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鎌倉はダメでしたが、ついに富士山が世界遺産登録となりました!・・・これは一日本人として大変喜ばしい事です!
やっぱり日本の象徴って言ったら富士山でしょう!・・・ゴミ問題とか色々ありましたが、取り敢えず今回の登録で世界的にも価値のある物件として認められたんですから喜びましょう!
関係者の方々はこれから大変だと思いますが、是非頑張って頂きたいと願うばかりです!

高校時代の友人と平塚八景巡り(マイナー過ぎ)を計画していたんですが、今回の登録に伴い急遽予定を変更し、富士山一周世界遺産巡りツアーに変更!・・・雨が降ったり止んだりの天気の中、かなりの強行軍で巡った数々のスポット・・・
今回は構成資産のひとつ、人穴富士講遺蹟を紹介させて頂きたいと思います!
鎌倉の人物にも多少関わりがあるという事で(笑)

場所は県道75号線・・・今は無き清水市と富士宮市を結ぶ道沿いにあります・・・ちょうど富士山の真西辺り!
鳥居 北上していると道路の右側に鳥居が見えます・・・
ココが入り口になります・・・ワクワク・・・
ココは地元では有名な心霊スポットになっている様で、この鳥居をくぐると死ぬっていう話がある様ですが、今の所自分達は健在であります(笑)
これから観光客が増えると思いますが、噂が本当なら何人の方々がお亡くなりになるんでしょうか?
辺りを首の無い女性の幽霊が歩いているという話もありますが、残念ながら今回は遭遇する事はありませんでした。
駐車スペース 鳥居をくぐり左へ曲がった所のスペース・・・
この辺に適当に車を止めて人穴へ向かう様です!
広いです・・・駐車スペースがあるのは嬉しいですね!
でも入り口が鳥居のある所だけなので、どっと観光客が訪れる様になったら 厳しいかもしれませんね・・・
もう一ヶ所出口を作るか、周辺に駐車場を設けるか・・・
まぁ土地は無駄に余ってますから、どう転んでも心配は無さそうです・・・
この辺は鎌倉が抱える問題とは無縁ですね・・・
案内所 トイレ
人穴富士講遺蹟案内所兼トイレです・・・富士山世界文化遺産登録と書かれた紙が張り付けられていました!
今回巡った他のスポットにも同じ物が張り付けられていました・・・やる事が早いですね・・・気合を感じます!
トイレですが、メッチャ綺麗です!
登録計画に際して新設されたんでしょうか?・・・建物も新しいですし中もピカピカです!
取り敢えず用を足して置きました(笑)・・・観光地のトイレは重要ですよね・・・
トイレ前 階段
トイレの目の前に駐車しましたが、既に4台の車が停まっておりました・・・これが世界遺産効果なんでしょうか?
こんな天気にも関わらずこんな辺鄙な場所にわざわざ来るなんて・・・ナンバーを見てみると、全て地元の方々の様でしたが・・・何て暇な人達なんでしょう・・・まぁ、逗子から来ている自分達の方がよっぽど暇人なんでしょうけどねぇ・・・

駐車した場所の右側には人穴へと続く階段があります・・・そこに案内板が立っていました!

富士宮市歩く博物館 Mコース⑦
人穴富士講遺蹟 富士宮市指定遺蹟 平成十一年六月二十三日指定

人穴は、富士講の開祖長谷川角行が十六世紀の末に修行を重ね、富士講を始めた場所であると伝えられる。
富士講の信者たちにとっては、富士山登拝の前後に訪れる巡礼の聖地であった。こうした歴史的背景のもと、洞内洞前並びにその周辺には聖地巡礼を記念した二三三基の碑塔が建立されている。
これらは講祖や先達等の遺徳を称えるものであったり、富士山登拝の大願成就を記念したもので、建立年代の明らかなもののうち、江戸期のものは天明~嘉永年間(1781~1854)が三五基と集中している。これは富士講の盛期に対応するもので、またその居住地が江戸、安房、上総、下総等々に広く分布していることなどが碑塔に刻まれている。
                                                      富士宮市教育委員会 
石碑 神社
ふ~ん・・・て感じで階段を登ります・・・途中にある石碑は、さり気なく富士山モチーフ・・・信仰の顕われ・・・
階段を登り切ると両側を石塔に囲まれた参道の先に人穴浅間神社が見えます!
人穴浅間神社 社横から
社は最近建て替えられたんでしょうか?・・・補修されたというより完全な新築状態で何だかな・・・な感じです・・・
せっかく雰囲気のある場所なのにこれはちょっと・・・肩すかしを食らった感じです・・・
木造建築である以上、こうなる事は仕方のない事ですが・・・あまりにも綺麗で周りの景色との統一感は無く、浮いてしまっています・・・ これならプレハブでも同じかと・・・後何十年か経てば馴染むんでしょうけど、今はダメですね・・・
もうちょっとやり方があると思うんですけど、今回は残念でした・・・

まぁ、ココも観光地としての役割が増え、いずれは神域感という物も薄れて行くんでしょう・・・
背筋を正されるような独特の雰囲気を好む自分にとっては重ねて残念ですが、人が寄りつかない神社というのも果たしていかがな物か・・・結局は人それぞれの考え方次第って事ですかね・・・
美味しいと評判で行列の絶えない有名店・・・美味しいけどメディアには出て来ず場所が分からない隠れ家レストラン・・・
結局はそれくらいの違いしかないんでしょう・・・自分は後者支持・・・案内板があります、見てみましょう!

人穴浅間神社
鎮座地 富士宮市人穴二〇六番地
御祭神 木花咲耶媛命・源家康朝臣・藤原角行
例祭日 七月十日
由緒
建仁三年六月源頼家、仁田四郎に人穴を探検させたと吾妻鏡にある、この穴は浅間大菩薩の御在所であるとの結末を述べている。其の後、天正十年藤原角行が此の人穴にて修行を積み悟を開き富士講の聖地となる。
明治以降は浅間神社として壮大なる社殿を建立し御三体を祭神とする。昭和十七年陸軍により人穴部落と共に強制移転をさせられたが昭和二十九年再び氏神として仮社殿を建立し現在に至る。

壮大なる社殿・・・見てみたかったなぁ・・・
角行という人物は鎌倉の地名の由来のひとつに関係している藤原鎌足の子孫の様です・・・
ココで千日の修行を積んだ様ですね・・・夏はさぞ涼しかった事でしょう・・・
人穴 人穴2
社の右側に洞窟があります!・・・柵の下に階段がありそのまま穴へと続いていました・・・
友人曰く、以前は懐中電灯持参で自己責任のもと入れた様です!・・・今回は完全に立入禁止となっていました!
いつから入れなくなってしまったんでしょうか?・・・穴マニアな自分は入る気満々だったので残念です・・・
傍らには五角形のボロボロの案内板がありました・・・恐らく世界遺産登録計画以前からあった物だと思われます・・・
崩れそうな石塔 記されている内容の半分以上は、危ないから石塔には登るな!・・・という事と、万一怪我しても当神社は責任負いませんよ!・・・という物です・・・
実際左の写真の様に今にも崩れそうな状態です!
登らなくても崩れた時に近くにいたら怪我しそうです!
高い位置にあるので参道まで転がってきますよ!
責任負いたくないならもっと安全面に配慮すべきだと思いました・・・
全面立入禁止にしましょう!(笑)
今じゃなくて、何十年後かに社がイイ感じに風景に馴染んできてから公開した方がいいと思います・・・
やっきにココで観光客集めしなくても、他で十分補えますよ!

さて、先程の案内板に頼家が忠常に洞窟の探検をさせた・・・とありましたね・・・どこの案内板もそうですが説明がアバウト過ぎるのでその辺の事を調べてみましょうか!

ところで阿野全成を知っていますか?・・・今若丸と言った方が馴染み深いでしょうか・・・若丸三兄弟(笑)
義経と同腹で頼朝の異母弟になります・・・頼朝の伊豆挙兵後、真っ先に合流した気骨のある人物です!
通称悪禅師!・・・自分は結構好きな人物です・・・
奥さんは北条政子の妹の阿波局・・・頼朝亡き後は北条方に組し当然頼家とは対立関係にあります・・・
後醍醐天皇との間に後村上天皇を儲けた阿野廉子は全成の末裔ですよ~!

建仁三年(1203)5月19日
・・・阿野全成は謀反の疑いありとされ武田信光に捕えられ宇都宮四郎頼業に預けられ、
5月25日に常陸国へ配流となりました・・・その翌日に頼家は狩りをする為に伊豆へ向かっています・・・

6月1日、将軍家伊豆奥の狩倉に着御す。而るに伊東崎と号すの山中に大洞有り。其の源の遠さ を不知。将軍これを怪しみ、巳の刻、和田の平太胤長を遣わし見せらるの処、胤長火を挙げ彼の穴に入り、酉刻に歸参す。申して云はく、この穴行程数十里、暗くして日光を見ず。一大蛇有り。胤長を呑んと擬すの間、劔を抜き斬殺しをはんぬと云々。

伊豆の山奥の狩場に到着した頼家は伊東崎といわれる山中に大きな洞穴をを見つけた様です!
中を調べて来るように命じられた和田平太胤長は松明片手に午前10時頃に洞穴に入り、午後6時頃に帰って来たようですね・・・胤長は大蛇を退治したとも報告しています!・・・おきまりの展開です(笑)

6月3日、将軍家駿河の国富士の狩倉に渡御す。彼の山麓にまた大谷(人穴と号す)有り。其の所を見究めせしめんが為、新田の四郎忠常主従六人を入れ被る。忠常御劔(重宝)を賜い人穴に入る。今日幕下に歸り出不に暮畢。

ついに出て来ました!人穴!・・・頼家から剣を授かって新田四郎忠常とその家来の合わせて6人が探索に向かいましたが、戻る事なく日が暮れてしまった様です・・・
頼家はどーやら穴があると調べたくなる性分の様ですね・・・何か親近感が湧きます・・・

6月4日、巳刻、新田の四郎忠常人穴を出て歸参す。往還一日一夜を経るなり。この洞狭くして踵を廻すに不能。意ならず進行す。又暗くして心神を痛め令む。主従各々松明を取る。路次の始中終水流に足を浸し、蝙蝠顔に遮り飛ぶこと、幾千萬を不知。その先途大河なり。逆浪漲り流れ、渡らんと欲するに拠無し。ただ迷惑の外他に無し。
爰に火光を当て河向の奇特を見るの間、郎従四人忽ち死亡す。而るに忠常彼の霊の訓えに依って、恩と賜はる御劔を件の河に投げ入れ、命を全うし帰参すと。古老云く、これ浅間大菩薩の御在所、往昔以降敢えてその所を見ることを得ずと。今の次第尤も恐る可きかと。
仁田忠常洞中に奇異を見る図
仁田忠常洞中に奇異を見る図(画:月岡芳年)
翌日の午前十時頃に、新田四郎忠常がようやく人穴から戻ってた様です・・・往復するのに一昼夜掛かったとの事!
忠常が言うには

『この穴は、狭くて方向転換が出来ないので、仕方なく前へ進んで行きました・・・真っ暗で不安に駆られ、各自松明に明かりをつけ進みました・・・
道中は常に水が流れていて足は濡れっ放し・・・
無数の蝙蝠が顔の前を飛び交いました・・・

途中、大きな川が凄い勢いで流れていて、渡る方法もなく困りました・・・

その時、突然光が当たってきたので、川の向うを見ると、家来4人がたちまち死んでしまいました・・・
しかし、自分は霊からの教えにより、頼家から賜った剣を川へ投げ入れたので、命を失わずに帰ることが出来ました。』
との事・・・

土地の古老が言うには
『そこは浅間大菩薩のおられる場所なので、昔から敢えて見に行く所ではありません!・・・この行為は神に対する冒涜です!くわばらくわばら!』・・・
う~ん神様怒ってないといいですけどねぇ・・・
その後の展開をご存知の歴史好きな方達からすると、この古老の話は伏線というか・・・ニヤっとしてしまいますね(笑)
建仁3年後半は頼家にとって、忠常にとっても災難な年でした・・・それについては【六方井】のページで書かせて頂いたと思いますので、そちらを参照して頂きたいと思います!

取り敢えず6月10日に頼家一行は鎌倉に帰った様です・・・あ、そうそう、阿野全成は6月23日、八田知家により下野で処刑されました・・・ナ~ム~・・・

しかし思ったより詳しく人穴探索について記述されていてます・・・逆に怪しいですね・・・北条の非道なやり口を神の祟りに置き換える為の捏造なのでは?・・・などと考えてしまいます・・・
どーでもいいですが、家来が一人生き残ってるはずですが、彼のその後が気になりますね(笑)

【吾妻鏡】の話はこの辺にして置いて、人穴の向かい側には石塔群があります!
石塔群 石塔群2
ロープが張られていて中に入る事は出来ませんが、市の職員の方達でしょうか?・・・皆が身分証の様な物をぶら下げていましたが、数人でゴソゴソ何かしておられました・・・
世界遺産登録となり、今後の対応対策に追われているんでしょう・・・
ど~やら停めてあった車は彼らの物で、観光客は自分達だけの様でした・・・ちょっとくらい話を聞けるかな?なんて思っていましたが挨拶もなく完全シカトでした(笑)・・・別にいいんですけどね・・・ただの業者さんかもしれないし・・・
雨の日に来てんじゃねぇーよ!ぐらいに思われていたのかも知れません・・・

しかし石塔の傾きっぷりが素晴らしいですね!絶妙のバランスで建っています・・・
内藤家墓地 こちらは鎌倉にある光明寺・・・大檀家、日向国延岡藩主内藤家歴代の墓地・・・何か風景がダブりました・・・
こちらも200基近い墓塔群です!

どちらも異様な風景である事は疑いようもありませんが、雰囲気は人穴の方が上ですね・・・
内藤家墓地は中でお弁当とか食べたくなりますが、人穴はちょっと・・・怖いです・・・弁当食べてる時に崩れて来たら怖いって意味もありますけど(笑)

そんなこんなで人穴を満喫した自分達は次の目的地へと急ぐのでした・・・

今回巡った中では雰囲気のある物件だったと思います!
しかし、他に巡った某神社・・・雨だというのに恐ろしい程の人、人、人・・・途切れがない・・・初詣でもないのに参拝待ちって・・・どーゆー事?
完全に世界遺産効果ですよね・・・
参道上から
もともとお守りの種類豊富な商売っ気丸出しの大きな観光神社は好きではありませんが、それ以前に遠くまで来て人混みに呑まれるのは自分のポリシーに反するので、友人が参拝を済ますまで退避しておりました・・・

神社に来てお参りもしないなんて?・・・いいんです敬意は払ってますから・・・そもそも観光ついでに神社に来て写真撮りまくってる時点で神に対する冒涜ですしね(笑)
今後有名寺社はどんどんテーマパーク化して行くと思います・・・家族連れで賑わう、それもありだと思います・・・
何よりそちらに人が流れてくれれば 自分にとっては喜ばしい事です!

欲を言えばコンビニや大手外食チェーンも誘致すれば、更に観光客に優しい物件になるでしょう・・・
変なみやげ物屋を造るよりよっぽどマシかと・・・景観?人が大勢押し寄せる時点で景観もクソもないと思いますが、取り敢えずバイトの制服を作務衣風と巫女装束風にすればOKかと・・・〇〇風てのがミソですね(笑)
巫女さんがレジ打ちしてるとなれば、その手の客層の獲得も容易かと・・・

最後にひとつ・・・この人穴がドコへ通じているのか?
【吾妻鏡】に記述はありませんが、【新編鎌倉志】の江ノ島の項に以下の様な記述があります、

【仁田の四郎が拔穴】
龍が池の東にあり。穴二つあり。俗に二つやぐらとも云ふ。仁田の四郎忠常、富士の人穴より此へ拔け出でたりと云傳ふ。
【東鑑】に建仁三年六月三日、頼家将軍、仁田の四郎忠常を富士山の人穴に遣し、其の所を究め見せしめ給ふ。
一日一夜を經て歸るとあり。此の所へ拔け出たりとはなし。

何と人穴江ノ島に繋がっていたという話もある様です・・・そんなアホなぁ~(笑)
しかし、【鎌倉攬勝考】では、
【新田の拔穴】
『仁田と書は誤なり。新田四郎忠常なり。忠常は豆州の人にて今も豆州に新田と称する有。四郎忠常が出所の地といふ。』白龍窟の東に二穴あり。土人いふ新田四郎忠常が富士の穴より此穴え拔たりといふは妄談なり。
【東鑑】に建仁三年六月三日、頼家将軍の仰に依て新田四郎忠常人穴へ入二日一夜を経て歸るとあり。此へ出しといふ事は見えず。

江ノ島へ繋がっているという話はクールに妄談として片付けてます・・・まぁそうですよね(笑)

おしまい
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