私事ですが、最近、仕事を変えまして、身内が経営する会社を手伝っています・・・
その会社とゆーのがですね・・・とにかく休みが無いんです!(笑)
今どき休日は日曜のみ!・・・そして、忙しければ休日出勤です!・・・祝祭日なんか全く関係無し!
9月は2日しか休みがありませんでした・・・
そんな訳で、今まで良いペースで上げていた鎌倉探訪のFileも微妙な感じに・・・
だって取材に行く暇がないんですモン!・・・それはただの言い訳?・・・いやいやいや・・・
唯一の休みの日曜に、激混みの鎌倉になんか行ったら疲れが取れず、月曜日にはストレスで職場の人達を一人残らずブッ飛ばしてしまいそーです・・・職場には武器として使用できる物がイッパイあるので大変危険です!(笑)
せめて平日休みならなぁ・・・と、思うんですが、何だかんだで家でマッタリと過ごしてしまうんだろうなぁ・・・
連休が欲しい!・・・連休がないと趣味のダム巡りも出来ません!・・・現在、ダム欠乏症でストレス溜まりまくりです!
でも、社会人ですからそんな事も言ってられませんよね?・・・優先すべきは仕事です!
鎌倉にもダムにも行けない・・・ならば、職場付近の物件を紹介してしまえ!
てな感じで暫らくテキトーにやらせて頂こうかなと思います・・・ハイ・・・
ほな行きまひょか! |
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京急金沢八景駅から程近い『洲崎町』という交差点に来ています・・・そこに『洲崎広場』というスポットがあります!
有名な称名寺へはこの道を通って行けます!・・・他にも寺や神社はありますし、シーパラも近いです・・・
金沢区って何気に時間を潰せる街です(笑) |
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広場には何か建っています・・・何なんでしょうアレ?・・・取り敢えず近付いて観察しましょう! |
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どーやら観光マップの様でした・・・『金沢歴史の道』と題して、史跡や社寺仏閣を表示していました!
そして、現在地の所には『明治憲法草創の碑』と記されています!
そーなんです、この街はかつて伊藤博文らが明治憲法制定の草案を練った場所なんです!
それを記念して石碑が建てられているって訳です!
隣りに建っているのがそれですが、取り敢えず観光マップの台座部分を見てみましょう!
カッチョイイ銅板プレートが8枚も埋め込まれています! |
洲崎晴嵐(すさきのせいらん) |
称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう) |
もとは山市の晴嵐といい、朝比奈峠付近の景色をさしていた。江戸中頃までは洲崎にも松並木があり、いまでも照手姫のいぶし松など、多少の名残をとどめている。
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称名寺のこんもりとした森の中からきこえてくる晩鐘をいう。この鐘は正安三年に北條顕時が改鋳したもので重要文化財に指定されている。
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小泉夜雨(こいずみのやう) |
野島夕照(のじまのせきしょう) |
小泉は金沢文庫駅の南を流れる宮川上流の南岸から手子神社の付近をいう。昔は内海がこの辺りまで入り込み海辺には老松が生い茂っていた。
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野島は、もとは陸つづきの島で百戸の漁家があった。
この漁村の夕暮は美しく、山頂からは遠く房総の地が望まれた。
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乙舳帰帆(おっとものきはん) |
瀬戸秋月(せとのしゅうげつ) |
乙舳海岸に帆かけ船が帰ってくる風景をいう。金沢一帯の海岸線が舟の鞆の形をしていたので―おっとも―というようになった。
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瀬戸橋付近から秋月を眺めた夜景で、手前に東屋、遙かに墨絵のような平潟湾と野島が望まれる。
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平潟落雁(ひらがたのらくがん) |
内川暮雪(うちかわのぼせつ) |
平潟は野島のふもとから洲崎にかけての地域をいい、潮干狩りで有名であった。また明治の初めまで、この辺りで塩を焼いていた。
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はじめ釜利谷の辺りをさしていたが、のち関東学院のある内川橋、瀬ヶ崎付近をさすようになった。遠く鷹取山から神武寺へつづく連山をとりいれた暮雪をいう。
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ですよねぇ~・・・金沢八景ですから・・・歌川広重の【金沢八景】ですよねぇ!
それはいいんですけど、銅板プレートの劣化が激しくて絵が見難いです・・・これはちょっといただけませんねぇ・・・
綺麗な錦絵が見たいなら検索すればいくらでも出て来ると思いますんで、気になる方はチェックしてみて下さいね(笑)
いわゆる、景勝地として金沢八景が成立していく過程で、あの水戸黄門こと徳川光圀が多少絡んでいた様です・・・
黄門様は自分が良く参照する【新編鎌倉志】編纂に大きく関わった人物です・・・
同書ではこの辺りの事も紹介していますし、彼の脳裏にももその風景の美しさが焼き付いていたかも知れませんね・・・
では、そろそろ本題の明治憲法草創の碑を見てみましょうか! |
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まぁ、こんな感じです・・・石碑には『憲法草創之處 伯爵金子堅太郎書』と刻まれています!
松が何本か植えられていますが、昔の洲崎へのオマージュでしょうね・・・
ええ、そーです・・・コレだけです・・・コレしかありません・・・
ココで明治憲法の草案が練られたってだけの事です・・・でも、当時この場所で政界の著名人達が憲法制定へ向けて議論し合った空間であると考えると、また感慨深い物であるともいえます・・・
手前にある石碑には何か書かれています・・・見てみましょう!
明治憲法起草の碑
この碑は明治20年(1887)伊藤博文、伊藤巳代治、金子堅太郎らが料亭東屋において明治憲法制定のため草案を起草したのを記念し昭和10年(1935)金子堅太郎書で建立されたものである
料亭東屋跡は金沢八景駅寄り約100米
どーやら草案は『東屋』という料亭で起草された様ですね・・・ 『料亭東屋跡は金沢八景駅寄り約100米』とあります!
アレ!?・・・ココじゃないの!?
なんだよもぉ~・・・全然関係ない場所で感慨に耽っちまったじゃんかよぉ(笑)
じゃぁ行ってみましょうか、料亭東屋跡へ! |
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え~と・・・あ、ありました!・・・先程の石碑から歩いてすぐの場所です・・・
自分はこの道を良く利用するんですが、今まで全く気が付きませんでした・・・ほぇ~、こんなのあったのね!? |
明治憲法起草の地 |
盗賊に機密書類を盗まれたとは・・・間抜けな話ですね・・・
まぁ、ただの盗賊でラッキーだったのかも知れません・・・金目の物とは思わなかったんでしょうね・・・
先程の明治憲法起草の碑はもともとはココ(東屋裏庭)に建てられ、東屋廃業後に現在地へと移った様ですね・・・
『その後、伊藤・金子両名は夏島の伊藤の別荘に移り、草案が完成されましたが、東屋が起草の地であるとして・・・』
とあります・・・夏島の別荘?・・・そーいえば夏島にも石碑みたいなのあったなぁ・・・
もしかしてあれも明治憲法関連の石碑なのか?
これは確認に行って見るしかありませんね!・・・何だか少し面白くなって来ました! |
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夏島貝塚通りを進みます・・・そして京急バスの車庫の所を左折!
この辺りは工場しかありません・・・自分は釣り好きなので良く知っている場所ですが、工場で働いている人達以外が利用する道ではありません・・・海で行き止まりですし・・・
でも、色々と物件はあるんですよ!・・・夏島貝塚もそのひとつです!・・・小学生の時に行った記憶があります! |
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人気の無い道を進んで行きます・・・工場関係者たちは車かバスで移動しますんで、ホントに人通りは無いです!
トラックしか走ってないです・・・たまに暇人が散歩してるくらいでしょうか?(笑)
しばらく進むと左側に日産の第五通用門があります!
自分はこの工場で働いていた時期がありまして、この入口を利用していました・・・
正門から外周沿いにココまで歩くととんでもなく時間が掛かります・・・とにかくだだっ広い工場でした・・・
まぁ、自動車工場ですから広いのは当たり前なんですけどね・・・逆に狭かったら嫌ですよね?(笑) |
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門を過ぎてカーブすると、また長い直線が続きます・・・道路端には夥しい数のドングリが落ちていました・・・
相変わらず人通りは皆無ですが、矢印の所にちょっとしたスペースがあります! |
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おおっ、懐かしい・・・コレですよコレ!・・・何の石碑かは知りませんが、何かが建っていたのは覚えていました!
果たしてコレも明治憲法関連の物件なんでしょうか?・・・数秒後にはその答えが出ている事でしょう! |
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『明治憲法草案起草の跡 金森徳次郎書』とあります!
おおおおおっ、やっぱりそーでしたかぁ!・・・でも揮毫は金子堅太郎ではないようですね?
自分は知りませんでしたが金森徳次郎という人物は、政治家であり憲法学者であった様です・・・
プレートに案内文が記されているので見てみましょう!
明治憲法起草遺跡記念碑
この記念碑は、現在地から南方二百メートルの場所に、大正十五年十一月に建立されたものである。
当時、明治憲法草案起草の関係者であり記念碑の建立発起人の一人であった金子堅太郎の言によれば、その場所は、伊藤博文の別荘の草案起草の室にあてられた十二畳半の部屋であったという。
記念碑は、太平洋戦争後荒廃していたが、当時この地で操業していた富士自動車株式会社の手によって、一部原形を変えて改修され昭和二十六年二月再度除幕された。
このたび、元の位置を含む一帯が、日産自動車株式会社に帰属することになったので同社と協議のうえ現在地に移設させ、明治憲法草案起草の遺跡を示す唯一の記念碑として永く後世に伝えようとするものである。
ちなみに、この碑の外面は、七十六個の石からなるが、これは明治憲法の七十六箇条を意味し、基石の縦横各二十二尺二寸一分一厘の長さは、憲法発布の明治二十二年二月十一日を示したものである。
昭和五十年四月二十六日 横須賀市
ふ~ん・・・洲崎にあった物よりもコチラの方が古いですね・・・
『唯一の記念碑』といわれてもなぁ・・・さっき同じ様な物を見て来ちゃったしなぁ(笑)
この説明文は昭和50年に移設された時に書かれた物ですし、その時既に洲崎の石碑は建っています・・・
アチラは横浜市、コチラは横須賀市・・・起草地論争みたいな物があるんでしょうか?
コチラの石碑も元々は南方200mの場所にあり、土地を所有する日産自動車と協議の上で現在地へ移された・・・
しょーがない事ですが、このパターン多いですよね・・・結局、実際の場所とは違う所に建っている状態・・・
まぁ、残っているだけマシと考えた方がいいんでしょうね・・・
いやぁ~記憶の片隅にあった物件が何なのか判明して スッキリしましたよぉ!
東屋で草案が練られ始め、それを盗賊に盗まれた事もあり、伊藤博文の別荘があったこの夏島に場所を移し完成!
という解釈でいいんでしょうかね?
こんな辺鄙な場所で!?・・・まぁ、工場地帯と化した現在の視点からの意見ですけどね・・・
誰も見に来ないですよ(笑)・・・人は居ないし・・・ハッキリいって怖いし、気持ちの悪い場所です!
でも、ココで明治憲法は創られた!・・・歴史的な場所である事は間違いないです!
『一部原形を変えて改修され・・・』とありますが、自分は元の物を知らないので、どれくらい原形を保っているのか分かりません・・・金森徳次郎が揮毫した『明治憲法草案起草の跡』の部分は当初からあった物なんでしょうか?
まぁ、そんな事はどーでもいいか・・・わざわざ見に来る人もいないでしょうし・・・
基石部分にも銅板が埋め込まれています・・・見てみましょう! |
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漢字イッパイ・・・メンド臭ぇ~・・・
鎌倉関連物件なら読み下しますけど、そこまで興味ないしなぁ・・・割愛(笑)
興味のある方は実際に自分の目で見て確認してみて下さい!
『大正十五年十月 正二位勲一等伯爵 伊藤巳代治 撰幷書』とありますんで、少なくともこのプレートは建立当初の物である事は間違いなさそーですね! |
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フェンスにはこんな感じの物が設置されていましたが、肝心の説明文らしき物が見当たりません・・・
『夏島貝塚の概要』っていわれてもなぁ・・・何も記されてないし・・・
以前は下に説明文等が記された物が貼られていたんでしょうね・・・台風で飛んでっちゃったのかな?(笑)
史跡として残す以上、こーゆー所はちゃんとして欲しいですよね・・・まぁ、誰も来ないでしょうけど・・・ |
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裏側の基石には何か文字が彫られていました・・・これも興味がある方はご自分の目で(笑)
史跡から出ようとした時に目に飛び込んで来た物がありました・・・ポールに何か書いてあります!
つ~かさぁ・・・こーゆーのって入口に向けて建てた方がいいんじゃないのかな?
入って来る時にはポールが建っている事にすら気付きませんでしたよぉ(笑)
横須賀市指定市民文化遺産 横須賀風物百選 明治憲法起草地記念碑
伊藤博文らが明治憲法を起草した夏島の別荘跡地に、草案に加わった伊藤巳代治、金子堅太郎らが発起人になり、大正十五年に建立された。昭和五十年に現在地に移転された。
この物件は横須賀風物百選に選定されていたんですね・・・
まぁ、さっきもいいましたが歴史的な場所には違いありませんからね・・・誰も来ませんけど・・・
さて、ついでに夏島貝塚にも寄って行きますか! |
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入口はすぐ隣にあります!・・・お!、こちらも横須賀風物百選に選定されている様ですね・・・
へぇ~・・・って、アレ!? |
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そー来たか・・・ハイハイ、このパターンですね・・・そーですか、そーですか・・・
入れねぇーじゃんかバカ野郎!・・・誰も来ねぇのにガッツリとガードを固めやがってからに!
お前はやたらと男を警戒するブサイクな女なのか?(笑)
ブサイクなりに頑張っている娘を見ると、多少応援してあげたくなりますが、この状態ではその気概も感じられません・・・
久し振りに来てやったのにこの仕打ちとは・・・ガキの頃は入れた記憶があるんですけどねぇ・・・
まぁ、いーか・・・貝塚を見てテンションがあがるとも思えないし・・・
無駄に体力を消費しなくて済んで良かったという事にして置きましょう・・・
一応、案内板が建っていましたんで貼って置きますね・・・ |
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国内最古級の貝塚であり、国指定史跡となっている様です・・・
それよりも縄文時代の人間もマグロやクロダイを食べていたんですね・・・
どーやって調理してたんでしょうか?・・・考古学云々よりもそっちの方が気になってしまいます(笑)
今回、テキトーに職場付近の物件を紹介させて頂きましたが、意外な発見もあり、自分にとっては結構実りある取材が出来たと思っています・・・
鎌倉探訪なのに全然鎌倉じゃねぇーじゃねぇかって?
いいんです・・・テキトーですから!・・・鎌倉探訪のトップページにもそう明記してあるじゃないですか(笑)
これからもテキトーに好き放題綴らせて戴く所存であります!
今回巡った物件のマップを貼って置きますね!
次回に紹介しようと思っている野島の伊藤博文物件(旧伊藤博文金沢別邸)もついでに載せて置きます!
こんな近場に2つも別荘を構えていたなんて、初代内閣総理大臣はよっぽどこの地が好きだったんでしょうか?(笑) |
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おしまい |