今は無き三貴園の跡地がどんな風になっているのか確認しに笛田の打越地区まで自転車漕ぎ漕ぎ、しかし通行止めでガッカリ・・・その後、すぐ近くにある子守神社へ寄ってみると氏子衆が祭りの準備に追われていました・・・
そういえば祭りあったなぁ・・・行った事ないけど・・・
なんでも昔からある祭りを復活させたはいいがイマイチ盛り上がってないらしく、実行委員会が頭を抱えている
ふかさわ夏まつり・・・ふかさわ冬まつりもあったと思いますが、更にマイナーですね・・・ |
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取り敢えず会場の深沢小学校へ行って見ました・・・なんでも今年は祭りが復活してから10周年との事で、いつもより盛大に執り行われているとの情報がありましたが・・・沿道には出店などは出ないんでしょうか?
2日間に渡る祭りのクライマックスとしてドブ川(新川といいます)で燈籠流しも行われるんだそうです・・・
いつもより盛大といわれても、初めて来た自分には判断基準がありません・・・でも見た感じ微妙だなぁ・・・ |
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小学校の校庭では祭りの準備をしている人がチラホラと・・・出店ブースは校庭だけなんでしょうかね?
ちなみに現在午前10時・・・早いとは思いましたが、自分のイメージとしては、祭りは始まってないものの出店は営業していて、タコ焼き、大判焼きなどの美味しそうな匂いに包まれている物と勝手に想像していました・・・
しかし、下を流れるドブ川の臭いしかしません・・・クソぉ~タコ焼き食べたかったなぁ・・・
近くにいたオッサンに祭りは何時頃から始まるのかと尋ねてみると、午後3時くらいからとの事・・・マジ?
とても待ってらんねぇ・・・祭りといっても特設ステージで地元の微妙なミュージシャンが演奏するくらいだろう・・・
タコ焼きは食べたいけどこのクソ暑い中待ってる気力も無いしなぁ・・・
グダグダとしている時にふと、この小学校の校舎裏に梶原一族の墓と伝わる五輪塔がある事を思い出しました!
普段は学校に断りを入れてからでないと拝めないメンド臭い物件・・・今日は開放されてますし拝んでおきますか! |
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正門を潜りすぐ左へ・・・突き当りの矢印の場所から校舎裏へと侵入します・・・更に進みます・・・ |
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敷石らしき物の上を自転車で通行・・・ちょっと転びそうになりました・・・危ない・・・ボコボコで溝もあるので注意が必要です・・・その前にこんな所まで自転車に乗って侵入してんじゃねェって話ですね(笑)
取り敢えず到着です・・・ |
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これが梶原一族の墓と伝っている物です!
やぐらの中に4基の五輪塔が安置されています・・・
一番右の物は四角い植木鉢を引っくり返した物の上にお供えがしてあり、大事にされているんだか何だかよく分かりません・・・
手前には梶原景時公没八百年忌供養塔と刻まれた柱が建っています・・・
柱というか塔なんでしょうか? |
平家方大庭景親の軍に属していた梶原景時ですが、石橋山で敗走した頼朝をしとどの巌で見逃し、後に頼朝が政権を握るとその重臣としての地位を手に入れます・・・
しとどの巌は湯河原と真鶴の2箇所あります・・・どちらもウチが本物だといっていますが・・・どーなんですかね?
自分的には両方とも頼朝が隠れたのは確かなんではないかと・・・
土肥実平に自害を思いとどまる様に説得され箱根権現へ・・・そして湯河原、真鶴を経て船で安房へ・・・
史蹟的には湯河原の物の方がちゃんとしています・・・真鶴の方は魚市場見学のついでに寄るくらいで良いかと・・・
景時は字も書けない脳ミソ筋肉な坂東武者が多い中、事務的な手腕にも長け、頼朝に重用されます・・・
そして景時はその讒言により多くの武将を陥れています・・・義経もその餌食になり殺された様な物です・・・
義経可哀想~いわゆる判官贔屓という奴ですが、実際は義経もかなり傍若無人だった様で人望は薄かったみたいですね・・・義経=悲劇のヒーロー、景時=悪役・・・みたいな構図が出来上がってしまってますが、これでは景時が可愛そうです・・・最近の小説などでは悪役イメージを払拭するキャラ作りも多々見受けられます・・・
景時の墓と伝わる物はココ以外にも何箇所かあります・・・お決まりのパターンですね・・・
このやぐらの上部は墓地になっている様で、やぐらっぽい物も見えたのでちょっと行って見る事にしました! |
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先程は気付きませんでしたが、校門の手前に川戸金兵衛先生之碑なる物がありました・・・何なんでしょうコレ?
調べてもつまらなそうなのでやめて置きます・・・何となく記憶の片隅にはあるんですが・・・やめときましょう(笑)
金ちゃんの石碑の横に墓地へと続く小路があります・・・進んで行くと、 |
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庚申塔の奥にやぐらが・・・と思いましたが防空壕の様ですね・・・柵があり中には入れません・・・
少し先にも同じような物がありました・・・更に先は墓地となり行き止まりであります・・・ |
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梶原一族の墓の周囲もやぐららしき物がある様な気配がありましたが草の繁茂が激しく確実に視認する事は出来ませんでした・・・また冬にでも訪れてみたいです・・・
さぁ・・・やる事が無くなってしまいました・・・どーしよ・・・
隣の御霊神社にでもお参りしに行こうか?
でも今更何か発見があるとも思えないし・・・何か気分じゃないなぁ・・・どーしよ・・・ そーだ京都行こう!・・・じゃなくて、泣塔行こう! |
すぐ近くだし・・・中々行く機会ないしちょうどいいや!・・・レッツゴー! |
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泣塔へ行くなら先に洲崎古戦場を回るのが筋かと思いモノレール下の石碑へ・・・場所も分かり難いし、もっと坂の下の方に建ててくればいいのに・・・ブツブツ文句言いながらも到着です・・・石碑には以下の様に記されています・・・
此ノ辺リ古ノ州崎郷ニ属ス元弘三年五月新田義貞鎌倉攻ノ折ソノ部将堀口三郎貞満 大島讃岐守守之州崎口ヨリ攻ム鎌倉方ハ赤橋相模守守時ヲ将トシテ邀撃シ戦闘六十数度遂ニ敗レ守時以下九十余人自刃シタル古戦場ナリ
昭和三十一年三月建 鎌倉友青会
元弘3年(1333)ココは激戦地でした・・・最期の執権赤橋守時が憤死した地として有名な場所です・・・ |
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登って来た坂を下り、富士塚小学校入口交差点の右側は深沢多目的スポーツ広場です・・・グランドがあるだけのだだっ広い施設ですが、門から入って右側を向くと明らかに周りとは空気の違う空間があります・・・
矢印の場所・・・そこだけ周囲の開発から逃れる様に、こんもりとした林が残されています・・・
怪しい・・・取り敢えず近づいてみましょう・・・ |
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怪しい林は四方をフェンスで囲まれていて普段は中には入れません・・・
今日は鎌倉風致保存会の方達でしょうか?ボランティアの方達が草刈りをしていました・・・ご苦労様です!
林は実は小高い山であり、その中腹にやぐらがあり、傍らに宝篋印塔が建っています・・・
これが泣塔と呼ばれる物で、国の重要文化財であり、登録上の名称は深沢文和五年銘宝篋印塔というそうです・・・
昭和8年(1933)に国の重要美術品に指定されましたが、文化財保護法施行後は昭和46年(1971)9月に重要文化財に指定された様です・・・ |
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石のかまくらという本によるとこの宝篋印塔は安山岩製で203cmあるとの事です・・・銘文は、
願主行浄預造立石塔婆各々檀那現世安穏後生善処文和五年申丙二月廿日供養了
と刻まれているそうで文和五年(1356)はココで洲崎合戦が行われた元弘三年(1333)から数えてちょうど二十三回忌に当たる年である事から、その戦死者を弔う為に建てられた供養塔なのではないかと言われています・・・ |
しかしそれを記す文献等は無いのであくまで推測です・・・
銘文を見ても戦没者を供養する為に建てたとは書いてありませんね・・・やはり憶測の域を出ません・・・
前述の通り普段は厳重に施錠されている入り口も、今日は草刈り作業の為に開いています・・・
ダメもとで中に入れないか聞いてみると、作業の邪魔にならなければいいですよとの事・・・
おおっ・・・ラッキー!中に入れるぜっ! |
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フェンスからは距離があり、文字もかすれているので読む事の出来なかった案内板もチェックです!
泣塔の由来について記されています・・・書いてある通り、すすり泣いた事から泣塔と呼ばれたと伝わっています・・・
一時手広の青蓮寺に移されたそうですが、毎夜『もとの場所へ戻りたい・・・』と塔がすすり泣き、結局ココへ戻されたそうです・・・青蓮寺には話は伝わっているがそれを記した文献等は残されてはいない様で、いつ頃の出来事なのかは分からないとの事です・・・
案内板の最後にある通りココは鎌倉有数の心霊スポットとしても有名です・・・その祟りは強烈なもので、その昔、塔を売却した際にそれに関わる人達が次々と死んだという話や、土地を購入した家は必ず没落した為に買い手がつかなかったという話・・・横須賀海軍工廠深沢分工場となった時も祟りを恐れ撤去されずに残ったという話があります・・・その後、国鉄大船工場になった際も、塔を撤去しようとすると数多くの死傷者が出た・・・そんな話を聞かされると祟りは本物であると思わざるを得ませんね・・・
でもその祟りのお陰で貴重な南北朝期の文化財が残されているという事実もあります・・・複雑な気分・・・
以前はJRの敷地でしたから見学には許可が必要でしたが、2006年にJRの工場が閉鎖され、現在跡地は鎌倉市が管理していますのでフェンス越しですが誰でも気軽に見る事が出来ます・・・
グランドなどがあるのは一部で、泣塔の西側には広大な空き地が広がっています・・・鎌倉市も色々と検討している様ですが工場で使われた鉛などで土壌がかなり汚染されている事から運用に関しては難航している様です・・・
案内板の写真を撮り、泣塔の場所まで行こうと立ち上がった時、膝に激痛が走りました・・・痛っ!
これは・・・もしや祟りなのか?・・・泣塔の領域に踏み込み写真を撮りまくる自分を排除しようとしているのか?
まぁ、単なる運動不足だと思いますけど(笑)・・・しゃがんで立ってと膝に負担が掛かったんでしょう・・・多分・・・
泣塔のある場所までは岩を削って造られた階段を登らなくてはなりません・・・お世辞にも安全な階段とはいえません・・・
膝はかなり痛みます・・・登ろうと思えば登れますが、帰りの方がキツそうです・・・
転落なんて事になったらもの凄い迷惑な事になりますし、なによりカッコ悪いです・・・今回は諦めましょう・・・
獲物を目の前にして・・・何とも残念な話ですが潔く退散です・・・
帰り際に草刈りのオッサンが、この案内板に書いてある事が全部真実とはいえないと思うよ・・・
と、話しかけて来ました・・・自分は塔がすすり泣いた事や、祟りの事をいってるんだろうと思っていましたが、
『こんな所で何万人も死んだなんて考えられない!』と続けて来ます・・・どーやら【太平記】の事だったようです・・・
【太平記】は大袈裟ですからねぇ・・・としばし談笑・・・色々と話してくれました・・・草刈りお疲れ様です! |
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西側からからパチリ・・・何か空気が重いです・・・
裏側は竹藪になっている様ですね・・・
膝が痛い・・・歩き方が少し変でカッコ悪いです(笑)
クソぉ・・・『悪鬼退散!急急如律令!』(笑)
ココから家まで10kmくらいあるのに、この後どないせぇーちゅーねん!
湘南モノレールとJRで帰れってのか?・・・メンド臭ぇ~・・・
自転車取りにまた来なきゃなんないじゃんか! |
取り敢えず行ける所まで行って、後の事はその時に考えよう・・・うん、そーしよー・・・
自転車押しながらガニ股気味にゆっくり歩きます・・・ダサイなぁ・・・
恥ずかしい歩き方なのでなるべく人目につかない道を進みます(笑)・・・しかし膝の限界はすぐに訪れました・・・ |
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泣塔の近くにある霊照山大慶寺です・・・臨済宗円覚寺派・・・
開山は大休正念(仏源禅師)・・・開基は長井光禄大夫・・・弘安年間(1278~1287)に建立されたと伝わる寺で、往時は関東十刹に数えられた大寺院で大川道通、傑翁是英などの高僧も住した寺です・・・
御本尊に手を合わせます・・・境内には北条氏の家紋入りのベンチが・・・助かるなぁ・・・
行儀悪いですが寝そべります・・・30分くらい休んだでしょうか・・・住職に追い出される前に退散しなくては・・・
膝は大丈夫だろうか?・・・恐る恐る曲げ伸ばししてみると、不思議な事に痛みが消えています!
ジャンプしても大丈夫です!ほえ~さすが関東十刹・・・泣塔の祟りも吹き飛んだか?
いやいや単なる運動不足でしょう(笑) |
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自分で勝手に治っただけの事とは思いますが、ベンチも貸して頂いたので再度ご本尊に手を合わせます・・・
この本尊は永禄十年(1567)仏師快円の作と伝わります!
永禄四年(1561)、上杉謙信が鎌倉に乱入した際にこの寺の本尊を円覚寺に避難させたそうです・・・しかし、永禄六年(1563)、円覚寺は火災にあい本尊は焼失・・・
そこで住持の奇文禅才が快円に新しい本尊の作成を依頼したそうです・・・ |
現在の本尊釈迦如来はこの時造られた物だそうで、鎌倉市の文化財指定を受けています・・・
戦国期には荒廃・・・塔頭の方外庵だけが残り、円覚寺の末寺となり大慶寺として復興しました・・・
付近には『ひげつ、かっけん、てんだい、だいどう』等の地名が残りますが、これは大慶寺の塔頭である『指月軒、覚華庵、天台庵、大堂庵』の名がそのまま残ったのだろうと言われています・・・
とにかく膝が治ったのでホントに助かりました・・・ふかさわ夏まつりに軽い気持ちで行って見ようと思ったおかげで大変な目に遭いましたが、何とか無事に自転車で帰れる事に感謝です!
でも、祭りの実行委員が気合入れて午前中から出店をやっていてくれたら、何か食って満足して膝を痛める事もなく帰宅していたんではなかろうか?
祭りがイマイチ盛り上がらないんじゃなくて、やる気がないんじゃないのかな?・・・言い過ぎかな?
まぁ、よほどの事がない限りもう来ることはないと思う祭りなんで、どーでもいいんですけど・・・是非頑張って頂きたい! |
より大きな地図で 泣塔シクシク を表示 |
泣塔とその周辺の航空写真です・・・一画だけが開発から取り残された様に・・・やはりちょっと変な空間です・・・
何なんだろう?・・・と、思いますよね?・・・パターンとしては神社でもあるのかなって感じですけど・・・
今現在も、すすり泣く声が聞こえるという話もチラホラ・・・夜は行きたくないなぁ・・・
肝試しとかやってる若者もいる様ですが、遊び半分で場を荒らす行為は好ましくないと思います・・・
ソコには確実に何かが居ますよ!・・・なんちゃって・・・
まぁ、取り敢えず今後、しゃがんでから立つ時は気を付けようと心に刻む自分なのでした(笑)
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おしまい |