ブログ 白山神社タイトル
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今回訪れたのは鎌倉市今泉に鎮座する白山神社であります・・・この辺りは市街地からは遠く、中々観光コースに組み込み難い場所ではありますが、その分静かでゆったりと見物できるという利点もあると思います・・・
更に奥には称名寺(今泉不動)など見所のある物件も存在する地区です!

バスで来られる方がほとんどかとは思いますが、自分はハイキングのついでに訪れる事をお勧めします・・・
六国見や天園から降りてきてもいいし、公田方面から来る事も可能です・・・
近くには鎌倉湖(散在ヶ池)もありますし、どーせ鎌倉のハズレに来るのであれば、思いっきり自然を満喫するのも悪くないと思います!・・・変な分岐等に入らなければ険しい道も無いので気軽に山歩き出来ますよ!
でも怪しい道に入らないと怪しい石塔などには巡り遭えないんですよねぇ・・・そこが悩みドコロです(笑)
白山神社入口  酔亀亭天広丸歌碑
ココ白山神社称名寺へ向かう道沿いにあります・・・そして入り口には酔亀亭天広丸の歌碑があります!
文学案内板
酔亀亭天広丸なんて初めて聞きましたけど、ココ今泉の出身で江戸期の有名な狂歌師だった様ですね・・・
知らねぇ~(笑)・・・自分が無知なだけで一般的には知ってて当然な人物なんでしょうか?・・・知らねぇ~・・・
自分は銭のない人なので水でいいのかな?・・・墓は今泉にある様ですけどドコなんだろ?・・・称名寺かな?
白山神社の庚申塔 白山神社の庚申塔2
参道の右側には市指定有形民俗文化財に指定されている庚申塔があります・・・
一番右の舟形の物がそれで、寛文12年(1672)の銘がありました・・・鎌倉では10本の指に入る古さであります・・・

上辺には3つの種子が刻まれていました・・・
『キリーク』(阿弥陀を表す梵字)、両脇には『サ』(観音菩薩)、『サク』(勢至菩薩)・・・阿弥陀三尊ですね・・・
かなり見難かったですが中心には『奉造立庚申像 為二世安楽』と刻まれていました・・・

ちなみに寛文5年(1665)銘のある鎌倉最古といわれる庚申塔は八雲神社(山ノ内)にあります!
ココのと造りが似ていますが寛文年間にはこの手の庚申塔が流行ったんでしょうか?
まぁ、どの年代にもある型なんでそーとはいい切れませんけどね(笑)
白山神社の庚申塔3 白山神社の庚申塔4
地神塔もあります・・・そして徳利の様な物が彫り込まれている物もありました・・・何て書いてあるのか判別出来ませんでしたが、徳利であるならば恐らくコレも酔亀亭天広丸関連グッズでしょうね・・・
毘沙門堂石柱 毘沙門堂石柱2
そして参道左側には『毘沙門堂』と刻まれた石柱があります!・・・これは白山神社の歴史を物語る一本です!
源頼朝が京都の鞍馬寺を訪れた際に行基作と伝わる毘沙門天像を賜ったんだそうです・・・
そして頼朝は鎌倉の北方守護の為にココにその像を祀って毘沙門堂を建てたと伝わっています・・・

自分は行基といわれると、どーしても疑ってしまいます(笑)
行基は僧尼令による弾圧等を受けながらも日本で最初に大僧正の位を贈られた人物です・・・
治水、架橋、貧民救済など各地に伝説が残っています・・・十一面観音彫り過ぎ!、あと温泉も掘り過ぎ!
有名温泉のほとんどは彼が掘ったんじゃないかと思うくらいです!
そんな伝説が多い人物なんで、どーも胡散臭い目で見てしまうんですよねぇ(笑)

我が逗子市にも行基伝説は残っています・・・神武寺も開山は行基とありますし、【沼浜城】のページでも述べましたが、我が一族の菩提寺である法勝寺も元をただせば行基が大蛇退治の際に彫った十一面観音を祀ったのが始まりとされていますし・・・とにかく胡散臭い!・・・そして極め付けは延命寺です!

当山は奈良時代、天平年中 行基菩薩が開基せられ御自作の延命地蔵菩薩像を安置し本尊とされたのが延命寺の由来である。平安時代に入り、弘法大師(空海)が下野の国、二荒山(現在の栃木県)に登山の折、この地に立寄り、当山の地蔵尊を安置する厨子を設けられました。 以来、住民尊信の的となりいつしか当山所在のこの地一帯を往時は「厨子」と呼び、近時より「逗子」という地名の起源となったとされている。

延命寺HPに記されています・・・行基弘法大師のコラボですよ!、胡散臭さMAXです!(笑)
このコンビが逗子の地名の由来に絡んでいるとは・・・逗子が胡散臭くなって行く・・・
地蔵菩薩も厨子も、近所の手先が器用なオッサンが作ったんじゃないんスかねぇ?・・・絶対そーだよ!
いくらなんでも日本各地でそんなに彫ったり掘ったり出来ないでしょ?・・・坊さんってどんだけ暇人なんだよ!?

日本最古のダムと呼ばれている河内国の狭山池の築造にも行基の技術力や農民動員力が利用されたといいます!
という訳で恒例(?)のダムカード紹介をさせて頂きますね!(笑)
狭山池ダム
狭山池ダム
所在地:大阪府大阪狭山市池尻西
河川名:大和川水系西除川
型式:均一型フィルダム
ゲート:ジェットフローゲート×1門
堤高・堤頂長:18.5m・997m
総貯水容量:280万立法メートル
管理者:大阪府
本体着工/完成年:1988/2001年
ランダム情報
昭和57年8月の豪雨で3.000戸を越える浸水被害を受けた西除川・東除川流域を洪水から守るため、農業用ため池であった狭山池を洪水調節機能を併せ持つダムに改修した。

こだわり技術
工事中の発掘調査で堤防の下から飛鳥時代の木製の樋などの遺構が発見され、堤防には1400年の改修跡が層になって残っていることが確認されたことから、これらを掘り出して保存・展示するとともに狭山池の歴史や今回の大改修の意義を後世につたえるために狭山池博物館を設置した。

最近思ったんですけど、ランダム情報ってもしかして『ダム』にかけてのダジャレなのかな?(笑)
ちなみに狭山池博物館は水を意識した造りで凄い綺麗な建物でした・・・
飛鳥時代の樋はもしかしたら行基が自ら設置した物かも知れませんね・・・ココでは大蛇退治しなかったのかな?(笑)
白山神社参道 白山神社参道2
コンクリートブロックに囲まれた味気ない参道を進みます・・・こんな所まで民家が押し寄せています・・・
今泉って住んでる人は大変だと思います・・・何もないし・・・大船出るにもバス使わにゃならんし・・・
以前はコンビニが一軒だけあったと思いますが、それも無くなりました・・・

階段を登ると左側には今泉寺があります・・・
今泉寺 今泉寺2
庫裡がありますが、クモの巣が凄いです・・・人居るのかな?・・・右側には道らしき物がありますが御覧のあり様でコチラもクモの巣だらけでとても進む気にはなれませんでした・・・

今泉寺はもともと毘沙門堂の別当寺として建てられた寺で創建時の本尊は出山釈迦如来だったそうです・・・
昭和23年(1948)、山ひとつ向こうの明月院と合併しましたが、昭和57年(1982)に再び分離し現在に至っています・・・
本尊は如意輪観音だそうです・・・明月院と比べてその廃れっぷりが素晴らしいですね・・・
今泉寺3 今泉寺4
本堂の賽銭箱に辿り着く事さえ出来ません・・・昨日今日張ったクモの巣じゃありません・・・まいった・・・
間違いなく鎌倉で啓運寺と1、2を争う廃れっぷりですね・・・凄いな・・・これじゃ人は寄り付かないよ・・・御見事!
白山神社注連縄 白山神社注連縄2
更に階段を登ると社とご対面です・・・モチの木に掛けられた丸太に注連縄が巻き付いています・・・
この神社は毘沙門天に因んでムカデを守護虫としています・・・
この注連縄はそのムカデを模した物で、毎年1月8日に大注連祭という物が執り行われ、氏子衆が編んだ大注連が掲げられその年の豊作と安寧を祈願するそうです・・・
ムカデの脚は12組作られるハズですが11組しかありませんね・・・取れちゃったんでしょうか?
白山神社注連縄3 白山神社注連縄4
まぁ、いわれなければムカデとは思いませんよね・・・巻き方は普通の注連縄と同じみたいです・・・
ここで注連縄豆知識!
注連縄~神の領域を示すしるし~
神社や神棚などに張りめぐらされている注連縄は、そこが立ち入ってはならない神聖な場所、『神域』であることを示すしるしだ。『古事記』には『岩戸から出られた天照大神がふたたびそこへ入ってしまわぬよう尻久米縄(しりくめなわ)を引き渡した』との記述があるが、この尻久米縄こそ注連縄の語源とする説もある。
大根注連、牛蒡注連などいくつか種類があるが、新しい稲藁を左綯いにしてつくるのは同様である。
注連縄には紙垂(しで)を垂らすのが習わしだが、これは縄をより目立たせて、そこから先が聖域であることを知らしめるためとされる。四垂と呼ばれる四つの紙垂の間に、藁を三筋・五筋・七筋ずつ垂らすこともあるが、注連縄を七五三縄と表記するのはこのためである。
(参照:鎌倉の神社小辞典)

立ち入っちゃいけない神域といわれても先に進まないとお参り出来ませんね(笑)
白山神社社殿 白山神社社殿2
祭神は菊理姫之命・・・例祭は9月18日以降の日曜日・・・木造毘沙門天立像は1.8mあるそーです!
緑に囲まれていますが圧迫感はありません・・・中々いい雰囲気の神社だと思います・・・
七五三縄の由来は知りませんでしたが、確かに紙垂の間に藁が垂らしてありますね・・・
白山神社石垣 白山神社石垣2
社の裏側一帯は低い草が覆い尽くしていました・・・その奥には石垣が・・・なんか飛騨の白山神社を彷彿とさせます!
言い過ぎか?・・・近くで良く見てみたかったんですが、こーゆー叢には必ずヘビがいます!
マムシは噛まれたらメンド臭いです・・・見えてればそれ程攻撃的なヘビではないので平気なんですけど、この状況だと気が付いた時は噛まれた時でしょう・・・
残念ですが彼らが冬眠してから再訪した方が良さそうですね・・・
白山神社醍醐塔 白山神社醍醐塔2
怪しい祠へと通じる階段も断念です・・・『醍醐塔』って彫られてる様に見えますがメッチャ気になるなぁ・・・
ジーンズなら強硬突破もアリですけど、今日はハーパンだからなぁ・・・残念・・・
京都の醍醐寺行ったなぁ・・・上醍醐寺まで延々山道歩きましたよ(笑)
上醍醐寺の方に白山権現があった様な気がするけど醍醐、白山って何か関係があるのかな?
まぁいいや・・・醍醐塔じゃないかも知れないし・・・やっぱ冬に再訪しないとダメだなコリャ・・・

醍醐寺も世界遺産に登録されたのはいいけど、拝観料高過ぎでしょ!?
三宝院、伽藍、霊宝館それぞれ¥600って・・・観光で行ったら全部見るだろうし、¥1.500の共通券もあるけどそれでもちょっと高い気がします・・・
五重塔は京都最古の物だし、国宝、文化財の数はハンパじゃないですけど・・・

上醍醐寺¥600かかるし、駐車場代¥700入れたら合計で¥2.800・・・
仮に毎日全部見て回ったら一年間で¥1.022.000かかるぞ!
夢の百万円越えです!・・・ハンターチャーンス!・・・ちょっと古かったかな(笑)
身障者なら無料ですけど・・・そもそも上醍醐寺まで行ける時点で身障者じゃない様な気がします・・・

確かに丸々山一個分とスケールは大きいですけど人の多さにはホトホト参ります・・・一度行けばいいかな?
維持費はかかるだろうけど、確実にそれを上回る収益はあると思います・・・もうちょっと安くして欲しいなぁ(笑)

建物の内部や仏像などの文化財を拝観させて頂くのに金銭を支払うのは分かりますが、山門で入山料を徴取されるシステムの寺は自分的にはどーも納得が行きません・・・信心から本堂で手を合わせたいだけの人もいると思います・・・
入山料と賽銭の二重取りです・・・そして坊主は高級車を乗り回す!
坊主が高級車なんて乗っちゃダメでしょ?・・・もっと慎ましく宗教心溢れる振る舞いを心掛けて頂きたいモンです!

そーいった企業化している寺院は国や自治体が没収し、公共施設として税収目的で運営した方が幾分マシになる様な気がします・・・

神社って何で無料なんでしょ?・・・確かに社の中は神域ですから入れないので維持費とかは寺に比べれば安いでしょうけど・・・宝物館や庭園を見るのに金は掛かりますが基本無料です・・・
神社本庁っていうトップが包括しているからなんでしょうか?
でも戦前みたいに国から補助金等は出てないと思いますし・・・どーやって経営してんでしょうか?
小さい神社で神職一本ってトコはあまりないと思いますが、何にしても大変そうです・・・
鎌倉宮みたいに神社庁に属さず単立宗教法人としてやっているトコもありますけどね・・・
小さいトコは経営が大変そうってのは企業と同じか・・・切ないのぉ~(笑)
白山神社境内 白山神社境内2
普通の神社ですが、あまり圧迫感を感じない理由は社の周りがなだらかな丘陵地帯になっているからだと思います・・・
こういう神社・・・自分は結構好きです!

境内社の子守神社があります・・・新しい社の中は空っぽでした・・・
子守神社 子守神社2
子守神社案内板
訛りから子守神にされてしまったんですね・・・それでも御神徳はあるのかな?(笑)
大仏坂を越えた打越地区にもかつて蔵王権現社と呼ばれ笛田の仏行寺が管理していた子守神社がありますが、あちらの祭神は子守大神でした・・・
白山神社注連縄5 白山神社注連縄6
中々趣のある境内なだけに今泉寺が残念でなりません・・・いくら人が来ないとはいえ、せめて毎日の掃除くらいはして頂きたいと切に願うばかりです・・・掃除は坊さんの基本・・・さすがにクモの巣だらけはマズイでしょ?
ついでに自分の部屋も掃除して頂けると大変助かります(笑)
おしまい
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