【平家物語 第十巻 千手】
兵衛佐頼朝殿は三位中将重衡殿と対面していいました、
『後白河法皇の憤りをなだめ、父の仇を討とうと思い立ったからには、平家を滅ぼす事を考えていたが、まさかこの様にお目にかかるとは思ってもいませんでした、この調子だと屋島の宗盛殿にもお目にかかれそうですな・・・
ところで、奈良を焼き滅ぼされたのは亡き清盛殿の仰せですかな?、それとも時機を見計らってのことですかな?、いずれにせよ、とんでもない所業ですぞ!』
三位中将重衡殿は
『奈良炎上については亡き父清盛の処置でもなく、私の企てでもありません・・・ただ衆徒らの悪行を鎮めるために出陣したものの、思いもよらず寺院を焼滅させるに至ったのは自分の力不足でした・・・
昔は源平共に朝廷の左右に控えて警護していましたが、最近源氏の運が尽きた事は誰もが知る所で、今更いう事でもありません・・・当家は保元・平治の乱以来、度々朝敵を征伐し、その褒賞も身に余る程で、父清盛は太政大臣の座に就き、一族の昇進は六十余人、二十余年の間の繁栄は言葉ではいい表せません
!
しかしながら朝敵を討った者は七代まで朝恩を失わないなどというのはとんでもない間違いです、亡き父清盛が、後白河法皇の為に命を捨て様とした事は何度もありましたが、彼一代の栄華であり、子孫はこの様になってしまったのですから・・・命運尽き都を出てからは、屍を山野に晒し、不名誉を西海の波に流そうと思っていました・・・生きながら囚われて鎌倉まで下るとは夢にも思いませんでした・・・ただ前世の宿業が恨めしい!
しかし、殷の湯王は夏の獄に繋がれ、周の文王は殷の羑里城に囚われたと史記にあります、古代でもこの通りですから末世では尚更です、武人たる者、敵の手にかかり死ぬ事は決して恥ではありません、貴殿に情けがあるなら今すぐこの首を刎ねて頂きたい!』と答えると、その後は何も語りませんでした・・・
これを聞いた梶原景時は、見事な大将軍だと涙を流しました、侍たちも皆袖を濡らしました、頼朝殿も平家を私敵などとはゆめゆめ思ってはいないが、ただ後白河法皇の仰せが重たいと席を立たれました・・・
奈良を滅亡させた重衡は寺院の敵であり、宗徒らもいいたい事があるはずだろうとの事で、伊豆国の住人狩野宗茂に預けられました・・・
重衡の様子は、娑婆世界の罪人を冥土で七日ごとに十人の王に渡す時の様に見えて哀れでした・・・
狩野宗茂も情けのある者だったので、それほど厳しく接する事なく、あれこれと重衡をいたわり、湯殿を作って湯を引いたりしました、ここまでの道中で汗をかき、不快だから身を清めて処刑するんだなと思っておられた所、そうではなく、年の頃二十歳ほどの色白で清らかで髪型の実に美しい女房が、絞り染めの帷子に染付けの湯巻をまとって湯殿の戸を押し開けて入って来ました・・・
少しして、年の頃十四、五歳の袙の丈ほどの髪の女童が、小村濃の帷子に湯を注ぐタライに櫛を入れて持って来ました・・・重衡はこの女房に世話をされながらしばらく湯を浴び、髪を洗わせなどして上がられました・・・
その女房が暇を告げて出る時にいいました、
『男では味気なく思われるだろう、女なら却ってよいのではないかという事で参りました・・・どんな事でも御要望があれば承る様にと頼朝殿が仰せになりました・・・』
重衡は、
『今はこのような身になって何も思う事はない・・・ただ、出家をしたいと思っている・・・』と返しました・・・
女房は帰ってこの事を伝えました・・・
頼朝は、
『それは思いもよらぬ事だ、しかし、私的な敵であればどーとでも出来よーが、朝敵として預っているのだから、それを許す事は無理だ』といいました・・・
その後、重衡は警護の武士に尋ねました、
『ところで、今の女房は実に優雅な人であったが名は何と言うのだろう?』
『あれは手越の長者の娘で名を千手の前といいます、容貌も気立ても素晴らしく、この二、三年は頼朝殿に仕えておいでです』と警護の武士は答えました・・・
その夜、雨が降り何もかもが物寂しげな折、その女房が琵琶と琴を持たせてやって来ました、狩野宗茂は家子、郎等十余人を引き連れて重衡の御前近くに控えており、宗茂が酒を勧め千手の前が酌をしました・・・ 重衡は少し受けたが、実につまらなそうにしていたので、宗茂は、
『もう聞いておられるかも知れませんが私はもともと伊豆国の者で、鎌倉へは旅で来ているのですが、思いつく限りの事はお世話したいと思っております・・・怠けて咎められても私を恨むなよと頼朝殿もいわれました・・・ほら、そなたも何か謡って、酒を勧めなさい』というと、千手の前は酌を差し、薄い衣を重たいからと、上手に舞えない事を機織り女のせいにするという朗詠を二度しました・・・
重衡は、
『この朗詠をする人を、菅原道真公は日に三度、天から翔け下りて守るとお誓いになったという・・・私は現世に於いては既に捨てられた身であり、歌を添えてもどうにもならない・・・しかし、罪が少しでも軽くなるならば、後について歌ってみようか』と言われると、千手の前はすぐに、十の悪を犯しても仏は浄土へ連れて行くという朗詠をし、極楽浄土を願う人は皆、阿弥陀如来の名を唱えよという今様を四、五回歌い終えた時、重衡は盃を傾けました・・・
千手の前はそれを受け宗茂に差す、そして宗茂が飲む時に琴を弾きました・・・
重衡は、
『この楽は普通は五常楽と言うけれど、私にとっては後生楽と思うべきかな?、ではすぐにも往生の急を弾かねばな』
と戯れて、琵琶を取ると転手をねじって弦を張り、皇麞急を弾じられました・・・
すっかり夜も更け、心も落ち着き、東国にもこのように風雅を解する人がいたとは、さあ、なんでもよいからもう一声といわれると、千手の前は重ねて、一樹の陰に宿り逢い、同じ流れの水をすくうのも、すべてはこれ前世の契り、という白拍子を何とも趣深く謡ったので、重衡も、燈火が暗くなって虞氏数行の涙を流すという朗詠をしました・・・
この朗詠の意味ですが、昔、唐土で漢の高祖と楚の項羽が帝位を争い七十二回の合戦をしましたが、そのたび項羽が勝利を収めた事がありました、しかし、ついに項羽が合戦に敗れて滅ぶ時、一日で千里を翔る騅という馬に乗って虞氏という后と共に逃げ様とした所、馬は何を思ったのか脚を揃えて動こうとしない、項羽は涙を流して我が威勢はすっかり落ちてしまった、敵の襲撃など物の数ではない、と、この后に別れる事ばかりを夜通し嘆き悲しみ合われた・・・
燈火が暗くなってくると虞氏は心細さに涙を流しました、更けゆくに従い敵の軍兵が四方から鬨の声を上げました・・・
この心を橘広相が賦にしたのを、重衡が今思い出だしたのだろうか・・・なんとも優雅に聞こえました・・・
そうこうしている内に夜も明けたので、武士達は暇を告げると退出しました、千手の前も帰りました・・・
その朝、頼朝が持仏堂で法華経を誦している所へ千手の前がやって来ました・・・頼朝は微笑んで、
『さても昨夜は見事な仲立ちをしたものだな』というと、近くで仕事をしていた中原親能が『どういう事ですか?』、と尋ねて来たので、頼朝はこういいました、
『平家の人々は甲冑、弓矢の他に興味は無いだろうと常々思っていた・・・しかしながら三位中将重衡殿の琵琶の撥音、朗詠の様は夜通し立ち聞きしていたが、なんとも優雅な人物であった』
親能は
『昨夜はちょうど体の具合が悪くて聞けませんでした・・・今後は毎度立ち聞きしようと思います!
平家は代々歌人や才人達が多いですから・・・先年、彼らを花に譬えたとき、この三位中将重衡殿を牡丹の花に譬えた事がありました』といいました・・・
千手の前は却って物思いの種となってしまった様です・・・それ故、重衡が奈良へ連行されて処刑されたと聞くと、すぐに出家して濃墨染にやつれ果て、信濃国善光寺で修行して彼の菩提を弔い自分も往生の素懐を遂げたという・・・
いきなりソープランド待遇ですね(笑)
『どんな事でも御要望があれば承る様にと頼朝殿が仰せになりました・・・』 って、そーゆー事ですよね?(笑)
出家がどーのーなんて嘘つきやがって重衡の奴め・・・絶対美女のサービス受けてるよ・・・
名前なんか聞いちゃって興味深々じゃないか!・・・本人に聞けずに警護の武士に聞くなんて思春期かっ!
千手前も重衡の死後は出家した様で・・・お互いほのかな恋心みたいな物を抱いていたんでしょうかねぇ?
とまぁ、【平家物語】ではこんな感じに2人のやりとりが描かれています・・・悲恋ですねぇ・・・
斬首となると分かっている男を好きになってしまった千手前・・・どんな気持ちだったんでしょう?
悲恋といえば【扇ノ井】のページで話した頼朝の長女の大姫と木曽義仲の息子の義高の話がありますが、父義仲の死を知り、身の危険を感じた義高が鎌倉を脱出したのは何と、重衡が風呂場で千手前からサービスを受けた翌日の事であります!・・・悲しい恋は連鎖するんでしょうかねぇ?
【吾妻鏡】によると、元暦2年(1185)6月9日に重衡は興福寺の僧兵達の身柄要求によって南都奈良へ送られています!
同月22日には東大寺に送られ、翌23日に首を刎ねられた様です・・・
ついでに千手前のその後も【吾妻鏡】で追って見ましょう!
文治4年(1188)4月22日 戊子
夜に入り、御台所の御方の女房(千手の前と号す)御前に於いて絶入し、則ち蘇生す。日来差せる病無しと。
暁に及び、仰せに依って里亭に出ると云々。
夜になって千手前が気絶したけどすぐ復活した様です!・・・大事を取って自宅に戻された様ですね・・・
つーか出家したんじゃないのかよ?・・・何で鎌倉に居るんだよ!?
文治4年(1188)4月25日 辛卯
今暁千手の前(年二十四)卒去す。その性太だ穏便、人々惜しむ所なり。前の故三位中将重衡参向するの時、不慮に相馴れ、彼の上洛の後、恋慕の思い朝夕休まず。憶念の積もる所、若くは発病の因たるかの由人これを疑うと。
アレ?死んじゃったよぉ(笑)・・・24歳かぁ・・・可哀想に、まだまだこれから楽しい事いっぱいあっただろうに・・・
重衡に対する恋煩いが原因じゃないかって皆が考えている様ですが、死因は明記されていませんので断言は出来ませんね・・・スズメバチに刺されて死んだって可能性も否定は出来ません!・・・拾い食いして食中毒かも(笑)
どーでもいいけど出家してなさそーだし、善光寺も行ってなさそぉーだなコリャ・・・
【平家物語】よりは幕府公式記録の【吾妻鏡】を信じるべきですよね?
ちなみに【平家物語 第十二巻 重衡被斬】では、重衡が鎌倉から南都へ送られ、その首を斬られる所まで詳しく書かれています・・・まぁ、だいぶ脚色されてはいると思いますけどね・・・
その際に都へは入れなかったので、大津から山科を通り、醍醐を経て行ったので日野が近かったんですよ!
そこで重衡はこんな事をいい出します、
『この度、各々方が情け深く自分の世話を焼いてくれた事は何よりも嬉しかった・・・今一度、最後にお願いしたい事がある・・・私には子がいないのでこの世に思い残す事はないが、長年連れ添っていた女房が日野という所にいると聞いたので、もう一度逢い、後世の事を話して置きたいと思うのだよろしいか?』
子がいないといってますが、良智という息子がいた可能性があります・・・
【鶴岡八幡宮供僧次第】によると、彼は重衡の子とされていて、3代将軍実朝暗殺の際には公暁との共犯の疑いをかけられて取り調べを受けていた様です・・・まぁ、細かい事はいいか・・・
武士達も皆涙を流して『女房の事など何の問題がありましょう、さあ、すぐにでも』って感じで奥さんと会う事に!
えぇ~!って感じなんですけど・・・何か千手前が可愛そうな気が・・・綺麗な話で終わって欲しいのに・・・
重衡には輔子っていう奥さんがいて、彼が一の谷で生け捕りになった後は安徳天皇に仕えていました・・・
その後、壇ノ浦で安徳天皇が入水すると捕えられて京に連れられ、姉の成子と共に日野で暮らしていたんです!
涙の再会を果たした2人・・・重衡は前髪を噛み切って形見として渡したり、綺麗な服に着替えたり、歌の交換をしたりと有意義な時間を過ごした様です・・・
『なんとかして顔を見たいと思っていたので、もうこの世に露ほども未練はありません!』
といっていました・・・千手前の事なんか露ほども考えてない御様子・・・報われねぇなぁ・・・
『後の世でもう一度巡り逢いましょう・・・どうか一蓮托生を祈ってください・・・日も傾きました、奈良はまだ遠いですし武士達を待たせるのも気になります・・・』
というと、引き止める輔子を振り切り、重衡は出立したのでした・・・
輔子の泣き叫ぶ声は門の外遙かまで響き、それを聴く重衡も涙で前が見えなかったんだってさ・・・
やっぱ本妻は強しってトコロでしょうかねぇ・・・千手前は遊びだったのかな?(笑)
【重衡被斬】には、重衡が木津川で斬首されるシーンも詳しく書かれているので、興味のある方は是非読んでみて下さいまし・・・2人の再開シーンは【平家物語】でも結構メジャーなシーンです!
しかし、人生ってドコでどーなるか分かりませんね・・・常に分岐の繰り返しです・・・
後白河法皇は一ノ谷で生け捕りになった重衡の身柄と、平家が都落ちのドサクサに紛れて持ち去った三種の神器の交換を試みましたが、この要請を平宗盛は拒否したんです・・・
これを受け入れていれば、重衡の今後はまた違った物になっていたかも知れませんね・・・
でもそーすると、鎌倉に送られる事もなくなる訳で・・・千手前との出会いも無かったでしょう・・・
風呂場で千手前のサービスが受けられません!・・・う~ん、どっちが正解だったのかなぁ?(笑)
【新編鎌倉志】もみて見ましょう!
【教恩寺】
教恩寺は、寶海山と號す。米町の内にあり。時宗、藤澤道場の末寺なり。里老の云、本は光明寺の境内、北の山ぎはに有しを延寶六年に貴譽上人此地に移す。【善昌寺】元此の地に善昌寺と云て光明寺の末寺あり。廃亡したる故に教恩寺を此に移し、元の教恩寺の跡を所化寮とせり。本尊阿彌陀、運慶が作。相傳ふ、平の重衡囚れに就て此の本尊を禮し臨終正念を祈りしかば、彌陀の像、打うなづきけるとなん。
寺寶
【盃 壹箇】 平の重衡、千壽前と酒宴の時の盃なりと云傳ふ。大さ今の平皿に似て浅し。木薄くして軽し。内外黒塗、内に梅花の蒔絵あり。
寺宝の盃は先程の【吾妻鏡】や【平家物語】にも登場した物と同一の様ですね!
重衡と千手前の出会いの証・・・これはロマンがありますねぇ・・・つ~か胡散臭ぇ~(笑)
現在も教恩寺に実在しているんすかねぇ?・・・手持ちの資料には阿弥陀と観音しか載ってないなぁ・・・
微妙だなぁ・・・あまり調べずにそっとして置いた方がいいかな・・・2人のロマンスにケチをつけるのは野暮ってもんです! |