の工藤祐経が、銅拍子畠山重忠が担当したといっていますね・・・意外な一面です!・・・重忠には音楽の才能もあったんでしょうか?

頼山陽の静御前など、重忠と祐経の担当楽器が逆になっている物もありますが、上の絵では真ん中の鼓を打っている人物はその紋(庵に木瓜)から祐経である事が確認できますので、必然的に一番奥が重忠の様ですね!
手前で笛を吹いているのは誰なんでしょう?・・・誰か教えて下さい!(笑)

さて、重忠の意外なシーンも見ましたし、そろそろマイナー物件を見に行きましょうかね!
場所は以前紹介した義景大明神のすぐ近くです!・・・自転車で激漕ぎすれば1分くらいで着くんじゃないでしょうか(笑)
てーわけで今回は鎌倉ではなく、葉山の物件となります!・・・自宅から山越えて10分弱・・・近いって素晴らしい!
畠山地蔵石碑 畠山地蔵石碑2
およそ住民しか通らない道、阿部倉山の麓に見るからに怪しい空間があります!・・・立ち並ぶ庚申塔、その上には何かの石碑、そして小さな建物が建っています・・・怪しいですねぇ・・・マイナー臭がプンプンします(笑)
庚申塔は享保、寛政など江戸期の物の様でした・・・
畠山地蔵石碑3 阿部倉山登山口
小さな建物の内部には馬頭観音牛明神が祀られていました・・・家畜万歳って感じです!
そしてココはちょうど阿部倉山への登山口となっています・・・
以前二子山から下って来た事がありますが、結構急な道もあったと記憶しています・・・

そして肝心の阿部倉山山頂の眺望ですが・・・自分の部屋くらいの小スペースがあり、360度木に覆われてました!
なんも見えねぇ~っす!(笑)・・・その内に廃道になるんではないでしょうか?
阿部倉山の六地蔵 阿部倉山の六地蔵2
ちょっと進んでみると、鬱蒼と生い茂る木々の中に六地蔵が・・・何か怖いです!
阿部倉山の石塔群 畠山地蔵石碑4
訳の分からない石塔が奥まで続いています・・・ちょっと近付く勇気がありません・・・戻りましょう!
先程の石碑をよく見てみると畠山重忠の文字が見て取れました・・・ん?・・・何だろう?もっとちゃんと見てみよう!
縣下名勝史蹟四十五佳選當選記念
畠山重忠公御守護地蔵尊 白田山 長徳寺
横濱貿易新報社
と刻まれていました・・・長徳寺のの文字は『ぎょうにんべん』ではなくて『さんずい』でした・・・

え?・・・どれ?・・・そーいえばさっき六地蔵って言ったけど七体あったな!
あの中の一体がその畠山重忠公御守護地蔵尊なのか!?・・・まさか、いくらなんでもショボ過ぎるでしょ!
石碑の方が立派じゃないか!・・・う~ん意味が分からん?・・・それに寺はどーした?何も建ってないよ!

そこへ通りかかる初老の男性・・・これは聞き込みをするしかありませんね!
男性は親切に教えてくれました・・・以前は寺があった様です・・・そして廃寺になった時に畠山重忠公御守護地蔵尊は道向かいの仙光院へ移されたとの事でした・・・

なるほどそーゆー事でしたか・・・じゃぁ仙光院に行って見ましょうか!・・・さっき通って来た道を引き返します!
上の里子育地蔵尊1 上の里子育地蔵尊2
入口手前には上の里子育地蔵尊があります!・・・向かって右側の地蔵菩薩は前を流れる川で掘り出され、置いてくれる寺を捜したが、皆断られココに安置される事になったって話を聞いた事があります・・・

寺の標柱には『不動明王三浦札所第二十四番霊場』『相州七福神第三番札所長柄毘沙門天』とあります!
これまたマイナーな霊場であります(笑)
仙光院本堂 観音堂
弘法大師の銅像が立っていて四国八十八箇所と西国三十三箇所のお砂踏み霊場になっていました!
そしてぽっくり観音ぼけ除観音もあります!
ぽっくり観音 ぼけ除観音
ぽっくり観音 ぼけ除観音
ぱっくり観音だったらちょっとエッチな感じですね(笑)・・・最近、若年性アルツハイマーじゃないかと思うくらい物忘れがヒドイ時があります・・・ちょっと拝んどいた方がいいですかね?
漢字とか全部忘れそうな勢いです!・・・逝く時はぽっくりと逝きたいもんです・・・
仙光院案内板1
仙光院案内板2
一応縁起、案内板がありましたので貼って置きます・・・今後紹介する機会も無さそうな気がするので(笑)
長柄毘沙門天 仙光院のHPにあった長柄毘沙門天の画像です・・・
何でしょう・・・ユルいなぁ・・・ほのぼの・・・
彩色してある仏像ってカッコよくなるか微妙になるかの両極端ですよね・・・こちらの毘沙門天はちょっと威厳が足りない様な気がしますかね?
不動明王は結構渋かったです!
明王部は彩色してある方が迫力が出ると思います!
憤怒相で外見も既に超人間的ですから、色が付いていても浮いたりする事は無いと思います・・・
一面二臂で派手な彩色ではちょっと仏像が色に負けちゃいますね・・・でもまだ甘いっ!
ウチの恵比寿様 ウチの七福神の恵比寿様を見て下さい!
ユルいというかヒド過ぎますよね?

これには事情がありまして、別にこの状態で販売されていた訳ではありません!・・・買わないでしょこんなの?(笑)

何年か前にだいぶホコリが溜まっていたので、綺麗にして差し上げようと思いまして、濡れ布巾でゴシゴシしてあげたんです・・・
そしたらお顔の所だけ塗料が落ちちゃったんです!・・・もービックリでした・・・のっぺらぼうです・・・
さすがにお顔がないと可哀想だなぁと思いまして、自分が描いて差し上げたんです!
その辺のマジックでテキトーに・・・さすがに悪いと思ってちゃんと描き直そうと思ったんですが、中々実行出来ずに現在に至っております・・・今では逆にこのお顔に愛着さえ湧いて来ています・・・
恵比寿様はどー思ってらっしゃるんでしょう?・・・この顔、気に入って下さってるかな?・・・まぁ、いいや・・・
畠山地蔵1 畠山地蔵2
そしてあれがお目当ての物です!・・・畠山地蔵尊・・・赤いヨダレ掛けと頭巾が随分と可愛らしですねぇ~
って違いますね!・・・本物はお堂内部にいらっしゃいます!
畠山地蔵3 畠山地蔵4

畠山地蔵5

畠山地蔵6
鎌倉中期の作らしいですが、えらく状態がいいですねぇ・・・修復したばっかなんでしょうか?
色鮮やかな袈裟はイマイチ微妙な感じがします・・・一応葉山町の重要文化財らしいです・・・

堂内には金色の地蔵菩薩が並んでいましたが、限定300躯で名前を入れて堂内に安置してくれるそうです!
名前を入れるといってますが、もしかして貼られている名前テープがそれなんでしょうか?・・・彫るんじゃないの?
ちなみに2万円だそうです!・・・1躯どーですか?まだまだスペースはかなり余ってますよ!

畠山地蔵・・・ホントに重忠の念持仏だったんでしょうか?
それはそーと長徳寺って寺は葉山にはもうひとつあります!・・・てゆーか自分は堀内の長徳寺しか知りませんでした!
今回、最近まで長柄にも長徳寺があったと思しき事実を知りビックリしている次第であります・・・

せっかくなので、堀内の長徳寺にも行って見ましょう!・・・そしてその近くにある図書館で、長柄の長徳寺についての情報を仕入れましょう!
吾妻社1 吾妻社2
ちょっと寄り道!・・・長柄小学校へと続く激階段です・・・これを根性で上り詰めると・・・おっ、神明鳥居だ!(笑)
吾妻社3 吾妻社4
吾妻社であります・・・日本武尊ですねぇ・・・彼はこの辺を通って走水まで行き、船で房総方面へ渡っています!
吾妻社5
長柄小学校造成に伴って現在地に移された様ですね・・・隣りは小学校ですからあまりウロウロすると怪しいです(笑)

日本武尊もココから眼下に広がる景色を眺めたんでしょうか?・・・現在は所狭しと家が立ち並んでいます・・・
吾妻社6 当時はあの辺りも入り江だったのかも知れませんね?

弟橘媛は走水で入水して荒れた海を鎮めました!
日本武尊は無事に船で渡った後、妃を偲んで『吾妻はや』と嘆きました・・・それ以降、東の国を『あずま』と呼んだと伝わっています・・・

【御馬冷場】のページで紹介した名馬池月に乗れば、何の犠牲も無く渡れたかも知れませんね(笑)
他にもこの辺りには吾妻社があったそうです・・・森山神社に合祀された物とか・・・
日本武尊の通り道としての伝説を匂わせますね!・・・なかなかロマンを感じさせてくれます!
長徳寺1 長徳寺2
長徳寺に到着であります!・・・しかし、『どーぞ、どーぞ、よくぞお越しになった!』という感じではありません!
入口が封鎖されて完全シャットアウト状態です・・・自分が大嫌いな寺の在り方です・・・
この寺は毘沙門天が有名らしく、葉山町の重文に指定されている事を知らせる柱が建っていました・・・
でも入れねぇーんじゃどーしょーもないなぁ・・・と思っていたら扉を開けてオバサンが出て来ました!

境内に入ってもいいのか尋ねてみると、『大丈夫だと思いますよ・・・』との事・・・何か微妙な返事だな?
お寺の人じゃないのかな?・・・まぁいいや、入っちゃえ!・・・オバサンと入れ違いで侵入です!
長徳寺3 長徳寺4
入って左側は墓域になっていて、庚申塔なども沢山ありました・・・本堂に額は掛かっていませんでした・・・
中にあるのかな?・・・メンド臭いので確認もしません!・・・サッサと図書館で情報を入手しましょう!
長徳寺の庚申塔 と、その前に1基だけ離れた場所に庚申塔があります!
この船形の庚申塔は鎌倉でも見かけますね・・・
年代も古めで17世紀中~後半くらいの物が多い!

どれどれ見てみましょうか・・・
延宝三年(1675)・・・うんうんそんな感じだよね・・・

図書館で調べてる内に分かった事ですが、この庚申塔は葉山町の有形文化財に指定されている様でした・・・
他のと比べて古いですもんね!・・・それだけ歴史的史料としての価値があるって事です!
それにしても静かな境内です・・・やっぱ一般人は入っちゃいけなかったのかな?
あのオバサンは誰だったんだろう?・・・何してたんでしょう?
和楽 和楽の大判焼き1
ちょっとお腹が空いたので近くにある和楽という店で大判焼きをゲットです!
ココのはとにかくボリューミーで地元ではファンが多いです!・・・テイクアウトオンリーで1個¥130ナリ!・・・一応P有り!
見て下さいこの厚み!・・・女性なら1個でお腹イッパイですよ!

かなり前から老夫婦2人でやってる店なんですけど、2人を見ていると何か和むんですよねぇ・・・
ベストカップル賞をあげたくなります!・・・いい歳の取り方してるなぁ~・・・

メニューも沢山あって、チーズソーセージやハムエッグといった変わり種も嬉しい!・・・温かい内なら最高です!
自分はアンコがあまり好きではないので、いつもクリームとチョコレートを選択!
今回もクリーム2個とチョコレート1個を購入!・・・早速図書館でいただきましょう!
和楽の大判焼き2 このズッシリ感!・・・相変わらずのボリュームです!
この重量なら武器としても使えそうです(笑)
思いっきり投げて、当たったらスゲー痛そう・・・
あ、食べ物を粗末にするのはやめましょうね!
やっぱクリームが一番美味いかなぁ?
よく売り切れになってるし人気があるのは確かかな?
今日は鎌倉行った帰りに葉山に来たので甘い物で疲れを取ります・・・甘さが浸みるなぁ~・・・
つーか昔っから味変わんないなぁ・・・
大判焼きで中身がカレーって見かけないけど何でだろ?・・・絶対美味いと思うんだけどなぁ・・・

しかしこの大判焼き・・・子供の頃は今川焼きっていってましたけど、現在の主流は大判焼きなんですかね?
関西の方は回転焼きとか御座候とかいうらしいですけど、そもそものルーツって何なんでしょうね?
メンド臭いんで調べませんけどね(笑)
関東で御座候なんつっても100人中98人は何なのか意味が分からないでしょうねぇ・・・
和楽の大判焼き3 さてさてお次はチョコレートを頂きましょうかね!
パクパク・・・ん?・・・何じゃコレ?

随分ボソボソとして色の薄いチョコレートだなぁ・・・
何だろう・・・自分疲れてんのかなぁ?

チョコレートがつぶあんに見えて来たよ・・・ってオイ!
つぶあんじゃねぇーかコレッ!?
どー見てもつぶあんだべや!!
真ん中の1個がチョコレートですって言ってたじゃないか!・・・ふざけやがってあのババァ!(笑)
せっかくベストカップル賞をあげようと思っていたのに・・・よりにもよって自分が一番苦手なつぶあんとは・・・
しかもこれでもかってくらい詰まってるじゃぁないか!(笑)
まぁ、でも、何だか許せてしまう・・・そんなホッコリとした雰囲気の店なんです・・・中身なんて何だっていいかぁ・・・

図書館の郷土資料コーナーで、長徳寺についての記述がありそうな書籍を捜します!
【新編相模国風土記稿】なら100%載ってると思いますが、せっかく葉山の図書館に来たのだから地元の郷土史料から情報を入手したいですね・・・考えてみたらココへ来るのも久し振りです、懐かしいなぁ・・・職員が増えたかな?

【葉山郷土誌】(昭和5年10月1日発行)の130~131ページに長徳寺の記述がありました!

南湖山 長徳寺 葉山町堀内八〇五番地
長徳寺は開山を南山士雲和尚(建武三年十月七日入寂)にして臨済宗に属し鎌倉円覚寺を本山とす。寺領は境外所有地田畑三反五畝七歩、山林一反二十歩、畦畔二畝二十歩、境内は二百十二坪。檀家はニ十戸である。

創立の時日は明ではないけれども墓に五輪塔類似のものあり、又開山の僧の入寂せられたのが建武三年であれば鎌倉時代末期のことなる可く墓石の銘に二千三百年代のものもある(二百六十年前)。
堂宇は間口七間奥行五間三十五坪で境内の北隅にある建立は不詳、恰も廃屋の感がある。
堂内には本尊の毘沙門天(体質木像)を安置す。
又畠山と号し本尊地蔵(長さ五尺運慶の作)畠山次郎重忠の守護仏という。当住職は以前鎌倉円覚寺内伝宗庵よりの兼務であるが震災以後富陽庵の末寺として同寺の住職横田文忠氏が兼務される。

伝宗庵は南山士雲の塔所、富陽庵境内には北鎌倉幼稚園があります・・・どちらも円覚寺の塔頭で現存しますが、どちらも一般拝観不可の寺です!・・・現在も富陽庵の住職が兼務しているんでしょうか?

ん?・・・畠山地蔵の事が書いてあるぞ?・・・でも長柄じゃなくてコッチの長徳寺の説明だしなぁ・・・何でだ?・・・ん!?
『又畠山と号し・・・』って事は塔頭があったって事なのか?・・・そしてそこの本尊が畠山地蔵だったと・・・

長柄の長徳寺についての記述はありませんでした・・・あちらの山号は白田山・・・う~ん・・・ん!?
んんんんんんんんんんんんんんんんんんん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?
畠山地蔵石碑アップ もう一度石碑を良く見てみましょう!

白田山・・・白+田=畠!!

うおぉーーーそーゆー事なのか!?・・・マジで?
白田山、畠山・・・どっちが正しいのか分かりませんけど、地蔵菩薩の事もありますし、同一物件とみてまず間違いなさそうですね、スッキリしたぁ!・・・しかし紛らわしいなぁ・・・
同時代の同地区に同じ名前の寺を建てんなや!・・・でも石碑にある長徳寺の徳の字は『さんずい』です・・・
読みは同じでも厳密には違うって事なのか?・・・それにしても紛らわしい!・・・畠山地蔵寺でいいじゃんか!(笑)

【葉山町郷土史】(昭和50年3月3日発行)の葉山の社寺のカテゴリーには、堀内と長柄、両方の長徳寺についてのシンプルな記述がありました!

堀内 長徳寺(臨済) 鎌倉末期(元亨年間)
長柄 長徳寺(臨済) 天文元年とされ、本尊は畠山重忠の守り地蔵尊の伝承がある

元亨年間は1321~1324・・・天文元年は1532です!
長柄の長徳寺は自分が思っていたよりも古い物の様です・・・
お堂老朽化の為に平成15年10月26日に仙光院に畠山地蔵を移したって話ですから、それまでは寺として存続していたって事でいいんですよね?・・・廃寺なのか移転したのか?・・・情報が少ねぇ~!
でも本尊を手放しちゃったって事はやっぱり廃寺ですかね?

【葉山の寺社と佛像、庚申塔、石塔、板碑】という暇なオッサン連中が作った見辛いプリントをまとめた様な物には、

毘沙門天札所七ヶ院 第7番 南朝山長徳寺 禅宗(同寺の本尊で、風土記には長四尺一寸で行基の作、三浦義澄の守護仏といい伝えるとある。)

との記述がありました・・・

南朝山?・・・南湖山じゃないの?・・・どっちなんだよぉ~もぉ~・・・郷土史料がブレるなよぉ~もぉ~!
ドツボにハマりそうなので長徳寺はこれくらいにして置きましょうか!
機会があったら当事者に聞くのが一番確かな情報が得られそうです・・・

それよりも縣下名勝史蹟四十五佳選當選記念というのが気になります・・・横濱貿易新報社という新聞社の名も見えるので、調べれば情報は簡単に手に入りそうですね・・・
県下名勝史蹟と謳ってますけど、何なんでしょう?・・・さっき仙光院で見た畠山地蔵がそれの様ですが・・・
あれのドコが名勝史蹟だっていうんでしょうか?・・・これはますます気になりますねぇ(笑)

ちょっと調べてみると、どーやら横浜貿易新報社45周年記念事業のひとつとして1935年に神奈川県名勝・史蹟投票というのが行われたらしいです!
45周年に因んで県下45箇所の名勝・史蹟を読者投票によって選定する事業(名勝史蹟四十五佳選)です!
中途半端な45という数字の謎が解けてスッキリしました・・・
この投票は、9月5日から10月5日までの31日間で行われたそうです!・・・新聞には毎日2票の投票用紙が刷り込まれ合計で62票、また官制ハガキでの応募もOKだった様です・・・

選定された名勝史蹟には記念碑の建立、更に10位までの物件には扁額の進呈、紙面上での紹介や絵葉書・写真集を作製して紹介宣伝することを謳っていた様です!

そんなこんなで始まった投票!初日の1位である震生湖・桃雲台の得票数はわずか34票・・・マ、マイナー過ぎる(笑)
震生湖なんて普通知らないでしょ!・・・自分もバイクで一度迷い込んだ事があるだけです・・・それより34票って・・・
しかし、マスコミの力ってのは凄いですね、煽りに煽って最終的には450万票とも500万票ともいわれる投票総数となった様です・・・

これを機に町、村興しを考える団体の組織票・・・とにかく新聞が売れたそうです!・・・村人全員が横濱貿易新報を購読なんて記事もあった様です・・・そして気になる投票結果ですが、
横濱貿易新報 名勝史蹟四十五佳選 投票結果
1 石小屋 愛甲郡半原 284,726 24 三眼六足稲荷 高座郡東厚木 62,145
2 妙香寺 横浜市北方町 275,770 25 与瀬神社 津久井郡与瀬町 60,616
3 峰の灸 横浜市峰町円海山 239,345 26 綱島温泉桃雲台 横浜市綱島町 59,374
4 玉泉寺 横浜市中村町 218,220 27 永谷天満宮 鎌倉郡永野村 50,729
5 八菅神社 愛甲郡中津町 168,880 28 大ダルミ 津久井郡千木良村 50,311
6 早川城趾 高座郡綾瀬村 166,204 29 若雷神社 都筑郡新田村 46,799
7 石老山 津久井郡内郷村 163,165 30 三浦畠山地蔵尊 三浦郡葉山町 46,593
8 浅間神社 横浜市浅間町 146,967 31 畠山重忠霊堂 都筑郡都岡村 44,142
9 八景ノ棚 高座郡麻溝村 146,393 32 波切不動の滝 都筑郡新治村 42,373
10 宮ヶ瀬渓谷 愛甲郡宮ヶ瀬 131,222 33 吾妻神社 中郡二宮町 41,461
11 道了尊御本地 中郡成瀬村 123,417 34 宝泉寺 高座郡小出村 39,646
12 ペルリ上陸記念碑 三浦郡久里浜 121,684 35 柏山稲荷 藤沢町大庭 39,607
13 丹沢の大滝 津久井郡鳥屋村 116,718 36 金蔵院安産子育観音 横浜市磯子 39,270
14 金砂山子育観音 藤沢町 111,775 37 広沢寺温泉 愛甲郡玉川村 38,481
15 北向庚申神社 高座郡座間村 109,722 38 金目観音 中郡金目村 38,196
16 鬼子母神常照寺 横浜市南太田町 105,437 39 円満寺白衣観音 横浜市久保町 38,100
17 重国城趾天満宮 高座郡渋谷村 95,169 40 座間神社 高座郡座間村 37,816
18 城山城趾 津久井郡内郷村 92,829 41 白滝不動尊 横浜市中区根岸町 37,666
19 鮎の水郷田名 高座郡田名村 83,413 42 龍源院弁財天 高座郡座間村 36,578
20 花水河口 平塚市 80,350 43 旧城寺 都筑郡新治村 36,252
21 志田山朝日寺 津久井郡串川村 71,895 44 日限地蔵尊 鎌倉郡永野村 35,638
22 青柳寺 高座郡大野村 69,718 45 滝出現見合不動尊 高座郡御所見村 34,837
23 称名寺百観音 久良岐郡金沢町 64,114 ホントにヤバイぞこのメンツは!(笑)

畠山地蔵は30位入選です!・・・凄いのかコレ?
しかしどーですかこのマイナーっぷりは?・・・ココまでやられると天晴としかいいようがないですね(笑)
唯一まともなのは称名寺くらいでしょうか・・・

寺や神社も結構選ばれていますが、建長寺、円覚寺、平間寺(川崎大師)、鶴岡八幡宮などなど・・・
神奈川県勢概要で名勝旧蹟として挙げられている物件が入選してません!
相模国一之宮である寒川神社が入選してないなんて・・・
なのに何故柏山稲荷が入選してるんだ!?・・・そこはせめて式内社の大庭神社にしとくべきだろ!
そーいえば柏山神社にも何か建ってたなぁ?
社標っぽい感じだったけど、まさか名勝史蹟四十五佳選の顕彰碑じゃないだろうな?

などなどツッコミ所満載の名勝史蹟四十五佳選・・・なんだかんだいって自分は結構好きかも知れません(笑)
ちなみに選ばれた45箇所には、ピンク色とコバルト色に塗装されたダットサンに乗った当選祝賀訪問隊が訪れてイロイロとやった様です・・・

しかし予告していた写真集と絵葉書は作られなかったそうです・・・結果、物として残っているのはこの石碑だけですから名勝史蹟四十五佳選の知名度は下がって行く一方だったんではないでしょうか?
せめて写真集などが出版されていれば現状よりは多少マシな扱いを受けれたかも知れませんね・・・
石小屋 さて1位の石小屋ですが・・・ダムがあります!
その名も石小屋ダム・・・まんまですね・・・
まぁ、ダムの名前は地名が付くんで当然といえば当然ではありますけどね・・・
宮ヶ瀬ダムの副ダムです・・・そーいえば宮ヶ瀬渓谷も10位に入選していますね、5位の八菅神社と合わせて愛甲郡は3つの物件がトップ10入りするという快挙!
当時はホントにド田舎だったと思います・・・
今もですけど(笑)
2001年に宮ヶ瀬ダムが出来てからというもの、完全に観光地と化したこの地域・・・
でもでも、80年近く前には既に名勝として神奈川県下NO.1の称号を獲得していたという事実を、一体どれ程の人がご存知なんでしょうか?
というより、名勝史蹟四十五佳選何て物の存在を一体どれ程の人がご存知なんでしょうか?
今年、半原に住み着いた友人がいますが、彼もそんな事実は100%知らないだろうなぁ(笑)

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おしまい
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