ブログ 称名寺タイトル
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今回紹介するのは鎌倉の北の外れに建つ称名寺であります・・・今泉不動の通称の方が聞き馴れた感じがします・・・
この辺で称名寺というと金沢文庫の方が頭に浮かんできますが、こちらの称名寺も見所満載ですよ!
ちょっと辺鄙な場所にあるので中々観光コースには組み込み難い点は否めませんが、それ故に観光客で溢れ返る様な事もなく静かに自然と融合した境内を満喫出来るという利点はあります!

空海の伝説が有名な寺ですが、現在は今泉山一心院称名寺という浄土宗の寺であります!
今泉の地名も、空海がココに残した湧水伝説に因る物らしいですが、文献上の今泉の初見は戦国期の様です・・・
ちょっと怪しいですね(笑)・・・空海から戦国までの間に一度も今泉の地名が出て来なかったなんて・・・

まぁ、伝説ですからね・・・テキトーに流して置きましょう・・・
称名寺入口 称名寺駐車場
この寺へはバスで来るか、車で来るか、もしくはハイキングのついでに訪れるかですが・・・
車で来る際は無料の駐車場がありますので使わせて頂きましょう!・・・ココまでの道は2車線道路ですが、それ程道幅が広い訳でもなく、おまけにバスも通るのでデカイ車だと対向車に気を使います・・・そんなに遭遇しませんけどね(笑)

バスで来る場合はバス停今泉不動で降り、少し歩きます・・・バス停の向かい側に今泉さわやかセンターという訳の分からない建物があり、バスを降りた老人達は皆そこへ吸い込まれて行きます・・・介護施設なのかな?
老人がゾロゾロと・・・さわやかな事してるんでしょうか?(笑)
ヨロヨロとバスを降りて道路を渡っている姿を見ていると、とてもさわやかとは形容し難い・・・
そこまでしてこんな辺鄙なトコまで来るなんて・・・あの中ではどんなさわやかな事が行われているんでしょうか?
称名寺駐車場坂 称名寺新墓苑
坂を登ると左側は綺麗な墓地となっています・・・用の無い方は右へ進みましょう!
称名寺案内板
境内の案内図がありました・・・なんか家族連れのイラストの顔がテキトー過ぎて笑ってしまいました!
陰陽の滝(いんようのたき)っていうんですね・・・今までずっと陰陽の滝(おんみょうの滝)だと思っていました・・・
漢字って本当に困りもんです・・・寺の由緒書きもあります、

称名寺(今泉不動)
今泉山称名寺と号する浄土宗のお寺で、開山は直誉蓮入(じきよれんにゅう)、本尊は来迎阿弥陀三尊です。このお寺は弘法大師の創建と伝えられます。境内には石造の大日如来像、三十六童子像があります。     浄土宗

ココは将軍家や執権も篤い信仰を寄せた場所であると伝わります・・・幕府滅亡後は衰退して行った様です・・・
直誉蓮入
弘法大師は全く別時代の人物なのでご注意を・・・直誉蓮入に関して手持ちの史料にこうあります、

貞享二年(1684)、武州深川の直誉蓮入という僧が江の島弁財天のお告げを受け、この寺で祈祷したところ、石像の大黒天の背負袋から毎朝米がこぼれてきたという。それ以後参詣者が跡を絶たず、蓮入と村人はお礼として不動堂や阿弥陀堂を建立。元禄元年(1693)には増上寺の貞誉大僧正から『今泉山一心院称名寺』の山・寺号を請け、現在の浄土宗寺院としての基礎が確立された。

どーでもいいんですけど石像から出て来た米を食べたんですかね?・・・昔の人って凄いですね・・・
現代人の自分からすると、そんな米は怪しすぎてとてもじゃないけど食べれません(笑)
桃太郎とかも、川に流れてる馬鹿デカイ桃なんて怪し過ぎるじゃないですか!・・・食べようとする心が分かりません!
自分だったら見なかった事にしてそのまま流しときますよ・・・
六地蔵 六地蔵2
ちょっと切通風な入口・・・六地蔵がお出迎えです・・・石碑や石仏が多い寺です・・・
一番左の地蔵菩薩の鼻が・・・ちょっと異彩を放っていますね!・・・デカ過ぎだろ!
鼻高地蔵 鼻高地蔵2
鼻高地蔵と呼ばれているそうです・・・フランス地蔵でも良かったんじゃないすか?
何か間抜けですね・・・スマした顔が更に間抜け感を煽ります・・・何でこうなってしまったのかは知りませんけど・・・
称名寺境内 東屋
東屋があります・・・友人が別荘に雨でもバーベキューが出来る様にと作成した物にそっくりです・・・
雨の日はバーベキューやらんでもいいだろうに(笑)・・・結局雨の日に使ってるの見た事ないです・・・
ホント自分の周りは変人ばっかです・・・
勢至丸像 勢至丸像2
東屋の横には勢至丸の銅像があります・・・この銅像、全く同じ物を他の浄土宗寺院でも良く見かけます・・・
何歳の頃の銅像なんでしょうか?・・・幼い顔で端坐合掌しています・・・
こーゆータイプのガキは意外と腹黒いので注意が必要です!(笑)
勢至丸案内板
台座に勢至丸についての説明があります・・・要は幼い頃の法然であります・・・
随分と立派な父親を持っていた様ですね・・・死の間際に中々いえないセリフだと思います!
何か写真に自分が写り込んじゃってますけど気にしないで下さい(笑)・・・ピカピカに掃除してあったので・・・
庫裡 称名寺本堂
東屋の向かいには庫裡があります・・・庫裡には栄泉の間というのがあって、かつて同じ今泉地区にあった栄泉寺の本尊を祀っているとの事ですが見てみたいですなぁ・・・
【新編相模国風土記稿】に、『本尊弥陀長一尺七寸五分、恵心作と云う』とあります・・・
恵心って恵心僧都源信の事でしょうか?・・・そうだとすると、今泉という狭い地域に
行基
(毘沙門堂)、空海(称名寺)、源信(栄泉寺)という伝説が・・・怪しいなぁ・・・超胡散臭いなぁ(笑)

そして本堂は今年再建されたばかりなのでピッカピカです!
新しい建物とかって何だか新興宗教みたいであまり好きじゃないんですけど、建替えは木造建築の宿命ですね・・・
『一心院』の額が掲げられています!
本堂と弁天堂の間にあるはずのほたる池は見当たりませんでした・・・蛍の養殖池だった様ですけど・・・
阿弥陀聖衆来迎像
本尊の阿弥陀如来さんです・・・豪華ですねぇ・・・阿弥陀聖衆来迎像
絵などではよく見かけますが、これだけの金ピカ像が勢揃いすると圧巻ですね・・・
『南無阿弥陀仏』と唱えるだけで臨終の際にはこのような大所帯で迎えに来てくれるらしいです!
しかしド派手だなぁ・・・ちょっと恥ずかしいかな?・・・自分的にはもう少しそっと迎えに来て欲しいかも・・・
不動堂入口 不動明王
右に下りて行けば滝がありますが、取り敢えず奥の階段を登って不動堂を目指しましょう!・・・階段手前の不動明王は何だか漫画チックな容貌であります・・・以前はもっと摩耗していたんですけど、今回の修復でガッツリと彫り直された様ですね・・・ホノボノしてるなぁ・・・たまにはこーゆーのもアリですね・・・この顔は絶対肉まん好きですよ(笑)
制多迦童子 矜羯羅童子
眷属の制多迦童子矜羯羅童子もホノボノ系です・・・和みますねぇ・・・
制多迦童子は誰に手を振ってんでしょ?・・・不動堂の入口はこんな感じでユル系の石像がお出迎えです・・・
不動堂石段 地蔵菩薩
この鎌倉石で造られた階段は大分すり減っていて結構危険です・・・バランス感覚に乏しい方々は無理せずに中央に設置されたチェーンを掴みましょう!・・・転んでからでは遅いですから・・・
地蔵菩薩2 不動堂石段2
左に90度曲がり階段は続きます・・・途中右側には地蔵やら観音やらがいらっしゃいますが、気を取られて足元がおろそかにならない様に注意しましょう!・・・苔も生えてて滑りやすくなっています!
今泉不動 おかめと三猿
階段を登り切ると不動堂に到着であります・・・堂手前の石段にはおかめ三猿の石像が・・・
なんでおかめがいるんだろ?・・・
おかめ
ってブスの代名詞みたいな感じですけど、そのモデルは日本最古のダンサーともいわれる天宇受賣命(アメノウズメノミコト)らしいです・・・芸能の神様です!・・・猿田彦の奥さんともいわれていますね!

天照大神が岩戸に隠れた時に、パイオツとアソコを丸出しにしたエロエロダンスで神々の笑いを取り、天照大神に岩戸を開けさせる事に成功しています・・・また、天孫(邇邇芸命、天照大神の孫です)降臨の際も猿田彦の名前を聞き出す為に、パイオツとアソコを丸出しにしていたと思います・・・何故に脱ぐ!?
岩戸神楽乃起顕
岩戸神楽乃起顕(画:三代目歌川豊国)
アレ?・・・真ん中にいるのが天宇受賣命ですが、この絵では脱いでませんね?・・・メッチャ厚着!規制か?(笑)
しかし、シモで笑いを取るなんて芸人の風上にも置けませんね!・・・つ~かただの変態でしょ?
現代社会ではこーゆー輩を露出狂といいます・・・警察に捕まりますよぉ!

絵の中にニワトリがいます・・・このニワトリの止まり木が鳥居の起源だという説があります!
と、いってみましたが、この絵には止まり木が描かれていませんでしたね(笑)
何だかケンタが食べたくなって来ました・・・しかし鳥居の起源がニワトリかよぉ~・・・もっとカッコイイ鳥がいいなぁ・・・
三十六童子 三十六童子2
 不動堂の右奥には三十六童子像があります・・・これだけ石仏が並んでいると一瞬無縁仏かと思ってしまいますが、手前にはちゃんと石碑も建っています!
三十六童子3 三十六童子4
お地蔵様が並んでいるのとは違います・・・一体一体が変化に富んでいてオモシロイです!
中々見れる物ではないのでじっくりと鑑賞しましょう!・・・イイ時間潰しになります!
三十六童子5 三十六童子6
少し上には制多迦童子矜羯羅童子が控えております・・・
三十六童子7 大日如来
そして最上部には大日如来がいらっしゃいますが立入禁止・・・以前は上まで行けたと思いますが階段もヤバイ感じになっていますし、確かに危険かもしれません・・・大日如来は密教系の最高仏に位置付けられています!
他の如来とは一線を画し、悟りを得ているにも関わらずゴテゴテとした装飾品を身に付けています!
スーパースターですから何でも許されるんでしょう・・・

不動明王大日如来の化身ともいわれています!
不動堂裏 不動堂石段3
鐘撞堂への遊歩道入口にはフェンスが築かれ進入禁止の札が掲げられています・・・イイ感じの道なのに残念!
仕方ないので来た道を戻り滝へ向かいましょう!
階段はホントに滑りやすいので気を付けましょう・・・転んで大怪我なんて恥ずかし過ぎます!
何よりヘタしたら事故防止の為に不動堂が一般拝観不可になってしまうかもしれません!
陰陽の瀧 陰陽之瀧7
階段を下ってすぐ左に陰陽之瀧の道標が建っています・・・下りましょう!
ココは大雨の際に川へ流れる水量を調節する為のスペースらしいです・・・
陰陽之瀧8 陰陽の瀧2
滝の手前左側のやぐら内には石仏が何体か安置されています・・・
陰陽の瀧3 陰陽の瀧4
不動明王が溶けてます・・・パッと見ミイラみたいです・・・何かみすぼらしいなぁ・・・迫力に欠けます・・・
もう少し肉が付いてた方がいいですね・・・階段手前に居たヤツに肉まん分けて貰えばいいのに(笑)
陰陽の瀧5 陰陽の瀧6
更に階段があるので下りましょう・・・正面にはお不動様がいらっしゃいます・・・
顔以外は苔まみれで中々雰囲気あります・・・ん~マイナスイオンに満ちた空間です!
女滝 男滝
陰陽之瀧に到着であります!・・・向かって左側が女滝、右側が男滝といいます・・・
やっぱ滝には流れ落ちる水の音が無いとねぇ・・・
こんなんでも一応滝ですから、その雰囲気を存分に味わいたいもんですよねぇ・・・
一応動画も埋め込んで置きますね!
荘厳さや雄大さは皆無ですけどね(笑)
【新編鎌倉志】を見てみましょう!
【不動堂】(附男瀧 女瀧)
不動堂は今泉村の内にあり。今泉山と額あり。
不動の石像弘法の作と云ふ。堂の向ふに瀧あり。
高さ一丈計あり。南北に相ひ向て落つ。南を男瀧と云、北を女瀧と云ふ。寺號は圓宗寺と云ふ。今八宗兼学也。
弘仁9年(818年)頃、弘法大師はココが神仙の棲む金仙山ということを悟り訪れたそうです・・・
すると忽然と顕われた白髪の男女の仙人に、不動明王を彫り密学教場を開くように命じられたそうです・・・
大師は不動明王大黒天の像を彫ったらしいです・・・
再び現れた仙人は、この地は水が少ないので不動明王にお願いしろと告げました・・・
大師が岩肌に2つの穴を穿ち、3日間祈祷すると水が湧き出して2本の滝となったと伝わっています!

これが現在の男滝女滝で、ココ今泉の地名の由来にもなっています・・・
でも水源はココではなく、少し上の住宅地の方にあります!(笑)
すぐ上にあるゴルフ場の農薬とかも流れ出しているかもしれませんね・・・そんな事を考えると情緒が失われます・・・

当時は八宗兼学で圓宋寺という寺だった様ですね・・・このすぐ後に称名寺と改号されたわけですね!

【新編鎌倉志】巻之八の『稱名寺』は金沢文庫の方の寺なのでお間違いなき様に・・・
鐘撞堂への道 鐘撞堂への道2
先程の不動堂からの遊歩道入口は通行止めになっていましたので、墓地にある反対側の入口から攻めてみる事にしました・・・が、・・・ご覧の通りコチラ側も通行止めとなっておりました・・・残念!
どーやら鐘撞堂へは行けない様ですね・・・どんな眺望が臨めるのか多少興味があったので重ねて残念!

まぁ、陰陽の瀧は見れた事ですし、良しとして置きましょう!・・・ショボイけど(笑)
鎌倉で滝が見れるだけでも有り難いと思わないといけませんかねぇ?
他は朝夷奈切通三郎の滝しかないし・・・以前は音無の滝ってのもあった様ですが宅地造成で消えたそうです!

【音無瀧】
音無瀧は針磨橋を渡り七里濱へ出れば、右の方沙山の松陰を廻り傳つて落る瀧なり。沙山なるゆへに常に水音もせず。故に名つく。

と、【新編鎌倉志】に紹介されています・・・砂山で水の音がしなかったので名付いたとありますね・・・
場所は同書の絵図によると日蓮袈裟掛松の真東に描かれています・・・
でも日蓮袈裟掛松の説明は音無瀧の少し南側とあります・・・場所の特定は難しそうです・・・

音無川は現在ほとんどが暗渠となっていますがちゃんと流れています!
江ノ電の稲村ヶ崎駅近くに海菜寺という人気しゃぶしゃぶ店があるんですけど、その店の手前に音無橋が架かっています・・・親柱には『大正十三年二月成』と刻まれています・・・関東大震災の半年後くらいに架けられた様ですね!
名前とは裏腹にバシャバシャと水の音が響きます!・・・橋の上流側にちょっと段差があって、上から下へと水が流れています・・・音源はコレです!・・・でもこれは音無の滝ではありませんよ!
これを滝だといってしまったらなんでもアリになってしまいます(笑)

【鎌倉の地名由来辞典】の音無川の項を見てみましょう・・・

江ノ電稲村ヶ崎駅の北、聖福寺ヶ谷を水源とし、七里ヶ浜に注ぐ川。全長約九百メートル。『鎌倉志』は源流近くの滝は砂山のため水音がしないことから『音無滝』と名付けたといい、川名はこれに因んだもの。しかし、『社務記録』に聖福寺新熊野とあり、『極楽寺境内絵図』の境内東方に熊野新宮、西方に熊野那智社・御手洗滝池が描かれていて、この一帯が熊野信仰との関わりがあることから、川は紀伊熊野本宮大社近くの音無川(大斎原)に見立てたものか。
この場合音無は忌みごもりの潔斎と慎みを意味する。地元では近年まで滝を那智滝と称していた。川は無音滝川(極楽寺村絵図)、勝福寺谷川(浦賀道見取絵図)ともいい、田地四町歩の感慨に供した(皇国地誌)。
大正大震災で下流に架かる音無橋は流出(震災誌)。現在上流は宅造され、川の半ばが暗渠となっている。

う~んなんか壮大な話になって来てしまいましたね・・・熊野本宮大社ですか!
行ったなぁ・・・もっともダム巡りのついでにですけどね(笑)
猿谷ダムから七川ダムへ向かう長い道のりの途中でした・・・谷瀬の吊橋が前年に訪れた夢想吊橋に比べて遙かに劣っていたのでスルー・・・
少し残念な気持ちで車を走らせ、ちょうど腹が減った場所が熊野本宮大社でした(笑)
以前から歴史を感じさせる屋根には興味があったので、メシ休憩がてらに寄ってみる事にしました!

世界遺産効果で混んでるかなぁと思いましたが、周辺はさほどでもなく肩すかしを喰らった思い出があります・・・
メシをたらふく食っていざ参ろうと思ったらなんと、『境内写真撮影禁止』とな!
自分が一番許せないパターンです・・・バリバリ観光誘致してる癖に、神域だなんだいって写真は撮らせないってヤツ!
撮影には許可が必要ってのも意味が分かりません!・・・誰の許可やねん!・・・貴様のか?神様のか?
スナップくらいならいいべや?なんだかんだ理由付けるならいっその事、一般参詣不可にしてしまった方がいいです!
それなら自分も納得です・・・まさに神域になるんじゃないでしょうかね?

つ~訳で腹が立ったので結局お参りはせずに大斎原(おおゆのはら)の日本一デカイ鳥居だけ見てさっさと旅を続けました・・・時間がもったいない・・・七川ダムへGO!みたいな感じでした(笑)
最近ついに熊野本宮大社の屋根も修繕されてしまったらしいので、もう当分行く事もないでしょう・・・
取り敢えず恒例のダムカード紹介を・・・
猿谷ダム 七川ダム
猿谷ダム(さるたにダム) 七川ダム(しちかわダム)
所在地 (左岸)奈良県五條市大塔町辻堂 所在地 和歌山県東牟婁郡古座川町佐田 
  (右岸)奈良県五條市大塔町猿谷  
河川名 新宮川水系熊野川 河川名 古座川水系古座川
型式 重力式コンクリートダム 型式 重力式コンクリートダム 
ゲート 2段式ローラーゲート×4門 ゲート クレストローラーゲート×2門
  コンジットゲート×1門   コンジットゲート×1門
堤高・堤頂長 74m・170m 堤高・堤頂長 58.5m・154.0m
総貯水容量 2.330万立方m 総貯水容量 3.080万立方m
管理者 国土交通省  管理者 和歌山県
本体着工/完成 1950/1958 本体着工/完成 1953/1956
ランダム情報 慢性的な水不足で悩まされていた大和・紀伊平野への灌漑用水補給のため、戦後まもなく十津川・紀の川総合開発事業の一環として熊野川(十津川)に建設された。 ランダム情報 古座川流域は年間雨量3.500mmという最多雨地帯であり、過去から毎年のように受けてきた水害対策として七川総合開発事業として建設された。
こだわり技術 国土交通省直轄ダムでは極めて珍しい洪水調整機能を持たない利水専用ダムである。(猿谷ダム以外では北海道開発局の芦別ダムしかない。) こだわり技術 洪水調節と発電を目的とした県下初の多目的ダムである。ダム湖畔は桜の名所として知られ、ソメイヨシノが約3.000本あり、4月上旬には桜まつりが行なわれる。
ダムカードについて最近思います・・・
こだわり技術の項目ですが、無いなら無理して書かなくてもいいのでは?
そんな都合よく全てのダムで特筆すべき技術がある訳無いですし・・・
七川ダムの説明なんか、どの辺がこだわり技術なのか意味不明です?(笑)

大分話が脱線してしまいましたねぇ・・・しかし奈良の林道は結構酷かったなぁ・・・

音無の滝に話を戻しまして、【皇国地誌】によると、
『二段に奔下し上段は高さ七尺幅二尺、下段は幅は同じで高さ一丈二尺あった』

と、結構デカイじゃないですか!・・・2段合わせて落差6m弱ってトコでしょうか・・・鎌倉では一番の落差ですね!
宅地造成で無くなってしまったなんて・・・ホントにもったいない話です・・・
行き止まり 再び称名寺に戻りまして・・・
これが砂押川ハイキングコースへの入口でしょうか?
下の竹林には川に架かる橋もありましたが、放置され使われている様子はありませんでした・・・

多分散在ヶ池天園へと繋がっているんでしょうけど既に廃道なんでしょうか?
旧墓地の所から川まで降りて行けますが今回は検証する気にはなりませんでした・・・疲れました(笑)
ココから自宅までチャリで山3つ超えないといけませんので、残り体力を考えるとちょっと厳しい状況です・・・
また今度のお楽しみにして置きましょう!
そーいえばトイレチェックしてなかったな・・・旧墓地にトイレがあるので見て置きましょう!
旧墓地 トイレ
本堂の向かいの坂を下ると旧墓地へ出ます・・・左は墓地スペース、右にはトイレがあります!
まぁ、よくありがちなトイレです・・・
トイレ2 トイレ3
しかしコレが凄かった・・・ドアを閉めると真っ暗なんです!・・・なんも見えないんですよ!
ランタン型のライトが置いてありましたが電池は切れていました・・・用を足すにはドアを開けて置かないと(笑)
本堂をあんなにキレイにしたんだからココも電気くらい通しても良かったんじゃないか?
そこそこキレイなトイレだったのでちょっと残念です・・・

『鎌倉の 北の外れの 称名寺』・・・如何だったでしょうか?
中々野趣あふれる境内で見所もあると思います・・・もうひとつの称名寺の見事な浄土式庭園に飽きたらココへ来て感慨に耽るのもいいと思います・・・

おまけ


称名寺から大船方面へと戻り、白山神社前交差点を左折して住宅地方面へ道なりに坂を登って行くと、鋭角坂の手前右側にあるのが金仙地蔵尊であります!
金仙地蔵尊 金仙地蔵尊2
一瞬ただの民家かと思ってしまいますが、表札には金仙地蔵尊の文字があります・・・
今泉の前の地名を冠した地蔵菩薩ですからさぞや歴史の詰まった物に違いない!
これは期待感を煽られちゃいますよね・・・
金仙地蔵尊3 金仙地蔵尊4
『洗心庵』と書かれた額があります・・・ココで地蔵講が開かれるんでしょうか?
ショボイ町内会館みたいですね・・・まぁ、ドコもこんなもんか(笑)
金仙地蔵尊5
金仙地蔵尊慈現菩薩縁起なる石碑が建っていました・・・今度は自分が写り込まない様にっと(笑)
何か期待していた内容とは少し違う様な・・・メッチャ新しい物件の様ですね・・・
掘り出された地蔵菩薩が古い物である事に最後の望みをかけましょう!

今泉山を往昔金仙山と称した事に因んで金仙地蔵尊慈現菩薩と名付けられたといっていますが、掘り出された場所であるココは今泉山なんでしょうか?・・・ちょっと違う気もするんですけど(笑)
金仙地蔵尊6 金仙地蔵尊7
地蔵菩薩には明治廿二年(1889)の銘が刻まれていました・・・新しいですね・・・ガッカリ・・・
ちょうど横須賀線が開通して鎌倉駅が出来た年と同じです・・・

もっと詳しい情報はないかと調べていたら、今泉台町内会のHPにこの地蔵についての記述がありました・・・

<金仙地蔵講の由来>
昭和40年のことです。この地、今泉台を宅地造成していたときに、現在の地蔵前バス停留所付近から一体のお地蔵さんが出土しました。近くの称名寺(別名、今泉不動)に一時仮安置され、翌年昭和41年4月14日に出土場所近くに設けられた境内敷地に祀られました。この地の昔の地名である金仙山から当時の称名寺成実一雄住職が「金仙地蔵尊慈眼菩薩」と命名しました。

昭和51年、今泉台町内会初代会長石田一夫氏を筆頭に町内会役員全員が発起人となり現在の維持管理団体「北鎌倉地蔵講」(現在会員22名)が設立され、現在1丁目在住の輿水宏さんが平成15年以来5代目の世話人代表として地蔵尊の維持管理に当たられています。

地蔵尊の例会は毎年2回行われ、8月24日の例大祭には盆踊り、出店、お囃子など、12月23日の納めの会にはお餅つきが行われ、大勢の町民で賑わいます。特に、お餅つきは子供を守るお地蔵さんの供養として町内の3子供会のお母さん達が総出でお手伝い致します。

今泉台の宅地造成当初に土の中から掘り出されたお地蔵さんは町内のすべての住民が健康で幸福な生活が出来ますようにとの願いを込めて、毎日沿道を行き交う人々を見守っています。

結局掘り出される前の由緒などは分かっていない様ですね・・・明治二十二年(1889)に造られた物ですから、土地の老翁達なら何らかの情報を持っていてもおかしくは無いと思うんですけど・・・
そもそも出土したこんな小さな石仏ひとつを何でココまでして祀ったのか?・・・その経緯が知りたいです!

この金仙地蔵が祀られた昭和41年(1966)といえば古都保存法が制定された年・・・開発に対する地域住民の風当たりを少しでも和らげたい思いから・・・なんてね(笑)

しかしこんな奥地で出店まで出る賑わいを見せていたとは・・・今度様子を見に行って見ようかな?
何にしても金仙地蔵は地域住民から篤く信仰されているみたいですね・・・
もし銘がなかったら弘法大師が彫った事にされていた事でしょう!(笑)

おしまい
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