ブログ 大宝寺タイトル
鎌倉探訪  
晴れ 名越
天気の良さに誘われる様に自転車を走らせる自分・・・海が見たい(笑)
何か知りませんけど自転車に乗っていると海が見たくなる自分です・・・何故かって?
理由は良く分かりません・・・単に鎌倉の海岸線は起伏が少なくて楽なイメージがあるからでしょうか?
まぁ、とにかく海が見たくなるんです!・・・理由なんて物は大抵はこじ付けですから・・・本能に従いましょう!(笑)

逗子市内で所用を済ませた後、海といっても砂浜な気分ではなかったので、逗子マリーナ、小坪漁港辺りの雰囲気を楽しもうかな・・・なんて考えていたら、なんと、逗子マリーナ方面へ入る交差点を知らない内に通り過ぎていました!
鎌倉へ入る時は大抵は名越の坂を越えて行くので、この道は真っ直ぐ進むのが習慣になってしまっていた様です・・・
慣れって怖いですね・・・それとも自分がアホなだけなのか?(笑)
まぁ、少し遠回りになるけど、この先のトンネルを越えた所からも逗子マリーナ方面へ入る道はあるので大した問題ではありません・・・普通に通り過ぎてしまった自分の行動が大問題です!・・・脳の劣化が激し過ぎます!(笑)
新小坪トンネル1 新小坪トンネル2
坂道を上るとトンネルが待ち構えています!・・・『新小坪トンネル』というらしいです!
このトンネルを抜けると信号があり、左へ入ると逗子マリーナへと道は続きます・・・
新逗子隧道1 新逗子隧道2
二つ目のトンネルは『新逗子隧道』というらしい・・・らしいって地元民なのにトンネルの名前も知らんのか?
って思われるかも知れませんが、ココは上下線合わせて六つのトンネルが密集しているので、地元民でも意外とトンネル名までは知らない人が多いと思います・・・どれがどれだかゴッチャになってしまいます(笑)
『お化けトンネル』で通用するので、名前を覚える必要が無いというのも理由のひとつかも知れません・・・

二つ目のトンネルを抜けた所を左折しても逗子マリーナへ行けます!・・・ちなみに車は左折禁止です!
新名越トンネル1 新名越トンネル2
そして最後のトンネルは『新名越トンネル』というらしいです(笑)・・・馬淵建設さん、よー掘った、ご苦労さんです!
名越2 鎌倉市
トンネルを抜けると鎌倉市となります・・・ココからは気持ちの良い下り坂です!
名越3 踏切
気持ち良く一気に下っていると横須賀線の踏切に捉まる・・・自分はこのパターンが多いです・・・
何故か知らないけど絶妙のタイミングで電車が来るんですよねぇ・・・慣性の法則のみで安養院くらいまで距離を稼ぎたいのに、何故か知らないけど良く止められるんだよなぁ・・・まったくもぉ(笑)

ってアレ!?・・・自分はなんで普通に鎌倉入りしちゃってんすか!?
逗子マリーナ行くんじゃなかったんかい?・・・ホントやばいな・・・若年性アルツハイマーの疑いあり?
まぁ、来ちゃったモンはしょーがない、テキトーに巡るか・・・切り替えが早い事は自分の長所だと自負しています!

ドコ行こうかなぁ?・・・やはり逗子マリーナへは行きたいので、巡るにしても大町、材木座辺りの物件にして置きたい!
大町のローソン手前 大宝寺への道1
三枚橋を過ぎてローソン手前の信号で右折・・・久し振りに釈迦堂口切通の様子を見に行く事にしました・・・
何の変哲もない道を進みます・・・でも、意外とマイナー物件の多い地区でもあります(笑)
案内板1 案内板2
しばらく進むと道の左側に案内板が立っています・・・やっぱ釈迦堂口切通は遠いなぁ・・・
最後の登り坂もハンパないし、やめとくか・・・てー事でココで左折する事にしました・・・
大宝寺1 大宝寺2
すると、コチラも久し振りの来訪となりますが、大宝寺という日蓮宗のお寺があります!
入口には例の史跡碑が建っていますが、取り敢えずそれは置いといて、まずは案内板を見てみましょう!
大宝寺案内板
新羅三郎義光と、その子孫である佐竹氏に所縁の深いお寺です!
【八雲神社】のページでも述べましたが、義光は兄の助勢に向かう途中鎌倉を訪れ、疫病に苦しむ此の地の民を救う為に京の祇園社を勧請したという話があります・・・それが現在の八雲神社(大町)であり、ココ大宝寺もその近くに建っています・・・まぁ、とにかく境内へ入りましょう!
大宝寺3 大宝寺4
小さな寺ですが、良く手入れされていて好感が持てます・・・気持ちの良い境内ですね!
大宝寺5 大宝寺6
井戸は現役なんでしょうか?・・・建物も質素なイメージで好感が持てます・・・
大多福稲荷大明神1 大多福稲荷大明神2
なにやら鳥居が建っています・・・その奥にあるのが先程の案内板にあった多福明神社ですね!
大多福稲荷大明神3 石造りの社です・・・といってもこれは・・・
ちょっと安っぽい感じがしますね・・・
なんてゆーんでしょうか?・・・趣が足りない・・・
キレイ過ぎて何だか微妙・・・う~ん・・・残念・・・

歴史を感じさせる物件とはいい難い・・・
それよりも・・・何か知りませんが、自分はこの空間に違和感を感じるんですよねぇ・・・何だろう?
う~ん・・・気分はモヤモヤ・・・まぁ、いっか(笑)
違和感の正体は分からずじまいですが、深く考えてもしょーがないので話を進めましょう!
大多福稲荷大明神4 大多福稲荷大明神案内板
周囲には石祠や神使のキツネ達がいらっしゃいました・・・こっちの方が歴史を感じさせますね・・・
そして案内板があります!・・・何か文字がイッパイでメンド臭いけど見てみましょう!(笑)

新羅三郎義光守護神 大多福稲荷大明神

人皇第七十三代堀河天皇の御代、奥州地方は清原の家衡・武衡・眞衡一族の隔執の為非常に乱れた。
當時陸奥守である八幡太郎義家は之を平定しょうとする、家衡・武衡等金沢柵に立ちこもりて降参せず官軍苦戦に陥った(後三年の役)

京都にいた弟の新羅三郎義光は兄義家の苦境援けんと官を辞して従軍し、善戦善勝三年にして之を鎮圧する(後三年の役)

此の間日頃信仰していた御守護神の霊顕あらたかで、或る時は雁の伏兵を知らせ、時には御神火となって奇瑞を顕す。三浦平次郎為次、鎌倉権五郎景政など當時の勇士である。
後、義光は甲斐守となり、長男義業は常陸に住する、義光は鎌倉館(現大宝寺域)に居住し御守護神を勧請する。
其の後、八雲神社に合祀したので毎年七月七日には門前に神輿を据えて古式に則る祭式を行い、神霊を慰めてから町内の御渡を行うを例とする(相模風土記)。

一四九九年(明應八年)、松葉谷日證上人の霊夢により本地たる現地に再勧請し大多福稲荷大明神と稱する。
毎年二月には大祭を嚴修して神霊を法楽し、世界平和國運隆昌を祈願する所以なり。

                                    納   六浦 駒形泰亮 平成十二年二月初午

義光は朝廷に兄の助勢に向かう許しを請いましたが、それは認められませんでした・・・
そこで彼はやっと得た官職を投げ打ち、兄の応援に駆け付けます!・・・素晴らしい兄弟愛ですね!
大宝寺の慰霊塔 彼岸花
こちらは慰霊塔の様でした・・・彼岸花も咲いています・・・どーぞ安らかに眠って下さい・・・
さて、そろそろ本堂を見てみましょうか!
大宝寺本堂
まぁ、至って普通です・・・特に感銘を受ける様な造りでもなく、ホントに普通な感じです・・・
でも、芝生がキレイで気持ちいい・・・お掃除ご苦労様です!
多福山 佐竹氏家紋
案内板にあった様に、元々は『多福寺』というお寺でした・・・再興した時に旧寺名を山号にした訳です!

この紋は佐竹氏の家紋のひとつですね・・・『扇に月丸』といいます・・・五本骨です!
まぁ、これまた案内板にあった様に、ココは佐竹氏と結び付きが強い場所なんです!
寺の入口に建っていた例の史跡碑は何だったのか?・・・そろそろこの辺で説明させて頂きますね!
佐竹屋敷跡
此所ハ佐竹四郎秀義以降代々ノ屋鋪蹟ト云フ 昔當所ニ佐竹氏ノ靈社アリシガ後年村内天王社ニ合祀ス 後ノ山ヲ佐竹山ト呼ブ 其ノ形 扇ノ地紙ニ似テ中ニ三本ノ疇アリ 左右ヲ合テ五本骨ノ如シ
              昭和七年三月建 鎌倉町青年團

まぁ、そーなりますわなぁ、佐竹屋敷跡ですから(笑)
新羅三郎義光についても触れて欲しかったなぁ・・・
内容は読んだまま、以下の通りです・・・

ココは佐竹四郎秀義以降代々の屋敷跡と伝えられています・・・
昔、ココに佐竹氏の霊社がありましたが、後年に村内の天王社に合祀されました・・・背後の山を佐竹山と呼び、その形は扇の地紙に似ており、中央に三本の畦道があり、左右を合わせて五本骨の扇の様です・・・

【新編鎌倉志】を見てみましょう!

【佐竹屋敷】(さたけやしき)
佐竹屋敷は名越道の北、妙本寺の東の山に五本骨の扇の如なる山の疇あり。其の下を佐竹秀義が舊宅と云。
【東鑑】に文治五年七月廿六日、頼朝、奧州退治の時、宇都宮を立ち給ふ時、佐竹の四郎秀義、常陸國より追つて参じ加はる。而して佐竹が所持旗、無紋の白旗也。二品(頼朝。)是を咎め給ひ、仍つて月を出だすの御扇を佐竹に賜はり、旗の上に付くべきの由仰せらる。御旗と等しかるべからざるの故也。佐竹、御旨にしたがひ、是を付るとあり。
今に佐竹の家これを以て紋とす。此山の疇も、家の紋をかたどり作りたるならん。
又、【鎌倉大草子】に應永二十九年十月三日、佐竹上総の入道、家督の事に付て管領持氏の御不審を蒙り、比企谷に有けるが、上杉憲直に仰せて法華堂にて自害して失ぬ。又、其靈魂祟をなしける間、一社の神に祀りけるとあり。
其の祠今はなし。此地佐竹代々の居宅とみへたり。法華堂は、比企が谷妙本寺の事なり。

佐竹秀義はもともとは平家方に組していましたが、後に寝返り頼朝の御家人となっています!
奥州征伐の際に白旗を掲げて参じた所、頼朝にそれを咎められた様ですね・・・
頼朝は『旗にコレを付けろ!』・・・と、扇を渡し、秀義もそれに従った様です・・・そしてそれが旗印となった・・・

頼朝は畠山重忠にも同じ様な事をしてましたね・・・
無地の白旗は唯一自分の物であり、他との差別化を徹底していた様です!

『此山の疇(ウネ)も、家の紋をかたどり作りたるならん。』とありますが、わざわざ家紋に似せて造ったんですね(笑)
造らされる方にとってはいい迷惑だった事でしょう・・・金持ちの道楽以外の何物でもない気がします!

『佐竹上総の入道』佐竹与義の事でしょう・・・佐竹宗家と折り合いが悪く、上杉禅秀の乱では禅秀側に付き抗争を続けましたが、4代目鎌倉公方足利持氏により比企ヶ谷の妙本寺で自害に追い込まれました・・・
大宝寺本堂 大宝寺鬼子母神
本堂を覗いてみると、向かって右側に鬼子母神が祀られている様でしたが、その御姿は見当たりませんでした・・・
ドコにいらっしゃるんでしょうか?・・・残念です・・・

鬼子母神というと子供の守り神として有名ですが、そーなったのもある人物のお陰なんです!

鬼子母神はインドでは訶梨帝母(カリテイモ)と呼ばれ、夜叉神の娘で多くの子供(千人)を産みました・・・
その性質は残忍で、近隣の村の子供をさらっては食べていたので人々から恐れられていました・・・
耐えかねた村人は釈迦に救けを求め、釈迦も彼女を過ちから救う事にしました・・・
そして釈迦は彼女の末の子を隠してしまいます・・・
末の子がいなくなった事に気付いた彼女は多いに嘆き悲しみました・・・
そこで釈迦は、
『千人の内の一子を失うもかくの如し・・・況や人の一子を食らう時、その父母の嘆きや如何』・・・と、彼女を戒めました!
そこで彼女は初めて自分の過ちを悟り、釈迦に帰依して安産・子育の神となる事を誓ったのでした・・・
大宝寺鬼子母神2 大宝寺7
しょーがないので案内板の写真を拡大!・・・鬼形ではない様ですね・・・優しそーなお顔でいらっしゃいます・・・

本堂の右側から裏へ回り込む道があります・・・進みましょう!
大宝寺墓地1 大宝寺墓地2
本堂の真裏には階段があり、墓地への入口となっています・・・上りましょう!
そして矢印方向へ進みます・・・真っ直ぐ行っても檀家の墓しかありません!、目指す物とは違います!
大宝寺墓地3 大宝寺墓地4
ボロボロの物置小屋の脇を抜けるとコチラも墓地となっていますが、矢印の場所に注目!
新羅三郎義光の墓1 新羅三郎義光の墓2 
あるんですよぉ~この寺には・・・新羅三郎義光の墓が!
多福寺を建てた11代当主佐竹義盛も一緒に眠っている様子です・・・
確か3代当主秀義は、この名越の地で永眠したと聞いていますが、彼の墓はない様ですね・・・
まぁ、普通は常陸国に埋めるでしょうなぁ・・・まぁ、それはいいとして・・・
新羅三郎義光の墓3
これが新羅三郎義光の墓だといわれても、俄かには信じられませんなぁ(笑)
新羅三郎義光の墓4 新羅三郎義光の墓5
何だかなぁ・・・完全否定するつもりはありませんが、義光がココに館を建てたとゆーのはいいとしても、ココに住んだというのはちょっとなぁ・・・
可能性としては、佐竹氏が先祖である義光の霊を祀った的な話なんじゃないかな?
分骨しました的な・・・まぁ、それでも墓であるといえばそーですが・・・真実は如何に?(笑)
新羅三郎義光の墓6 新羅三郎義光の墓7
何か文字でも彫られていればいいんですけど、こーいった類の代物にそれは期待できません・・・

塔身の無い宝篋印塔の残骸が脇に置かれていますが、こちらが義盛の物なんでしょうか?
逆の可能性もありますが、例えそーだとしても完全体で残っている方を義光の物としたいですね(笑)
大宝寺墓地5 まぁ、一応、鎌倉の大宝寺には新羅三郎義光の墓がありますよって事だけ紹介させて頂きました!
信じるか信じないかは、実際にその目で見て判断して下さいね・・・苦情は受け付けません(笑)

ちなみに滋賀県大津市にある園城寺(三井寺)の外れにある新羅善神堂にも義光の墓があります!
かなり雰囲気のある場所です!
そこにある、こんもりした塚に義光が眠っている様です!
大宝寺のそれとは違い、本物っぽい臭いを放っています(笑)・・・とにかく新羅善神堂の雰囲気が良過ぎます!

義光はその新羅大明神で元服した事から『新羅三郎』を名乗っています・・・
そこに葬られるのとゆーのは至極自然な流れの様な気もします・・・気がするだけですけどね・・・

さぁ、目的の物も紹介出来た事ですし、階段を下りて帰りましょう!
大宝寺8 大宝寺9 
そのまま坂を下って左へ曲がれば寺の入口へと道は繋がっています・・・
坂の途中に何やら石碑を発見しましたが、参道石段の奉納碑でした・・・
義光や佐竹氏関連の物かと思い、一瞬とはいえ『おっ!』っと思ってしまった自分が恥ずかしい(笑)

『佐竹屋敷』と呼ばれた場所に建つ大宝寺・・・如何でしたでしょうか?
義光の墓巡りをするならば、まずココのを拝んでから滋賀県へ向かわれる事をお勧めします!
何故かって?・・・楽しみは後に取って置いた方がいいからに決まってるじゃないすか!

新羅三郎こと源義光・・・他にも紹介したい逸話は数多いですが、今回はこれくらいにして置きます・・・
鎌倉から飛び出してしまうと取材がメンド臭いですしね(笑)

そんなこんなで再び自転車に跨り、そのまま帰宅した自分なのでした・・・
そーです、逗子マリーナへ行こうとしていた事はすっかり忘れてね・・・一度医者に相談した方がいいかなぁ?(笑)

おまけ


さて、大多福稲荷大明神を見た時に感じた違和感ですが・・・やはり気になります!
このモヤモヤ感・・・早くスッキリさせなくては夜もオチオチ眠れません・・・あの違和感は何だったんだろう?

とにかく数年前に訪れた時に撮った写真を見てみる事にしました・・・
数年前の大宝寺 数年前の大多福稲荷大明神
どーやらツツジが綺麗に咲いている季節に訪れていた様です・・・安養院のオオムラサキを見たついでに来たのかな?
とにかく、写真を見ていて、違和感が何だったのかが判明しました・・・
社が違うじゃんかぁ!・・・そりゃぁ雰囲気変わるよねぇ・・・でも建て直してた事には全く気付かなかったなぁ・・・
あの地震で倒壊したんでしょうか?・・・今度のは総石造りですから地震なんて屁でも無さそーですね!
でも雰囲気は以前の社の方に軍配があがりそーですね!・・・まぁ、どっちでもいーか・・・

何か以前に見た時よりも雰囲気が明るいなぁ・・・と感じてたんですよねぇ・・・
しかし、感じていたとはいえ、全く違う物に建替えられている事に気付かないとは・・・情けない・・・
やはり、一度、脳の精密検査を受けた方がいいのかな?(笑)

なんにせよモヤモヤが晴れてスッキリ!・・・今夜はぐっすりと眠れそーです!

おしまい
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