ブログ 続・畠山重保墓タイトル
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前回に引き続き、今回も畠山重保の墓を探して釜利谷地区を彷徨っています・・・
彷徨うって表現はちょっと違うかな?・・・識者からの助言で場所は確定しましたから!
禅林寺からは結構離れていました・・・どーやら境外墓地という形で管理されている様です・・・
そりゃぁいくら探しても見つからない訳だ・・・寺から離れ過ぎだってばよぉ(笑)

他にも重保に所縁のある場所を教えて頂いたんで、取り敢えずそこから墓へ向かおうと思います!
白山道バス停1 白山道バス停2
『白山道』というバス停です・・・
その昔、人々は称名寺から白山道、朝夷奈切通を経て鶴岡八幡宮へと向かったそーです!
現在の白山道はアスファルトの敷かれた普通の道路ですが、古くからある道である事は確かです!
切通や微妙な磨崖仏が残されている場所等もありますんで、往時に思いを馳せながら歩くのもいいかも知れません・・・
って一応いってみましたが・・・まぁ、普通の道です(笑)
六郎橋1 六郎橋2
180度ターンしてバス停に背を向けると、こんな感じの風景になります・・・
横断歩道の先に橋があります・・・暗渠と化していますが、なんと、このショボイ橋が重保関連物件なんです!
六郎橋3 六郎橋4
『六郎橋』とあります・・・畠山六郎重保ですね・・・重保の通称は六郎です!
下を流れる川はこんな感じ・・・川とゆーかドブって感じですね・・・

まぁ、何にせよ重保の名を冠した橋が釜利谷の地には現存しています!
橋の名称は滅多に変わりませんから、昔からあったとすれば重保に所縁のある土地である可能性が出て来ますね!
往時はどんな橋だったんでしょうか?・・・今となっては知る由もありません・・・

さぁ、そろそろ重保の墓へ向かいましょうか!・・・ココから歩いてすぐです!
白山道1 白山道2
京急六浦駅方面へ繋がる道を進んで行くと、白山道トンネル手前左側に公園があります!
白山道六郎ヶ谷公園1 白山道六郎ヶ谷公園2
その名も『白山道六郎ヶ谷公園』・・・この辺りは『六郎ヶ谷』と呼ばれていた様ですね・・・重保との繋がりを感じます!
この公園の脇道を入って行った先に重保の墓があるそーです!・・・ちなみに道標などはありませんよ!
通りからも見えませんので、ちょっと不親切かな?・・・とも思いました・・・
この道へ入ろうと思った暇人にしか御対面の機会は無いとゆー事です・・・
墓はどんな感じなんでしょうか?・・・この様子ではちょっと・・・不安になってしまいますね(笑)

まぁ、今回は『ココにある!』と分かっているんで普通に入りますけど、何も知らなかったら素通りだろうなぁ・・・
伝畠山重保墓1 伝畠山重保墓2
右に曲がった先は駐車場になっている様です・・・そして、奥に見えるのが重保の墓ですね!
いやぁ~随分と立派じゃないですか!?・・・これはいい意味で裏切られた感じです!
自分はもっとショボイ物を勝手に想像していました・・・金掛けてんなぁ!
禅林寺は由緒正しい寺である事は前回述べましたが、やっぱ金も持っていたか(笑)

冗談はさて置き、もっと近付いて良く見てみましょう!
伝畠山重保墓3 伝畠山重保墓4
『畠山六郎重保公廟所(畠山重忠公御子息)』と記されています・・・
つーかガッツリとガードされていて、これ以上近付く事は叶いません!

隅っこに五輪塔が祀られています・・・立派なのはいいですが、五輪塔一基にこのスペースは広過ぎやしないか?
パッと見は『おおっ!』って思いますけど、近付いてみたら実はショボかった感は否めません(笑)
別に文句をいうつもりはありませんけど、なんかなぁ・・・もったいないなぁこの空間・・・って感じるのは自分だけ!?

案内板が立っているので取り敢えず見てみましょう!・・・公園横の入口にも立てればいいのになぁ・・・
伝畠山重保墓案内板
史跡として登録されてから、まだ一年も経っていない様ですね・・・
それよりも気になるのは『土人云畠山重保、此邊の山中にて自害せしを爰に葬れりと。』って一文です!
幕府の公式記録である【吾妻鏡】の由比ヶ浜死亡説と話が食い違いますねぇ!?
この辺の山中で自害したといっています・・・この【新編武蔵風土記稿】の説は中々興味深いです・・・
もし、これが正しい歴史だとしたら、由比ヶ浜で殺されたのは一体誰だったんでしょう?・・・影武者か?(笑)
伝畠山重保墓5
復元されたという地輪は、それほど違和感も無く、イイ感じに纏まっていますね・・・
でも銘文などは地輪部分に刻まれるパターンが多いので、それが失われているのは痛いですねぇ・・・
もっとも本物も文字が磨滅して判読不能だったとの事ですが・・・

色々と納得がいかない事もありましたが、とにかく釜利谷の伝畠山重保墓を拝む事が出来ました!
えがった、えがった・・・ホントにえがった!

さて、横浜市教育委員会の【地域文化財登録調書】を見てみますか!

伝畠山重保墓
種 別:地域史跡
区 域:横浜市金沢区釜利谷南一丁目5番 禅林寺境外墓地の一部
所有者:宗教法人禅林寺 代表役員 菊地茂雄 横浜市金沢区釜利谷東六丁目40番32号
所在地:横浜市金沢区釜利谷南一丁目5番 禅林寺境外墓地
時 代:南北朝時代

金沢区釜利谷の白山道周辺には、史実としての史料は確認できないが、畠山重忠・重保父子に関する伝承が散見する。
「新編武蔵風土記稿」には、宿村の小名として「六郎谷、白山の内なり、坂本村に畠山六郎重保の墓あり、それに近き邊りなればかく呼。」とあり、また、同村内東光寺(現、東光禅寺)の項には寺宝として畠山重忠の「鞍一口」が所蔵されていることが挿絵入りで記されていて、この鞍は現存し江戸時代前期のものとして、「酸漿蒔絵鞍」の名称で、横浜市有形文化財(工芸)に指定されている。

また、風土記稿には境内に「畠山重忠戦死舊蹟」があるとして「土人畠山次郎重忠此山中にして自害せしと云。」と記載されていて、現在境内には畠山重忠供養塔と呼ばれる室町時代の石塔断石を寄せ集めたものが存在する。

坂本村の項には、「畠山重保墓、北の方宿村の境にあり、五輪の石塔にて文字あれど磨滅せり、土人云畠山六郎重保、此邊の山中にて自害せしを爰に葬れりと。」と当該資料のことが記載されている。
所在地は、風土記稿にいう「六郎谷」の奥部に位置し、釜利谷東にある禅林寺の境外墓地として、同寺で管理している。安山岩製の五輪塔で、各輪に五輪塔四方の梵字を刻む。五輪塔は鎌倉時代末期乃至南北朝時代初期の形を呈するが、刻まれた梵字の線がやや弱く、南北朝時代のものと推定される。横浜市域に残る安山岩製五輪塔の中でも優品の部に属するものであろうが残念なことに地輪は失われていた。風土記稿に「文字あれど磨滅せり」とあるが、通常銘文のある地輪は失われている。

現存する地輪は、平成 5 年に禅林寺の創建五百年記念事業の一環として復原されたもので、残存部と均整のとれた違和感のない地輪が後補されている。また、敷地内および参道も同時に整備され、五輪塔は巾2.5m、奥行2mの新設の石柵により保護されている。
毎年3月18日には、禅林寺が中心となって、畠山氏子孫、地域住民等が参加する墓前祭が行われていて、地域の伝承を象徴するものとして、地域文化財の史跡にふさわしいものである。

南北朝時代ですか・・・この五輪塔も鎌倉のそれと同じく、重保の死からかなりの年月を経た後に造られた様ですね・・・
史実がどーのーなんて、史料が無いんですから考えるだけ無駄です・・・
地域の人々の言い伝えでは、これが重保の墓なんです!・・・それが全てだし、それでいいと思います!

ただし、父である重忠もこの辺の山中で自害したという話はちょっとなぁ・・・
現在、東光禅寺には畠山重忠の供養塔があるともいっていますね・・・
でもなぁ・・・やっぱ重忠は二俣川で憤死して貰った方がカッコイイなぁ(笑)

そーいやぁこの間友人が、『東光禅寺には畠山重忠の念持仏があるらしいぞ!』っていってたなぁ・・・
伝畠山重保墓6 とにかく、東光禅寺に行ってみましょうか!
ココからすぐ近くですし!
重忠愛用の鞍もあるみたいですしね・・・
でも江戸時代前期の作って?
重忠が死んでから400年以上経ってますよね!?
まぁ、もぉ、そんな事はどーでもよくなって来ました(笑)

ちなみに伝畠山重保墓の前にある駐車場は、来訪者用のそれではないのでご注意を!
一応、紹介した物件のマップを貼って置きますね!・・・釜利谷畠山ウォーキングの参考にでもして下さい!
自販機1 自販機2 
そーいえば、白山道六郎ヶ谷公園の向かいにある自販機には¥80で購入できる商品もありました!
安いなぁ・・・でも自分が子供の頃は普通にこれ位の価格帯だった気がします・・・
ガソリンなんか現在の半値以下だったもんなぁ・・・そりゃぁ年取る訳ですね(笑)
東光禅寺1 東光禅寺2
さて、東光禅寺ですが・・・道路が狭いです・・・こーゆー道は車では走りたくないですねぇ・・・
車に乗ってても、歩いていても気を使いますよね?
駐車場あるのかな?・・・と、気になりましたが、寺の正面にちゃんとありました!
東光禅寺3 東光禅寺4
山門はこんな感じ・・・塀があるので正面からは入れません!・・・右側にある塀の切れ目からお邪魔します!
開基は畠山重忠の様です!・・・ホントかよ!?
昔、鎌倉には護良親王が殺害された『東光寺』という寺がありました・・・現在は跡地に鎌倉宮が建っています!
で、その東光寺がこの地に移設されて東光禅寺となったってゆー説があるんです・・・
真偽のほどは知りませんが、そーゆー経緯で自分はこの寺の存在を以前から知ってはいました・・・
でも訪れるのは今回が初めてで、畠山重忠に所縁があるなんて話も友人から聞くまでは全く知りませんでした・・・
何だかワクワクしますね・・・こーゆーパターンは大抵は裏切られるんですけど(笑)
東光禅寺5 東光禅寺6
塀沿いに山門まで進む間には横浜市指定有形文化財がある事を示す標柱が建っていました・・・
案内板も並んでいます・・・見てみましょう!
東光禅寺7
どーやら『絹本着色釈迦十六善神図』とゆー代物を所蔵している様ですね・・・
案内板が劣化していて絵がイマイチ見難いです・・・
東光禅寺8
案内板はもうひとつ並んでいます・・・『酸漿蒔絵鞍』とあります!
これが重忠愛用の鞍なんでしょうか?・・・でもその事には一切言及していませんね・・・何で!?
やっぱ教育委員会的には江戸時代の代物を重忠愛用と言い張るのは無理があると思ったんでしょうか?(笑)
まぁ、ねぇ・・・ぶっちゃけどーでもいいですけどね・・・
自分的にはそれよりも重忠の供養塔の方が興味を惹かれます!・・・ドコにあるのかな?
畠山重忠供養塔 東光禅寺9
突き当りには宝篋印塔と五輪塔をテキトーに組み合わせた物が置かれていました・・・
まさかこれが重忠の供養塔なんでしょうか?・・・でもそれを示す案内板の様な物は見当たりません!
まさかねぇ・・・もし、そーであれば、開基の供養塔ですから寺側ももっとアピールするでしょう!

さて、『白山』の額を掲げた山門を潜りましょうか!
東光禅寺10 東光禅寺11
と、何やら色々と置いてありますね・・・取り敢えず見てみましょうか!
東光禅寺12 東光禅寺パンフレット
ん!?・・・これは!?・・・百貫点付きの『巨福』ですね!
一山一寧が筆の勢いで付けてしまったという点です・・・鎌倉観光に訪れた人は高確率で目にしていると思います!
そーです、建長寺の総門の額に書かれている『巨福山』の文字にも同じ百貫点が付いています!
東光禅寺は臨済宗建長寺派だったんですね・・・へぇ~・・・

寺のパンフレットも置いてありました・・・観光寺に置いてある様なフルカラーのしっかりとした物です!
拝観料を徴取しない寺ではあまり見掛けない代物ですよ!・・・素晴らしい!
寺の縁起や文化財の紹介等々・・・真偽のほどは別としても親切ですねぇ・・・
文化財の案内板は立っているのに、寺の縁起を記した物が無いなぁ・・・と思っていましたが、このパンフレットがあればその必要も無いって事か・・・
東光禅寺13 東光禅寺14
境内は狭いです・・・所狭しと草木が育っていますんで、尚更そー感じさせられるのかも知れません・・・
本堂前のウメの木が邪魔だなぁ・・・と思っていたら・・・
東光禅寺15 東光禅寺16
横浜市から名木古木の指定を受けている様ですね・・・でも、邪魔だなぁ(笑)
ウメの季節に訪れれば雰囲気も変わるんでしょうけどね・・・今回は邪魔です!
東光禅寺17 東光禅寺18
本堂内部はこんな感じです・・・畠山重忠の念持仏であったという薬師如来がチラ見えしていますね!
日光、月光菩薩・・・そして十二神将も従えています・・・

この薬師如来についての案内板がありますんで見てみましょう!
東光禅寺19
畠山重忠の念持仏であったという記述は一切見られませんね・・・
でも慶派の特色が明らかであり、鎌倉時代初期の一躯であるとゆー事は、一応、時代的には重忠と重なりますね!

ちなみにパンフレットには重忠の念持仏として紹介されていました・・・馬具も重忠愛用と紹介!
教育委員会と寺との重忠に対するこの温度差は何なんでしょう?・・・まぁ、どーでもいいけどさ(笑)

重忠の供養塔を探す為に本堂裏の墓地エリアへと進みます!
東光禅寺20 東光禅寺21
階段を上ってと・・・
東光禅寺22 東光禅寺23
え!?・・・墓はこれだけですか?・・・少なっ!・・・まぁ、前回みたいに歩き回されるよりはいーか・・・
雰囲気の良い石仏ですねぇ・・・でも重忠の供養塔らしき物は見つかりませんでした・・・

やっぱ、山門の所にあったアレがそーなんでしょうか?・・・つーかアレ以外無いっすよね?(笑)
案内板のひとつでも立てといてくれればいいのに・・・ねぇ?
東光禅寺24 東光禅寺25
ちょっと残念な気持ちで境内を出ます・・・なんかツメが甘いんだよなぁ(笑)
東光禅寺26 ちなみに本堂天井に描かれた龍のツメは3本でした・・・
日本画僧月海豪澄法師作だそーです!

今回、畠山重保の墓探しから始まり、様々な情報を入手する事が出来ました・・・
畠山氏が金沢区釜利谷の地と何かしらの関わりを持っていた可能性も簡単には否定できないかも知れません・・・
言い伝えとはいえ、これだけの物件が揃っていますしね!
ロマンを感じますねぇ(笑)
一時期、畠山重忠がこの地を治めていたという説もあるそーです・・・
でも、ココを畠山父子自刃の地とするのはちょっと強引だなぁ・・・【新編武蔵風土記稿】は、一度熟読してみたいかも!
二俣川村の方には何て書いてあるんでしょうかね?・・・気になりますなぁ・・・

金沢の地名も秩父の金沢村から取った物だという説があるそーです・・・
鉄鉱石の産地である金沢村から重忠に従ってこの地に移り住んだ鍛冶職人・・・そして、そのまま地名となった金沢は金沢北条氏の金沢姓にまで繋がって行ったのではないか?・・・とゆー考察をしている学者さんもいます!

余計な知識があると、素直に話を受け入れる事が出来ないとゆー弱みがあります・・・
自分もそーかも知れません・・・
例えば、鎌倉の辻薬師堂の薬師如来は、その胎内銘札から医王山東光寺の本尊であった事が判明しています!
十二神将もメッチャ迫力があってカッコイイです!
まぁ、それはいいとして・・・するってぇ~とですよ・・・東光禅寺の薬師如来は何なのさ?
てぇ~感じになりますよねぇ?

やはり納得の行かない事も多かったですが、何だかんだで色々な情報に触れる事が出来た今回の行程は、自分的には興味深い物であった・・・てー感じで締め括らせて頂きたいと思います!

おまけ


友人I氏が仕事の合間に撮って来たとゆー旭区の重忠物件・・・せっかくですから貼らせて頂きましょう!
圧縮し過ぎてノイズが出まくってますが、まぁ、いーか・・・気にしない気にしない・・・
送って頂いた物にケチをつけるのは良くない行為です!・・・常に感謝の気持ちを忘れずに・・・
さすればいつの日か更に素晴らしい一枚が届くかも知れません(笑)
畠山重忠首塚
首塚
六ツ塚
六ツ塚
鶴ヶ峰・二俣川合戦の地
吾妻鏡 鶴ヶ峰・二俣川合戦の地
『吾妻鏡』と明記している所に旭区の意地を感じます(笑)

友人曰く『唯一の観光資産として畠山重忠をフル活用している旭区は凄い!』・・・との事・・・
確かにフル活用してる感は強いですね(笑)
別に生誕の地って訳でもなく、たまたま戦死した場所です!

以前、『重忠最中』とかゆー商品を見掛けた事がありましたが、まだ売ってんのかな?
でも『〇〇最中』って商品名はベタ過ぎですよねぇ?(笑)

旭区といえばズーラシアもありますが、最近はどーなんでしょう?・・・集客力あるのかな?
ズーラシアと重忠の2枚看板で観光客を誘致・・・できるのか?
いやいやいや、二俣川には運転免許試験場があります!
神奈川県で免許を取得する輩は一度は訪れなくてはならない場所です!・・・あの集客力はバカに出来ないですよ!
自分も更新等で何度か訪れていますが、いつ行っても激混みです!・・・手続きの長蛇の列にウンザリです・・・

何で神奈川県には1箇所しかないんでしょう?・・・おかしいでしょ!?
人口密度を考えれば2、3箇所は欲しいです!
そーすれば訪れる人の数も分散され、ストレスなくイイ感じになると思うんですが・・・どーでしょうか?

集客に限って言えば旭区的にはマイナスになるのかな?
ならばいっそズーラシアも運転免許試験場にしてしまったら如何な物か?(笑)
動物園と試験場のコラボは結構画期的かも知れませんよ!・・・サファリパークみたいな感じですかね!
バイクは猛獣に襲われない様に気を付けましょうね!(笑)

だいぶ話がズレてしまいましたが、畠山重忠関連の物件は全国至る所にあります!
自分がお世話になっている寺が管理しているお不動様も、重忠の守護仏であるという言い伝えがありますし(笑)
寺の向かい側の山は『畠山』といい、重忠が衣笠城を攻めた時に陣を張った場所ともいわれています・・・
まぁ、これ等についてはその内に紹介する機会もあると思います!

重忠関連物件は、探せば幾らでも出て来そーですね・・・真偽の程は別として(笑)

おしまい
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