ブログ 弁谷タイトル
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今回は材木座方面を当ても無くブラついて来ました・・・仕事が忙しくて2週間振りの休日です・・・
家でマッタリと過ごすのもいいでしょうけど、軽めに鎌倉を楽しんで癒されるのもアリでしょう!
てー訳で、ガッツリと巡るのは避けて、自分が住む逗子市から近い材木座辺りに白羽の矢が立った訳であります!

名越方面から鎌倉へ出て、材木座を経て逗子マリーナへ・・・という短いルート設定です・・・
明日も朝早くから仕事だしなぁ・・・あまり疲れは残せません・・・連休欲しいよぉ~(笑)
弁谷1 弁谷2
九品寺を過ぎ、材木座海岸を目の前にして道は左へ90度曲がります・・・
そのまま道なりに進むと光明寺がありますが、今回は矢印方向へ左折して裏道へ入りましょう!
そしてそのまま進んで行くと、右側に補陀落寺が見えて来ます!
補陀落寺1 補陀落寺2
傍らに立つ石柱には『源頼朝公御祈願所』の文字が刻まれています・・・
この南向山帰命院補陀落寺は真言宗大覚寺派のお寺で、開山は文覚、開基は源頼朝という最強タッグの歴史を持っているという話ですが、縁起とかは残っていない様なのでイマイチ微妙な感じは否めません・・・
寺に現存するお宝もイマイチ胡散臭さを拭い切れないのは、そーいった経緯からかも知れませんね・・・
まぁ、あくまでも、自分がそー感じているだけですよ!・・・事実がどーであるかは史料が無い限り誰にも分かりません!

こんな小さな寺にもこんなに歴史が積もっているんだなぁ・・・と、素直にロマンを感じるのもまた一興(笑)
文覚上人荒行像1 文覚上人荒行像2
本堂に安置されているこの像・・・どっかで見た事ないですか?・・・同じ物がもう一個、市内のドコかにありますよ!
気になる方は【極楽寺切通】のページを御覧になって下さいね!

ちなみに補陀落寺は幾度となく竜巻の被害にあった事から『竜巻寺』とも呼ばれていたそーです・・・
材木座の裏道にある小さな寺・・・機会があれば寄ってみるのもいいかも知れませんよ!?
鎌倉の裏道は色んな発見があって楽しいです!・・・もちろん何も無い時もありますけどね(笑)
弁谷3 弁谷4
補陀落寺を通過したら次の分れ道を矢印方向へ進みましょう・・・
鎌倉には多くの谷戸道がありますが、それを把握して上手に利用してやるとストレス無く目的地に辿り着ける場合が結構あります・・・鎌倉散策の時は臨機応変に裏ルートを活用しましょう!
弁谷5 弁谷6
そして道にぶち当たったら今度は右折して進み、伊藤工務店を過ぎた所を左折・・・
弁谷7 弁谷8
相変わらず変わり映えのしない住宅地を進み、次の分かれ道を矢印方向へ・・・
弁谷史跡碑1 弁谷史跡碑2
するとECCジュニアの手前、ゴミ捨て場の電柱の傍らに『辨谷』の文字を掲げた史跡碑が建っています!
ちなみに『べんがやつ』と読みます・・・

辨谷
元亨元年 相模守北條高時ノ創建セシ金剛山崇壽寺ハコノ地域ニ在リシナリ 道興准后ノ迴國雑記ニ記セシ紅谷ト 田代系圖ニ據リ千葉介ノ敷地トスル別谷トハ共ニ辨谷ニ同ジトスル説アルモ詳ナラズ
                                                昭和七年三月建 鎌倉町青年團

元亨元年(1321)に相模守北条高時が創建した金剛山崇寿寺はこの地域に在りました・・・
道興准后の廻国雑記に記されている紅谷と、田代系図に記されている千葉介の敷地である別谷は共に弁谷と同じとする説がありますが、詳しい事は分かっていません・・・と、碑文には記されています・・・

【新編鎌倉志】を見てみましょう!

【辨谷】
辨谷は補陀落寺の東の谷を云ふ。土俗、紅谷と云ふは非なり。或は別谷とも云ふ。
【田代系圖】に鎌倉の別が谷は千葉殿の敷地なり。介の唐名を別駕と云ふ間だ、別が谷と云也とあり。

千葉殿とは千葉常胤の事ですね・・・頼朝の鎌倉入りに貢献した超有力御家人です!
彼の官位は上総・下総権介・・・『介』の唐名が『別駕(べつが)』という事から『別谷(べつがやつ)』とも呼ぶ・・・
といっています・・・
『べつがやつ』、『べんがやつ』・・・似ていますね・・・
転化して、そー呼ばれる様になった可能性は大いに考えられますが、まぁ、どーでもいいか(笑)
弁谷9 弁谷10
せっかくなので、道なりに谷戸の奥まで進んでみましょうか・・・
弁谷11 弁谷12
まぁ、こんな感じで大して面白くも無い谷戸道ではありますけどね・・・
弁谷13 弁谷14
道の左側の空地は津波避難場所になっていて、業者がダルそ~に草刈り作業に従事していました・・・
そして行き止まりです・・・知っていましたけど(笑)
弁谷15 弁谷16
草ボーボーです!・・・今の季節では、とてもじゃないけど柵を越えて侵入する気にもなりませんね・・・
私有地なんでしょうか?・・・だとしたら侵入自体不可能ですね・・・犯罪です(笑)

道が分かり難いと思うので、今回通った道をマップに記してみました!
何かを期待して訪れる様な場所ではありませんけど、北条高時が建てたとゆー崇寿寺(すうじゅじ)がドコにあったのか想像しながら歩いてみれば、また一味違った風景になるかも知れませんよ!

崇寿寺についての【新編鎌倉志】の記述も見て置きましょうか・・・

【崇壽寺舊跡】
崇壽寺の舊跡は辨谷の内にあり、昔は此の谷皆崇壽寺の地内なりと里老語れり。
此寺は北條相模守平の高時入道崇鑑が建立にて金剛山崇壽寺と號す。開山は南山和尚、諱は士雲、聖一國師の法嗣なり。建武三年十月七日に寂す。崇壽寺は、元亨元年に創造也。【南山の行實】に詳なり。【太平記】に高時滅亡の時、長崎次郎高重、先づ崇壽寺の長老南山和尚に参り、左右に輯して問て云く、如何なるか是れ勇士恁麼の事。
和尚答て曰く、不如吹毛急用前とあり。崇壽寺の鐘銘、其の文如左。

金剛山崇壽禪寺鐘銘
飯嶼之艮、鎌倉之巽、辨谷霊區、椎輪禪苑、芟夷荊榛、聳出輪奐、山曰金剛、劫石横偃、寺號崇壽、祝延聖算、羣岫矗々、長江袞々、漁翁釣雪、牧童歸晩、補陀大士、儼坐岸畔、入三摩地、慈眼悲觀、音聞圓通、根塵消渙、爰募豪雄、洪鐘圓範、四悉爲爐、六度爲炭、和眞性金、百錬千煆、大器已成、聲振霄漢、大夢忽破、長夜早旦、冥顯對累、盡停怨恨、水陸飛潛、共脱苦患、凡曰助縁、各願圓滿、地久天長、河淸海晏、檀門椿葉、八千爲限、伽藍香火、三會不斷
嘉曆二丁卯年十月五日、大檀那菩薩戒弟子崇鑑、開山住持傳法沙門士雲、謹銘當寺本願士恭、大工沙彌道光。

【太平記】での長崎高重の行動が記されていますね・・・内管領長崎高資の嫡男で、かなり豪の者だった様です・・・
長崎一族は身内人として幕府の実権を握り、滅亡へと向かわせた悪役的イメージがありますが、【太平記】での高重の最期は結構潔くてカッコイイです!

高重は東勝寺に籠る北条高時のもとを訪れ、敵の手に掛かる様な無様な最期を迎える事の無い様にと申し上げ、同時に自分は今一度、敵将新田義貞の陣中で大暴れして再びココへ戻り、もう一度殿にそれをお勧めするので、それまでは自害する事のない様にというと、150騎の郎従を引き連れ義貞、義助兄弟の首を求め寺を飛び出しました!

高重はこれを己の最期の戦いと思い、まず、崇寿寺の住持である南山士雲のもとを訪れます・・・

『勇士の振る舞いとはこれ如何?』・・・と高重が問うと、
『利剣を振るって只管前に進むあるのみ』・・・と士雲は答えました・・・

これを聞いた高重は黙って深謝すると自分の笠符をかなぐり捨て、郎従もそれにならい静かに敵陣深く紛れ込んで行きましたとさ・・・

まぁ、もう一歩の所でバレてしまって義貞と刃を交える事は出来なかったんですけどね・・・
そして先陣の武蔵七党3000余騎との戦いが始まる訳です!
高重は大暴れしますが郎従に東勝寺の高時の所へ戻るべきだと諭され、殿との約束を思い出し撤退する事に・・・
その時に生き残っていたのはわずかに主従8騎のみでした・・・

退いて行く高重を見て、児玉党500騎が後を追いますが、高重は山ノ内から東勝寺のある葛西ヶ谷まで何とか逃げ切りました・・・そしてこの後の潔い自刃のシーンは【北条首やぐら】のページに書かせて頂いたと思うので、興味のある方はそちらを参照して頂ければと思います!・・・総勢870余人の集団自決大会です!

【鎌倉廃寺事典】によると、応永31年(1424)の崇寿寺士恩と伝宗庵心栄が連署して、毛利荘厚木郷における百姓逃散の処置について円覚寺正続院と契約した契状が残っている事から、少なくともその時までは崇寿寺は存続していただろうと述べています・・・所領は毛利荘の他に駿河国葉梨荘上郷にもあった様です・・・

鐘はその銘から、北条高時が寄進し、銘文は南山士雲、鋳物師は物部道光である事が分かります!
道光はこの当時鎌倉を中心に活躍した鋳物師の棟梁だった様で、元徳3年(1331)に扇ヶ谷の法泉寺と千葉県の東禅寺、正慶元年(1332)に浄智寺の鐘を鋳た事が判明しています・・・(参照:鎌倉市史考古編)
ちなみに法泉寺のそれは光明寺に移された後、東京にある阿弥陀寺に渡り現存しているそーです!

せっかく法泉寺が出て来たので、ついでに紹介させて頂こうかなと思います(笑)
関東十刹にも選出されていた寺ですが、今となっては鎌倉の谷戸名のひとつとしてその名を残すばかりであります・・・

【法泉寺谷】ほうせんじがやつ
法泉寺谷は御前谷の東向の谷なり。此他に皆田畠なり。昔し此地に竹園山法泉寺と云寺あり。關東十刹の内なり。
開山本覺禪師、諱は素安、號了堂。建長寺寶珠菴の鼻祖なり。今寺はなけれども【五山西堂の公帖】に、法泉寺住持職之事とのするあり。此寺の鐘、今光明寺にあり。淸拙の銘なり。其の文如左。

竹園山法泉寺鐘銘
鐘器之宏、音韻高遠、發上々機者也、建長首座爲當寺住持、了堂素安禪師、捐己貲以鑄之、與寺相爲永久、金山淸拙正澄遂爲之銘、曰、山竹園、寺法泉、系西來、葉は再傳、禮樂興、鐘惟先、命工垂、掌範埏、液金銅、聲注川、大器成、簨簴懸、杵洪撞、音遐宣、司夜旦、令人天、息輪苦、開定禪、心聞洞、十虚圓、咬七條唱機縁、鏗月霜、到客船、梵刹隆、檀壽延、國永安、君萬年、大歳庚午、元德二年三月二日、大工山域權守物部法名道光

法泉寺の開山は了堂素安(本覚禅師)です・・・現在、建長寺の塔頭のひとつとして残っている宝珠院は彼の塔所で、山号は同じく『竹園山』といいます!

了堂素安は博多の人で蘭渓道隆の直系の弟子である同原同本のもとで学び、後に円覚寺の西澗子曇のもとでも学んでいます・・・そして東勝寺、寿福寺を歴住し、建長寺第35世となりました!

法泉寺の鐘の銘は清拙正澄によるものだったんですね・・・ふ~ん・・・

【鎌倉の地名由来辞典】も見てみましょう!

法泉寺谷(ほうせんじがやつ)
扇ガ谷北方に位置する谷。西は清凉寺谷に接し、東には史跡「亀ヶ谷坂」切通が通じる。近世には扇谷村の字名の一つでもあり(皇国地誌)、天保3年(1832)の「扇ヶ谷村絵図」には「法泉谷」と見える。
現在は横須賀線が敷設され、谷奥のトンネルを抜けると北鎌倉地域である。地名の由来は、この谷に竹園山法泉寺が所在したことにちなむ。
法泉寺は開山了堂素安(1360年寂)、開基畠山国清(1364年寂)と伝え、元亨3年(1323)に開催された北条貞時十三年忌供養には法泉寺の僧15名が参列していることから、関東十刹にふさわしい名刹といえる。廃絶時期は未詳。
なお、元徳2年(1330)3月、物部道光作(銘清拙正澄)の法泉寺梵鐘は、現在東京都港区麻布の阿弥陀寺に伝えられていて、第二区の銘に「山竹園、寺法泉、系西来」とある。

横須賀線で鎌倉駅と北鎌倉駅間を利用する方は、知らずと法泉寺谷を通っている事になります(笑)
まぁ、JRや工事関係者以外の方は電車でしか通る事の出来ない道ですよね・・・横須賀線に轢かれちゃいます!

法泉寺梵鐘の製作年に微妙なズレがありますが、どちらが正しいのかなんてのはどーでもいい事ですね・・・

自分は扇ガ谷は結構好きな地区なんですが、法泉寺谷ついでにもうひとつ、ある物件を紹介させて頂こうと思います!
なにせ弁谷ですから・・・無理矢理にでも話を広げないと書く事がありません!(笑)
扇ガ谷ガード テールベルト1
皆さんご存知の扇ガ谷のガードです・・・自転車の右側の看板に注目して下さい!
『terre verte cafe&books&more』と書かれています・・・ちょっと意味が分かりません?
お店の位置を知らせるでもなく、この看板は何なんでしょうか?・・・とにかく、矢印の方向へ進んでみましょう!
法泉寺谷1 法泉寺谷2
線路沿いの細い道を進んで行きます・・・かつてはこの道も法泉寺谷の一部だったかも知れませんね・・・
どーせ民家と畑しかないんでしょ?・・・と思いながら進んで行くと・・・あら、ビックリ!
テールベルト2 小洒落たカフェが建っているじゃありませんか!
何でこんな辺鄙な場所に?・・・って感じです・・・

そーなんです、ココが先程の看板のお店なんです!
『terre verte(テールベルト)』といいます!
まさに隠れ家カフェって感じな一軒です!
横須賀線からは丸見えですけどね(笑)

扇ガ谷には、こんな感じのカフェが数軒あります・・・
自分にとって平日のカフェタイムは至福の時といっても過言ではありません!
ゆったりとした時の流れに身を任せて鎌倉散策の疲れを癒すにはもってこいの施設です!
スタバとかじゃ客が多過ぎて寛げないし、店員が多いのも自分的にはNGです・・・
まぁ、人それぞれですよね・・・自分が好きな店に行けばいいと思います・・・それだけの事です・・・

材木座から扇ガ谷まで話が飛んでしまいましたが、今回もその辺はテキトーに流して置いて下さいまし(笑)

あ、一応terre verteのお店HP貼って置きますね!

おまけ


何もない弁谷を後にして、逗子マリーナ経由でそのまま帰宅する予定でしたが、時刻を見ると11:15・・・
久し振りに小坪で何か食べて行こうかな・・・てー事でめしやっちゃんに向かいました・・・が・・・
めしやっちゃん1 めしやっちゃん2
うおぉぉ・・・並んでるよ・・・別にこの人数なら開店直後に入店出来るけど・・・何だかなぁ・・・
おひとり様じゃなければ入るんだけど・・・今日はガッツリおひとり様だしなぁ(笑)
良く考えたら今日は日曜日だし、そりゃぁ客も多いよね・・・諦めよう・・・
ゆうき食堂1 ゆうき食堂2
ゆうき食堂もごらんの有様・・・この店って並んでる客の中に必ずチャリンコ野郎が紛れている気がする(笑)
並んでる暇があるならもっと走ればいいのに・・・走りながら栄養補給するのが本物ってもんだろ!

やっぱ休日はダメですね・・・他にもお店は数軒ありますが、この2店舗は大人気です!
しかし、日本人ってホント並ぶの好きですよねぇ(笑)
バニ弁当1 バニー弁当2
そんな時はアレです・・・バニー弁当買って人気の無い場所で食う!(笑)
でもココってメニュー少ないんだよなぁ・・・こんな事なら材木座店で買えば良かった・・・
つーか素直に帰宅しろって話ですよね?・・・でも、もうAランチ買っちゃいましたから・・・

唐揚げ2コ、さしみこんにゃく和え物、玉子炒め、ひじき大豆の煮物、春雨中華風サラダ、トマトマリネ・・・
随分とヘルシーな昼食になってしまいました・・・これじゃぁ自分の腹は満たされません!
萩原肉店1 萩原肉店2
でもご安心あれ!・・・その辺は抜かりありません!
こんな事態を予測して、萩原肉店でチキンカツ、串カツ、コロッケ、クリームコロッケ×2を既に購入済みです!
コンビニでソースも購入済み・・・なんて準備がいいんでしょう!
つーか店で食べた方が普通に安あがりだった気が・・・まぁ、たまにはこーゆーのもいいモンです(笑)
満足満足・・・ちょっと食べ過ぎたかな?・・・まぁ、いーや・・・

おしまい
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