鎌倉の隠れた名所ってゆーんでしょうか・・・眺望が素晴らしいのに誰も来ない・・・
今回紹介する仏法寺跡もそんな場所のひとつであります!
とにかく気持ちのイイ場所なんです!・・・詳しい説明などは後回しにして取り敢えず行ってみましょう! |
|
|
江ノ電の極楽寺駅改札を出た道向かいには、上の写真の様に階段があります!
テクテクと上って行った先は墓地となっています・・・行き止まりかぁ・・・なんて諦めないで下さい! |
|
|
墓地の南西端にある岩澤さん家の墓・・・その裏側にある獣道の様な物を見逃さないで下さい!
そこが仏法寺跡への入口です!・・・初っ端から結構な急傾斜ですが、道程はさほど長くはないので頑張りましょう! |
|
|
ハイキングコースではないので道は結構荒れています・・・最初の内はまだいいですが、徐々に酷くなります・・・
ちなみにこのページで使っている写真は今年の2月1日に訪れた時の物です・・・
寒風吹き荒び、春の訪れもまだ遠い季節の話です・・・夏ともなれば草木の繁茂も勢いを増し、道を視認する事も困難な箇所が多々あると思います!・・・行かれる場合は、くれぐれも迷わない様に注意しましょう!
行きよりも帰りの方が迷い易いです・・・自分も左に曲がる所を直進してしまいました・・・
狭い区域ですから遭難する事は無いと思いますが、足を踏み外したりなんかしたら大変です!
最悪、死もあり得ますから、その辺は自己責任で細心の注意を払いつつ進みましょう!
所々に目印になるビニールテープが木に巻き付けられていますんで、それも活用するといいかも知れません・・・ |
|
|
ひとつめのピークを上り切るとこんな感じになっています・・・位置的にはちょうど成就院の裏側あたりですね・・・
左には急傾斜で下って行く道(?)がありますが、落ち葉がかなり積もっていて滑って危険です!
仏法寺跡へは右へと続く道を進みましょう!
この海へと続く丘陵地帯の先っぽは『霊山ヶ崎』と呼ばれています・・・現在の国道134号が出来るまでは『稲村ヶ崎』と繋がっていたんでしょうね・・・てゆーか繋がっていました・・・
繋がってなければ新田義貞の伝説も生まれなかった事でしょう・・・
ココには『五合枡遺跡』と呼ばれている物があります・・・階段状に枡状遺跡がいくつか存在しているんですが、今回は笹の繁茂が激しくて判別不可能だったので写真は割愛させて頂きます・・・
塚もあるんですが、草に埋もれてしまっていました・・・
平成14年(2002)に鎌倉市教育委員会による発掘調査が実施されて様々な発見があった様です・・・
詳しくは【五合枡遺跡(仏法寺跡)発掘調査報告書】がありますので、興味のある方は一読してみるといいかもです!
発掘調査後しばらくしてから訪れた時は、当然ですが草も綺麗に刈り取られていて凄い見易かったんですけどねぇ・・・ |
|
|
この山は『霊山山、霊仙山、霊鷲山』等と呼ばれています・・・かつては極楽寺の境内で、その支院がいくつか建っていた様です・・・平場といえるかどーか微妙な物を発見する度に、ココに建っていたのかな?・・・などど過去のロマンに浸りつつ山道を進みます(笑)
極楽寺の山号は『霊鷲山』です・・・霊鷲山感応院極楽寺!
【警鐘50選③】のページでもいいましたが、現在、稲村ヶ崎にあるローベルト・コッホ碑は、もともとはこの霊山ヶ崎にあったのを移動した物です・・・現在ココには人目に触れる事なく小さな移動記念碑が残されていますが、これもまた笹の中に埋もれてしまっていました・・・暇な人は是非見つけてあげましょう!(笑) |
|
|
同じ様な景色にいい加減ウンザリして来ますが、所々に咲いているヤブツバキの赤に救われます・・・
毛虫が嫌いな自分は山道を歩く時は、基本冬が多いので良く目にする花です!
自分は花を愛でるタイプの人間ではないので、写真を撮ろうとはまで思いませんけどね・・・ |
|
|
難所です!・・・写真では分かり難いですが、結構な斜度があります・・・ロープがあるので使わせて貰いましょう!
ココを越えれば目的地までは下って行くだけです・・・ファイト! |
|
|
道なのかそーでないのか・・・よく分からん場所もありますが、とにかく笹を掻き分けて南に進みましょう!
その内に着きます・・・もーすぐ見えて来ると思いますよ! |
|
|
しかしコリャ夏場は厳しそーですね・・・この季節でもこんな状態じゃ想像もしたくないですね・・・
なんていってる内に下方に平場が見えて来ました!・・・定期的に草刈りを行っていると思われますね・・・
枯れて黄金色になった草で一面覆われています!・・・以前に訪れた時は草なんて生えてもいなかったのに・・・ |
|
|
平場へと続く最後の急な下りにもロープが張られていました・・・今回、一応ザイルを持って来ていたんですが、使う機会はありませんでした・・・誰だか知りませんがロープ張り御苦労様でした!
海です!・・・鎌倉湾が見えます!・・・別にそれほど疲れてませんが、疲れがぶっ飛びます!(笑) |
|
|
さぁ、仏法寺跡に到着です!・・・平場はこんな感じで枯草が腰のあたりまで堆積しています・・・ |
|
|
でも、どーせなら先っぽから鎌倉湾を見下ろしたいですよね・・・相当気持ちいいハズです!
意を決して進みます・・・この先は崖になっているので一歩一歩慎重に! |
|
いやぁー・・・景色独り占めです!・・・これは気持ちイイです・・・そーとしか表現出来ません・・・ |
|
向かい側には逗子マリーナが見えます・・・ちょっとガスってるけど天気もそこそこいいし最高!
ローベルト・コッホがこの眺めを気に入っていたという話にも納得です!
もともとココには公園があったそーですが、関東大震災の被害を受け、そのまま放置されているんだそーです・・・
もったいない・・・是非とも再興して欲しいモンですね!
ただ、現在ココから眺める事が出来るのは東側だけです・・・南側と西側は草木の繁茂が凄くて何も見えません・・・
まぁ、一番イイのは稲村ヶ崎の頂上に展望台を設置する事かと思いますけど・・・ |
|
一応動画も貼って置きますね!
平場の雰囲気とかは動画の方が分かり易いと思います!
相変わらず手ブレが酷いですが、安物のデジカメで撮っていますんで御容赦下さいまし・・・
何度もいいますがホントに気持ちイイ場所です!
東屋でもあれば嬉しいんですけどね・・・
当然ですがそーいった設備は皆無です・・・
まぁ、そのかわりに人が来ないんで、ゆっくり出来ます! |
国道134号を走っていると分かると思いますが、この下からは白いガードレールの道が続いていて尾根を通り越して反対側の住宅地へと続いています・・・しかし、車では通り抜け出来ませんのであしからず・・・
白いガードレールの道からも似た様な景色を眺める事は出来ますが、やはりこの平場から眺めたいモンです!
階段でも造って道を繋げてくれれば、かなりアクセスが楽になると思うんですけどねぇ・・・
でもそれじゃぁ人が来るか・・・やはり、多少の苦労に対するご褒美と考えといた方がいいのかな・・・ |
|
発掘調査時の忘れ物でしょうか?
それにしては新しいなぁ・・・何が入っているんでしょうか?
凄い興味をそそられましたが、何かとんでもない物が入っていたら怖いのでそのままにして置きました・・・
ほとんど人も来ない様な場所に放置された箱・・・
皆さんならどーします?・・・開けます?
メッチャ怖いっすよぉ・・・でも¥3.000万くらい入ってる可能性も無いとはいえません! |
悩むぜぇ・・・でも何だかんだ言って結局カラッポだったりするんですよね・・・誰か開けて来て(笑) |
|
|
平場の一画には、何かがあったんだろうなぁと思わせる場所があります・・・
五輪塔と宝篋印塔(寄せ集め)が並んでいて、その手前にちょっとした空間が広がっています・・・
以前訪れた時と塔の並びは変わっている様ですが、場所は同じです・・・ココ結構重要な場所なんです!
発掘調査の結果、現在は枯れてしまってますが池の跡である事が判明しています!
ちょっと【極楽寺境内絵図】(極楽寺所蔵)を見てみましょう! |
|
見ているだけで極楽寺が凄い勢力を持っていた事が分かります・・・忍性の政治的手腕のなせる業ともいえますね!
地図の上側が北であると記されていますが、ちょっとおかしいですね・・・上側は西だと思います!
地図に記されている物件の位置関係は概ね合っていますが方位だけは間違っていますね・・・
まぁ、昔の絵図ですから細かい事は気にせずにテキトーに流して置きましょうか・・・
字が潰れてしまったので書き込ませて頂きましたが、下部に『佛法寺』の文字が見えます!
そして傍らには『請雨池』の文字も・・・そう、この請雨池とは先程の五輪塔が並ぶ池跡の事なんです!
発掘調査の折にこの池跡からは大量の柿経が出土したそーです!
忍性と日蓮の雨乞い対決はご存知でしょうか?・・・その際に忍性はこの請雨池に於いて祈祷を行ったそーです!
文永8年(1271)6月18日、大干ばつに見舞われた為に執権北条時宗は良寛坊(忍性)に請雨の祈祷を命じました・・・
それを聞きつけた日蓮は、
『七日以内に雨を降らせる事が出来たなら自分は忍性の弟子になろう・・・ただし出来なければ法華経を信じなさい』
と、使いを送って挑発したんです・・・で、忍性は弟子百二十余人を引き連れて祈祷を始めました・・・
4、5日経っても雨は降らず、焦った忍性は更に多宝寺(この寺については泉ノ井のページを参照して下さい)の弟子数百人を呼んで祈祷を続けましたが、結局雨を降らす事は出来ませんでした・・・
この辺の事は【頼基陳情】に詳しいです!
四条金吾(頼基)は名越光時に仕えた人物で、熱心な日蓮信者として知られています!
ちなみに彼の屋敷跡には収玄寺という日蓮宗の小さな寺が建っていますよ・・・
江ノ電の長谷駅近くにある寺ですが、長谷寺や大仏へ向かう人は多いですが、そのついでにこの寺を見て行こうと考える人は少ない様で、多くの観光客が門前を素通りしています・・・
恐らく鎌倉で一番スルーされている寺ではないでしょうか?(笑)・・・人通りは多いのにねぇ・・・
まぁ、実際見ドコロも無いんですけどね・・・東郷平八郎の筆による『四条金吾邸址』の馬鹿デカイ石碑があるだけです!
さて、日蓮は15日目に銅像でお馴染みの法華経を片手に持ったスタイルで田辺ヶ池の畔で祈祷を始めます!
法華経の三ノ巻を読経している時に1枚の経木を池に投げ入れました・・・
四ノ巻では池の中央に霧が立ち上ります・・・五ノ巻では風が吹き、雷も鳴り出します・・・
そして六ノ巻ではとうとう大粒の雨が降り出し法華経の大合唱が始まりました!
この雨は三日三晩降り続いたとの事です・・・日蓮の完全勝利ですね!
でも良く考えてみると、日蓮の出自は小湊の漁師の息子といわれていますし、ある程度天候を読み取る能力を有していたとは考えられませんかねぇ?・・・漁師って天気に敏感じゃん?
日蓮は、
『雨を降らす様な簡単な事も出来ないで、どーして難事の往生成仏を説く事が出来よーか?・・・私に対する邪見を改めるなら雨を降らす方法と仏になる方法を教えよう!』
と、忍性に伝えましたが、忍性は約束を守るどころか日蓮に対する悪口讒言を要人に吹聴して回りましたとさ・・・
まぁ、【頼基陳情】は熱狂的な日蓮信者が書いた物ですから、全てを信じるには足りませんよね・・・
結果として忍性達の讒言(?)で同年の9月10日、日蓮は評定所に呼び出され、平頼綱の尋問を受ける事になりますが、ココでも強気の発言をして怒りを買い、松葉ヶ谷の草庵を襲撃(松葉ヶ谷法難(1260)とは違います)されます・・・
その際日蓮は奪い取られた法華経の五ノ巻で頭を3発叩かれたそーです(笑)
その後は市中引き回しの上、御存じ竜口法難ですね・・・そして佐渡へ・・・ホントに波乱万丈な人生ですね(笑)
【新編鎌倉志】を見てみましょう!
【霊山崎】 霊山崎は稻村東南の出崎也。昔は極楽寺の境内なり。極楽寺を霊山と號す。故に此崎をも名く。 亦此處に佛法寺とて忍性住せし寺ありしとなり。忍性御教書を承て雨を祈りしも此の所也。日蓮も此所にて雨を祈る。法華の経文を板に書て流す。今其板往々に蔵す者ありと云ふ。
日蓮も霊山ヶ崎で雨乞いの祈祷を行ったと記してますね・・・一般的には日蓮が祈祷を行ったのは田辺ヶ池ですけど、どーなんでしょう?・・・田辺ヶ池がある場所は霊山ヶ崎ではありません!
まぁ、それは後に置いといて、文化遺産オンラインで仏法寺跡を調べてみました・・・
仏法寺跡
仏法寺跡は、神奈川県南東部に位置し、鎌倉市中央部の西側山稜部に所在する、西大寺流律宗極楽寺の13世紀後半から17世紀中頃の有力末寺の寺院跡である。北西側は谷を挟んで極楽寺に続き、北側には極楽寺坂が通っている。極楽寺忍性は13世紀後半に極楽寺坂を開削し、仏法寺に住して請雨法を修したと伝えられている。仏法寺跡の山稜は、地元では霊鷲山、霊山と呼ばれており、江戸前期頃の「極楽寺境内絵図」には霊山の山頂付近に仏法寺と請雨池が描かれている。元弘3年(1333)の鎌倉攻め関係史料には「鎌倉霊山寺」とあり、一帯は激戦地の一つであった。鎌倉市教育委員会の発掘調査により、山頂部付近で葬地、供養遺構を、平場で礎石建物堂舎跡、池跡等を検出した。13世紀後半から16世紀のかわらけ、陶磁器、石塔類、火葬骨等が出土し、池跡からは柿経等も出土した。
極楽寺の寺伝では、明暦3年(1657)に仏法寺の建物を移築して極楽寺の方丈にしたという。仏法寺跡は、鎌倉幕府、北条氏の支援のもとで陸上・海上交通を支配した極楽寺の有力末寺の寺院跡で、元弘の鎌倉攻めの激戦地の一つでもあり、都市周縁部の葬送、供養関係の遺構も良好に残されており、我が国の歴史を考える上で重要である。
確かに五合枡遺跡などを見ても、ココが鎌倉入口の要衝の地であった事は疑い様もありませんね・・・
下の様子が良く見えますし、ひとたび戦となれば眼下の敵に矢を放つ事も容易だった事でしょう・・・
|
|
|
仏法寺跡は史跡登録されており、世界遺産登録申請時も極楽寺の構成資産として位置付けられていました・・・
鎌倉のマイナースポットである事は間違いないんですが、そーいった面も持ち合わせています・・・
とにかくココまで来るのに難儀しますね・・・道が荒れてる?・・・確かにそれもありますが、 |
|
|
平場を歩くとこーなります(笑)・・・アメリカセンダングサ(細長いの)とイノコヅチ(丸っこいの)ですね・・・
フリースにもズボンにもビッシリと・・・取るの大変でした・・・これでオナモミも付いてたら3冠達成でしたね!
家帰ったらニット帽にもいっぱい付いてました・・・帽子までは気が回らなかったです・・・
恥ずかしい・・・帰り道コンビニ寄らなければ良かった・・・あぁ恥ずかしい・・・
今回通った道以外にも仏法寺跡へ続く道はありますが、とてもじゃないけど通れる状態ではありませんでした・・・
仏法寺の事は【鎌倉市史社寺編】の極楽寺の項に載っています・・・詳しく知りたい方読んで見て下さい(笑)
それと通説では『仏法寺=霊山寺』の方程式が成り立っていますよ・・・
仏法寺跡・・・いかがでしたか?・・・服が汚れてもいいって方にはお勧めのスポットです!
素晴らしい景色が貴方を迎えてくれます!(笑)・・・それだけは保障します! |
|
服に付いた種を必死に取っている時の事です・・・
何かガサガサと獣が近付いてくる様な音がしました!
野良猫かなと思いつつも近くの木の陰に隠れて、いきなり飛び出して驚かせてやろうと様子を覗っていたらなんと、
タヌキでした!
日中、鎌倉でタヌキと遭遇したのは初めてです!
彼等は基本夜行性ですからね・・・ |
驚いた猫の動画を撮ろうと思っていたら、意外な物(タヌキ)が撮れてしまいました・・・中々貴重な体験でした(笑) |
より大きな地図で 仏法寺跡 を表示 |
|
おまけ
|
忍性が日蓮との雨乞い対決の際に祈祷場所として使った請雨池(あまごいのいけ)を紹介したので、ついでに日蓮が祈祷場所として使った田辺ヶ池も紹介させて頂こうと思います!
上のマップを見て頂ければ分かると思いますが、霊山ヶ崎からは結構離れています・・・
【新編鎌倉志】には、日蓮も霊山ヶ崎で雨乞いの祈祷を行ったといっていましたが実際どーなんでしょーかね? |
|
取り敢えず現地へと行ってみましょう!
田辺ヶ池は霊光寺という日蓮宗の寺にあります!
結構分かり難い場所に建っている寺です・・・
まぁ、マップで確認してください!
入口が分かり難いんですよねぇ・・・
この道は国道134号線が混んでる時はバイクで良く通った抜け道です・・・
道幅が狭いので車では通りたくないですけどね・・・ |
上の写真の矢印方向が寺への入口になります・・・案内とか無いので注意です!
あるといえばあるんですけどね・・・奥まった所に『日蓮聖人雨乞霊跡道』と刻まれた石柱が・・・
分かり難い上に手前が資材置き場になっていて、いつもトラックが止まっているので発見は困難です・・・
田辺ヶ池は矢印方向に右折せずに直進した所からも見えるので、取り敢えずそっちから見てみましょうか! |
|
|
|
こんな感じです・・・
数年前までは荒れ果てていましたが、整備の結果、現在の姿へと生まれ変わりました!
池の西側の平場は、何となく仏法寺跡と雰囲気が似てますね(笑)
かつてはココも池だったって話です・・・
田辺ヶ池は先程の【極楽寺境内絵図】には『田那谷龍池』と表記されていました・・・ |
明治の終わり頃、この池跡から江戸講中が建てた『日蓮大菩薩祈雨旧跡地』(享保20年(1735)銘)と刻まれた石塔が掘り出され、本堂と日蓮像が建立されたのがこの霊光寺の始まりとされています・・・
そして日蓮の霊跡を守るために昭和32年(1957)に山号と寺号を受けて龍王山霊光寺となりました!
てー訳で、寺自体の歴史はまだまだ浅いんです・・・ |
|
|
では寺の方へ行ってみましょうか!・・・車も入れますが、ご覧の通り道幅は狭い上に結構荒れています・・・
道の真ん中だけコンクリートが敷かれていて、轍部分と結構な段差があるので車高の低い車は擦るかも知れません!
そんな道の右側には例の史跡碑が建っています・・・
日蓮上人祈雨旧跡
古称金洗沢ハ此ノ池辺ナリ 文永八年六月 天大イニ旱ス 幕府 良観房忍性ニ命ジテ雨請ノ修法ヲナサシム顕ナシ時ニ 日蓮此ノ池畔ニ雨ヲ祈ル 忽チ甘雨地ヲ霑オストイウ 世ニ伝ヘテ日蓮上人祈雨ノ霊跡トナスハ此ノ処ナリ
昭和三十一年三月建 鎌倉友青会
日蓮と忍性の雨乞い伝説について書かれていますね・・・日蓮は田辺ヶ池で祈祷をしたといっています・・・
【新編鎌倉志】の説とは違いますね・・・やっぱ一般的には田辺ヶ池ですよねぇ・・・
この池の辺りを『金洗沢』というとも記されています・・・金洗沢については【ぼた餅fight!2013】のページで述べた記憶がありますんで、そちらを参照して頂ければと思います・・・
要は霊所七瀬のひとつで往古から神聖な場所であるって事です・・・
忍性もこの田辺ヶ池で祈祷を行って雨を降らせたという記録が残っています・・・ |
|
|
朝早かったので門は閉じられていました・・・なので手前の石柱によじ登り、ジャンプで塀を飛び越します!
侵入成功!・・・奥の階段を上って行けば本堂へ辿り着けます・・・
これくらいの塀で俺様の侵入を防げると思ったのか?・・・バァ~カ者めぇ~! |
|
|
てーのは冗談で、門の横に車の進入路があるので普通に入れます(笑)
さすがに本堂方面へ進むのは時間的にアレなので田辺ヶ池だけ拝ませて頂きましょう!
左に曲がって物置(?)を横目に進んで行きます・・・ |
|
|
田辺ヶ池への扉は開かれていましたが、左側には何かが祀られている様なので、恐らく龍か蛇だろーなとは思いつつも一応先に確認してみる事にしました・・・
しかし、案内板等はなく、祠の扉も閉ざされているので何が祀られているのか分かりませんでした・・・
ふと横に目をやると、傍らにある五輪塔が朝陽を浴びて黄金色に光っていました・・・眩しいなぁ・・・ |
|
|
よく見ると地輪部分に文字が刻まれています・・・何て書いてあるんでしょう?
『文永八年』の文字が目に飛び込んで来たので、恐らく日蓮の雨乞い伝説関連の事が書かれていると思われます!
変体仮名まじりでメンド臭いですが、ちょっとだけ読んで見る事にしましょうか・・・
蛇枕龍神
蛇枕龍神は田邊が池の霊王なり 往昔 文永八年 日蓮大士の此山に於て雨を祈りたる時 八大龍王■共に大士の修
やはり龍が祀られている感じの様ですね・・・よく見たら湯呑にも『八大龍王』の文字がありました・・・
日蓮はココで雨乞いをしたと刻まれています・・・やっぱそーだよねぇ・・・ |
|
|
スッキリした所で田辺ヶ池へと向かいましょう・・・うぉ、朝陽が・・・目が痛い・・・ |
|
水は濁ってはいません・・・水深は浅くて田んぼみたいな感じです・・・まぁ、池なんてどれもこんな感じか・・・
それにしても雨を降らせてしまうなんて凄いですね・・・
でも何も無い所からロレックスの腕時計とかを出現させてしまうサイババの方が日蓮よりも凄いかも(笑)
無料の病院とか社会貢献度も彼の方が上かな?
現在は人工的に雨を降らせたりしますよね・・・ |
昨年の水不足で東京の小河内ダムにある人工降雨発生装置が12年振りに稼働していましたね・・・
2時間で40mmの雨が降ったそーですよ!・・・でもヨウ化銀って体には影響無いんですかね?
実は日蓮もココでヨウ化銀を焚いてたりして(笑)
恒例のダムカード紹介に行きたい所ですが、なんかメンド臭くなっちゃたんで割愛させて頂きますね(笑)
奥多摩はツーリングで良く行ったなぁ・・・懐かしい・・・
そーいえば日蓮と忍性の雨乞い伝説は、多くの学者たちが捏造として否定的な意見を述べています・・・
が、日蓮信者達は、日蓮が忍性をやり込めたハイライトシーン的な逸話なのでそれを認めません・・・
霊光寺の存在意義にも関わって来ますしね・・・
まぁ、どっちでもいーじゃん!・・・サイババの方が凄ぇって!・・・多分(笑)
最後に日蓮が雨を降らせたシーンを見てみましょう・・・ |
|
歌川國芳の【高祖御一代略図】から『文永八鎌倉霊山ヶ崎雨祈』・・・
メッチャ降ってますねぇ・・・海には船が浮かんでいて、その奥には陸が描かれています・・・
方角的に見て、ちょうど舟の帆の辺りに現在は逗子マリーナが建っていると思われます!
それはいいとして、傘持って来てたのかよ(笑)・・・100%降ると確信していたんですね・・・
中々興味深い1枚です・・・が、・・・霊山ヶ崎?・・・田辺ヶ池じゃねぇーのかよぉ?
もぉ~・・・結局どっちなんだよぉ~(笑)
|
おしまい |