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今回訪れるのは北鎌倉!・・・光照寺の坂を上り詰めた先にある物件です!
地図上では建物の表記だけですが、さてさて何があるんでしょうか?
地図に載らない物件・・・なんて意味深に期待感を煽りましたが、別に何も記されてないっていう訳じゃなくて、単に施設名称の表記がないってだけの事です!(笑)

今回の物件もそれほど珍しい物ではありませんし、鎌倉を良く歩く方なら普通に知っていると思います・・・
だもんで今回は鎌倉初心者の方々に『ふ~ん・・・』って感じで軽く見て頂ければと思います・・・
台の道1 台の道2
取り敢えず出発!・・・坂をガンガン上りましょう!・・・途中右側にGALLERY NESTへ向かう脇道があります!
お洒落なギャラリーカフェです!・・・チーズケーキが超有名です!・・・でも今回はパスします・・・
台の道3 台の道4
十字路に出たら左折してもいいですが、取り敢えずそのまま直進しましょう!
台の道5 台の道6
【台町内会案内図】が建っています・・・こーいった地域の案内図とかって意外と役に立つんですよね!
知らない場所を訪れた時などはかなり重宝します・・・でも現在地表記のない物は困ります・・・
土地勘なしで現在地を割り出すのは結構厳しい時があります・・・ココのはちゃんと現在地が表記されています!
でもスマホが普及して来た現在、こーいった物の必要性はドンドン薄れて行きますね・・・

近いうちにレンズにルート案内表示が映し出されるメガネとか開発されるんじゃないでしょうか?
台の道7 台の道8
細くなった道を進みます・・・玉垣がイイ感じです・・・しばらく行くと左に道があるので入りましょう!
台の道9 台の道10
何だか目立たない立札があります・・・近づいて見ると『稲荷神社』と書いてあります!
白とかもっと目立つ色にすればいいのに・・・背景と同化しちゃってますよ!
とにかく立札の矢印は坂を上れと指示しています・・・じゃぁ上るしかありませんね・・・
台の道11 台の道12
細い坂道が続きます・・・雰囲気ありますねぇ・・・ド田舎に紛れ込んでしまったかのような錯覚に陥ります・・・
まぁ、北鎌倉も田舎といえば田舎ですけどね・・・田舎のボーダーラインってどーなんでしょう?

1.田んぼがある、2.コンビニの駐車場がやたらデカイ!、3.山に猿がいる

てのが自分の3箇条なんですけど・・・コンビニがあるだけまだマシか?
台の道13 台の道14
クネクネと坂が続きます・・・うぉ車あるよぉ・・・この道を通るのかよ?・・・凄ぇなぁ・・・
運転で気疲れしそうです・・・車も小さいのしか乗れそうにないし、バイクの方がいいんじゃないか?
国産のコンパクトカーに乗るんなら絶対にバイクの方がいいです!
台の道15 台の稲荷神社1
ブツブツいってる内に道の右側に何やら怪しい入口が見えて来ました・・・参道ですね!
今回の目的地はココを上った先にあります!
台の稲荷神社2 台の稲荷神社3
階段を上ると鳥居があり、小さな平場となっていました・・・手水舎もありました・・・
そして奥には何やら怪しい石碑と文学案内板が建っています!
文学案内板 小野田泉里句碑
どーでもいいですが・・・読めません(笑)・・・こんな場所に文学案内板が建っている事には驚かされましたが、
読めないんじゃどーしょーもない!・・・いや、一応読めるんですよ!顔を近付けて眉間にシワをよせて睨みつける様にすれば・・・それでも読めない箇所はありますが、何とか解読します!(笑)

文学案内板
小野田泉里句碑
露ふん亭 行くや鎮守の 朝詣  漱石庵主人(大正七年春建立)


小野田泉里(明治6~昭和34年・1873~1959)
本名は小野田源十郎、俳号を泉里または漱石庵と称した人で、台村に生まれました。農業を営むかたわら、同じ台村の俳人山ノ井高月について俳句を学び活発な句作を続け、約二千近くの俳句を残しています。
泉里の俳句仲間との交流は広く、地元の台村のほか鎌倉郡全域、横浜、横須賀方面にも及んでいます。また泉里の子息の小野田亮太郎も俳号を雪里と称して句作し、父子ともに俳句に親しみました。
この句のほか、泉里の俳句を少し紹介しますと次のようなものがあります。

東雲や四隣の静かに露の置く
古寺の須弥壇くろし蚊喰鳥
張板の布かびにけり五月雨
笹光る白旗山や冬の月


この台村方面では泉里・雪里親子のほか明治から大正にかけて地元の俳人の活動が盛んで、多くの俳人たちが出ています。
泉里の師であった山ノ井高月は、本名を山ノ井高次郎といい、安政三年(1856)に生まれ、台村で農業の合間に早くから俳句を学びました。 鎌倉郡内で多数の俳人と交流して多くの俳句を残していますが、特に台村では俳句の先輩として仲間の育成に努力し十数人の俳人が生まれる契機を作った人です。
このほか台村には岩崎里京(房吉)、根本鳥曉(長平)、葉山一葉(作治郎)、山本秋好または茶木(千秋)などの俳人が活躍しています。  
                                         平成二年三月 鎌倉市教育委員会 鎌倉文学館

小野田泉里は名前だけは知っていました・・・台村は多くの俳人が育った場所の様ですね・・・
この案内板は是非キレイに整備して欲しいです・・・結構内容濃いじゃないですか!
ココに観光で来る人は殆んどいないでしょうけど、土地に関連する情報源は貴重です!

『露ふん亭 行くや鎮守の 朝詣』・・・と石碑には刻まれていた様です・・・
またまた達筆な石碑で、何て書いてあるのかイマイチ分からない部分もありましたんで助かりました!
何の説明もない達筆な石碑はホント困るんですよねぇ・・・読めなければ建てた人の自己満で終わりですよ!

この時代の歌でという文字が使われていると、どーしても日露戦争と結び付けてしまいます(笑)
踏んで行くや鎮守詣』・・・う~ん・・・結び付けるまでもなく、まんまの句っぽいですね・・・
は当然ロシア・・・鎮守は大日本帝国海軍鎮守府・・・旭日旗にかかってるんだと思います・・・

東海鎮守府はまず横浜に仮設され、明治17年(1884)には横須賀に移転となり横須賀鎮守府と改称されました・・・
これに伴い1889年には横須賀線が開通します・・・現在自分が便利に暮らせるのも横須賀鎮守府のお蔭であります!
京浜急行はちょっと遠いんですよねぇ(笑)・・・運賃安いけど・・・やっぱJRだっぺよ!

鎮守府は呉、佐世保、舞鶴にも置かれました・・・そーいえば自分の父の実家は横須賀、母の実家は舞鶴・・・
ウチは鎮守府繋がりだったのか!(笑)・・・海軍万歳!

この文学案内板に『なめんな!!ボケ』との落書きがありましたが、気持ちは分かります(笑)
一日も早く、普通に読める案内板にして頂きたいモンです・・・
台の稲荷神社の猿1 台の稲荷神社の猿2
案内板の横の草叢には小さな猿の像がありました・・・ホントに小さいので気を付けてないと見落としてしまいそうです!
鉄製の様ですが、これも小野田泉里に縁のある物なんでしょうか?
これについては何の説明もありませんでした・・・気になりますねぇこーゆー訳の分からない物!
台の稲荷神社4 台の稲荷神社5
猿の横の階段を上がると、目的地に到着であります!・・・結構疲れました・・・
キンモクセイが植えられていますね・・・花の季節にはトイレの芳香剤臭い境内になる事でしょう(笑)
台の稲荷神社6 台の稲荷神社7
結構ちゃんとした物件です!・・・『正一位稲荷大明神』と書かれています・・・ココが台上町の鎮守様であります!
社歴などは分からない様ですが、新編相模国風土記稿には山神、山王を合祀したとあり、弘化4年(1847)の社殿再建の勧進状に、山城国飯成山に鎮座する神を承久年間(1219~1221)に勧請したとあります・・・

神社庁のHPもチェックしてみましょう!
御祭神 受気母知命  祭礼 新年祭(1月5日)、例祭(4月第1日曜日)
御由緒 弘化4年(1847)春正月、社殿再建の砌り、名手、和三郎が記した。勧進状によれば、「…山城国飯成城に鎮座致します御神を承久年中、執権職武蔵守泰時の時代、是所に勧請奉る。五穀成就、国家安全を祈り奉る。」とあり、「相模風土記」には「山神、山王を合祀する」と見える。昔、台本村の火の見の側に地蔵あり、室町時代頃の作と思われる地蔵菩薩2体安置されていた。これは当社の本地仏であろうとする説もあるが確証に欠ける。

だそーです・・・地蔵堂があった場所には現在、台公会堂が建っています・・・地図にも載ってますが、先程の稲荷神社の立札があった所を直進した所にあります・・・
ちなみに2体の地蔵菩薩は鎌倉国宝館に寄託されています・・・木造稲荷明神騎像というのがそれらしく、稲荷明神が狐に跨っている像です・・・
台の稲荷神社8 台の稲荷神社9
境内には丸太で造られたベンチがありました・・・暇な氏子衆が造ったんでしょうか?・・・高台なので眺めがイイです!
ススキもイイ感じで季節感を醸し出しています・・・風はヒンヤリ、日差しはポカポカとこの季節は散策には最適ですね!
台の稲荷神社10 台の稲荷神社11
六国見山、円覚寺などが見えます・・・鎌倉の紅葉は遅めですが、もうそろそろですかね・・・
妙香池に映える楓紅葉はとてもキレイです・・・
台の稲荷神社の庚申塔 台の稲荷神社12
社殿の左側には庚申塔があります・・・三猿の上に青面金剛というオーソドックスなスタイルです・・・
『奉納庚申供養 享保二十乙卯十月吉日』と記されています・・・1735年製ですね!
隣りには宝篋印塔の残骸や、訳の分からない石塔っぽい物もありました・・・何なんでしょう?
台の稲荷神社13 根本萬蔵之碑
根本萬藏之碑という物が建っていました・・・根本萬藏って誰やねん!・・・裏側には、

『明治十年四月八日於肥後國山本郡植木村戰死 明治二十九年二月十五日 根本佐太郎』

と刻まれていました・・・明治10年(1877)、西南戦争ですね・・・植木・木留の戦いで死んだんでしょう・・・
で、関係者の佐太郎ってヤツがこの石碑を建てたんでしょう・・・
萬藏さんの階級など、素性が一切記されていないんですけど、ココの出身なんですかね?
石碑が建つくらいですから地元ではヒーローだったんでしょうか?
それとも金を持て余した佐太郎がテキトーにおっ建てて、自分の一族をヒーローっぽく仕立て上げただけの物なのか?

こーゆー物件が一番スッキリしないんですよねぇ・・・結局根本萬藏って誰なんだよ?
台の稲荷神社裏山1 台の稲荷神社裏山2
萬藏さんの石碑の所から社の裏山への上り道があります・・・しばらく上って行くとフェンスにぶち当たりますが、1ヶ所だけ金網が外されていますので潜りましょう!
台の稲荷神社裏山3 台の稲荷神社裏山4
左に曲がりフェンス沿いを進んで行きましょう!・・・右に曲がると先程の萬藏さんの裏側に出れます!
台の稲荷神社裏山5 台の稲荷神社裏山6
分岐がありますが左へ曲がりましょう!・・・この下は北鎌倉女子学園のグラウンドになっていて、生徒たちがキャーキャーと騒いでおりました・・・しばらく進むと舗装路へ出ますので、ココも左へ曲がりましょう!
右へ進むと台峯の中心部へと繋がりますが、コレはまたの機会に紹介させて頂きます!

鎌倉には三大緑地といわれる物がありまして、広町(48.1ha)、台峯(28.7ha)、常盤山(18ha)がそれであります!
市の緑地保全政策によって守られている緑地帯です・・・散策にはもってこいのスポットですよ!
ゴミのポイ捨てはやめましょうね!
台の稲荷神社裏山7 台の稲荷神社裏山8
今度はドンドン下って行きます・・・やっぱこの季節は最高だなぁ・・・無駄に汗かかないし・・・
自分、寒さには滅法強いんですけど暑さにはかなり弱いんです・・・すぐバテます・・・
嫌いなイモ虫がいないのも素晴らしい!・・・イモ虫に遭遇するなら熊に遭遇した方がマシです!

東北のダム巡りをしてた時に、トイレから出たら目の前に結構デカイ熊さんが居た時はさすがにビックリしましたけど!
熊さんもビックリしたみたいで、ダッシュで逃げて行きましたよ(笑)
でも出会いがしらが一番危ないみたいですね・・・気を付けないと・・・
台の道16 台の道17
道はすぐに住宅地へ突入となります・・・これ以上開発される事は無いと思いますが・・・
台の道18 台の道19
北鎌倉女子学園の所で左へ曲がり進んで行きます・・・何をしているのかって?
自転車を回収しに稲荷神社へ戻っているんです!(笑)
あの自転車もそろそろガタが来てるんで買い換えたいんですけど、まだ乗れるしなぁ・・・って感じで使っています・・・
いっそ誰かが盗んでくれれば踏ん切りがつくんですけどねぇ・・・誰も盗んでくれません(笑)
台の道20 台の道21
突き当りを左折しましょう・・・右折すると最初に来た道に戻ってしまいます・・・それではつまらないので怪しい道を進んで行きましょう!
台の道22 台の道23
怪しいなぁ・・・こっちに曲がりましょう!・・・おお、何だか凄いローカルな道に入ってしまったぞ・・・
堪んねぇ~なぁオイ(笑)・・・こーゆーの大好きです!
台の道24 台の道25
細っ・・・もっと細い道ありますけど、これ位が限度ですかね・・・
これ以上細いとホントに歩行者とのすれ違いにも支障が出て来てしまいます・・・
さてココを左折すると・・・
台の道26 台の道27
見覚えのある車ですね・・・そして・・・くそぉ~やっぱり誰も盗んでくれなかったみたいです(笑)
もう少しこの自転車で頑張らなければならない様です・・・ふぅ~・・・

今回は台の稲荷神社を紹介させて頂きました・・・周辺散策がメインみたいになってしまいましたが、どーでしたか?
地図には名称の表記はありませんでしたけど、立派な鎮守様じゃないですか?
ココより全然しょぼい山仲稲荷はしっかりと表記されているのに、何でココは表記されないんだ?

単なる稲荷神社じゃカッコつかないからか?・・・まぁ、どーでもいっかぁ(笑)

 おまけ


この辺りの道はホント好きです・・・生活道でありながらも静かな高台の道・・・
台公会堂のシケインを抜け、デカイ門がある住宅の所のシケインを再びクリア・・・ステンドグラス工房ふくろうの森を過ぎ、ライフコミューンを過ぎれば、神明神社に到着であります!

そーいえば以前ココのライフコミューンに友人が勤めていました・・・
陰口メールを本人に送ってしまう様なウッカリさんです(笑)・・・ちょっと信じられませんがホントの話です!
ありえないですよねぇ~しかも同じ職場の人だった様で・・・気マズ過ぎでしょ!
本人から『いいたい事があるなら面と向かっていってよ・・・』的な事をいわれたらしいです(笑)
うぉぉぉ~自分だったら耐えられないかも知れません・・・時間よ戻れ!って感じですよね!

若い頃はしょっちゅう一緒に遊んでいましたが、結婚後はパッタリと交流が途絶えてしまいました・・・
結婚後も続く友人と、そうでない友人といますが、お互いの生活スタイルが変わりますし中々難しいですね・・・
年賀状だけのやり取りが続き、今年はついに年賀状も届かず、『くたばったのかな?』と思っていました(笑)

その後、春先くらいから未登録のアドレスから不審なメールが何度か届く様になります・・・
内容は、家を建てるだか何だか訳の分からない物だったのでシカトしてたんですけど、再び、今度は脚だけを撮った写メが送られて来て、何の説明もなくただ一言、『最高!』とかいってるんですよ!
もう訳が分からないです!怖いっす!ホント誰なんだよお前っ!

まぁ、結論からいうと彼でした(笑)・・・アドレス変更したならそーいってくれないと分からないってぇ!
家を建ててお披露目会を計画してくれたんですけど『お待ちしております』ばっかで全然会場を教えてくれない!
ドコ行けばええねん!(笑)
一度住所の確認メールを出しましたがシカトされまして、こっちも何だか面白くなったので放置していたら最後の最後まで教えてくれませんでした(笑)・・・ホント面白いなぁこの人!
1ヶ月以上前から計画を進めて来たお披露目会でしたが9月15日の台風で中止となりました(笑)
でも昼頃からスゲー晴れてました・・・ホント最後のオチまで面白ぇなぁ(笑)
まぁ、その内また会う機会もあるでしょう・・・取り敢えずくたばってなくて良かったです!
神明神社(台) 神明神社(台)2
ライフコミューンから話が脱線してしまいましたが神明神社です!
地元民からは『台のお宮』、『お伊勢さん』などと呼ばれています・・・
台下町の鎮守様です・・・コチラはちゃんと『神明神社』と地図に表記されていますのでご安心を・・・

神明社は三重県の伊勢神宮を勧請、分祀した社の事で、稲荷神社には敵わぬまでも、その数の多さはよく知られています・・・神明とは天照大神の事で、各地に散らばる神明社では天照大神、または伊勢内宮・外宮の神を祀ります!

またまた神社庁のHPを見てみましょう!
御祭神 天照大神、蛭子命、須佐之男命、市杵比売命
祭礼 歳旦祭(1月1日)、例祭(9月第2日曜日)
御由緒 元亀年間、疫病流行の時、村民評議して元祖の神護を仰ぐべく千名を撰び伊勢内宮に詣で、神札を拝受して帰り、村内の高地戸ヶ崎に祠を建て奉鎮した。徳川中期にも同称の事があり、今度は原佐衛門万度札を奉載し誠を尽くした。慶安元年(1648)大地震の際神燈より炎上、承応3年再建、嘉永7年(1854)、改築したと伝える。
明治6年12月、村社に列し、大正9年8月28日、村内の無格社、淡路島社第六天社、諏訪神社を合祀した。

御由緒の所ですが、元亀年間(1570~1573)に村から千名を選出して伊勢神宮に向かわせたとあります・・・
1.000名?・・・その時代、こんな所にそんなに村人がいる訳がない!(笑)・・・ちょっとありえないんじゃないか?
手持ちの資料で調べてみると撰ばれたのは4名らしいです・・・
間違えたにしても250倍ですよ!・・・これは先程の彼ではないですがウッカリで済まされる数ではありませんねぇ・・・
給料が250倍になるんなら大歓迎ですけど(笑)

神明神社からテキトーに下って行くと文教堂書店とくっついたスリーエフがあります・・・
そーいえばココのスリーエフにも友人が勤めていた事があります・・・
この友人と、先程の彼との面白い絡みが沢山あるんですが、それはまたの機会に・・・もしくは永久封印です(笑)

スリーエフの前の道には水堰橋が架かっています・・・傍らには石柱があり『せゐ志くばし』と刻まれています・・・
ココはかつて頼朝が軍の隊列を整えた事から、『勢ぞろい橋』と呼ばれ、それが転訛して『せいしく橋』となったという話があります・・・まぁ、かつてはそうでも現在は水堰橋(すいせきばし)です・・・
水堰橋の道標1 水堰橋の道標2
石柱の横にはフェンスに囲まれた石塔があります・・・太陽が眩しいぜっ!
側面には享保十二丁未年の文字が見て取れました・・・1727年製ですね・・・
正面下部には、よく見えませんが恐らく『右とつか 左藤沢 道』と刻まれているんだと思います・・・
ココはちょうど鎌倉街道の分岐点・・・藤沢方面は『上の道』、戸塚方面は『中の道』です!

石塔の横には『市指定有形民俗資料 石造道標 一基』・・・と記された柱が建っています・・・
まさに道標ですね(笑)・・・こんなに物々しくガードするなら、ちょろっと案内板とか建ててくれればいいのにねぇ?
厳島神社の庚申塔 『右とつか』に従って進み、踏切を越えた所には成福寺があります・・・その奥には厳島神社があり、そこにも、
市指定有形民俗資料石造庚申塔があります!
この庚申塔も元々は水堰橋の所にあったんだそうです!
寛文10年(1670)・・・
キリーク(阿弥陀)、サ(観世音)、サク(勢至)の種子が刻まれています・・・阿弥陀三尊・・・
白山神社にも同じ感じの物がありました・・・
アチラは寛文12年だったかな?
山ノ内の八雲神社にある鎌倉最大最古の庚申塔(寛文5年)といわれている物も似ています・・・
同じ年代ですし同一人物が造った可能性もありますよね?

寺などに安置されている仏像とは違い、路傍に佇む庚申塔・・・何百年も前、誰が彫ったかも分からない物が、今も変わらず道端にあるなんてロマンを感じずにはいられませんね・・・
着地点が分からなくなって来たので今回はこの辺で終わりたいと思います(笑)

おしまい
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