ブログ ぼた餅Fight!2013タイトル
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文永8年(1271)9月12日、日蓮四大法難のひとつである龍ノ口の法難が起こりました・・・
日蓮が龍ノ口刑場で斬首されるまさにその時、俄かに鞠の様な光の球体が近づいて来て、執行人達は恐れおののき日蓮は一命を取り留めたってアレです・・・

この奇跡にちなんで龍口寺では毎年9月12日前後にかけて龍口法難会という物を執り行っています・・・
湘南モノレールの湘南江ノ島駅から龍口寺まで露店がズラリと並び、アホみたいに賑わいます・・・
今年は9月11日の午後2時から平和祈願大法要、午後7時から万灯練行列供養・・・12日の午後6時からぼたもち供養大法要、午後7時から万灯練行列供養、深夜0時から龍口法難征当ぼたもち供養大法要というスケジュール!

メインイベントは何といっても法要後に行われる難除けぼたもち撒きです・・・本堂でぼたもちが撒かれるんですが、これが凄い・・・阿鼻叫喚・・・人間の業の全てがココにあります・・・
何故ぼたもちなのか?・・・ってのはぼたもち寺のページで説明させて頂いたのでココでは割愛させて頂きます・・・
ではそろそろぼたもち合戦に出陣しましょうか・・・
常栄寺 常栄寺のぼたもち
龍口寺ではありません・・・鎌倉市大町の常栄寺、通称ぼたもち寺です・・・龍口法難に縁の深いこの寺でも当然法難会が行われます・・・以前訪れた時はそこそこ賑わっていたんですが・・・参拝者は自分だけでした・・・
門を潜って右側にはテントが設置されていてオバちゃんがぼたもちを振る舞ってくれます・・・

取り敢えず本堂で合掌・・・そしてぼたもちをパクリ・・・黒ゴマたっぷりで甘いです・・・ぼたもちっていうとアンコで包んだ物を想像してしまいますが、桟敷の嫗の故事の通りにゴマを使っているんだと思います・・・
それにしても・・・誰もいない・・・オバちゃんがあまりにも暇そうにしていたのでいたたまれなくなり、買うつもりのなかったお土産用のぼたもちを購入してしまいました(笑)
常栄寺へ向かうジジババ 出された麦茶を飲み干して常栄寺を後にし妙本寺の総門の所まで来ると・・・ジジババがゾロゾロと・・・
ぼたもちツアーでしょうか?
どーやら自分が行った時はたまたま人が居なかっただけの様でした・・・テントのオバちゃん大忙しだなコレは・・・

しかしババ達の日傘率(笑)・・・
そんなに日光が嫌いなら家で寝てればいいのに・・・
あとジジババは谷戸道を並んで歩くな!
ジジババは後ろからの気配にかなり鈍感らしく、追い抜こうにも気付いてくれないパターンが多々あります・・・
オーバーテイクされないくらいのスピードで歩いてくれるなら問題ないんですが、100%ダラダラと歩いていますし・・・
追い抜こうとしても道を譲ってくれないので、ワザとらしく咳払いをしてコチラの存在をアピールしたり、『すいません・・・』と声を掛けたり・・・非常にメンド臭い・・・そもそもなんで自分が『すいません・・・』と謝らなあかんねん!

おしゃべりに夢中になると周りへの注意力が欠如するのは当然です・・・ジジババは耳も悪くなりますし尚更です・・・
ジジババは並んで歩く時は私語禁止、もしくは仲間の一人は常に後ろ向きに歩く・・・それか家で黙って寝てる・・・
という条例が出来ればストレス減るなぁ・・・自分も家で黙って寝たいです(笑)
ジジババに限らず鎌倉は狭い道が多いですから周りに気を配って歩くように心掛けたい物です・・・

龍口寺へ向かうにはちょっと時間が早いので中央図書館で時間潰し・・・長善寺(廃寺)の事を調べようと思っていたんですが、ふと手に取った三浦一族の研究資料が面白くて読み耽ってしまいました・・・
隣の席のジジは爆睡していました・・・だから家で寝なさいって(笑)
頸つぎ餅 頸つぎ餅中身
図書館を後にして由比ヶ浜の海浜公園で、先程常栄寺で購入するハメになったぼたもちを頂く事にしました・・・
包装紙には頸つぎ餅と書かれています・・・意外と汁っ気があったので予想はしていましたが、包装紙はビチョビチョになっていました・・・リュックに入れ自転車漕ぎ漕ぎしていれば当然の結果か・・・
でもビニール袋に入れた上で紙袋をくれたのでリュックに被害が及ぶ事態は避けられました・・・

味はさっき寺でつまんだのと同じです・・・甘い・・・寺の近くにある大くにという和菓子屋が手掛けている様です・・・
TV等でも紹介されている割と有名な和菓子屋です・・・でも一箱¥1000はちょっと高くないかな?
開けてから重大な事に気が付きます・・・爪楊枝とか付いてないじゃん!どーすんだコレ!
手づかみでワイルドに食べるのもいいけど何だかなぁ・・・近くのローソンで箸を貰うか・・・でももう箱開けちゃったしまた閉じて移動するのもメンド臭い・・・ナイフでもあればその辺の枝を削って楊枝を作成して風流に戴く事も可能だが、あいにくナイフはないし・・・

あれこれ考えるのもメンド臭くなったので、結局箱の一辺をブチ壊してヘラにして食べました(笑)
お手拭きと楊枝は入っているものと勝手に決めつけて大失敗してしまいました・・・
完食して龍口寺へと向かいます!

極楽寺坂を越え、針磨橋を過ぎ、踏切を渡りしばらく進むと右側にあるのが日蓮袈裟懸けの松です!
日蓮袈裟懸けの松 現在は松は無く石塔が建っているだけです・・・
一番新しい石塔には、
文永八年未年九月十二日
日蓮大菩薩御袈裟懸松 光則寺第三十二世 日仁
と、題目と共に刻まれています・・・
松葉谷の小庵で説法中に捕縛された日蓮は極楽寺坂を通って龍ノ口の刑場まで連行されたと伝わります・・・
日蓮もこの道を通ったんですね・・・
どんな気持ちだったんでしょうか?・・・『海近いなぁ・・・』みたいな感じだったんでしょうか?(笑)
現在はすぐ先に隠れ家的な和食処のつきやまがあります・・・天丼食べたいなぁ・・・
更に先には稲村亭・・・デザートに焼豚もいいなぁ・・・全然イケます!日蓮にも食べさせてやりたいですね!

話を戻しまして・・・斬首されるであろう自分の血で袈裟を汚すのは恐れ多いとしてココにあった松に懸けた様です・・・
【新編鎌倉志】にもこの松の事は次の様に記されています・・・

【日蓮袈裟掛松】
日蓮の袈裟掛松は音無瀧の少し南なり。海道より北にある一株の松なり。枝葉たれたり。日蓮、龍口にて難に遭し時、袈裟を此松に掛けられたりと云傳ふ。

本来は稲村ガ崎のリチャード・ル・ブーランジェで美味しいパンを買って食べる予定でしたがイレギュラーで購入してしまったぼたもちの為に却下です・・・七里ヶ浜のアマルフィードルチェでティラミスも却下です・・・クソッ!
¥1000あったら美味いもん結構食えたなぁ・・・ティラミス4個買えるし・・・つーか夕方だってのに暑いなぁ・・・
昨日は過ごし易かったけど今日は気温+5℃・・・暑い・・・

国道134号線を進み行合橋の交差点のセブンイレブンで一休み・・・店内でクールダウンします・・・涼しい・・・
セブンイレブンと川を挟んで向かい側にはbillsの日本1号店があります・・・みんなスクランブルエッグとリコッタパンケーキを食べに来ます・・・ディナーにはまだ早い時間ですが階段の下まで並んでいました・・・以前ほどじゃぁないですが相変わらず並ぶんですねェ・・・
で、セブンとbillsの間に流れている川ですが、行合川といい【新編鎌倉志】では以下の通りに紹介されています・・・

【行合川】
行合川は、山より海の方へ流れ出る川なり。日蓮、龍口にて難に遭ひ給し時、奇瑞多きに因て其由を鎌倉へ告る使者と、又、時頼赦免の使者と、此川にて行合たる故に名く。鶴が岡一の鳥居より、此川まで、三十九町あり。
田辺ヶ池 そう、この川も龍ノ口の法難に関係した物件なんです!
ちなみにこの川を遡れば霊光寺があります!

近年建てられた歴史の浅い寺ではありますが、
文永8年(1271)、干ばつに悩む幕府の命令により、日蓮忍性と雨乞い対決をした際に題目を唱え三日三晩雨を降らせ見事勝利した場所、田辺ヶ池のある場所に建っている寺です・・・
七里ヶ浜の住宅地の奥にある行き難い寺ですね・・・
田辺ヶ池は近年荒れ果てていましたが、最近になって綺麗に生まれ変わりましたよ!
この辺りはその昔、金洗澤といわれていました・・・以下またまた【新編鎌倉志】から・・・

【金洗澤】
金洗澤は七里濵の内、行合川の西の方なり。此所ろにて昔し金を掘りたる故に名く。【東鑑】に、養和二年四月、頼朝、腰越に出で、江島に赴き還り給ふ時、金洗澤の邊にて牛追物ありと有。又、元年六月六日、炎旱渉旬渉。仍て今日雨を祈ん為に、霊所七瀬の御祓を行ふ。
由比濱・金洗澤・固瀬河・六連・柚河・杜戸・江島龍穴とあり。

金が採れたからその名が付いたといっていますがホントなんでしょうか?・・・聞いた事ないけど今でも採れるのかな?
七里ヶ浜で砂鉄が採れた事は事実・・・針磨橋なんかの存在も、その鉄を扱う事を生業としていた職人がいた事の裏付けにもなりうる物件です・・・金洗澤・・・洗ってますよね?
金とは実は鉄の事で、その精錬所か何かがあった土地なんではないでしょうか?
何てテキトーに妄想してみます(笑)

元年に霊所七瀬の御祓いを執り行ったとありますが・・・元年六月六日って・・・これは貞応3年、元仁元年(1224)の事だと思います・・・元年だけじゃ分かんねぇっての・・・そこは略しちゃダメでしょ!
【吾妻鏡】によると貞応3年12月4日に幕府に公文書が届いています・・・内容は、
先月の20日に貞応3年を元仁元年に改元したからヨロシク的な事でした・・・メンド臭いですね・・・
つー訳で貞応3年6月6日の記述は以下の通りです・・・

壬申 霽 炎旱旬を渉る。
仍って今日祈雨せんが為、御祈り霊所七瀬御祓いを行わる。

由比浜
は国道朝臣、金洗沢池は知輔朝臣、固瀬河は親職、六連は忠業、㹨河は泰貞、杜戸は有道、江島龍穴は信賢。この御祓いは関東今度始めなり。この外地震祭(國道)、日曜祭(親職)、七座の泰山府君は知輔・忠業・晴賢・晴幸・泰貞・信賢・重宗等と。また十壇の水天供は弁僧正(定豪)門弟等をしてこれを修せしむ。

【新編鎌倉志】と同じ内容です・・・いわゆる鎌倉七瀬ってやつですね・・・除災、雨乞いなどを行う霊所です!
それぞれの地でそれぞれの人物により祈禱する様です・・・どうやら貞応3年6月6日に幕府は初めて七瀬の御祓いを執り行った様です・・・そして寛喜2年(1230)11月13日には、

庚子 天晴
将軍家殊なる御心願有るに依って今日霊所御祓いを行わる。由比浜は泰貞、金洗澤は晴茂、
多古恵河は国継、森戸は親貞、㹨河は大夫、六浦は忠弘、堅瀬河は晴貞と。新民部少輔親實奉行たり。

なんと江島龍穴に代わり我が逗子市を流れる多古恵川・・・つまり田越川が選出されています!
しかし5年後の記述では江嶋にその地位を再び奪い返されています・・・がんばれよぉ・・・

なんかゴチャゴチャして来ましたが、【吾妻鏡】に出て来る金洗澤池とはつまり田辺ヶ池の事なんですよって事です!
古くから霊所とされて来た場所なんですよって事です・・・

しかし㹨河(鼬川:いたちがわ)を柚河(ゆのかわ)なんて言ってますし【新編鎌倉志】テキトー(笑)
多分『ケモノ偏』『キ偏』を間違えて、鎌倉の地理に詳しくない編纂者がテキトーにやっつけでルビをふったんではないでしょうか?・・・黄門様ドンマイ(笑)
鼬川は現在の鎌倉北方境界の少し上を流れる川で柏尾川(戸部川)に合流し境川(片瀬川)を経て海に繋がる川の事です・・・鎌倉街道の出発地である事から『出で立ちの川』・・・転じて『いたち川』となったといわれています・・・
イグル氷菓 イグル氷菓マンゴー
コンビニですっかりクールダウン出来たので、気合を入れ直してペダルを踏みます・・・
しかし龍口寺を目前にしてまたしても暑さに耐え切れずイグル氷菓でアイスキャンディーを購入しちゃいました(笑)
今日はマンゴーな気分です・・・一本¥180也!
ココのストイックな感じのアイスキャンディーは結構好きです・・・棒が斜めってるし真ん中にある訳でもないので気を付けて食べないとボトッって事になるかもですが美味いです!、固いです!、まさにキャンディー!

今日は暑いので食べてる内にイイ感じの固さになって来ました・・・
なんと通販も始めた様です・・・他に購入できる店舗などお店HPを貼って置くので興味のある方はどうぞ!

道の向かい側にはこれまたマンゴー色の衣を纏い団扇太鼓を叩きながら題目を唱え龍口寺へ向かう一団が・・・
だいぶ陽も傾いて来ました・・・そろそろ目的地へ行きましょうか・・・もう目の前です!
龍口寺仁王門 道路
龍口寺仁王門です・・・手前の露店は横浜名物ちんちん焼きとありますが・・・ちんちん焼き(ベビーカステラ)って関西が発祥じゃなかったっけか?・・・買わないしどーでもいいんですけど・・・

道路はこんな感じになっています・・・いっそ通行止めにしてしまえばいいのに・・・歩道は狭いので露店に並ぶ人で通行が困難です・・・実際、焼き鳥食べながら歩いていた小学生くらいの女の子がぶつかって来て、自分の腕にはタレがベッタリと・・・申し訳なさそうに謝る美少女だったので快く許しましたけど、ムカツク顔の少年だったら申し訳なさそうに謝られてもどーなっていたか保証はできませんね(笑) 
露店1 露店2
露店3 境内も結構賑わっています・・・りんご飴・・・露店の定番ですけど自分の中では微妙な一品です・・・
食べ方としては始めからガリボリと飴とリンゴを一緒に食べるのが正解なんでしょうか?

しばらく飴を嘗めてからリンゴに行くってのが一般的な食し方だとは思いますが、それでは甘い飴で舌がバカになり、タダでさえ糖度の低い露店のリンゴの味が・・・
美味い不味いよりも雰囲気なんでしょうかね?
やっぱり夜店にりんご飴は外せませんね・・・買いませんけど(笑)

金魚すくいが大繁盛していました・・・これも昔から思うんですけど金魚すくいの台って何でどこも皆低いんですかね?
しゃがまずに出来る方が楽だしスペースも余裕が出来ると思うのですが・・・
まぁ、やらないんでいいんですけど・・・今やったら一発で腰をやられそうです(笑)
ちなみに赤金一匹の仕入れ値は¥10前後だそうです・・・元を取るにはかなり頑張らないとダメですね・・・
どんだけすくっても5匹まで!って感じの店がほとんどだと思いますけど・・・ 
露店4 露店5
ドラエモン落シってのをやっている店がありました・・・玉をぶつけて落としたダルマの個数に応じて景品が貰えるアレでしょうか? 完全営利目的ですけどプロダクションの許可は取っているんでしょうかね?
なんてどーでもいいですね・・・ちなみに正式にはドラエモンじゃなくてドラえもんですね・・・
仁王像吽形 仁王像阿形
露店も満喫したので仁王門を潜りましょう・・・昭和48年(1973)に造られた鉄筋コンクリート製の味気ない門ですが、彫刻家の村岡久作氏の手による漫画チックな顔の仁王様がお出迎えしてくれます・・・ 
龍口寺山門1 龍口寺山門2
階段を登ると山門越しに本堂が見えて来ます・・・あそこでぼたもち撒きが行われます・・・
山門を潜ると一気に酒臭くなります・・・この区画は酒類の販売が行われていてハッピ姿のチンピラ風な方々がかなり出来上がって楽しそうにしていました・・・チンピラ風な方々って祭り好きですよねぇ・・・あとヤンキー・・・
地方のお祭りとか行くとほぼ100%の確率でオイオイって感じのヤンキーが神輿担いで盛り上がってます・・・

神聖な神輿を社会に迷惑をかける事を生きがいにしている様な輩が担ぐなんて・・・神輿を汚す事になるんじゃぁないのか?・・・でも彼等がいないと祭りが盛り上がらないのも確かですよね・・・

一日中スーツ来て働く職種の輩にあの情熱パワーは出せませんよ!・・・無意識のうちにクールに一歩ひいてしまうんじゃないでしょうか?・・・なんにせよ祭りは盛り上がった方がイイに決まってます!大いに騒いで下さい! 
境内 酔っ払いの外人
外人のデカイおっさんが長椅子に腰かけてニコニコしていました・・・こちらも完全に出来上がっている様子で相当気持ちがいいのか終始微笑んでいました・・・和むなぁ・・・自分も自転車じゃなければ一杯やりたいけど我慢です・・・ 
龍口寺本堂1 龍口寺本堂2
取り敢えず本堂でお参りを済ませます・・・まだそこまで混んではいないです・・・普段ならこれくらいでもグッタリしてしまう数ですが、お祭りですからなんとか我慢です・・・ 
龍口寺縁起
龍口寺の縁起です・・・目新しい情報はありませんが取り敢えず載せておきますね・・・ 
霊窟 七面大明神
本堂向かって左側にあるのが御霊窟です・・・龍口法難の際に日蓮が一晩幽閉された洞窟だそうです・・・中には日蓮の銅像が安置されていました・・・宝暦6年(1756)の物だそうです・・・

経八稲荷を横目に急な階段を登り切ると七面大明神があります・・・江戸初期に身延の七面山から勧請された模様!
階段登って疲れたので仏舎利塔へは行かず右折して五重塔へ向かいます・・・ 
五重塔 五重塔を下から見上げます・・・西日を浴びてイイ感じ!
欅造りの銅版葺で明治43年(1910)に建てられました・・・
神奈川県唯一の本式木造五重塔で神奈川建築物百選に選定されている物件です・・・
古いものじゃないですが一見の価値はあるかもです・・・

境内をプラプラしていたら17:30になり、本堂で坊さんの法話が始まった様です・・・なんでも青森からお越しになったそうで、ご苦労様です・・・
たまには坊さんの話を聞くのもいいかな・・・と思い本堂内に入ってみました・・・
入り口の近くで突っ立って聞いてましたが、周りに人はそれほど居なくて寛いで聞くことが出来ました・・・
法難会ですからそれについて突っ込んだ話が聞けるかなと期待していましたが、それについてはガイドブック程度の話で少々残念でした・・・しきりに2020年のオリンピックは龍口法難750周年に当たるという事を連呼していました・・・
その際は法難会もオリンピック同様に盛大に行うので死なないで下さい!と言ってました(笑)

気付くと30分間の法話も終わり、ついにぼたもち供養大法要が始まります!・・・俄かに人が集まって来てあれよあれよという間にスシ詰め状態に・・・うおっマジか・・・コイツらさっきまでドコに居たんだ・・・

後ろの三人組がズーっとござる口調で喋ってて気になってしょうがなかった・・・
『今日はせっかくいいカメラ持って来たのに全然活躍してないでござるよ。』
『拙者もでござる・・・』
 

耐え切れなくなったので顔見てやろうと思いちょっと振り返ると、三人ともひょろメガネでシャツはズボンにイン!
想像通りの容貌じゃないか君達・・・ちょっとはひねってくれよぉ・・・ゴッツイ高そうなカメラ持っちゃってまぁ・・・
取り敢えず顔見れてモヤモヤはスッキリしたけどさ・・・江ノ電でも撮ったついでに紛れ込んじゃったのかな?

法要が意外に長く、終わったのが19:00前・・・いよいよぼたもち撒きの始まりです!
ぼたもち撒き 左の写真の様に高い所から下に居る自分を含めた愚民どもに対し撒かれます・・・その撒き方なんですが・・・
優しさなんてものは皆無です・・・
フワッって感じではなく思いっきり投げつけて来ます(笑)

キャッチするには結構反射神経が必要です!
ほとんどが下に落ちますんでそれを拾う人が多いです・・・
でも自分は下に落ちた物は拾わないと心に決めていたので必死に頑張りました・・・
結果は何とか2袋キャッチできました・・・フゥ~・・・
撒かれる場所は本堂左右2箇所設置されていますが、真ん中の賽銭箱の辺りはあまり飛んで来ないので注意です!
あっという間に終わってしまいましたが、後ろでは『ゲットしたでござる!』の声も聞こえました・・・よかったのぉ・・・ 
万灯行列1 万灯行列2
続いてすぐに万灯練行列供養が始まります・・・威勢のいい太鼓の音と共に纏をグルングルン回しながら子供とチンピラ風なオッサン達が参道を登って来ます・・・本堂前のアピールタイムでは汗ダクでハッスルします!
万灯行列3 万灯行列4
小学生くらいの女の子もグルングルン回していました・・・最後まで見てたら人混みで寺から脱出するのが困難になりそうだったので早めに退散する事にします・・・久し振りの人混みでしたが、やはりウザイ・・・冬場ならまだしも夏場は結構ストレス溜まるなぁ・・・やはり自分はひっそりとした寺巡りの方が好きな様です・・・
本圓寺の万灯 駐輪場に自転車を取りに行くと・・・
ややや本圓寺とな!?・・・自分がお世話になっているお寺の万灯じゃぁないですか!
もしかしてご住職も来てらっしゃるのかな?
まぁ、この人混みじゃぁ居られても気付かないか・・・
取り敢えず脱出しなくては・・・

江ノ島方面の道はとても自転車を押しながら通れる様な状態ではなかったので裏道を進む事にしました・・・
アホみたいな人の数です・・・ギッシリ・・・ホント家で寝てればいいのに・・・
裏道もそんなに広くないので車と万灯がすれ違うのに苦労してウダウダとしていました・・・
法源寺の入り口の所が少し広くなっているのでちょっと自転車停めてしばらくやり過ごす事にしました・・・

すると龍口寺方面から何か見覚えのある人物が歩いて来ました・・・暗いので顔は分かりません、逆光でシルエットだけ浮かび上がっています・・・でもやっぱり見覚えがあります・・・
取り敢えず声を掛けてみるとやはりそうでした・・・自分がお世話になっているお寺のご住職!ビックリしたぁ!
ご住職も少しビックリした御様子でした・・・
『自転車で来たの?』・・・逗子くんだりから自転車で来てた事にビックリいしてらっしゃったのかも(笑)

完全なお坊さんスタイルだったので気付きましたが、そうでなかったら気付かなかったかも知れません・・・
いやぁ~ホントにビックリしました・・・

ご住職と別れしばらくして、自分もそろそろ移動しようかなと思ったその時、法源寺の方から一台の車が降りてきて自分の前に停まりました・・・
自転車が自分の物であるか尋ねて来たので、そうであると告げると物凄い勢いで罵って来ました・・・
龍口寺の法難会に行ってたんだろうけど、石塔の前に停めるなんていい年して常識もねぇのか!・・・と・・・
別にココに停めて法難会に行ってた訳じゃないけど言い訳するのもメンド臭い・・・一時的に避難していただけにしろ停めてたのは事実ですから素直に謝ったら『チッ』と舌打ちされました(笑)

マジか!?・・・何だったんだろうあのオッサン・・・あの人混みの中、細い道をクラクション鳴らしながら無理やり車で通ろうとするお前の方が常識ないんじゃないかとも思いましたが・・・
法源寺の住職なんでしょうか?それとも熱心な檀徒?・・・だとしたらかなりショッキングです!
仮にも仏門に身を置く者が・・・注意するにしてももっと諭す様な言い方がいくらでもあるだろうに・・・
舌打ちは無いわな・・・

確かに奥までかなり自転車が駐車してあったんでストレスもあったんでしょうけど・・・
あーゆー輩が逆上した若者に殺されたりするんでしょうかね?・・・かなり前に片瀬江ノ島駅前でゾッキーを注意して逆に殺された事件がありましたが何となく納得してしまいました・・・

あの道の先は法源寺以外にも左に進むと長与専斎の別邸だった所にSGI教学会館(創価学会)があります・・・
法源寺の墓地の先にも数件民家があったと思うので、オッサンが必ずしも法源寺の関係者とはいえませんが、そうでないとしたら法源寺の石塔の前に停めていた事にあそこまで腹を立てた理由が分かりません・・・
行って見れば分かると思いますが石塔の周りはポールが立っていてチェーンで囲われています・・・
自分はチェーンされていない部分から入り中に停めていたんでハッキリいって車の通行に関しては停めてても停めてなくても全く関係ないんですよね・・・邪魔だというのなら石塔ごと撤去しないと解決になりません・・・

そう考えるとやはり所有者である法源寺の関係者が、アイツ何ウチの石塔の所に停めてんねん・・・
通行には全く支障はないけどムカツクなぁ・・・って感じでキレちゃったと考えるのが妥当かと・・・

でも出来れば奥の住民か創価学会の人であって欲しい・・・彼等に汚く罵られるならテキトーに受け入れられますが、熱心に修行を積んだと思われる法源寺の関係者だったならホントにかなりのショックです・・・
日行上人も泣いてるんじゃないでしょうか?(笑)

まぁ、あまり深く考えても仕方ないのでテキトーに気持ちを切り替えます・・・
今日は本来なら藤沢辺りで時間を潰して深夜0時からの龍口法難征当ぼたもち供養大法要にも参加する予定だったんですが、友人がメシを食いに行こうというので却下となりました・・・腰越辺りで合流の予定だったので取り敢えず電話してみると本龍寺の出口の所に居るとの事・・・

マジか・・・そこも日行さんの寺じゃないか!・・・せっかく気持ち切り替えたのに・・・

まぁ、色々あった一日でしたが最後のメシが美味かったので良しとしましょう!
龍口寺のぼたもち おっと忘れる所でした・・・龍口寺でなんとかキャッチ出来たぼたもちです!
味は・・・ハッキリいって不味いです・・・甘味等も無くホントに餅にゴマをまぶしただけの一品です・・・
まぁ縁起物ですから・・・しかし4個とは縁起物ですが縁起が悪いですね・・・
1個にまとめてパクッといただきました!

あらためて写真で見ると・・・何なんでしょコレ?
出来そこないのトリュフ?・・・少なくともぼたもちには見えませんよね?・・・見えないなぁ・・・

おまけ

先程出て来た長与専斎(1838~1902)ですが、彼は由比ヶ浜を『海水浴に最適である』と紹介し鎌倉の地を全国に広める事に貢献した人物であります・・・緒方洪庵の弟子で岩倉遣欧使節団の一員でもありました・・・
医師であり日本の衛生行政確立に尽くし、内務省衛生局の初代局長を務めています・・・

鎌倉が賑わいを見せ始めたのは彼が明治17年(1884)に海水浴場を開設してからの事といわれています・・・
明治20年(1887)には由比ヶ浜の松林に結核療養施設サナトリウム海浜院を設立していますが、これはすぐに海浜院ホテルへと変わってしまいました・・・しかし鎌倉を保養、長期療養の地として広めています!
自らも由比ヶ浜に別荘を構えましたが、娘が水死、傷心の為に鎌倉の地から去ったといわれています・・・
長与専斎の石碑 鎌倉に来る外人さんのほとんどが立ち寄るあの寺には、
長与専斎の石碑があります・・・

『松香長与先生紀功之碑』
とあります・・・松香は専斎の号名か何かだったと思います・・・

大正8年に専斎の功績を称える為に建立されました・・・
題は松方正義、下の碑文は菅虎雄による物だそうです!
撰文は土肥慶蔵・・・結構大きい石碑です・・・
細かい文字がビッシリと刻まれていますので気になる方は外人さんと一緒に行かれてみては?

菅虎雄
は以前の千円札に描かれていた人物の親友で、精神を病んでいた彼に北鎌倉の円覚寺への参禅を進めた人物です・・・彼はサトリを得る事は出来ませんでしたが、この時の体験を小説『門』『夢十夜』に生かしています・・・
彼はその後も鎌倉の友人宅を転々としました・・・『こころ』にも鎌倉を登場させています・・・

土肥慶蔵は医学博士、松方正義はご存知の通りです・・・

話を戻しまして、
フランス人海軍士官ピエール・ロティは鎌倉を『奇妙なもの淋しい田舎の死都』と日記(1885年)に記しています・・・
当時の鎌倉は相当さびれていたんでしょう・・・やはり専斎の功績は大きいです!

由比ヶ浜の海浜公園の向かい側には海水浴場開設100周年を記念して昭和58年(1983)に波動と名付けられた碑が建っていますが、自分はあれを見る度に何かボールの様な物を投げたくなります・・・気持ち分かりますよね?(笑)
まぁ、それは置いといて・・・日本の海水浴場発祥の地として有名なのは神奈川県の大磯海岸ですよね?
日本最初の海水浴場発祥地と書かれた石碑やらなんやらがあったと思います・・・
で、いつオープンしたのかというと明治18年(1885)松本順氏により大磯海水浴場が開設されたらしい・・・
ちなみに彼も岩倉使節団の一員です・・・

これはどーゆー事なんでしょうか?・・・由比ヶ浜の方が1年早くオープンしているのでは?
神奈川県のホームページ大磯町のホームページを覗いてみても、やはり明治18年、日本最初の・・・と大磯海岸を紹介しています・・・意味が分からないですね!?
でも由比ヶ浜が日本最初の海水浴場だとしたら鎌倉市が絶対にもっとアピールしますよね?
そんな話は聞いた事がないですし・・・ホントにどーゆー事なんでしょうかね?

波動とかいう石碑まで建てちゃって・・・この数字の違和感はどう説明するんでしょう?(笑)
観光課に話聞けば納得のいく説明が聞けるのかな・・・そこまで興味はないけど・・・
まぁ、日本最初のなんたらは置いといて鎌倉の海水浴場の発展はエルウィン・ベルツ長与専斎による所が大きいという事は事実であります!

専斎の息子達もエリートです・・・長男は医師、次男は日本輸出絹連合会組長、三男は東京帝国大学総長、四男は同盟通信社初代社長・・・などなどやっぱ金持ちは違うなぁチキショー!

鎌倉に縁が深いというと五男の長与善郎は白樺派の作家であり、園池公致の招きで大正8年(1919)に現在の材木座の地に移り住んでいます・・・明治、大正、昭和・・・と、文士は鎌倉を好みました・・・確かにいい所ですからさぞや筆も滑らかだった事でしょうねぇ・・・

おしまい
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