【第九巻 宇治川先陣】
佐々木四郎高綱が賜った馬は背まで四尺八寸ある実に逞しい立派な黒栗毛だったが、馬でも人でもとにかく噛み付くので
生食と名付けられました・・・
梶原源太景季が賜った馬も逞しく立派であったが、真っ黒だったので
磨墨と名付けられました・・・
いずれ劣らぬ名馬であります・・・
さて、尾張国から追手と搦手の二手に分かれて攻め上がります!
追手の大将軍は
蒲御曹司範頼以下総勢3万5千余騎、近江国野路篠原に陣を取ります・・・
搦手の大将軍は
九郎御曹司義経以下総勢3万5千余騎・・・景季も高綱も搦手軍です・・・
搦手が伊賀国を経て宇治橋のたもとへ押し寄せると、宇治も勢田も橋を外します・・・
水底には乱杭を打ち込み大網が張られ逆茂木を繋いで流しかけられています・・・
時節1月20日余りの事なので比良の高嶺や志賀の山、谷々の氷雪も解けて川は増水していました!
義経は水面を見渡し淀や一口へ向かうべきか、水勢が衰えるのを待つべきか思案しておりました・・・
そこへ21歳になる武蔵国の住人、
畠山次郎重忠が進み出ていいました、
『日頃ご存知ない海川が突如現れたわけでもありますまい!近江の湖の下流ですからいくら待っても無駄でしょう!
治承4年の以仁王挙兵の折に足利又太郎忠綱が渡りましたが、彼は鬼神だったとでもいうのでしょうか?
この重忠が取り敢えず瀬を調べつつ先導します!』
そこへ小島崎から武者二騎が後先になりながらやって来ます・・・景季と高綱です!
景季の方が6間ほど先に進んでいました!・・・高綱はいいます、
『梶原殿ココは西国一の大河ですぞ!馬の腹帯が伸びているようですが締め直してはどーか?』
景季はそれもそーかと思い鐙を踏んで尻を浮かせて腹帯を締め直します・・・
その隙に高綱は景季の側を駆け抜け川へと入って行きました・・・景季は謀られたと思い、すぐに続きこう言いました!
『佐々木殿、名を上げようとして不覚を取りましたな!水底には大網が張られているかも知れませんぞ!』
しかし高綱は太刀を抜き大網をブツブツと切り一直線に渡り切り対岸へ上ります!
そして、
『宇多天皇より九代の後胤佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣だ!
木曽殿の軍に我こそはと思う輩は出て来い!相手をしてやる!』と喚きながら突撃しました!
ちなみに景季の乗った磨墨は斜めに押し流されて遙か下流で対岸へ上がりました・・・
またまた
景季してやられちゃってますね・・・素直過ぎるのか?・・・単にバカなのか?・・・
いい奴だけど損するタイプの人間でしょうか?・・・友達にするならいいですけど上司がこれじゃぁやだなぁ(笑)
結局宇治川の先陣争いは
高綱に軍配があがりました!・・・もう少し読み進めて見ましょうか!
畠山重忠の5百余騎が川を渡ります・・・
山田次郎の放った矢が重忠の馬の額に深々と刺さり動けなくなりますが、重忠は馬を降りて激流をものともせず水底を潜り対岸へと辿り着きます・・・
そして岸へ上がろうとした所、後ろからむんずと誰かに掴まれました!
『誰だ?』と問うと
『重親!』と帰って来ます!
『何、大串か?』・・・
『そーです!激流に馬を流されちゃいましたぁー!』
重忠は重親が元服の時に烏帽子親を務めています・・・
『お前はいつまでこの俺に助けられれば気が済むんだ?』といいながら重親を岸の上へと投げ飛ばします・・・
投げ上げられた重親は立ち直ると太刀を抜いて額に当て、
『武蔵国住人、大串次郎重親、宇治川の徒歩立ちの先陣だぁ!』・・・と大声で名乗りをあげました!
敵も味方もこれを聞き、一斉に大笑いしましたとさ・・・