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西念寺です!
自転車でコチラ方面を訪れる事は滅多にないんですけど、今日は天気の良さに何だかテンションが上がってしまって・・・自然とペダルを漕ぐ足に力が入り、気付いたらこんな所まで・・・
西念寺は前回訪れた時も入口が封鎖されていたんですが、今回も完全封鎖でした・・・
境内には子供の声が響いています・・・
そう、幼稚園があるんですよこの寺・・・それで入口封鎖してんのかな?
不審者が入って来ない様にとの危機管理なんでしょうか?・・・でもさぁ・・・寺が門閉じてどーすんねん!
自分の通ってた幼稚園も寺の境内にありますけど、こんなガードしてないですよ!
ウェルカムって感じです!
この寺にある運誉光道の開山修行窟を写真に収めたいんですが、今回も無理そうです・・・
鍵が掛かってる訳ではないので開けて入っても良さそうな気もしますが、警戒されるかも知れないし下手したら通報!?
『なんかデカイのが園内に侵入して来て写真撮りまくってます!、助けてっ!』・・・そんなアホな(笑)
入口が閉ざされてる寺ってなんだかなぁ・・・これが危機管理でそーしてるというなら全くの無意味ですよ!
その気になれば容易く侵入出来ます!
危機管理でやっているとしたら意識が低過ぎます・・・
どーせやるなら守衛を置かないとあまり意味が無いかと思われます!
自分がカメラ持って清泉女学院の校門前をウロウロしてた時の守衛の厳しい視線が忘れられません!
まぁ、女子高の前をカメラ持ってウロついてたら不審者扱いされてもしょうがないですけどね(笑)
でも、玉縄城址の見学申し込みに来た旨を伝えると、凄く丁寧に対応してくれました・・・ホッ・・・ |
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幼稚園が休みの日なら境内も開放されているんでしょうか?
でも土日にわざわざこんな所まで来るのもなぁ・・・
そこまで物好きでもないしなぁ・・・そもそも、そこまで興味のある物件でもないですし・・・
西念寺は当分いいか・・・メンド臭くなっちゃったな(笑)
どーせ首抜け木像も非公開だし・・・今後、幼稚園が廃園になる様な事があったら再訪してみようかな?
無意味にうるさいガキ共を見ていると疲れちゃうしなぁ・・・
門を閉ざした西念寺に尻を向けて引き返します・・・寺の向かい側にはいわせ下関青少年広場があります! |
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数年前から防災公園化計画があった話は聞いていましたが、もう工事始まってたんですね・・・
かなり様変わりしています・・・以下は鎌倉市HPにあった説明です・・・
昭和50年代から土地所有者のご好意により鎌倉市が借地し青少年広場として地元に親しまれている「いわせ下関青少年広場」は、鎌倉市が用地を取得し「岩瀬下関防災公園」として整備することになりました。
岩瀬下関防災公園は、平成22年度にUR都市機構※1に業務委託を行い、平成23年6月29日に近隣公園として都市計画決定し、岩瀬下関地区防災公園街区整備事業※2として整備事業を実施しています。
平成27年度当初 開園予定だそうです!
※1のUR都市機構って独立行政法人都市再生機構の事ですよね?
天下り臭のする『独立行政法人』って冠を消したがりますよね(笑)・・・※2に関しては、
災害に対し脆弱な構造となっている大都市地域等の既成市街地において、防災機能の強化を図ることを目的として、地方公共団体の要請に基づき、URが用地等を機動的に取得するとともに、防災公園と周辺市街地の整備と改善とを一体的に実施することを目的とし制定された事業です。
との説明がありました・・・
下の図は鎌倉市岩瀬下関防災公園計画平面図です・・・ |
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災害時には下図の様に展開するそうです・・・ |
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『かまどベンチ』ってのがいいですね!
でも、普段は使っちゃダメなんでしょうね?・・・そもそも火気厳禁か(笑)
21台ぶんの駐車場が造られる様ですが、これは嬉しいですね!
今度西念寺を訪れる際は活用させて頂きます! |
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計画は着々と進められている様です・・・
キレイに整備されている園内では4人組のマダムが弁当を食べていましたが、笑い声が凄かったです・・・
元気だなぁ・・・
隣りのベンチで少し休憩していたら手作りのシュークリームを御馳走して頂きました・・・
そんなに物欲しそうな顔してたのかな?(笑)
御馳走様でした!
しかし主婦っていい御身分ですなぁ(笑) |
ココは災害時には防災パーゴラになる様です・・・
隣の倉庫には専用のテントとかが保管されている事でしょう・・・ |
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力石が・・・以前は公園の入口にあったと記憶しておりますが・・・
傍らに案内の立札があります・・・
力石の由来
明治五年梅沢源兵衛さんが奉納した力石です。大きな方が四十二貫、小さな方が三十三貫有り男女の厄年を表しております。昔、村の若衆が皆で力競べをした事でしょう。 岩瀬町内会
由来というか・・・結局何なんでしょう?
どっかの神社にあったとかそーゆーのが知りたいんですけど・・・
『村の若衆が力競べをした事でしょう』・・・でしょうって推測かよ!(笑)
ホントに他に書く事なかったのかい?
立札の文字も経年劣化でかなり読み難くなっています・・・
公園完成の際にはさすがに新しい案内板が設置される事と思いますが、内容の方ももう少し充実させて頂きたいモンです! |
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すっかり綺麗に様変わりしちゃってまぁ・・・綺麗なのはいい事ですけどね・・・ |
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井戸があります!
一応飲料水としての基準は満たしている様なので、災害時には大いに活躍しそうですね!
案内板の写真が白黒なので、古い物かと思わせつつも完成したのは2001年の様です!
上総掘りと呼ばれる伝統的工法で掘削された様です!
図説で詳しく述べられていました・・・ |
しかし、湧水都市鎌倉なんて構想があったとは(笑)
でも、この公園を造るにあたって、ある有名な池が完全に埋められた事は知らない方も多いのではないでしょうか? |
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ココには渡瀬庄三郎の弟子、河野卯三郎によって作られた鎌倉食用蛙養殖場がありました・・・
大正9年(1920大正10年説アリ)に造られたこの養殖場は周辺農家の貴重な現金収入となり、最盛期には3.000坪程度の敷地面積を持っていたとの事ですが、太平洋戦争に先立つ欧米諸国の禁輸政策によって輸出がたち行かなくなり、1940年代前半には閉鎖された様です・・・
その養殖場の池と伝わる物が井戸の傍らに残されていたんですが、今回訪れてみると完全に埋められていました・・・
ひょうたん型の池だったと思うんですけど、見る影もないです・・・ |
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Googleマップの航空写真では工事前のいわせ下関青少年広場を確認する事が出来ました!
ありますね~ひょうたん型の池が・・・
これに先程の鎌倉市岩瀬下関防災公園計画平面図を重ねると右上の画像の様になります・・・
何度もいう通り養殖池は防災公園化工事に伴い埋められ、現在は芝生地帯と化しています!
残す様に造園する計画は持ち上がらなかったんでしょうかね?
この鎌倉食用蛙養殖場は日本に於ける『アメリカザリガニ発祥の地』と言われています!
アメリカザリガニを知らないって方はいないと思います・・・自分も子供の頃はよく捕まえに行きました!
そのアメリカザリガニはココから日本全国へと拡がって行ったんですよぉ~!
ウシガエルのエサ用にと輸入したわずか20匹が始まりだそうです!
脱走した彼等は持ち前の繁殖能力で全国に勢力を拡大したんだそうです!(Wikipedia参照)
ウシガエルも同様に逃げ出して全国に拡まったってのがウケますね(笑)
まぁ、ウシガエルに関しては他の養殖場でも同様に脱走したらしいので、ココだけの責任ではないとは思いますけど・・・
ココにはアメリカザリガニ発祥の地を知らせる案内板などは当然ありません!
現在、アメリカザリガニはウシガエルと共に、
『日本の侵略的外来種ワースト100』
に選定されているそうです!
ずさんな管理体制でココから脱走したアメリカザリガニが日本の生態系に及ぼした影響は量り知れません!
鎌倉市としては埋めてでも隠したい恥部である事は間違いないでしょう・・・
ザリガニ料理で町興しなんてしたら叩かれそうですね(笑)・・・ザリガニって美味いのかな?
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追記
(2015/06/19)
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この記事をお読みになられた方からメールを頂きました!
非常に内容の濃い情報を提供して頂きましたので、その文面を紹介させて頂きます!
File.051
(アメリカザリガニ)を読ませていただきました。
子供が西念寺の保育園に通っているので、誤解を解くべくメールいたします。
門が閉まっているのは、不審者対策ではなくて、子供が逃げ出さないようになんです。
幼稚園がある、と書かれてましたが、幼稚園ではなく保育園なので、0歳からの子供がいます。
まぁ、0歳が脱走することはないと思うのですが、1~2歳だと園庭で遊んでいて出てしまうと危険。
それで門があリます(3歳以上は理解が出来るようになるので勝手に出たりしませんが)
お寺に用事がある人は、勝手に入ります。檀家さんでなくても大丈夫。
お墓がある人も多いですし、入って来られる方がいても特に不審者だと思われることはないです。
まぁ、誰かがいる際はひと声かけたほうが無難だとは思います。
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青少年広場に以前にあったひょうたん型の池は、ザリガニ養殖場の跡ではありません。
ザリガニ養殖所は閉鎖後に失敗した後に早々に完全に埋め立てられ、この広場には全く池は無くなっていました。
広場はつい最近まで個人の持ち物で、その方のご厚意で付近住民に開放されていました。
上総掘りの保存会が、技術保存の意味でどこかを掘りたい、と探していたときに、広場の持ち主が「端っこ掘っていいよ」と許可し、ページに書かれているように2001
年に井戸が完成しました。
この際、掘ることが目的だったため、水が出た後のことは特に考えてはいなかったようです。
とりあえず水を溜めるための池を作ったのがひょうたん型の池なのですが、その小さな池からはどこにも流れ出しません。
自然乾燥を待つことになりますが、周囲の土に水がしみてしまい、周辺は常に半湿地のようになっていました。
保育園の子供もよく来る広場だったけど、周辺は滑りやすいし、滑れば泥だらけになるので子供が近づかないように気を付けねばならない状態でした。
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数年前に広場の持ち主が亡くなり、なにぶん広大な土地なので相続税が払えず、土地自体が売りに出ました。
一度はマンションの建設計画が立ったのですが、反対運動が起こり、不動産業者も「付近住民に反対されてまで建てたいものではない」と計画を撤回。
鎌倉市が業者の購入価格で譲り受けることになり、市のものとなります。
それまでは個人の土地でしたが、市の所有となった以上は市の管理責任が伴います。
それで、計画整備されたのが現在の防災公園。
半湿地状態となっていた池の周辺は整備され、ましたが、井戸は残されています。
…という経緯なので、あの池が残されないことに対する反対運動は全くありませんでした。
歴史的なものでもなんでもないし。
いやぁ~、自分が養殖池だと思っていた物が・・・
井戸を掘る時の溜池だったなんて・・・少しショック(笑)
まぁ、ひょうたん形の池って時点で微妙な感じはしていたんですけどね・・・
考えてみると、養殖池としては効率が悪過ぎますよね?
でも、ショック(笑)
鎌倉の恥部は、市がどーこーする前に既に埋められていたんですね・・・
また、幼稚園ではなくて保育園だった様です・・・ホントにテキトーで申し訳御座いません(笑)
あの来訪者を拒むかの様な防御は、実は園児の脱走を防ぐ為にある物だったとは・・・
有益な情報には感謝です!・・・お蔭で自分も間違いに気付く事が出来ました!
最後に、この情報提供者様のサイトへのリンクを貼って置きますね!(魔法使いの森)
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おしまい |